「おはよ~……」
「はよ!優真、もしかして寝不足?昨日バイトだっけ」
「バイトだったけど、原因はそれじゃないっていうか……」
身体が重い。まぶたも重い。
バイトが終わって帰宅したあとも、昨晩出会ったあのひとのことが気になってしまってなかなか寝付けなかったせいだ。バイト終わりはいつも体力を消耗するからか比較的すぐ眠りにつくことが多いというのに、昨晩は違った。身体は疲れているのに頭は冴えている、というのはああいう状態なのだろう。
同年代の男性がああやって泣いているところを見るのはほぼ初めてだったことと、あんなにきれいに涙を流すひとを見るのは初めてだったからだろう。忘れられずに脳裏に残っている。あのひとの涙は乾いただろうか。あのひとの涙を拭ってくれる誰かが、いるのだろうか。
考えても答えが出ないことを考えながら、こぼれ出た欠伸をくあ、と噛み殺す。
「眠そうだけど、優真今日から週番だろ?大丈夫?」
「え?そうだっけ」
中学校のときから仲の良い友人である一輝のその言葉に、ちらりと黒板を見やる。週番の部分に俺の名前がデカデカと書かれていた。すっかり忘れていた。
俺の名前の隣に並んでいる名前は、俺の後ろの席の加賀野だ。今年初めて同じクラスになった彼は、仲が良い友達の友達……などでもなく、挨拶をしたことがある程度だった。ほとんど話したことがない。
制服を着崩すこともなく、俺が教室に到着する頃にはいつも自席に座って本を読んでいる、優等生という印象だ。身体ごと後ろを向いて口を開く。
「加賀野くんおはよ!読書中ごめん。今週、週番よろしくね」
「……ああ、うん。よろしく」
読書を邪魔して申し訳ない気持ちもあったが、加賀野は読み途中だった文庫本に栞を挟んで閉じた。俺と会話してくれるらしい。
(……あ)
彼の伏せた瞳が、記憶の中の姿と被る。昨晩のひとだ。
思わず声に出そうになって、ばん、とてのひらで自分の口を抑える。思ったよりも大きな音が出たからか、加賀野に怪訝そうな顔で見られてしまった。
「ごめん、なんでもない……」
「そう」
「あの、週番って何するんだっけ……あ、日誌?」
「もう貰ってきてる」
「あ、ごめんありがとう!分担どうしよっか。日誌、交代にする?俺より加賀野くんのほうが字きれいそうだけど……」
「俺の字見たことあるの?」
「ないけど、何かそんな印象ある」
「なにそれ」
ふ、と加賀野は表情を緩めた。思わず目が釘付けになる。そんな顔、するんだ。
無意識のうちに昨晩の泣き顔と比べてしまう。だめだ、考えないようにしないと口に出してしまいそうだ。泣いていた姿を実は同級生に見られていた……と知ったら恥ずかしいだろう。脳の端に追いやるように軽く頭を振る。
「文字書くの嫌いじゃないし、俺が今週ずっと担当してもいいよ。きれいかどうかは分からないけど」
「え、いいの?じゃあその代わり、黒板消しは任せて」
「よろしく。他は追々話して決めよう」
「分かった」
話を切り上げる空気を感じたけれど、もう少し話したい。
仲良くなりたい、と直球で告げたら彼はどんな顔をするだろうか。苦い顔をされるかもしれない。加賀野はあまり人とつるんでいるところを見かけない。どこか人とは線を引いているような印象もあった。
視線だけを動かして、何か共通の話題がないか探す。彼のペンケースに犬のマスコットキーホルダーがついているのが目に入った。昨晩、俺が彼にあげたものだ。気に入ってくれたのだろうか。俺の勘違いや思い込みではなく、昨晩のあのひとは加賀野だったらしい。
「あ、ねえ。それって誕生日の人だけが貰えるモカくんのキーホルダーだよね?好きなの?」
「この犬のキャラ、そんな名前だったんだ」
「そうそう、結構人気なんだよ」
「知らなかった。小倉、詳しいんだ」
「その遊園地で俺もバイトしてるから」
「ふーん」
中の人が俺、とは言わないほうがいいだろうけれど、遊園地でバイトしていることは告げても問題ないだろうと判断した。元々園内の案内のキャストをしていたし、遊園地内では色々な職があるのでおそらくバレはしないだろう。
