透明なログ~君がいた場所~


あの日から、僕のキャリアだけ、大規模通信障害で、ずっと圏外のまま繋がらない。
ニュースでは復旧が進んでるって言うが、今も圏外マークで、ルクも繋がらない。

でも――

今の僕には、それがちょうど良いのかもしれない。
人目を避けるかのように、午後になるといつも部室(ここ)に来て、 時間を潰す。
8月も終盤に入って、部室に顔を出す人もいない。
相変わらず外は、ジリジリと焼けつくような陽射し。
蝉の声が、 聞こえているのに、どこか現実じゃないみたいで、部室だけが、 時間が止まっているような気がした。

時計の秒針が、カチ、カチ、と妙に響いて、 息をするのも億劫だ。

外の気温は、今日も35度越え。

ソファに身体を預けたまま、思い出すのは――碧人のこと。

キスのこと。ギクシャクして、何も言えずに、曖昧にしたこと。

謝りたい?話したい?でも…… 何をいまさら?

頭の中で無限ループのように繰り返す。

昨日、碧人の家の近くを通ってみた。 だけど、それ以上近づけなかった。
だってこの期に及んで、まだ――現実を突きつけられることを、 傷つくことを、恐れている。 
意気地なしの自分に、嫌気がさす。

スマホのインカメに映る顔は、泣き腫らし、 情けなくて、腑抜けで、思わず目を逸らした。

blur_lineの投稿も、あの日から止まったまま。

あれだけ頻繁に更新されてたのに、今はずっと沈黙している。

(……もう、終わったんだ)

胸の奥に、ぽつんと落ちたその言葉。
誰もいない空間が、いっそう冷たくなった気がした。
一番傍にいて欲しい人とは、一緒にいられない
苦い記憶が、
影のようにじわじわと染みてくる。あの言葉がまた、現実になっていく。

 



どれくらい時間が経ったのか、外は、少しずつ夕方に傾きかけていた。
さっきまで響いていた蝉の声も、だんだん静かになっていく。
西の空が赤く染まりながら ゆっくりと夜の気配を連れてくる。
いつのまにか寝ていたみたいだ。
胸元に落ちたスマホを手に取り、ふと、写ロクを開いてみる。
通信障害が回復したのか、 いつのまにかネットが繋がっていた。
blur_lineのアイコンの上に、小さなリングが灯っている。

……え?

スナログ。

投稿から二十四時間で消える、短時間限定のログ。

blur_lineが――?

初めて見たかもしれない。
いつもは普通の投稿ばかりで、スナログなんて一度も使わないのに。

ドクン、と胸が鳴った。

タップしたら、既読がつく。

見たことが伝わる。

それが、怖い。 でも、見たい。

指先が何度も迷う。

だけど、やっぱり。
僕は意を決して。画面をタップした。





気づけば、海浜公園行きのバスに飛び乗っていた。
確証なんて、なかったけど。
バスの中には、僕以外に乗客はいなかった。
一番後ろの座席にもたれて、さっきの投稿を思い出す。
車内は冷たいほどのクーラーが効いているのに、頬に当たる窓ガラスからは、外の熱気がじんわり伝わってくる。

夜の海。
灯りに、にじむ波打ち際。
静かに立っている人影。


シートの端を握った指先が、じんわり痛い。

あれは  僕なの?

blur_lineが、人物を映すなんて。
そんなの、いままで一度もなかった。
胸がひどく締めつけられる。

波が寄せては返す。
暗い画面の上に、白い文字が浮かんでいた。

『届かなくてもいい』

ページがめくれる。

『世界で一番、君が大切』

碧人?碧人なんだよね?
あれは誰に 誰に伝えたかったの?
涙が頬を伝った。

碧人。  
会いたい。
そして確かめたいんだ。
今度こそ。

バスは少しずつ、海へ近づいていった。





バスを降りると、潮の匂いがまとわりつく。
空は、まだ少しだけ明るい。
波の音が静かに響いている。
足元を見ながら、ゆっくりと波打ち際へ向かっていく。
頬を撫でる風がなんだか少し物悲しい。
辺りを見渡しても人影もない。
静かな波音だけが僕を包む。

