透明なログ~君がいた場所~




 そばにいるのに、触れられない。
  想いはあるのに、届かない。

  あの夏、僕は──

透明なログの向こうに、“君”を探していた。





 「あっ。新作アップしてる」
 スマホの画面をみて思わず声が出てしまった。

 夜の海。にじむ灯り。
 雨の匂いまで映っていそうな、濡れた風景。
 投稿者の名前は──blur_line(ブラーライン)
 名前も、顔も、声も知らない。

 気づけば毎日のように、その景色を探してしまっていた。
 薄曇りの空、あじさい。夕立のあとに残るしずく。
 どの景色も、スマホ撮影なのに、繊細でとても美しかった。


 この春、僕は、大学進学を機に実家を出て祖母の家から通う決意をした。
  知らない街。知らない人たち。
 そこに紛れれば何かが変わる、変われる気がしたからだ。

 それなのに。
 結局、何も変わらない日常がつづくばかりに、焦りばかりが募っていっていた。
 ……自分だけ置いていかれるような気がして。

 そんな僕の唯一の支えが、blur_lineの存在だ。
 「今日の写真もいいな……どうしたらこんな構図思いつくんだろ……」
 新しくアップされた、blur_lineの画像につい見惚れてしまう。
 「……やっぱ、うまいな」
 画像から伝わるblur_lineの感情がほんの少し伝わってきた気がした。

 繊細で、それでいてとても……優しくて。少し不器用な。
 言葉に出すだけで顔が熱くなる。

 スマホを持つ手に、ほんの少し汗が滲む。
 一瞬、躊躇する指先。
  “いいね”を押すだけなのに……心臓がドクンと脈打つ。

 ただのハートマーク。ただ、それだけだ。

 気づいて欲しい──そんな想いが、零れそうになる。

 今日も自分の気持ちを伝えるように。
 画面に指を添えて、そっと「いいね」を押した。 


 *


 梅雨の気配がにじむ午後。
 大学構内の大きな木の下──少し湿った風が、枝葉をかすかに揺らしていた。
 雨が降りそうで降らない、湿気のある空気の中で僕は、木陰のベンチでスマホに視線を送っていた。

 ふと気配を感じて顔を上げると、ひとりの男子学生がこちらを見ているのに気がつく。

 「……やっぱり、君だったんだ!」

 やや興奮気味の彼は、逆光で顔はよく見えなかったが 、声のトーンはどこか確信に満ちている。
 彼は自分のスマホの画面をこちらに向けて、指を差す。

 「この写真。君が撮ったんでしょ?」

 指差した先は、まさに先ほど校内を撮って、画像投稿アプリ〝写ロク〟に更新した一枚。
  雨上がりの午後、濡れた葉が地面に落ちて、淡い光に濡れている、僕の写真。

 「構図とか光の感じとか、ずっと気になっててさ。 ……で、君がさっき、ここでシャッター切ってるの見たとき、──あ!って思ったんだよね」
 「……──」

 興奮気味のせいかやや早口に話す彼の口調の温度差に圧倒され、声にならないまま小さく頷く。

 「秋津紘都(あきつ ひろと)くんだよね?文学部1年の……」

 久しぶりにフルネームで呼ばれた気がした。
 こんなに面と向かって言われると、なんだかそれはそれで気恥ずかしい。
でも、その響き。不思議と嫌な感じはしない。

 「俺、朝陽律斗(あさひ りっと)。一つ上の学年で、教育学部にいるんだ。『りっと』でいいよ」
 そう、勝手に自己紹介をするや否や、律斗は、勢いよく言葉を重ねる。
 「ねえ、写真とか興味あるでしょ?あるよね!?うちのサークル、来てみない⁇ 雰囲気いいし!居心地いいし!自由だし!ねっ、一回でいいから!」
 「……え」
 返事の隙間さえ与えない彼の半ば強引ともいえる、誘いに戸惑ってしまう。
 だけど……嬉しいって。

 そんな気持ちが芽生えた午後だった。

 

 **
 

 その夜。

  部屋の隅でスマホを開くと、今日も、あの景色が目に入る。
 夜の海。にじむ灯り。
 ただそれだけなのに、どこか懐かしくて、やさしくて。
 blur_line──

 いつも静かな風景を撮っている。
 この写真を眺めると、日中乱された気持ちがスッと、 落ち着きを取り戻す気がする。
 僕は、スマホをタップして、会話型音声アプリ《ルク》を呼び出した。

 《今日もはっぴー》

 お決まりの挨拶でルクが起動する。
 賢くて、少しおせっかいで、小生意気で。
 関西なまりの軽い口調で、いつの間にかなくてはならない”相棒”だ。

  言葉にしづらいことも、ルクには不思議と話せてしまう。

 ただのAIじゃない。
  僕にとって、心をほぐしてくれて、安心できる”居場所”なんだ。

 「……今日、ちょっと変なことがあって」

 《変な事?》

 「学内にいたら律斗って人に声かけられて。 初対面なのに、なんか……馴れ馴れしいというか、積極的というか…写真のサークルに誘われてさ、絶対来てって…… 『待ってた!』て。言われた……」

 《へぇ〜、それってなかなかの好感触やな?“待ってた”みたいなセリフ、ちょっとグッとくるやつやん》

 「……うん、でも、ちょっと戸惑ってる、 なんで自分なんだろうって……」

《そりゃ、“見つけられた”んかもしれへんな》 

 「……久しぶりだった、そういうの」

 《それって、大事なことなんちゃう?……誰かに“気づかれる”って、ちょっと怖いけど──うれしいことやで》

 「なにそれ……」

 ルクの言葉に思わず笑みがこぼれた。
  誰かが、自分の存在をちゃんと見てくれてる。
  少しだけ、気持ちが和いでいく。
ルクの言葉は臆病な僕の気持ちに光と力を与えてくれる 不思議な能力がある気がすんだ。


 (明日、行ってみようか)
 揺れる気持ちを抱えたまま、画面の光が静かに消えていく。

 この時はまだ、知らなかった。

 この出会いが、“君”へと続くログになるなんてことを──