透明なログ~君がいた場所~



部室は、昼下がりの柔らかい光で満たされていた。

秋コンペが近いせいか、今日はいつもより賑やかで、奥の暗室では数人の部員が現像作業をしている。
ときどき聞こえる小さな物音が、妙に気になった。

僕と碧人は、いつものソファに並んで座り、それぞれ作業をしている。
でも、肩先がほんの少し触れるだけで、心臓がひときわうるさくなる。

「……今日で八月も終わりだね」

ぽつりと呟くと、碧人が膝に置いたノートパソコンから顔を上げた。
「ああ、今日で終わりか……。早く涼しくならないかな」

ぼやくように言ったあと、ふたりの視線が重なる。
どちらともなく、少し笑った。
照れくさくて、でもこの空気が愛おしい。
そっとスマホを起動し、碧人が再び画面に目を落とす隙に、テキストモードのルクを立ち上げる。

「ルク、両想いになっても気まずい。こんなとき何を話せばいい?」

隣に気づかれないよう、手早く文字を打つ。
黒い画面の中央で、小さな白い円がゆっくり回っている。
ルクが答えを探しているときの表示。
……ルク、早く……
ほんの数秒が、ひどくはがゆかった。

「……なにしてんの」

声がして、思わず手が止まる。

碧人はノートパソコンを閉じてこちらに向き直っていた。

「……ルク、起動してただろ」 

「……ちょっとだけ」

短くため息をついた碧人が、そっとスマホを取って画面を閉じる。

「ルクもいいけどさ……オレと、もっと話そう?」

奥の暗室から咳払いが聞こえ、思わず身を固くする。
それなのに、碧人はお構いなしに顔を近づけてきた。
触れるだけのキス。
息が詰まるほど甘くて、目の奥がじんと熱くなる。
唇が離れて、すぐに耳元へ熱が近づいた。

「……今度、していい?」

頬が焼けるみたいに熱くなる。

「え……なにを……」
わかっているのに、思わず聞き返してしまう。
碧人は息を潜めて、小さく笑った。

「……──」

低く艶のある声が、耳の奥をくすぐる。
一瞬で頭の中が真っ白になって、 耳まで真っ赤になる。
言葉が出なかった。
(……こんなとき、ルクなら何て言うんだろう)
でも。 
今は。

「……うん。したい」
今度は、ちゃんと自分の言葉で答えた。


*


あれから 季節が少しだけ進んだ。
昼間の屋上はまだまだ暑い。
碧人は手すりにもたれて、遠くを見ていた。

僕は、少し碧人と離れた手すりの前で律斗と話す。

「……色々、ご迷惑かけました」

言葉にしたらやっと胸の奥のひっかかりがほどける気がした。
律斗は少しだけ眉を動かして、視線を空に向けた。

「碧人と仲直りできたみたいで、良かったな」

そう言っていつもの柔らかい笑顔を投げてくる。
「はい、ありがとうございます」
「仲良くやれよ」
その声が、風に溶けていった。


*


律斗は手すりに肘をかけたまま、 碧人のほうへ駆けていく紘都を目で追っていた。
「……めそめそしてる?」
不意に声がして、横を見ると、 瑠璃がいつもの調子で笑いながら近づいてくる。
「……してない」
「ふーん。なんか、ちょっと寂しそうに見えたけど」
律斗は何も答えずに、視線を空に戻す。
「……まぁさ。俺もそろそろ、碧人から卒業しないとな」
言葉は少し寂しそうではあるが、しっかり前を向いていた。
瑠璃はその様子を見て、小さく息を吐く。
すぐにいつもの声色に戻り
「そっか。じゃあ、秋コンペ頑張ろうね」
「ああ」
その声だけは、少しだけ明るかった。


*


僕が碧人のもとへ戻ると、碧人は手すりにもたれたまま、そっと目を向けてきた。
「……話せた?」
「……うん」
それだけいうと、、碧人はすぐに視線を空に戻した。
その横顔が、どこか安心したように見えた。
しばらく黙っていたけれど、足元に置いていたバッグから一眼レフのカメラを取り出し、僕に渡した。

「……これ?」
「オレが……初めて手に入れたやつ」
そのカメラの重みで、指先が、ほんの少しだけ震える。
「良かったら……使って」
碧人のさりげない優しさに、嬉しさがこみ上げる。
屋上を渡る風は、まだ夏の熱を残しているが、 ほんの少しだけ、秋の匂いも混じっている気がする。

「……まだ暑いね」
「……ああ。けど、もうすぐ変わるんだろうな」

何気ない言葉を交わして、碧人がスマホを取り出し、何も言わずに僕の手にそっと重ねた。

ふたりで同じ方向を見る。

屋上から広がる、真っ青な空。

言葉も合図もなく、 同じタイミングで指が動いた。

カシャン。

この一瞬が、 “ふたりのログ”のはじまりだ。