「いるわけないよね」

当たり前だ。
物語の中じゃあるまいし。


ここで奇跡みたいに会えるなんて──
そんな事あるわけないのに。

張りつめていた糸がプツリと切れた。

もう立っているのもしんどくて、 そのまま、パタンとしゃがみ込む。
砂はまだ昼の熱を残していて、それが、やけにむなしくて。
息を吐いたら、急に全部が込み上げてきて。

悔しくて、

悲しくて、

切なくて、

後悔ばかりで、 喉の奥が詰まって苦しかった。

嗚咽をこらえるたび、 鼻の奥が痛くなって、 涙が自然に溢れ出してきた。
拭っても拭ってもあとから涙が溢れ出す。
目の奥が痛くて、膝を抱えて、顔を埋めた。

もうすぐ十九だっていうのに。自分が自分で恥ずかしい。

だけど、 何も平気なふりなんかできなかった。

その時、小さく砂を踏む音がした。
背後からの気配。

「……紘都?」

心臓が跳ねる
膝に埋めていた顔を、ゆっくり上げる。

碧人?

碧人が驚いた様子でこちらにゆっくりと近づいてくる。

いつもより少しだけ息が荒い。
瞳も、余裕がなく揺れている。

「……やっと、見つけた」

声がかすれていた。
碧人はそのままゆっくりと、僕の隣に腰を下ろした。

「スナログ、既読になって……それで……」

言葉を探すみたいに視線を泳がせる。

「……気づいたら車飛び乗って、もしかして……ここかなって」

碧人の声が少し震えている。

「……答えてほしいとか、そういうんじゃない」


言葉は早口だったが、でもどこか力が抜けていて。

「ただ、どうしようもなく、 ぶちまけたかっただけ。
自分の気持ち、どうしても、しまえなくなって」

そう、言い終えると、碧人は、力が抜けたように砂に手をついて、夕暮れかけた海に視線を向ける。
なんだか疲れてるような碧人の顔を横目に。

……もう、いいよ

あの日の言葉が蘇ってきた。

「……でも、あのとき怒って──」

碧人は砂に座ったまま、向きだけは僕の方を向いた。

「怒る?ないない!怒ってなんかないよ。あの時、紘都が嫌いじゃないとか、でも好きじゃないとか、あたふたしてて、オレ、困らせてるなとは思ったけど……でも嫌いじゃないんだって、ちょっとうれしくなって──けど、待てよ、この言葉ってルク?って冷静な自分もいて、だんだん混乱してきて」

碧人はまっすぐこちらを見ているが、目は伏せがちで、言葉を選んでいるようにも思えた。
いつもの冷静沈着な碧人ではないことは、伝わってくる。

少し思いついたように小さな声で。

「ごめん、オレまた一言多かった?」

そう呟くと、
「昔から感情が高ぶるとつい、理性じゃないところで言葉発するみたいで、よくそれで誤解受けてた……りっとにもよく怒られてた」
少しはにかみながら笑う碧人。
「…実は、オレ紘都の事ずっと前から知ってたんだよ……」

え?

突然の衝撃の言葉に、言葉が出ない。
「blur_lineのフォロー申請が紘都から来たとき、何気なく見に行ったんだ。普段はそんなこと、しないんだけど」
碧人は少しだけ、苦笑するように目を伏せた。

そのまま、手元の砂をゆっくりと掬って、指先からこぼす。

「初めて紘都の写真、見たとき……衝撃だった。負けたなって、思った」
その言葉に、思わず声が漏れる。

「え? 僕の? だって、ただの猫とか、近所の犬とか……そんな普通の写真なのに……」

碧人は首を横に振った。
砂に指を這わせながら、俯いたまま言葉を続ける。

「オレ……ああいう、何気ないシーンの写真、撮るの苦手で。たぶん、自分の気持ちを隠したいから、夜とか、海とか、遠いものばかり撮ってた。でも、紘都のは……」

言葉を探しながら。視線の先は指先で掴む砂。

「元気で、あったかくて、でもどこか寂しげで。……その被写体からストレートに紘都の愛情が伝わってきてた。紘都は気づいてないかもしれないけど」
僕を真っ直ぐに見て、続けた。

