死に愛された女の肖像

 その赤ん坊は、絶望の淵にあってなお、世界を拒絶するように沈黙していた。

 冬の星座が凍てつく夜。都心の雑居ビルの屋上、錆びついたフェンスの向こう側には、吸い込まれるような虚無が広がっている。一人の女が、その境界線に立っている。彼女の腕には、安物の毛布に包まれた生後数ヶ月の赤ん坊――香が抱かれていた。

 女の瞳には、もはやこの世の光を反射する力は残っていなかった。彼女は、自らの血肉を分けたその重みを、コンクリートの平らな床に、壊れ物を置くような手つきでそっと横たえた。それが、彼女が娘に与えた最後の慈しみだった。

 直後、夜の静寂を切り裂いて、空気が震えた。肉塊が硬い地面に叩きつけられる、湿り気を帯びた鈍い音。それは一瞬の衝撃でしかなかったが、屋上に残された赤ん坊の香にとっては、世界が永遠にその色を変えた合図だった。

 駆けつけた警察官たちが、ビルの下で「事後」の処理に追われる間、屋上では一人の救急隊員が、信じられないものを見るような目で赤ん坊を覗き込んでいた。

「……寝ているのか?」

 震える隊員の腕に抱き上げられても、香は声を上げなかった。普通、赤ん坊というものは、不快や恐怖を肺いっぱいの空気とともに吐き出すものだ。しかし、香の漆黒の瞳は、ただ一点、母が消えていった夜空の断層を見つめていた。

 頬を撫でる氷のような風。遠くで鳴り響くサイレンの不協和音。それらすべてを、彼女は涙という排泄機能を使わずに、そのまま自身の内に沈殿させていった。


 この日以来、私は一度も泣いたことがない。悲しみは、瞳から溢れ出す代わりに、心臓の奥底で結晶となって積み重なっていった。