久しぶりに、写光会の部長――吉岡瑠璃先輩が部室に来ていた。
会うのは、たぶん……三回目くらい。
ショートボブに、短くカットされた前髪。
その奥に少し太めの眉と、くりっとしたどんぐりみたいな瞳が印象的な人だ。
律斗や碧人とも、自然体で話しているのを見たことがある。
飾らないのに、ちゃんと“女子”っぽさがある。
……少しだけ、羨ましいなんて思ってしまった。
夏休み前のこの時期、写光会では恒例のファイル整理がある。
展示や提出用に使った写真やプリントが、知らないうちに山のように積もっていく。
「りっと〜、このプリント、倉庫まで持ってくの手伝って!」
「あっ、え?……あー……うん、了解」
律斗が一瞬、僕の方を振り返る。
ほんの少し、何か言いたげに、口を開いたけど。
「紘都、ごめん! あと頼むわ!」
結局は笑ってそう言うと、瑠璃先輩と一緒にファイルの束を抱え、部室を出ていった。
あとには、ふわっとやわらかい香りだけが残る。
どこか、“女子”を感じさせる香りだった。
2人が出ていくと途端に静寂が訪れる。
(……なんか、静かだな)
その場にひとり残された僕は、少しだけ肩の力を抜いた。
机の端に置かれたスマホに指をのばす。
「ルク」
画面の奥にふわっと光が灯り、ウィンドウが開いた。
《今日も、はっぴー?》
ルクを呼び出したまま、展示棚に手を伸ばす。
ふと目についたファイルを取り出し、ページをめくっていく。
「これ……瑠璃先輩のかな。去年のやつ?」
《へえ、どんなの?》
「ん …光の入り方が、きれいで。落ち着く感じ」
そう言って、もう一枚、ページをめくった。
「……あ、これもいいな」
夜の海。
街灯がぼんやりにじんでいる写真。
《blur_lineの投稿に、ちょっと似てる感じ?》
「うん、たしかに。雰囲気、ちょっと似てる」
ふと、律斗の顔が浮かんだ。
(……これ、律斗くんが撮ったのかな)
なんとなくそう思った。
……いや、きっとそうだ。
でも。
心の奥が、少しだけざわついた。
迷いを打ち消すように、スマホを取り出す。
「……ルク、写真を比べて……同じ人が撮ったかどうかなんて、比較できる?」
迷いを打ち消すように、スマホを取り出す。
「……ルク、この写真を比べて。同じ人が撮ったかどうか、分かる?」
《画像認識と構図解析で、一致率は出せるで》
小さく息を呑む。
……知りたい
画面をタップして、ファイルの写真を読み込ませる。
次にblur_lineの投稿を選んで、比較を指示した。
数秒の沈黙。
《……解析終了。約89%の一致率や》
ルクの声が淡々と響いた。
89%……
数字を見た瞬間、胸の奥がふっと軽くなる。
「……そっか」
声がわずかに緩む。
やっぱり、律斗くんなんだ
ホッとするような感覚が、胸に落ちていく。
「……ねえ、ルク。律斗くんが撮った可能性も高いってことだよね」
問いかけながらも、答えはもう決まっていた。
《うん。その可能性は十分高い》
良かった!
心の奥で、静かにそう思った。
もう、これ以上考えたくなかった。
ファイルを閉じて、ゆっくりと息を吐く。
blur_lineは、律斗くんなんだ!
……それだけで、十分だった。
胸の奥が、少しだけ静かになった気がする。
もう、これ以上考える必要なんてない。
そう思って、ファイルを戻そうとしたとき、背後から、ふと気配を感じて、振り返ると。
いつの間にか、碧人が立っていた。
「……また、友達?」
静かな声が、耳元で落ちるように響いた。
眠たそうな目。
だけど、まっすぐに僕を見てる。
「えっ……あ……その……」
慌ててスマホを閉じた。
見られた? また絶対見られた……!