「……たぶんオレ、写真に恋したんだと思う。すぐにフォローして、それからもずっと見てた」
言い終えると、碧人は照れくさそうに目をそらした。
小さく息を吐いて、また視線を戻す。
何かを諦めたように、砂に手を置いたまま指先を埋める。

「……一枚だけ、位置情報ついてた写真があってさ。それ頼りに……オレ、紘都の地元に行ったこともあるんだよ」
「……え?」
声が上ずる。

「なんか、見てるうちに急に会いたくなって。どんな人が撮ってるんだろうって……。おっさんだったらどうしようとか、いろいろ考えながら」

碧人が小さく笑った。

それでも、指先は砂を掬うようにして、落ち着かないみたいだった。

「探してたら、紘都っぽい子が、公園でスマホ片手に写真撮っててさ、確信はできなかったし……さすがに声もかけられなかった。でも、そのあと写ロクに、その公園の写真がアップされてて。……ああ、やっぱり、って思った」

碧人はそう言って、少しだけ肩の力を抜いた。
潮風がふわりと吹いて、髪を揺らす。どこか遠くで、小さく波が砕ける音がした。

「五月くらいかな?校内のベンチで見かけたとき……もう、心臓が飛び出そうになったよ。え? なんでここに?って」
碧人は少し興奮しているのか普段より早口に話す。
「柄にもなく……そのとき思った。……運命だ!って」
こんな言葉が碧人の口から出てくるなんて、思わなかった。
波打ち際に伸びる影が、ゆらゆらと揺れてる。
それだけ、碧人も余裕がないんだと、さすがの僕も気づいた。
潮風が頬をかすめて、少しだけ生ぬるい。


「何度か……隣のベンチに、偶然を装って座ってみたこともあるんだよ?でもさ、紘都、他人に興味ないのか全然こっち見なくて……。なんか、それはそれでおかしくて……」

碧人は少年みたいに、あどけない笑顔を見せた。
その表情が、薄い月明かりに照らされて少し儚く見えた。
「りっとが写光会に連れてきたときは、もう……これ絶対チャンスだ!って。正直、変なテンションになってた」
興奮気味に言うその声に、……でも、そんな素振り全然見せてなかったじゃん、と心の中で呟いた。
波が寄せては返す音が、少しだけ大きくなる。

「でもさ……りっとをblur_lineだって勘違いするわ、りっともりっとで、すっとぼけるわで……気づいたら、あらぬ方向にどんどん進んでて」
碧人の声が少し掠れた。
「だから、この場所で……blur_lineはオレだよって、あれでも必死にアピールしたんだよ?……でも、やっぱり紘都、全然気づかないし……」
碧人は少し息を吸って、僕を見た。
潮の匂いがふっと強くなる。

「……おまけにりっとのこと、好きになるんじゃないかって……。思わず、気持ちが切れちゃって……」
波がすこし高く寄せて、足元をかすめた。
碧人は少し目を伏せて、ひどく小さな声で続けた。
「あのときは……ごめん。あの、キス……」
碧人は気まずそうに、手のひらで砂を軽く掬った。
「謝ろうって……いつまでもこんなんじゃいけないって、頭では思ってたのに……。どうしても、言葉が出なくて。あの日も……ほんとは、嬉しかったはずなのに……。でも、考えすぎて、また変に勘ぐって……。いつもの言葉が出て、あ、これマズいって、方向転換したけど……」
小さく息を吐く。
砂に落ちた視線が揺れた。
「もう……紘都、完全にシャットダウンしてるの分かって……。ああ……これ以上は無理なんだろうなって……。諦めなきゃいけないんだって」
ふっと身体の力を抜くように、膝に肘を置いて俯く。
いつの間にか、日はすっかり落ちていて、夜の波が寄せては返す音だけが、ふたりの間に静かに落ちていた。

「でも……やっぱり、これじゃダメだって……。今朝、目が覚めたとき……。思わず、スナログに投稿して……」
碧人は小さく息を呑んでから、ゆっくりと吐き出した。
潮風がまたひとつ吹いて、髪を揺らした。

