隣のコートが青すぎる

「もっちー、帰りにワック寄ってこー」

 バドミントン部の練習終わりに部室で着替えていると、古河から誘われた。

「別に、いいけど」

 金曜日の中庭練習は比較的軽めだから、帰りに寄り道をする余力は残っている。誘いに乗ると、古河は「よっしゃ」と拳を握った。

 部室から出たあとに体育館の横を通りかかると、ボールの音が聞こえてくる。バレー部は、まだ練習しているらしい。扉が閉まっているから練習風景は見えないけど、つい立ち止まってしまった。
 高瀬もまだ練習しているのかな? バレー部って何時まで練習してるんだろう?

「おーい、腹減ったから早く行こうぜー」
「あ、うん」

 古河に急かされたところで、慌てて歩き出す。部外者の俺が気にしたって、仕方ないんだ。



 駅前のファストフード店で、古河と喋りながらポテトをつまむ。

「なあ、もっちー、ユウナさんってさ、まだ彼氏と続いてんの?」
「続いてんじゃない? この前も二人で旅行してたし。つーか、俺の姉をユウナさんとか呼ぶのやめろ」
「別にいいじゃん。彼氏と別れたらすぐに報告しろよ」
「やだよ。二人の仲を取り持ったら、お前と義兄弟になる世界線があるってことじゃん。考えただけで胃もたれする」

 うげぇっと、冷めたポテトを放り出すと、古河が何食わぬ顔で口に放り込む。

「いいじゃん。家族になろうよ」
「絶対ヤダ」

 きっぱり拒むと、古河は「ちぇー」と唇を尖らせて拗ねた。
 すっかり暗くなった駅前の大通りを眺めていると、エナメルバッグを下げた高身長集団が歩いてくる。その中の何人かには、見覚えがあった。

「あ」

 声を出すと、ガラス越しに目が合う。向こうも「あ」と口を開いた。

「高瀬じゃん。行く?」

 正面にいた古河に聞かれる。こういう時に察しがいいのは、とても助かる。
 すぐにテーブルの上を片付けて、店を飛び出した。

「よ、お疲れ」

 店の入り口では、高瀬、小林、牧野が待ってくれていた。息を弾ませながら駆け寄ると、高瀬がふにゃふにゃと頬を緩める。

「望月に会えると思わなかったから、なんか嬉しい。今日部活なかったの?」
「あったけど、相方に誘われて寄り道してた」
「……相方?」
「あ、うん、こいつ」

 後ろにいた古河の手を引く。古河は話に入ってこないつもりだったようだが、俺が話を振ったことで社交モードに入った。

「どもっ! 望月とダブルス組んでる古河です」

 わざとらしく下手に出ながら挨拶する古河。陽キャの匂いを感じ取ったのか、小林も話に交ざってきた。

「なになに? 望月の友達?」
「はい! 望月とは小学校からの大親友です」
「めっちゃ付き合い長いじゃん。幼馴染的な?」
「そんな感じっすね! 望月のことならなんでも知ってますよ。小学校の頃に通学路にいた吠える犬が怖くてわざわざ遠回りして通っていたことも、中学の部内戦で下級生に負けてトイレで泣いていたことも、去年女子に貸した色ペンが返ってこないのをいまだに根に持っていることも、全部知ってます」
「やめろ。勝手に暴露すんな」

 古河の口を塞ぐと、牧野がふっとおかしそうに噴き出した。

「エピソードが全部かわいいんだけど」

 かわいい? いや、可哀そうの間違いだろう。

「おもろっ! 望月の話、もっと聞かせてよ!」
「いっすよ!」

 古河と小林が結託しそうな流れができたところで、高瀬がふいっと輪の中から抜け出す。

「俺、疲れたから帰るわ」

 熱が冷めたように離れていくものだから、「え?」と声を漏らしてしまった。
 もう帰っちゃうのか。せっかく会えたから、もう少し話したかったんだけど。まあ、部活終わりで疲れているから、仕方ないか。