「加賀野くんは?何かバイトしてるの?」
「してるけど」
「え、どこ?何してるの?」
「……俺のこと、気になるの?」
「うん、この機会にもっと仲良くなりたいな。あ、そうだ。加賀野くんってお昼いつもどこで食べてる?学食?」
「……弁当作って持ってきてるけど」
「俺も今日パン持ってきてるんだ。一緒に食べようよ」
ぴく、と眉が動くのが目に入った。断られるかもしれない。けれど、めげずに話しかけない限り彼のようなタイプの人間とは仲良くなれないだろう。
「……小倉、いつも一緒に食べてる人たちいるでしょ」
「いるけど、毎日一緒に食べようって約束してるわけじゃないし。あとで言っとくから大丈夫」
「俺と食べても、何も面白いことないと思うけど」
「そんなことないよ。いい?」
「……まあ、昼食摂るだけだし」
「やった」
理解できない、というような顔をする加賀野に「昼休み、また声掛けるね!」と畳み掛けるように告げた。やっぱりなし、と言われるのは嫌だ。
予鈴の音に後ろ髪を引かれる気持ちになりながら「じゃあまた、あとで」と前を向いて、机の上に置きっぱなしになっていたリュックから必要なものを取り出して片付ける。眠気は、いつの間にかどこかに吹き飛んでいた。
◇ ◆ ◇
キーンコーンカーンコーンと、昼休み開始を告げるチャイムが教室内に鳴り響く。待ってましたとばかりにいつもよりも早く教科書類を机の中に押し込んで、昼食が入っているビニール袋を手にして振り返った。
「加賀野くん、どこで食べる?いつも教室では食べてないよね?」
「大体カフェテラスで食べてるけど、どこでもいいよ」
「カフェテラスってほとんど行ったことないから行ってみたい!カフェテラスにしない?」
「いいけど……」
加賀野が昼食を用意するのを見守る。あ、ランチトートだ。コンビニで買ったものではなく、手作りの弁当なのだろう。どんな弁当なのだろうか、などと勝手に予想しながら加賀野の後に続いてカフェテラスへと向かう。俺は教室か学食で食べることが多いので新鮮だ。
「このあたりの席でいい?」
「うん、ありがとう。この学校、こんなに静かなところがあったんだ」
「俺も先輩に教えて貰って知った」
「部活の?」
「そう」
「何部?」
「科学部」
「へえ、加賀野くんらしいね」
「俺らしいって……俺のことほとんど知らないでしょ」
「あはは、これから教えて」
「…………」
良いとも悪いとも言わないのは、肯定と捉えてもいいのだろうか。
ガサガサと音をたてながらパンを取り出して並べる。なかなか寝付けなかったくせに家を出るのが遅れたせいで、かなり適当に選んだラインナップだ。どれから食べようか、と少し迷ってからコロッケパンを手に取る。
「小倉は今日はバスケ、しなくていいの?」
「ん?ああ、今日はいいよ。バスケもいつもしてるわけじゃないし」
「そうなんだ」
「加賀野くん、俺がバスケしてるの知ってくれてたんだ」
「バスケ部なんでしょ。去年、体育のとき一緒だったから」
「え、そうだったの?ごめん」
「同じチームになったことないし、俺は体育そんなに本気でやってないから」
「……」
「らしいって思った?」
「いや、えーっと……」
「いいよ。小倉って顔に出やすいね」
「う……よく言われる」
「だろうね」
どこか楽しそうな顔をしながら弁当に箸をつけている加賀野を盗み見る。弁当を作ってもらうときに「茶色いおかずがいい!」とリクエストしがちな俺とは違って彩り豊かな弁当だ。パンを食べているというのに、ぐう、と腹の音が聞こえる気がする。
「弁当、いつも親とかに作って貰ってるの?」
「いや、自分で作ってる」
「え、すごいね」
「別に。夕飯の残りとか冷凍食品とかも多いし、普通でしょ」
「俺は絶対に無理だから尊敬するよ!あ、玉子焼きおいしそう」
こげひとつなく、鮮やかな黄色のそれはびしっと美しくて加賀野に似ている。彼の弁当の中で一番美味しそうだ。間違いなく主役級だろう。
「……食べたいの?」
視線に気付かれたらしい。ばちり、と視線がぶつかって、窺うようにそう聞かれた。ごくり、と喉が鳴る。