「でも、一向に既読にならないから……。やっぱり、ダメかって思ってら昨日から紘都の携帯、通信障害起きてるって知って……」

声が少し震える。

「……ああもう、こんなまどろっこしいことしてるのが……ダメなんだって」

一度だけ目を閉じて、碧人は僕を見た。

「気づいたら……家、飛び出して……。……紘都を、探しまわって」

碧人は、少し息を整えながら言葉を継いだ。

「……紘都!って……。なんの確証もないまま無我夢中で車走らせてここに向かって……」
そのまま、波打ち際を見つめて、少しだけ肩を落とす。
「紘都の姿見つけた時は 奇跡だって …… 」 
少しはにかみながら、でも視線だけは、まっすぐ僕を捉えていた。
そして、ゆっくりと手を伸ばす。
僕の右手を、きゅっと握った。
はっとして、喉が鳴る。
この期に及んで、どうすればいいかわからなくて。
緊張が走る。
碧人の声色が変わった。

「紘都は?」
その声は、いつもの冷静で、でもどこか底が見えない碧人の声に戻っていた。
握られた手が、さらに強くなる。
「えっ……」
どうしよう。
なんて言えばいいんだろう……。
碧人から目を逸らす。
潮風がひとつ吹いて、頬を冷やした。
波打ち際が、暗い空を映して、ゆらゆらと揺れている。
月は雲に隠れたり、顔を出したりしていた。
暫くだまっていた碧人が、静かに続けた。

「……紘都、泣いてた?」
「え……あ……」
泣き腫らした顔は、まだ少し熱を持っている気がした。
小さく、こくりと頷く。
「なんで?」
「え、その……」
だって――碧人が、遠くに行ってしまう気がして。
「僕、碧人のことを傷つけて、それなのに、謝ることさえできなくて……。でも、会って、話したくて」
辿々しく言葉を探す。
全部、伝えたい。でも……怖い
まっすぐに僕を見つめるその瞳が、全部見透かしてくるみたいで、心が震える。
「……会いたかった?」
小さく、こくりと頷く。
「なんで?」
「え……」
「なんで、紘都はオレと会いたかったの?」
「……それは……」

――あれ?

碧人、これ……。

なんか、聞き出そうとしてる?

いつの間にか、尋問みたいに僕の言葉を追いかけてくる。
碧人の瞳が、まっすぐ僕を捉えて離さない。
まるで、狙われた小動物みたいに。

でも――

もう、逃げない。

「一番大切な人とは、そばにいられないって、だから言葉に出したら消えてしまうって」
「なんで? なんでそう思うの?」
「……僕が……」
ずっと、言えなかった、でも……もう隠せない

「僕が?」

声が震える。

でも、ちゃんと顔を上げて、碧人を見た。


「……碧人のこと、好きだから」


一瞬、空気が止まった気がした。
碧人の目が、揺れる。
そして、深く息を吐いて、ほんの少しだけ笑った。

「……オレも、好きだ」

その声は、震えていた。
次の瞬間、強く、抱きしめられた。
波の音が、すぐ耳元で砕けていた。
潮の匂いと一緒に、碧人の体温が押し寄せる。

「……ずっと、言いたかった」

耳元で落とされる声が、熱を帯びている。
「紘都のこと……最初から、ずっと、特別だって思ってた」
腕の力が、さらに強くなる。
苦しいのに、嬉しくて、
また、泣きそうだ。

「オレ……これからもずっと、好きでいていい?」

返事をする前に、碧人の手がそっと頬に触れた。
波の音がまたひとつ寄せる。

そして、そのまま、触れるだけの、優しいキスが落ちた。
唇が重なるだけなのに、胸の奥が痺れるみたいに熱くなる。
夜風がそっと髪を揺らす。
もう一度、今度は少し深く重なった。
唇を離した碧人が、少しだけ照れくさそうに、だけど視線はまっすぐ僕を見る。
僕はさっきの言葉の返事をするように頷いた。

「うん」

その言葉を聞いた碧人は、「……ごめん。止められない」
波打ち際の匂いの中で、もう一度、ゆっくり口づける。
こんなに優しいのに、苦しいくらい甘くて、怖いくらい幸せだった。
もう、離したくない――
心から、そう思った。