 名残惜しさを感じながら背中を見つめていると、不意に高瀬が立ち止まる。なんだ、と眉をひそめていると、Uターンしてこちらに戻ってきた。

「おお? どした、タカ」

 高瀬は小林の前を素通りすると、俺の前で立ち止まって長い手を持ち上げる。その手の行方を目で追っていると、俺の頭の上に着地した。

「じゃあね、望月」

 高瀬は穏やかに目を細めながら、ぽんぽんっと頭を撫でる。それから何事もなかったかのように駅に向かって歩き出した。
 取り残された俺たちは、ポカンと口を開ける。

「なに? 今のぽんぽん」
「俺もわからん。タカがあんなことしてんの初めて見た」

 古河と小林が、世にも奇妙な現象に遭遇したかのように顔を見合わせる。その後ろで、牧野は興味なさげにスマホを弄っていた。

「タカなりのマーキングじゃね? 知らんけど」

 マーキングってなんだよ? された本人が一番状況を理解していないんだけど。

「ぽんぽん事件だ」

 小林が勝手に事件に仕立て上げる。たしかにこれは、ある意味事件だ。

 ただのクラスメイト相手に、あんなことするか? バレー部では、この程度のスキンシップは普通なのか? いや、小林も驚いていたから普通ではないか……。

 触れられた場所がじわじわと熱くなっていく。心臓もドクドク暴れまわって仕方がない。
 高瀬はどういうつもりであんなことをしたんだ?



 ぽんぽん事件の謎に包まれたまま土日を過ごし、月曜日を迎える。
 この日の高瀬は、珍しく三時間目までは起きていた。だけど四時間目の化学でダウンする。仕方がないから、昼休みにノートを持って高瀬の席に向かった。

「はい。今日は一冊で済んでよかったね」

 ノートを差し出すと、高瀬はポヤポヤと寝ぼけながら目を擦っていた。

「三時間目までは頑張ったけど、御堂先生はダメだった。やっぱりあの人、教師よりも催眠術師になった方がいいよ」

 悪びれもしない態度に呆れつつも、いつも通りのゆるい高瀬に戻っていることにはほっとしていた。

 高瀬にノートを渡してから自分の席に戻ろうとしたが、問題に気付く。俺の席は、弁当を広げた女子グループに占領されていた。ああなってしまったら、もう席には戻れない。

「高瀬は今日もバレー部のみんなと学食いくの?」
「学食に行くのは木曜って決まってるから、今日は行かないよ。誰か呼びに来たら、適当にどっかのクラスで弁当食べる」
「そっか」

 昼休みはバレー部の誰かしらが高瀬を呼びに来るのが恒例だ。あと数分もすれば、お呼びがかかるだろう。

「……俺も古河のクラスに行こうかな」

 恨めし気に自分の席を見ながら呟くと、高瀬が「あーあ」と事情を察したかのように苦笑いを浮かべる。

「なら俺と付き合ってよ」
「え?」

 いいのか? いつもはバレー部のみんなと食べているのに。
 呆気に取られているうちにも、高瀬はエナメルバッグから大きな弁当を取り出す。

「行こう」

 弁当をぶら下げながら、颯爽と教室から出ていく。俺も急いで弁当を取りに行って、高瀬の後を追いかけた。

 高瀬に連れられてこられたのは、屋上に繋がる階段。あまり生徒が立ち入る場所ではないから、ここだけは切り離されたかのように静かだった。
 最上段に腰を下ろして、弁当の蓋を開ける。何気なく高瀬の弁当を覗いてみると、「おお」と声をあげてしまった。

「高瀬の弁当、すごいね」

 前に一緒に食べた時は、自分の弁当を食べるのに必死で、高瀬のはよく見ていなかった。だけどあらためて見ると、ものすごく気合が入っている。
 量が多いというのもあるが、それ以上に品数の多さに驚かされる。彩のバランスも良い。きっと栄養のことを考えて作っているのだろう。

「重いでしょ?」
「持ってないからわからないけど、重そう」
「重量的な話じゃなくて、気持ちが」

 気持ち、と心の中で呟きながら顔を上げる。高瀬は力なく笑っていた。

「もちろん、朝早く起きて作ってくれていることには、感謝しているけどね」

 たしかに、朝からこんなに手の込んだ弁当を作るのは大変そうだ。高瀬は毎朝五時起きと言っていたけど、親は何時に起きているんだ? 愛と呼ぶには、ちょっと重たく感じた。

「そういえばさ、金曜のアレなに?」

 重苦しい雰囲気を察して、さりげなく話題を変えてみる。

「アレって?」
「しらばっくれんなよ。帰りがけに頭ぽんぽんしたやつ」

 掘り返さない方がいいと思いつつも、我慢できずに聞いてしまった。高瀬は「あー……」と気まずそうに視線を逸らす。

「アレか。望月と別れた後も、電車の中でコバに散々弄られた」
「だろうね。なんであんなことしたの?」
「嫌だった?」
「嫌……ではないけどさ」

 古河に同じことをやられたらウザいと振り払うだろうけど、高瀬だと嫌悪感はなかった。その違いは、自分でもよく分かっていない。
 弁当に手を付けずに返事を待っていると、高瀬は申し訳なさそうに口を開いた。

