隣のコートが青すぎる

 一学期の中間試験が終わった頃に、席替えがあった。
 高瀬と席が離れたら話す機会もなくなるかもしれないと思っていたけど、そんなことはなかった。

「望月、ノート貸して」
「またかよ。隣の人に貸してもらえよ」
「やだ。望月のノートが一番わかりやすいし」

 晴れやかな笑顔で褒められると、それ以上文句を言えなくなってしまう。仕方ないなぁと呆れながらも、ノートを差し出した。

 わかりやすいと言ってもらえたのは、正直嬉しい。ここ最近は高瀬にノートを貸すことを意識して、これまで以上に丁寧に板書していたから。

 先生が口頭だけで説明したことも聞き漏らさずにノートに書き写し、テストに出るぞと予告されたところはキラキラのマーカーでしるしをつけた。そんな地味すぎる努力は、本人には言うつもりはないけど。
 ノートを受け取った高瀬は、目を細めながら大切そうに抱き寄せる。

「ありがとう。助かるよ。望月のノートには、俺の選手生命がかかってるから」
「大袈裟な」
「いや、マジで」

 どういうことだと眉をひそめていると、高瀬はへらりと笑った。

「実は俺、一年の頃は補習の常連だったんだ」
「あっ……」
「そんな残念なものを見る目すんなって。授業中寝てるから当然なんだけどさ」

 敗因は自分でもわかっているんじゃないか。呆れながらジトッとした眼差しを送っていると、高瀬は悪びれる様子もなくふにゃふにゃと笑った。

「最初はさ、俺も真面目に授業聞こうって頑張ってたんだけど、部活がハードだからそこでエネルギーを使い果たしちゃうんだよね。家遠いから朝起きるの早いし」

 そういえば、毎朝五時起きだって前に話していたっけ。バレー部の練習も、他の部活と比べたらかなりハードなのは俺も知っている。部活で全エネルギーを使っているのなら、授業中に居眠りをしてしまうのも仕方がないのかもしれない。

「だけど、今回は望月のノートがあったから、中間試験で全教科赤点を回避できた。補習に出なくてもいいから、部活の時間が削られることもない」

 表情を緩ませた高瀬から、両手を握られる。

「ありがとう。望月には、感謝してる」

 こんなにも有難がられるとは思わなかった。そんなこと言われたら、いくらでもノートを貸してしまいそうだ。
 握られた手を振り解けずにいると、「おーい」と声がかかる。

「タカ、学食行こうぜー」

 男子バレー部の二年だ。教室の入り口に立つ彼らに、高瀬も「おー」と反応していた。
 部外者の俺がこれ以上いたら邪魔になりそうだ。さりげなく高瀬の手を解くと、集団の中でも比較的背の低い男子が「あー!」と俺を指さした。

「もしかして、ノートの望月?」
「ノートの望月⁉」

 なんだ? そのどこかの文房具屋みたいな呼び方は?
 たしか彼は、リベロの小林(こばやし)だ。バレー部ではコバと呼ばれている。

「俺らの間では有名なんだよ。ノートの望月は、バレー部のめしやだから」
「それを言うなら、メシ()だろ」

 スポーツ刈りにした小林の頭を叩いたのは、中性的な顔立ちをした美形男子。たしか彼は、セッターの牧野(まきの)だ。バレー部ではマキと呼ばれている。
 バレー部に囲まれてオロオロしていると、高瀬が申し訳なさそうに両手を合わせる。

「ごめん。実は望月のノートを俺が写して、それをバレー部のやつらに横流ししていた」
「あ、そういうこと? 別にいいけど」

 他の人に見せるのは何の問題もない。俺のノートを回されているわけでもないから、怒るポイントでもなかった。むしろ、役に立ったのなら光栄だ。

「望月のノートのおかげで、バレー部全員赤点を回避できた! ありがとな!」
「ああ、それはよかった、です……」

 ハキハキとした声に圧倒されながらも返事をすると、小林がニカっと笑いながら肩を組んできた。

「これからもよろしくな!」
「う、うん……」

 なんだか期待されているみたいだけど、すぐに問題に気付く。

「ちょっと待って……。それ俺がノート取らずに寝てたらどうなんの?」
「バレー部の馬鹿どもも共倒れ」

 牧野が冷めた目で、高瀬と小林を見る。その言葉で、サアッと血の気が引いていった。

「責任重大じゃん!」
「悪いな。バレー部のスポーツ推薦組は馬鹿ばっかりなんだわ」
「ちな、マキは勉強のできる推薦組! ノートは見せてくれないけど」
「お前らにノート見せたら、もっと授業聞かなくなるだろ。……あ、別に望月のことを責めてるわけじゃないから、そこは勘違いしないで」

 牧野の判断は、ある意味正しいかもしれない。現に高瀬も、俺のノートをあてにして授業中は寝ているわけだし。
 ハハッと苦笑いを浮かべていると、小林が俺の肩を組んだまま歩き出す。

「ずっとノートのお礼をしたいと思ってたんだ! 一緒に学食行こうぜ!」
「え? いいの? バレー部でもない俺が一緒に行っても」
「トーゼン。お礼なんだから」

 ニッと歯を見せて笑う小林。牧野も「いーんじゃねーの」と頷いていた。
 高瀬の顔を見ると、目を細めながら嬉しそうに笑っている。

「望月もおいで。一緒に飯食おう」

 高瀬がそういうなら……お邪魔させてもらおうかな。今日は母親が寝坊して弁当を持たせてもらえなかったから、ちょうどいい。



 学食につくと、男気じゃんけんで勝利(敗北?)した高瀬にハンバーグ定食を奢ってもらった。カウンターで受け取ると、みんなに続いてテーブルに向かう。

「おーい、クロー」

 小林が大声で呼びかけると、席取りをしていた男子が立ちあがった。

「お前ら、遅せよー。俺もう完食したんだけどー」

 彼は、去年俺と同じクラスだった大黒(おおぐろ)だ。ハーフらしく、堀の深い顔立ちをしていて、身長はめちゃめちゃ高い。
 たしかポジションは、オポジットとかいう攻撃専門のところだと話していた。