「いいの?」
「誰かに食べさせたことはほとんどないから、おいしいか分からないけど。まずくても文句言わないでね」
「え、絶対おいしいでしょ。ありがとう」
お言葉に甘えて、手渡された箸で玉子焼きを摘み上げて口に運ぶ。
「おいしい!甘いね」
「小倉の家の玉子焼きは甘くないんだ」
「うん。出汁かな?今度俺の玉子焼きもあげるね」
「……今度?」
「また一緒にお昼食べようよ。週一とかでいいから」
「俺と食べても楽しくないでしょ」
「楽しいよ!それにほら、加賀野くんと仲良くなりたいし」
「なんで?」
「なんでかって聞かれると……興味?」
聞かれるがまま、自分のなかでの彼に向けている感情の正体に一番近いものを口にする。言われて気持ちいいものではないかも、と数秒経ってからハッとした。訂正しようと思ったものの「面白みのない人間だよ、俺」となんともないように言われた。特に気にしていないらしい。
「そんなことないでしょ。いつも読んでる本の話とか聞いてみたいし」
「本?」
「今朝も読んでたよね。何読んでたの?」
「宇宙関係の本」
「ああ、科学部だから?」
「科学部だからというより、そういうこと全般に興味があるから科学部に入ってる」
「そうなんだ。科学部って何人くらいいるの?」
「二年は俺もあわせて五人くらい。幽霊部員も多いから正確な人数は分からないけど」
「へー、実験とかするの?」
「たまにね」
加賀野は俺のようにさわがしい人間と関わるのは嫌かもしれない。そう思っていたが、特にそういうわけではないようだ。
積極的に自ら話しはしないものの、聞いたことには丁寧に返してくれる。凪いでいるような、穏やかな時間は新鮮で心地もいい。彼の持つ雰囲気と喧騒から離れている場所のかけ合わせの効果だろう。目を閉じてゆっくりと空気を肺に送ると、いつもより新鮮に感じる。
不意にぶわ、と強めの風が吹いた。
向かいの席に座っている彼が、揺らされた髪を耳にかける動作は映画みたいで思わず目を奪われる。彼は線が細いわけではないけれど、どこか儚さを覚えるところがあった。咄嗟に手を伸ばしてしまいそうになったのを誤魔化すように、スマートフォンを取り出す。
「そういえば、連絡先聞いてもいい?ほら、週番で何かあるかもしれないし」
週番で何があるんだ。我ながら苦しい提案かもしれない。それでも、この機会を逃したくなかった。
加賀野は少し考えてから「俺、返信遅いけど」と言って連絡先を交換してくれた。やさしいひとだ、と思う。
だからこそ、昨晩あんなふうに彼を置き去りにした相手に心の中がもやもやとする。どうして、こんなひとを裏切ることができるんだろう。
「そういえば、加賀野くんってバイト先どこなの?」
「ファミレス」
「ホール?厨房」
「ホール」
「そうなんだ、制服似合いそうだね。どこのファミレス?」
「……言いたくない」
「えぇ、教えてよ」
「加賀野、来そうだから」
「友達がバイト先に来てくれるとテンション上がらない?」
「友達……」
「これからなるから!予約!」
「……ふ」
なにそれ、と笑う表情は初めて見るものだった。涼しい顔をしているひとだという印象だったけれど、案外ころころと表情を変えるひとらしい。もっともっといろんな顔が見てみたい。仲良くなったら見せてくれるだろうか。
「もっと仲良くなったら教えて」
「仲良くなるか分からないけど」
「ええー……じゃあ好感度上げたいから、毎週……そうだな、今日と同じ月曜に一緒にお昼食べよう」
「……」
「いや?」
「……別に、いいけど」
「やった!」
「そんなに喜ぶこと?」
「うん。期待してて」
「何に……?」と怪訝そうに言う加賀野にニコ、と笑みを返す。早急に「加賀野くんと仲良くなろう作戦」をたてなければならない。食べ切ったメロンパンの袋を畳みながら、食事のペースはゆっくりらしい加賀野の食事を見守る。
昨日・今日の二日間で脳内の「加賀野 諒について」のページがかなり分厚くなった。今後ページがどれくらい増えていくのかは、間違いなく俺次第だ。