「意味わかんないと思うけど、古河だっけ? あいつと仲良いのにちょっと嫉妬した」
「俺と古河が?」
「そう」

 理由を聞いても、いまいちピンとこない。首をかしげていると、高瀬は言葉を続ける。

「昔からの友達だし、部活でもダブルス組んでるから仕方ないんだろうけど、他では立ち入れない絆があるような気がして……。それに嫉妬して、犯行に及びました」

 重苦しい空気にしないためか、へらりと笑って自白する高瀬。ただのクラスメイト相手に嫉妬するのはよくわからないけど、「立ち入れない絆」というのは心当たりがあった。多分、前に俺が抱いたのものと同じだ。

「絆……っていうと気持ち悪いけど、古河とは付き合いが長いから自然体でいられるのは事実かな。俺たちにしか分からない空気感みたいなのもあるし。でも、それは、高瀬も同じじゃない?」
「俺も?」
「うん。バレー部のみんなと俺との関係って違うわけでしょ?」
「それはそう。全然違う」

 はっきり線引きされると、キリッと胸が痛む。
 やっぱりそうだよな。俺は、バレー部のみんなとは違う。

「バレー部のみんなはタカって呼んでいいけど、俺はダメだもんね。俺との関係ってその程度じゃん」

 寂しさが溢れかえって、うっかり自虐してしまった。こんなことは言うつもりはなかったのに、最悪だ。
 ちらりと隣を見ると、高瀬は目を見開いたまま固まっている。重いやつって思われたかもしれない。
 高瀬の目が見られずに俯いていると、おもむろに肩を掴まれた。

「その程度ってのは違う! 望月には、コートネームで呼んでほしくなかっただけ」
「コートネーム?」
「うん。タカは、バレーしてる時の俺だから」

 高瀬の顔は、真剣そのものだ。俺を軽んじているような雰囲気はなかった。
 競技中に呼び合うコートネーム。たしかにそれを、俺が呼ぶのは違和感があるのかもしれない。突き放されたわけではないんだ。
 高瀬の真意を読み取ろうとしていると、肩に触れられた手に力が籠る。

「この話はさ、バレー部のやつらには言わないでほしいんだけど」
「う、うん」

 深刻な雰囲気を察して、俺も表情を引き締める。言葉を待っていると、高瀬は重苦しい雰囲気で口を開いた。

「俺、昔からバレーが好きで、生活のすべてをバレーに捧げてきたんだ。だから、それ以外にできることなくて」
「そんなことないでしょ。バドミントンだって普通に上手かったし、ノートを見ただけで授業を理解できるんだから地頭もいいでしょ」
「それは……望月が色々気を遣ってくれたから。俺が打ちやすいように調整してくれたり、わかりやすいようにノートまとめてくれたり」

 俯いていた高瀬が、ちらりと俺の顔を見る。そうか。高瀬は気付いていたのか。
 高瀬は、肺の中の空気をすべて吐き出すように深く息をつく。

「部活終わりに一人で電車乗っているとさ、ふと考えるんだ。俺からバレーを取ったら、何も残んねえなぁって。あんま想像したくないけど、怪我とかでバレーできなくなったら、全部消えるような気がして。将来も、親からの期待も、チームメイトとの繋がりも、全部」

 全部、と言い切る声が震えている。高瀬が不安に思う気持ちが、ひしひしと伝わってきた。

「望月とはバレー以外のところで繋がっていたかったんだ。だからコートネームでは、呼んでほしくなかった。そのことで傷つけたなら、ごめん」

 高瀬は俺の肩に手を乗せたまま、深く頭を下げた。

 ひとつのことに飛びぬけた才能があるのは、素晴らしいことだ。平凡な俺はそんなものは持ち合わせていなから、羨ましくもある。
 だけどそれは、怖いことでもあるのかもしれない。唯一のものを失った時のことを考えると、たまらなく不安になるのだろう。

