居候、御曹司に恋をする

 遙はたまに考える。湊の世界と遙の世界。天と地の差がある世界が交わったのは、遙が居候だったからだ。湊に出会えたことは祖母からの贈り物に違いない。でも、湊の誕生日である今日、嫌でも思い知らされた。遙は湊の隣に立つに値しないということ。湊の隣には、美しい女の子がよく似合った。
 心配してくれる新と別れ、茂みから抜け出して会場へ戻る。パーティーは一段と盛り上がりを見せていた。オーケストラが優雅な音楽を奏でて、立食スペースはまるでダンスホールと化している。その中に、よく目立つ赤髪を見つけた。
「ダンス、できるんだ」
 遙はダンスだなんて少しもできない。例えば今踊るように言われても、きっと間抜けな仕上がりになるだろう。対して湊は上手に揺れている。相手は先ほどの美女のようだ。遙は溜息を吐きながらも給仕係を再開した。時給が発生しているからだ。貧乏暇なし。恋にうつつを抜かしている暇はないと自分に言い聞かせる。
「白石くん、どうかした?」
 今日は来客側の敦に声をかけられる。仕事関係者として呼ばれているらしい。スーツをピシリと着込んだ彼はかっこいいけれど、ドーナツ屋で働く時と同じ優しい雰囲気だ。「大丈夫?」と首を傾げられると気持ちが弱くなってしまうから今は少しだけ勘弁してほしいかもしれない。
「大丈夫です。ちょっと疲れたのかな」
「そう?休めるように俺からお願いしようか?」
「大丈夫です。その、高時給なので」
 本当は少しも大丈夫ではない。高時給という言葉も、ずっと自分に言い聞かせているおまじないみたいなものだ。ここにいると湊の世界と遙の世界、その二つが本当はどうしたって交わらないことを突きつけられる。交わって見えてもそれはまやかしなのだ。それがとてつもなく辛かった。
 ダンスを邪魔しないように酒を配り、食べ物を補充していく作業の繰り返し。最初は天職にも思えたけれど、あまり面白いものではないかもしれない。
 ふとあげた目線の先。そこには湊がいた。視線が交わった瞬間、逸らしてしまったことが少しだけ惜しい。こんなの遙の負けみたいだし、何よりも馬鹿みたいだ。にこりと微笑んだら良かっただろうか。そう思うのに、それは絶対にしたくなくて、遙は無心になって仕事に没頭し続けた。
 
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 湊が誕生日パーティーを純粋に楽しんだのはいつが最後だっただろうか。そもそも楽しかったことなんてないかもしれない。誕生日パーティーとは名ばかりで、親戚や仕事関係者に対して一条家の力を見せつける機会なのである。ただ今日の湊にとっては、いつも以上にさっさと終わって欲しい時間だ。なぜならこのくだらないパーティーに遙が巻き込まれているからである。給仕係として駆り出されている彼は来賓の間を器用に縫って、愛想を振り撒いては自然と注目を集めていた。誰も遙を見ないでほしい。どうか、どうか、彼が少しでも嫌な思いをせずにいてほしい。そう願い続けて、湊は遙を目で追い続けた。
 だから、遙が酔っ払いに肩を抱かれた時、湊は思わず席から立ち上がったのだ。重鎮の来賓が挨拶に来ていたけれど、そんなこと関係なかった。
「湊」
 父親に嗜められても目を離せない。次の瞬間、視界の端に見えたのは白いコックコートだった。そしてコックコートの男に遙が抱き寄せられ、手を引かれて会場を去っていく。彼は見覚えがあった。遙と仲良さそうに話していた男に間違いない。助けてくれたのだとわかるのに、目の前が真っ赤になった。居ても立っても居られない。
「失礼します」
 適当に挨拶をしてその場を離れたのはほとんど衝動だ。後ろから親や使用人の声が聞こえてくるけれど、関係ない。とにかく、遙に会いたい。でもその行動はすぐに止められることになった。先ほどの重鎮の娘が湊を追いかけてきたのだ。彼女はわざとらしく躓くと、流れるように顔を寄せてきた。このシチュエーションは何度目だろうか。美しい娘というのは少しタチが悪いケースがある。湊は内心溜め息をつきながら適当に避けて、彼女が好きそうな笑みを顔面に貼り付けた。