「はよ!優真、もしかして寝不足?昨日バイトだっけ」
「バイトだったけど、原因はそれじゃないっていうか……」
身体が重い。まぶたも重い。
バイトが終わって帰宅したあとも、昨晩出会ったあのひとのことが気になってしまってなかなか寝付けなかったせいだ。バイト終わりはいつも体力を消耗するからか比較的すぐ眠りにつくことが多いというのに、昨晩は違った。身体は疲れているのに頭は冴えている、というのはああいう状態なのだろう。
同年代の男性がああやって泣いているところを見るのはほぼ初めてだったことと、あんなにきれいに涙を流すひとを見るのは初めてだったからだろう。忘れられずに脳裏に残っている。あのひとの涙は乾いただろうか。あのひとの涙を拭ってくれる誰かが、いるのだろうか。
考えても答えが出ないことを考えながら、こぼれ出た欠伸をくあ、と噛み殺す。
「眠そうだけど、優真今日から週番だろ?大丈夫?」
「え?そうだっけ」
中学校のときから仲の良い友人である一輝のその言葉に、ちらりと黒板を見やる。週番の部分に俺の名前がデカデカと書かれていた。すっかり忘れていた。
俺の名前の隣に並んでいる名前は、俺の後ろの席の加賀野だ。今年初めて同じクラスになった彼は、仲が良い友達の友達……などでもなく、挨拶をしたことがある程度だった。ほとんど話したことがない。
制服を着崩すこともなく、俺が教室に到着する頃にはいつも自席に座って本を読んでいる、優等生という印象だ。身体ごと後ろを向いて口を開く。
「加賀野くんおはよ!読書中ごめん。今週、週番よろしくね」
「……ああ、うん。よろしく」
読書を邪魔して申し訳ない気持ちもあったが、加賀野は読み途中だった文庫本に栞を挟んで閉じた。俺と会話してくれるらしい。
(……あ)
彼の伏せた瞳が、記憶の中の姿と被る。昨晩のひとだ。
思わず声に出そうになって、ばん、とてのひらで自分の口を抑える。思ったよりも大きな音が出たからか、加賀野に怪訝そうな顔で見られてしまった。
「ごめん、なんでもない……」
「そう」
「あの、週番って何するんだっけ……あ、日誌?」
「もう貰ってきてる」
「あ、ごめんありがとう!分担どうしよっか。日誌、交代にする?俺より加賀野くんのほうが字きれいそうだけど……」
「俺の字見たことあるの?」
「ないけど、何かそんな印象ある」
「なにそれ」
ふ、と加賀野は表情を緩めた。思わず目が釘付けになる。そんな顔、するんだ。
無意識のうちに昨晩の泣き顔と比べてしまう。だめだ、考えないようにしないと口に出してしまいそうだ。泣いていた姿を実は同級生に見られていた……と知ったら恥ずかしいだろう。脳の端に追いやるように軽く頭を振る。
「文字書くの嫌いじゃないし、俺が今週ずっと担当してもいいよ。きれいかどうかは分からないけど」
「え、いいの?じゃあその代わり、黒板消しは任せて」
「よろしく。他は追々話して決めよう」
「分かった」
話を切り上げる空気を感じたけれど、もう少し話したい。
仲良くなりたい、と直球で告げたら彼はどんな顔をするだろうか。苦い顔をされるかもしれない。加賀野はあまり人とつるんでいるところを見かけない。どこか人とは線を引いているような印象もあった。
視線だけを動かして、何か共通の話題がないか探す。彼のペンケースに犬のマスコットキーホルダーがついているのが目に入った。昨晩、俺が彼にあげたものだ。気に入ってくれたのだろうか。俺の勘違いや思い込みではなく、昨晩のあのひとは加賀野だったらしい。
「あ、ねえ。それって誕生日の人だけが貰えるモカくんのキーホルダーだよね?好きなの?」
「この犬のキャラ、そんな名前だったんだ」
「そうそう、結構人気なんだよ」
「知らなかった。小倉、詳しいんだ」
「その遊園地で俺もバイトしてるから」
「ふーん」
中の人が俺、とは言わないほうがいいだろうけれど、遊園地でバイトしていることは告げても問題ないだろうと判断した。元々園内の案内のキャストをしていたし、遊園地内では色々な職があるのでおそらくバレはしないだろう。