 でも、不安になる必要なんてないんだ。目の前にある高瀬のつむじを、ぽんぽんっと撫でる。

「バレーをしてても、していなくても、高瀬は高瀬だよ。教室でふにゃふにゃ笑ってる高瀬も、俺は好きだよ」

 得意なことが一個減ったくらいで、人間としての価値がなくなるわけではない。そう励ますつもりだったけど、勢い余って好きと言ってしまった。

 高瀬が顔を上げたところで、慌てて手を引っ込める。
 どうしよう。顔が熱い。変な意味で言ったつもりでは、ないんだけど……。

 高瀬は驚いたように目を見開いている。今度こそ気持ち悪いと思われたかもしれない。恥ずかしくて目を伏せると、肩に置かれた高瀬の手も離れていった。
 ああ、やっぱり引かれたかな? 不用意な発言に後悔していると、高瀬が「くぅ……」と唸りながら、膝に頭をくっつけて蹲った。

「え? 高瀬、大丈夫?」

 心配になって声をかけると、高瀬はふるふると首を振る。

「だめ。俺、いま、変だ……。望月が、かわいく見えて仕方がない」

 どういう意味だ? 瞬きを繰り返していると、高瀬はゆっくりと顔を上げる。その頬は、熟れたりんごのように真っ赤に染まっていた。

「こう、胸がぎゅっとなって、苦しくて、望月のこと抱きしめたくなって。……あ、試しに抱きしめてもいい?」

 高瀬が両手を広げたところで、バッと顔が熱くなる。

「だきっ……⁉ だ、だめ! それはだめ。絶対だめ!」

 試合に勝った喜びのハグなら分かるけど、こんな人目に付かない場所で抱き合うなんて変だ。ぶんぶんと首を振って拒否すると、高瀬はショックを受けたようにしゅんと肩を落とした。

「だよね。そんなことしたら、余計に変になるか……」

 あからさまに落ち込んでいる姿を見ていると、なんだか申し訳ない気分になってくる。
 シチュエーション的に変だから断ったけど……本当にだめなのか? 試しに、高瀬に抱きしめられるところを想像してみた。

 その逞しい腕に包まれて、胸板に身を寄せることを想像すると、ドッドッドと鼓動が速くなる。
 だめだ! そんなことをしたら、俺まで変になる。やっぱりだめ。だめだめ。
 一年以上も、飽きずに同級生の男を目で追いかけていただけでも変なのに。

 そこで、ふっと疑問が湧いてくる。
 そもそも俺、なんで高瀬のことを見ていたんだろう? かっこいいから、というのが理由だと思っていたけど、本当にそれだけか?
 新たな疑問に困惑していると、高瀬が気持ちを切り替えるようにパシッと頬を叩いた。

「ごめん、さっきのは忘れて。それで、呼び方の話に戻るんだけど」
「う、うん」

 抱きしめる話は流れたようだ。よかった。
 気を取り直して表情を引き締めると、高瀬は緊張気味に口を開いた。

「高瀬が嫌なら、駿介(しゅんすけ)って呼んでよ。その方がずっと近いから。チームメイトよりも」

 駿介。心の中で呼んでみただけでも、顔面が燃え上がりそうになった。
 下の名前で呼ぶことくらいなんてことないはずなのに、高瀬が相手だと変に意識してしまう。おかしい。

「す、すぐに変えるのはハードル高いよ」
「まあ……そうだよね」

 高瀬はまたしてもしゅんっと肩を落とす。そこで慌てて言葉を続けた。

「で、でも、高瀬がそう呼んでほしいなら、呼べるように、がんばる」

 意気込みを伝えると、高瀬はパアアっと瞳を輝かせる。

「うん、頑張って! 俺も、弘夢(ひろむ)って呼べるように頑張るから!」

 不意打ちで名前を呼ばれたせいで、変な声が出そうになった。
 高瀬、俺の下の名前も知っていたんだな。フルネームで自己紹介をした覚えはないんだけど。

 ジリジリと顔が熱くなるのを感じながら黙り込んでいると、ポケットにしまっていたスマホがヴヴッと震える。取り出して確認してみると、古河から超どうでもいいメッセージが届いていた。
 だけどそんなことよりも、気にしなければならないことがある。

「時間ヤバい! あと五分で予鈴鳴る!」
「マジで⁉ まだ全然食ってないんだけど」
「急いで食べよう!」

 話に夢中になっていたせいで、またしても五分で弁当をかきこむ羽目になった。