恋はもうしないはずだった

 夏休みが明日から始まる終業式の今日、教室内は浮ついた雰囲気が漂っていた。俺も例外ではなく、夏休みの気配にそわそわと浮き足立っている。
 退屈な終業式が終わり、掃除とホームルームが終わった俺たちはもう自由の身だ。
 夏休みの課題や塾の夏期講習、それにバイトと部活があることを考えると丸一日自由に遊べる日は数えるほどしかないものの、仲がいいメンバーと遊ぶ約束をしている。俺の誕生日である夏休み最後の日は諒と一緒に遊園地に行く約束をしているが、他にも一緒に遊べないかと勝手ながらに計画中だ。
 諒はまだ風邪が完全に治りきっていないらしく、大事を取って今日も休みだと連絡が来ていた。直接会って約束できないのは残念だが、諒の体調が良くなって落ち着いた頃に通話をしてみようと思っている。
 そういえば、諒と電話ってしたことないな。
 そう考えると急にどきどきと心臓がうるさくなってきた。諒のことが恋愛感情で好きなのだと自覚してから、彼のことを考えると心臓の鼓動が早くなる。初恋じゃあるまいし……と思ったけれど、自分から誰かのことを好きになったのはこれが初めてだと気がついた。告白する前から失恋が決まっているかわいそうな恋だが、諒にはバレないようにするからしばらくは浸らせてほしい。好きなひとからのメッセージひとつに一喜一憂していた友達の気持ちがこの年になってやっと分かった、恋愛一年生だ。

「優真、今日ヒマ?部活とバイトは?」
「どっちないから暇~」
「お、じゃあカラオケでも行く?」
「新作バーガー食べたい」
「いいねー」
 一輝たちと今日の放課後の予定を詰め始める。外は快晴、本日の気温は目を逸らしたくなる数値を叩き出していたのでできるだけ移動が少なくて済むルートで遊びたい。椅子を寄せて「ここから行くか」「いやこっちのほうが良さそう」「そういえば俺、ドラスト寄りたい」などと自由気ままに話していると脱線していきそうだ。

「そういえば、優真って夏もバイトして大丈夫なん?」
「あーそっか、着ぐるみの中の人。犬のキャラだっけ?暑そ~……」
「細かく小休憩取るし、熱中症対策しっかりしてるから大丈夫だよ。モカくんの中に人はいませ~ん」
「そういえば、優真が仲良くしてる加賀野ってそのモカってキャラ好きなんだな」
「え、そうなの?」
「こないだ筆箱にキーホルダーついてるの見た」
「へー。加賀野くんって優真がモカの中の人のバイトしてるって知ってるの?」
「いや……」
 ガタ、と教室のすぐ側の廊下で音が鳴るのが聞こえた。

「何か音聞こえた?」
「え?」
 廊下側の窓を開けて音の発生源を確認する。マスク姿の諒とばちり、と目が合った。

「あれ、諒だ。体調大丈夫なの?」
「……っ、」
 諒に会えると思っていなかったから嬉しい。おそらく喜色を隠せていない声音で話しかけてしまったことに気がついた。咄嗟に繕おうと思ったものの、諒はマスク越しでも分かるくらいショックを受けた顔をしていた。俺の感情に気がつかれてしまったのだろうか。ばさ、と床に諒のスクールバッグが落ちる。スローモーションのようなそれに目を奪われていると、諒はバッグはそのまま走って行ってしまった。

「え、諒!?」
 窓を飛び越えて廊下に出て、急いで諒を追う。弁明しないと。いや、弁解かもしれない。
 俺の恋情が迷惑だと思って逃げたのだろう。うそだよって、言わなきゃ。だって、俺は諒と一緒にいたい。友達でいいから、側にいさせてほしい。

 諒自身、運動神経は良いほうではあるが、追いかけっこ勝負は現役運動部である俺に分があった。「諒、待って!」と絞り出した声は切実で、我ながら笑いそうになる。自分から逃げるひとを捕まえるだなんて良くない。頭では分かってはいるけど、素直に諦められるほどまだ大人ではなかった。
 ぱし、と手首を捕まえる。勢いがついて転びそうになったのをなんとか支えて、ぜえはあと漏れる息を整える。

「ごめん、諒」
「っ、それは、何に対しての謝罪なの」
「え……その」
 掴んでいる手首はやけどしてしまいそうなくらい熱い。こんなときだっていうのに、諒に触れられていることに喜んでしまっている自分がいた。純愛と言えば聞こえがいいが、相手にとって迷惑な感情は不要で煩わしいものでしかない。大丈夫、ちゃんと分かってる。

「優真は、最初から全部知ってたんだ」
「何を……?」
「……俺が先輩に約束を破られて遊園地でひとりで惨めに泣いてたとき、モカの中にいたのって優真だったんでしょ」
「……それは、」
「全部知りながら俺に近づいて、俺のこと内心で笑ってたんだ。はは、楽しかった?」
「違……っ!諒!」
 腕を強めに振り払われて、諒の手首から手が離れる。

「これ以上、俺の心の中に入ってこないで」
 諒の顔が歪む。違う、こんな顔をさせたかったんじゃない。
 ぐるぐると許容範囲を超えた感情が胸の中に渦巻く。浮かんでは消える言葉は全部言い訳にしか聞こえないだろう。喉がカラカラに乾く。口を開いても空気しか吐き出せない。

「……さよなら」
 そう言って、俺からゆっくりと歩いて離れていく諒のあとを、俺は追うことができなかった。