「加賀野くんは?何かバイトしてるの?」
「してるけど」
「え、どこ?何してるの?」
「……俺のこと、気になるの?」
「うん、この機会にもっと仲良くなりたいな。あ、そうだ。加賀野くんってお昼いつもどこで食べてる?学食?」
「……弁当作って持ってきてるけど」
「俺も今日パン持ってきてるんだ。一緒に食べようよ」
ぴく、と眉が動くのが目に入った。断られるかもしれない。けれど、めげずに話しかけない限り彼のようなタイプの人間とは仲良くなれないだろう。
「……小倉、いつも一緒に食べてる人たちいるでしょ」
「いるけど、毎日一緒に食べようって約束してるわけじゃないし。あとで言っとくから大丈夫」
「俺と食べても、何も面白いことないと思うけど」
「そんなことないよ。いい?」
「……まあ、昼食摂るだけだし」
「やった」
理解できない、というような顔をする加賀野に「昼休み、また声掛けるね!」と畳み掛けるように告げた。やっぱりなし、と言われるのは嫌だ。
予鈴の音に後ろ髪を引かれる気持ちになりながら「じゃあまた、あとで」と前を向いて、机の上に置きっぱなしになっていたリュックから必要なものを取り出して片付ける。眠気は、いつの間にかどこかに吹き飛んでいた。
◇ ◆ ◇
キーンコーンカーンコーンと、昼休み開始を告げるチャイムが教室内に鳴り響く。待ってましたとばかりにいつもよりも早く教科書類を机の中に押し込んで、昼食が入っているビニール袋を手にして振り返った。
「加賀野くん、どこで食べる?いつも教室では食べてないよね?」
「大体カフェテラスで食べてるけど、どこでもいいよ」
「カフェテラスってほとんど行ったことないから行ってみたい!カフェテラスにしない?」
「いいけど……」
加賀野が昼食を用意するのを見守る。あ、ランチトートだ。コンビニで買ったものではなく、手作りの弁当なのだろう。どんな弁当なのだろうか、などと勝手に予想しながら加賀野の後に続いてカフェテラスへと向かう。俺は教室か学食で食べることが多いので新鮮だ。
「このあたりの席でいい?」
「うん、ありがとう。この学校、こんなに静かなところがあったんだ」
「俺も先輩に教えて貰って知った」
「部活の?」
「そう」
「何部?」
「科学部」
「へえ、加賀野くんらしいね」
「俺らしいって……俺のことほとんど知らないでしょ」
「あはは、これから教えて」
「…………」
良いとも悪いとも言わないのは、肯定と捉えてもいいのだろうか。
ガサガサと音をたてながらパンを取り出して並べる。なかなか寝付けなかったくせに家を出るのが遅れたせいで、かなり適当に選んだラインナップだ。どれから食べようか、と少し迷ってからコロッケパンを手に取る。
「小倉は今日はバスケ、しなくていいの?」
「ん?ああ、今日はいいよ。バスケもいつもしてるわけじゃないし」
「そうなんだ」
「加賀野くん、俺がバスケしてるの知ってくれてたんだ」
「バスケ部なんでしょ。去年、体育のとき一緒だったから」
「え、そうだったの?ごめん」
「同じチームになったことないし、俺は体育そんなに本気でやってないから」
「……」
「らしいって思った?」
「いや、えーっと……」
「いいよ。小倉って顔に出やすいね」
「う……よく言われる」
「だろうね」
どこか楽しそうな顔をしながら弁当に箸をつけている加賀野を盗み見る。弁当を作ってもらうときに「茶色いおかずがいい!」とリクエストしがちな俺とは違って彩り豊かな弁当だ。パンを食べているというのに、ぐう、と腹の音が聞こえる気がする。
「弁当、いつも親とかに作って貰ってるの?」
「いや、自分で作ってる」
「え、すごいね」
「別に。夕飯の残りとか冷凍食品とかも多いし、普通でしょ」
「俺は絶対に無理だから尊敬するよ!あ、玉子焼きおいしそう」
こげひとつなく、鮮やかな黄色のそれはびしっと美しくて加賀野に似ている。彼の弁当の中で一番美味しそうだ。間違いなく主役級だろう。
「……食べたいの?」
視線に気付かれたらしい。ばちり、と視線がぶつかって、窺うようにそう聞かれた。ごくり、と喉が鳴る。
