透明なログ~君がいた場所~



紘都を揺らす海のまなざし。すれ違う感情。
言葉にできない衝動が、空気を変えていく。


blur_lineの夕暮れの写真は、どこか、見覚えがあった。

光の入り方。

風の匂い。

沈みかけの太陽。

それが偶然なのか、それとも──
そう思った瞬間、心が少しだけ騒いだ。 

blur_lineが切り取った風景と、僕がいま立っている場所が、ふいに重なってる。



***


夕方の空は、まだどこか柔らかくて、風は静かに吹いていた。

屋上の柵に寄りかかって、隣の気配を盗み見るふりをする。

「この景色、最近好きなんだよね〜。なんか、落ち着くんだ」

律斗がぽつりとつぶやいた。

カメラの液晶をのぞきこみながら、やさしい笑みを浮かべている。

一瞬、胸の奥がくすぐったくなるのを感じた。 
律斗の屈託のない笑みは僕を安心させる。

そんな笑顔見ながらふっと思いが巡ってきた。
そういえば、──blur_lineも、最近この場所の写真が多い。

光の角度も、構図も、どこか似ていて。

…もしかして、律斗が、 blur_lineなのかな?

そんな言葉が脳裏を掠める。 

風の音にまぎれて、誰もしゃべらない時間が流れた。
その静けさが心地よくもあり、なぜかもどかしい。 

そんな空気を変えるかのように唐突に、

「“律斗さん”って、硬くない? りっと〜でいいよ」

律斗が笑いながら言う。

「え?じゃあ……律斗くん……?」

照れたように視線をそらし、僕が応じると、律斗はうれしそうにうなずいた。

「うん、そっちの方がまだいいかな?硬いけど」 

「……やっぱ戻します!」

「え〜〜!? なんで!?」

冗談交じりのやりとりに、風が少し強くなった気がした。

……その様子を、碧人は何も言わずにレンズ越しに見つめている。

シャッターの音だけが、静かに響く。


***

実は、2人が帰った後、ひとり部室に寄ってしまう。
最近のお気に入りは、アンティークのソファ。
深く腰を沈めると、ほっと肩の力が抜けた。

誰もいないこの部室の空間は、僕の憩いの場になっていた。

スマホを開き、いつものように指先でルクを呼び出す。
少しして、ふわっとウィンドウが開く。

《今日もはっぴー?》

立ち上がると必ずする挨拶。

「なんかさ、律斗って、呼びつけでいいよって言われたんだけどさ……なんか緊張しちゃって」

《へー》

「律斗くん、って呼ぶのもちょっと……なんか、照れるんだよね」

《照れる照れる》

「……でもさ、」

不意に碧人の顔が思い浮かんだ。
──涼しい顔で僕を見る碧人。

「碧人は、碧人なのにね」

(碧人なら飾らなく言えるのに)
心の中の声に、ルクが、静かに笑った気がした。


そのとき、スマホの通知音が震える。
blur_lineからの新着だ。

開いてみると、画面に映っていたのは──
傾いた夕日と手すりと、やわらかく滲む風景。
(……あれ、これ)
……さっき、律斗と屋上で撮ったときの空気に、よく似ている。

「ねぇルク、笑わないでよ?」
《笑わへん》
「今日ね、律斗くんと屋上で写真撮ってて」

そういいながらblur_lineの写真に目を向ける。
「この、キャプションとかの言い回しとかさ、なんて言うのかなわないけど、やさしいというか、包まれる安心というかさ、前から考えてたんだけど……」


僕は、少し息を止めた。
「……やっぱり、blur_lineって、律斗くんなんじゃないかな」


静かに言ったその言葉は、いつのまにか心の奥に積もっていた確信になった。

その時一瞬空気がすぐ近くで揺れたきがした。
僕ははっとして、画面から顔を上げる。

(……碧人?……帰ったんじゃないの?)