 仕方なく会場に戻ると、そこはまるでダンスパーティーになっていた。ダンスだなんて面倒で、少しも踊る気にならない。
「湊くん、踊りましょうよ」
「あー、今日は」
 なるべく紳士的に振る舞っていたつもりだが、そろそろ限界だ。そう思って適当に明後日の方向に目をやると、たまたま父親と目が会ってしまった。威圧感を感じる視線は絶対に彼女と踊れと言っている。先ほど挨拶の途中で逃走したことにお怒りのようだ。湊は仕方なく彼女の手をとった。体はなるべく密着しないように気をつけながら、相手の動きをリードするように踊る。
「湊くんって、好きな人いるの」
 媚びるような目で見上げられながら問われる。こんな風に非常に面倒な質問には、適当に当たり障りのない回答を考える。
「さあ、どうですかね」 
「どっち?」
「今はあなたとダンス中です」
 なるべく優しく微笑むと、相手はほわりと顔を溶かした。ふと視線を上げる。遙と目があった気がした。その瞬間にハッとする。湊は今、何を考えていたのだろう。まるで大嫌いな一条家の人間のように、政治的に人と関わっていた。遙のことが好きなのに、まるでいないかのように、相手が勘違いすることさえ厭わずに会話を運んだのだ。自然と足が止まる。
「湊くん?」
 心配そうに問われても上手く返すことができない。遙を目で追うことしかできないのだ。彼には相手が誰であろうと微笑みかけてほしくない。
「給仕係?」
 湊の視線の先を見て理解したのだろう。彼女はつまらなそうに湊の袖を引いた。
「給仕係がどうかしたの?」
「……あの子は」
「なんでもいいわよ。今回はラストダンスまで、私と踊ってね」
 ラストダンス、と口の中でつぶやいた。ラストダンスは最も踊りたい相手と踊るのが一般的だ。でも、今までの人生、湊に選択肢はなかった。毎回親が決めた相手と踊っていたのである。なんてくだらないのだろうか。そう思うのに、なぜだか体が勝手に両親を振り返る。あの目はきっと、彼女と踊り続けることが正しいと言っている。
「湊くん?」
 目の前の彼女に罪はない。恥をかかせるわけにはいかない。でも、湊にとっては。
 湊は彼女の目をしっかりと見つめた。
「ごめん。俺、あの給仕係の子と踊りたい」
 半ば懇願する勢いだ。こういう場面が今後何度あるかわからないけれど、何よりも誠実さが大切なはずである。
「え?だってあの子は、給仕係だし、男の子よ?」
 彼女は目を丸くすると正論をぶつけてきた。そんなこと、とっくに承知の上なのだ。
「あなたはとても美しいと思う。でも俺は、あの子が一番可愛いと思うんだ」
 彼女はパチパチと瞬きをすると、少しだけ眉を顰めた。
「つまり、あの子のことが好きなの?」
「好きどころの騒ぎじゃないよ。誰に許されなくても良いんだ。ただ、ラストダンスを踊りたい」
 まるで子供の作文だ。でも、湊は見かけよりもずっと必死だった。湊は本当の意味で親に逆らったことがなかった。常に両親の顔色を見て、許されること、許されないことを判断して行動してきた。自由ぶっていたけれど、本当はいつも縛られていたのだ。そしてきっと今も縛られている。だから、これは初めての反抗に等しいのだ。
 彼女は少しだけ間を置いて、信じられないとでも言いたそうに顔を歪めた。
「あなた、好きな子がいるのに、好きでもない女に微笑んでたの?詐欺師じゃない」
「ごめん」
「本当、碌でもないって噂は正しかったのね」
「うん」
「私の立場も理解してくれないと困るわよ」
「確かに。ごめん」
 湊が素直に謝ると、彼女は少ししてから小さく頷いた。
「こんなこと言ってるけどね、私も二人が踊るところ見たいかも」
「え、本当?」
「こんな立派なパーティーで、主役が給仕係とラストダンスを踊るだなんて、聞いたことない」
「うん」
「面白そうだから、可愛い彼をさっさと捕まえてきて。見ていてあげるから」
 なんだか随分と高飛車だ。彼女は本来の姿の方が魅力的かもしれない。そう思いつつ、湊は大きく頷いた。