「いいの?」
「誰かに食べさせたことはほとんどないから、おいしいか分からないけど。まずくても文句言わないでね」
「え、絶対おいしいでしょ。ありがとう」
お言葉に甘えて、手渡された箸で玉子焼きを摘み上げて口に運ぶ。
「おいしい!甘いね」
「小倉の家の玉子焼きは甘くないんだ」
「うん。出汁かな?今度俺の玉子焼きもあげるね」
「……今度?」
「また一緒にお昼食べようよ。週一とかでいいから」
「俺と食べても楽しくないでしょ」
「楽しいよ!それにほら、加賀野くんと仲良くなりたいし」
「なんで?」
「なんでかって聞かれると……興味?」
聞かれるがまま、自分のなかでの彼に向けている感情の正体に一番近いものを口にする。言われて気持ちいいものではないかも、と数秒経ってからハッとした。訂正しようと思ったものの「面白みのない人間だよ、俺」となんともないように言われた。特に気にしていないらしい。
「そんなことないでしょ。いつも読んでる本の話とか聞いてみたいし」
「本?」
「今朝も読んでたよね。何読んでたの?」
「宇宙関係の本」
「ああ、科学部だから?」
「科学部だからというより、そういうこと全般に興味があるから科学部に入ってる」
「そうなんだ。科学部って何人くらいいるの?」
「二年は俺もあわせて五人くらい。幽霊部員も多いから正確な人数は分からないけど」
「へー、実験とかするの?」
「たまにね」
加賀野は俺のようにさわがしい人間と関わるのは嫌かもしれない。そう思っていたが、特にそういうわけではないようだ。
積極的に自ら話しはしないものの、聞いたことには丁寧に返してくれる。凪いでいるような、穏やかな時間は新鮮で心地もいい。彼の持つ雰囲気と喧騒から離れている場所のかけ合わせの効果だろう。目を閉じてゆっくりと空気を肺に送ると、いつもより新鮮に感じる。
不意にぶわ、と強めの風が吹いた。
向かいの席に座っている彼が、揺らされた髪を耳にかける動作は映画みたいで思わず目を奪われる。彼は線が細いわけではないけれど、どこか儚さを覚えるところがあった。咄嗟に手を伸ばしてしまいそうになったのを誤魔化すように、スマートフォンを取り出す。
「そういえば、連絡先聞いてもいい?ほら、週番で何かあるかもしれないし」
週番で何があるんだ。我ながら苦しい提案かもしれない。それでも、この機会を逃したくなかった。
加賀野は少し考えてから「俺、返信遅いけど」と言って連絡先を交換してくれた。やさしいひとだ、と思う。
だからこそ、昨晩あんなふうに彼を置き去りにした相手に心の中がもやもやとする。どうして、こんなひとを裏切ることができるんだろう。
「そういえば、加賀野くんってバイト先どこなの?」
「ファミレス」
「ホール?厨房」
「ホール」
「そうなんだ、制服似合いそうだね。どこのファミレス?」
「……言いたくない」
「えぇ、教えてよ」
「加賀野、来そうだから」
「友達がバイト先に来てくれるとテンション上がらない?」
「友達……」
「これからなるから!予約!」
「……ふ」
なにそれ、と笑う表情は初めて見るものだった。涼しい顔をしているひとだという印象だったけれど、案外ころころと表情を変えるひとらしい。もっともっといろんな顔が見てみたい。仲良くなったら見せてくれるだろうか。
「もっと仲良くなったら教えて」
「仲良くなるか分からないけど」
「ええー……じゃあ好感度上げたいから、毎週……そうだな、今日と同じ月曜に一緒にお昼食べよう」
「……」
「いや?」
「……別に、いいけど」
「やった!」
「そんなに喜ぶこと?」
「うん。期待してて」
「何に……?」と怪訝そうに言う加賀野にニコ、と笑みを返す。早急に「加賀野くんと仲良くなろう作戦」をたてなければならない。食べ切ったメロンパンの袋を畳みながら、食事のペースはゆっくりらしい加賀野の食事を見守る。
昨日・今日の二日間で脳内の「加賀野 諒について」のページがかなり分厚くなった。今後ページがどれくらい増えていくのかは、間違いなく俺次第だ。