「さっ、さっききまで、律斗くんと瑠璃先輩と整理してて……。今は……ひとり」
つい、焦って言葉が上ずる。
胸の奥が、ざわつく。
碧人は何も言わず、隣に立ち、僕の手からそっとファイルをうけとる。
指先がほんの少し触れた。
「……手伝うよ」
その声が、思っていたより近くて、息を詰めた。
変わらない調子なのに、どこか、じわりと熱が伝わる気がする。
「……あ、ありがと」
目を合わせないまま、震えないように言った。
だけど、指先の感覚が少しだけ変になる。
(――見られてる、気がする)
何も聞かないくせに、何もかも分かってるみたいで。
碧人はファイルを受け取ると何気なしにページを一枚めくった。
そして一枚の写真を見つめて、少しだけ笑った。
「……これ、懐かしいな」
「え?」
「去年のコンペで、瑠璃先輩とこれ撮りに行ったんだ」
その声は小さくて、どこか遠い。
僕は、碧人のファイルの写真をぼんやりと見ながら、blur_lineの写真を思い出していた。
……構図も光の滲み方も、似てる
碧人が何を言ったのか、そのときはあまり耳に入らなかった。
blur_lineの正体は、きっと律斗だ。
……そのはずなのに。
なのに、さっきから、なんとなく視線が碧人のほうへ向く。
ファイルを戻す横顔も、静かな仕草も、
理由もなく、気になってしまう。
律斗の写真が好きなんだって、
自分に言い聞かせてるのに。
……変だな。
少しだけ、胸がざわつく。
そう思ったところで、慌てて視線を落とした。
……大丈夫。
blur_lineは、律斗だ。
そう決めたんだから。
暫く沈黙したまま作業が続く。
「律斗くんには……ルクの事、言わないで欲しい」
ファイルを並べながら、ぽつりとこぼした。
その言葉に碧人はこちらを見る。
「その、やっぱりはずかしいし……」
少し俯きかげんではにかむ。
恥ずかしい、というよりは、律斗には自分の内面を知られたくなかった。
同情とかそう言うのもいやだったけど、1番は、対等に見てもらいたかったから。
碧人の返事は少しだけ間が空いて。
「……言わないよ…… 」
たったそれだけ。
だけどそのあと、碧人かまふっと近づいてきて。
「じゃあさ、二人だけの、秘密な」
そう、耳元で囁いた。
一瞬、ドキリとしてしまう。
その言葉は冗談のような声なのに、妙にくっきり、残った。
***
今日は珍しく、ソファ横の丸テーブルで作業している。
目の前には律斗。
すぐ横のソファには、碧人が座っていた。
僕は、丸テーブルの端に置いたタブレットをそっと開く。
blur_line――
静かな風景、にじむ光、街角の影。
(……やっぱり、好きだな。この感じ―やっぱり、律斗くんっぽいよね?)
そのとき、ふいに隣の気配が動いた。
律斗が、身を乗り出して画面をのぞき込む。
「なに見てんの?」
「わっ……!」
思わずスマホ画面を隠しかけて、でも途中で止めた。
思い切って画面をくるりと向けた。
「……これ、律斗くんですか?」
律斗は、ふっと目を見開く。
えっ、とだけ小さく呟いて、視線を碧人にむけたような気がした。
その一瞬の間に、なんとなく空気が変わった気がして、僕は焦る。
違う?
一瞬の不安のあとに律斗は小さく笑った。
「……うん、まぁ、そんな感じ」
その言葉にスッと視界がひらけた。
思わず立ち上がりそうになるくらい、胸が高鳴る。
「僕、blur_line、ずっと見てて……!」
「高校のときに偶然見つけて、それからずっとファンだったんです僕の一方的な片思いというか、通知が来るたびに嬉しくて!」
自分でも何を言ってるのか分からないくらい、言葉は止まらなかった。
「まさか、そのblur_lineに……本人に……!会えるなんて!!」
律斗は少し目を丸くして、それから、困ったように笑った。
「……ああ。うん、まぁ、そういうの……全然気にしてなかったけど……ありがとな?」
「ほんとに……うわあ、なんかすごい。すごい……!」
顔が熱くなる。
僕、なに言っちゃってるんだ。
でも……
やっぱり、blur_lineは律斗だった!
その事実だけが嬉しくて。
……ふと、背中の方からの視線に気づいて、ちらりと振り返る。
碧人が、ソファに身を預けたまま、こちらを見ているような気がした。
いつもの眠たそうな目。
だけど――どこか、じっと、深く。
それでも、僕の胸は。
blur_lineが律斗だった!
ただそれだけでいっぱいだった。
……なんだろ、この感じ。
やさしいログの向こうで、やっと――君に会えた気がした。