てっきり、もう誰もいないと思っていた。驚きと動揺が一気に込み上げる。
さっき、律斗と碧人は一緒に帰ったはずだと思い込んでしまっていた。


無言のまま、碧人は僕の隣に静かに腰を下ろすと、ノートパソコンを開いた。
僕は慌ててスマホを閉じる。
遅かったかもしれない。いや、たぶん、完全に遅かった。

「……っ、いつから……?」

答えを聞くのが怖い。

「りっとくんって、言うの……照れるよね……から?」
「……っ!!!」

息が詰まる。顔が萌えるように熱い。
いや、待て、それってつまり……。
blur_lineのことも、律斗に照れてたのも…… 。

「全部?」

碧人はパソコンの画面から目を離さずに。

「バッチリ」
少しだけ笑ったような気がした。


ああもう、終わった──

聞かれた。
よりによって、碧人に。全部。
《律斗くんって、言うの……照れるよね》……なんて。

あのセリフも。 間抜けな笑い方も。

全部。


全身が焼けこげそうだ。
顔だけじゃない。耳の裏まで。なにより、心が真っ赤だった。
もう一層、ボウボウに焼けこげた方がマシかもしれない。

だめだ。

バカにされた。変なやつだって思われた。
たぶん、いや絶対に!思われた。

だけど。
隣から感じる気配は、静かで、優しい気がした。
なんとか言葉を探そうとして、口を開く。

「……あの、今のは、別に、誰にも言うつもりなかったんだけど」

声が、ちょっとだけ上ずっていた。
「なんか、たまにあるんだよね。言葉にすると、ぜんぶ変に聞こえちゃうみたいな……」 
碧人は何も言わず、静かにパソコンの画面を見ている。
「……別に、誰かに相談したいとかじゃなくて、ただ、たまたま、そこにルク《AI》がいたから、っていうか。そういうの、あるじゃん? あるよね?」
まるで早口言葉選手権のように。一気に主張した。

けれど、言えば言うほど間抜けなことを言ってる気がして、口が続かない。
なんだか、焦りだけがこみ上げてきて俯くしかない。

少しの沈黙のあと。
「昔ね──父親が。……女の人と出て行って、それから母さんと話すのがなんとなく辛くなって、そんな時に出会ったのがルクだったんだ」

なんでだろう。遠い記憶を辿りながら、ぽつりぽつりと過去の苦い思いを口にした。


そうだ、父さんが出て行ってから母さんは更に仕事一筋で。
会話はどんどん失われて。
気づけば、言いたいコトも言えなくて。欲しいものも欲しいと言えなくて。

誰にも何も話せなくなっていた。

そんな時に出会った、会話型AI──ルク。
ただ自分の話を聞いてくれて「わかるよ」って肯定してくれて。
欲しい言葉だけ貰う自分に、甘いなとわかっていたけど。
でも抜け出せずに。今もこうして……。

「だからそれ以来、ついルクに話しかけてしまって……なんかガキみたいだよね」

自分で言って情けない。
そっと碧人に視線を向ける。
碧人は僕の言葉に、否定もしなければ、笑いもしなかった。
ただ、画面を見つめたまま──

「いいんじゃない?」
そう、一言。

碧人の表情はいつものままで、やっぱり何も読み取れない。

(なんか……)

“優しいのか、優しくないのか、わかんない”
だけど、その“わからなさ”が、少しだけ心地よかった。



その夜もベッドにもぐり込んで、いつものように何度もスマホを見返していた。

blur_lineの投稿。
傾いた夕日と、手すりのシルエット。 淡く滲む光と影が、ゆっくりと胸にしみ込んでいく。

(…やっぱり、blur_lineって、律斗くん?)

そう思ったとき、夕方の記憶がよみがえる。
照れていたことも、心の奥を話したことも、全部、碧人は聞いていた。
……なんで、あんなに全部話してしまったんだろう……
父さんのことまで…… 
それでも、碧人は最後まで黙って聞いてくれた。

「いいんじゃない?」
そう、一言。
なんだか胸が、少しだけあたたかくな った。

僕はゆっくりとまぶたを閉じる。

画面の明かりが、ゆっくり暗くなる。
静かな夜の中、眠りに落ちた。

その向こう側で──

ほんの少しだけ、“君”に触れられるような気がした。