「クロは待てもできねえのかよ。犬以下だな」

 牧野が切れ味のいいツッコミをすると、周りがだっはっはと笑い出した。そのまま席についていく。

 まさか俺が、バレー部のキラキラ集団とテーブルを囲む日がくるとは思わなかった。普通に飯食っているだけでも、目立つ、目立つ。女子だけでなく、男子もチラチラとこちらを気にしていた。
 そんな視線は慣れっこなのか、彼らは気にせず会話を続けている。

「昨日のワンマンで、コバが全球あげてたのはマジ笑えた」
「体力オバケだろ。他のやつらは床で転がってんのに、一人だけピンピンしてんのは意味わからなかった」
「体力には何かと自信あります!」

 小林がわざとらしくダンディーな声を出すと、ドッと笑いが起きる。内輪ネタ過ぎて全然分からないけど、俺もとりあえず笑っておいた。
 すると隣に座った高瀬が、ゆるりとした笑顔で俺の顔を覗き込む。

「望月、ハンバーグ好きなの? かわいいんだけど」

 さっきまでの話をぶった切って俺に話しかけてくるものだから、驚いてしまった。

「好きだけど、別にかわいくないだろ」
「チョイスがかわいい。デザートにプリンも食べる?」
「なに? そんなにサービスしてくれんの?」
「うん。むしろこんなことしかできなくて、ごめん」

 高瀬は、申し訳なさそうに肩を竦めていた。
 ハンバーグ定食&プリンと各授業のノート。それらを天秤にかけたら、明らかにノートの方が重かった。高瀬としても、借りを作りっぱなしというのも気持ち悪いだろう。

「ん、じゃあ、いただく」

 交渉成立して高瀬がプリンを買いに走ると、正面にいた小林がデレデレと頬を緩めた。

「か~わ~い~い~」
「なにが?」
「望月が」

 なんでだよ? むしろ俺的には図々しいと思っていたけど……。
 わけが分からずに首をかしげていると、その隣にいた牧野が頷く。

「望月ってさ、うちの部にはいないキャラだよな」
「ピュアっていうかさぁ、なんかこう、見ててほのぼのする」
「そんなことは……」

 曖昧に笑いながら水を飲んでいると、プリンを買ってきた高瀬が戻ってくる。

「何の話?」
「望月がかわいいって話」
「うん、かわいいよ」

 高瀬がさらっと肯定するものだから、水が変なところに入ってしまった。ゴホゴホとむせているうちにも、話が勝手に進んでいく。

「基本ツンだけど、ふとした時にデレんだよ。そこがかわいい」
「へえ、タカにはツンデレなんだ」
「うん。呆れた顔しながらも、なんだかんだ尽くしてくれるし」
「尽くすツンデレとか最高かよ! 属性だけで萌えるんだけど! うち、女マネは募集してないけど、男マネは募集してるから入る?」

 小林が鼻息を荒くしながら勧誘してくる。なんか、興奮してる? 怖いんですけど……。

「ダメダメ。望月はバド部でてっぺん目指してるから」

 迫りくる小林を、高瀬がしっしと追い払う。
 高瀬、断ってくれるのは嬉しいけど、てっぺんは目指してないよ? そこまでの実力がないことは分かってるし……。

「じゃあ俺らと一緒だな! 俺らも全国狙ってっから」

 自信満々に宣言する小林。その言葉に、他のメンバーも頷いていた。
 あ、これはガチなやつだ。彼らの目を見て、瞬時にそう察した。

 全国狙っている。口にするのは簡単だけど、実現させるのは大変なことだ。それでも彼らは、高みを目指して日々練習しているんだ。
 ハイレベルな場所で戦っているバレー部は、やっぱりかっこいい。彼らの姿は、俺には眩しくみえた。



 学食から出て、ぞろぞろと廊下を歩いていると、隣にいる高瀬が申し訳なさそうに目を細める。

「ごめん、騒がしくなって。落ちつかなかったでしょ?」
「ううん、結構楽しかったよ。仲良いのが伝わってきて、いいなって思ったし」

 彼らと昼休みを過ごして、あらためて団体スポーツの良さを実感した。シングルスやダブルスにはない結束力がある。同じコートで戦う仲間というのは、それだけ特別なものなのだろう。

「あのさ、俺も高瀬のこと、タカって呼んでいい?」

 ちらりと横目で高瀬の顔を見る。バレー部のみんなが、タカ、タカ、と呼んでいるのを聞いて、ちょっとうらやましく思ったんだ。
 すんなり許可してくれると思いきや、高瀬はいつになく渋い表情を浮かべる。

「それは……やめてほしいかな」

 その一言で、浮かれていた気持ちが急速にしぼんでいった。顔面にはジリジリと熱が溜まっていく。
 俺は、何を勘違いしていたんだろう。ここ最近は高瀬と話す機会が増えたから、仲良くなれたと思っていた。
 だけど違った。高瀬にしてみれば、俺はただのクラスメイトで、友達ですらない。思い上がっていた自分が、恥ずかしくなった。

「ごめん、変なこと言って……。俺、トイレ寄ってから教室戻る」
「待ってようか?」
「いいよ。先行ってて」

 これ以上、高瀬の隣にいたら、恥ずかしくて丸焦げになってしまいそうだ。俺は逃げるようにトイレに駆け込んだ。