湊の誕生日を祝うパーティーは、家の近くにある結婚式場のような会場で開かれる予定だ。遙は前日の準備にも当然のように駆り出された。おそらく会場の様子や段取りを理解するためなのだろう。高校の体操服を着て、湊のためにも気合を入れて参加したものの、若いという理由で重いものを運ばされ、飾り付けでは高いところに登らされ、準備序盤で既にヘトヘトになった。
「今時の若いやつは頼りない」
「細い腕だな」
「おい、高校生」
そんな風に軽く罵られても耐えるのは高時給だからだ。
「白石くん、大丈夫?」
敦も遙と同じく力仕事要員だ。でも遙とは異なる精悍な立ち姿は大人たちから見ても頼もしいのだろう。ジャージ姿に重そうな荷物を軽々と抱えて、遙を心配する余裕まであるらしい。
「大丈夫です。へっちゃらです」
「そう?疲れたら隅で休んでなよ」
「はい。ありがとうございます」
そうは言ったものの実際は休むわけにもいかない。
「おい、高校生。裏に食材が届いたから調理場に持っていってくれ」
「はい」
また辛そうな仕事だ。それでも気合を入れて裏門まで向かうと、そこには野菜が入っているらしい段ボールや酒瓶が入ったケースが大量に置かれていた。炎天下の中、これは骨の折れる作業になりそうだ。途方に暮れそうになったけれど、高時給と湊のためだ。遙は大きく息を吸い込んで気持ちを整えると、まずは野菜の段ボールから持ち上げた。そのまま調理場に続く裏口まで向かう。
「しまった」
思わず口に出してしまったのは、裏口が完全に閉まっていたからだ。
「すみません!食材を搬入したいんですけど」
なるべく大きな声で呼びかけても反応がない。こうなったら、一旦この重い荷物を下ろすしかなさそうだ。諦めかけたその時だった。裏口の扉が勢いよく開いて、思わずのけぞった。その反動で転びそうになったその瞬間、手元が軽くなって腕を引かれる。気がついた時には体をがっしりと支えられていた。目の前には遙と同年代の青年。エキゾチックな印象を受ける端正な顔立ちだなと思った。
「あ、ありがとうございます」
慌ててお礼を言うと、目の前の青年は大きくため息をつき、おまけに盛大に舌打ちを打った。
「鈍臭いね」
片手に野菜の入った段ボールを抱えたまま、遙の体をゆっくりと離す。とてつもなく感じが悪いのに、手つきは意外と優しくて不思議だ。
「すみません」
そう言いながら青年を観察してみる。彼が身につけている白衣は簡易的なコックコートのように見えた。
「なに。まだ何か用」
強い口調は威圧的だ。遙はムッとしながらも、冷静になれと自分に言い聞かせた。
「まだ運びたい食材がたくさんあるので、ここ開けておいてください」
「あれを、一人で運ぶつもり」
「はい」
遙が頷くと、彼はもう一度大きな溜息をついた。彼は段ボールを調理場へ下ろすと扉を固定し、黙って食材の山に歩み寄っていった。それから一番重たそうな酒瓶ケースを持ち上げて運び始める。態度はすこぶる悪いのに、手伝ってくれるつもりらしい。
「どうも、ありがとう」
感謝の言葉は無視されたけれど、彼は遙よりもずっと逞しい体つきで、どんどん搬入作業を進めてくれる。
「新、何やってるんだ!」
作業の途中、調理場の奥から聞こえてきた声。彼は怯えたように一瞬だけ体を止めた。
「すみません!すぐ行きます」
そう言いながらもすぐに作業を再開する。まだ手伝ってくれるつもりらしい。
「あ、あの」
「さっさとやらないと日が暮れる」
新という名前らしい彼はそう言うとスピードをあげて、最後まで搬入作業に付き合ってくれた。灼熱の太陽の下で、二人とも汗だくだ。
「新!」
お礼を言う前に聞こえてきた大声に、遙は体をびくりと跳ねさせた。新は顔を引き攣らせながらも、「はい!」と返事をして調理場へと戻っていく。遙は一瞬で思考を巡らせて、わざと調理場に顔を向けた。
「新くん、食材の搬入手伝ってくれてありがとう!一人だったら一生かかるところだった!」
突然大声を出した遙を見て、新は呆気に取られたように目を見開いている。
「また手伝ってね!」
そう言って笑って見せると、新はむず痒そうな、なんとも言えない表情で調理場へと入っていってしまった。勢いよく閉ざされた裏口の扉。遙はその扉に少しだけ近づいてみた。
「なんだ、新。搬入手伝ってたのか」
「はい」
「それならそう言え」
「さっさと手洗ってこい」
うっすらと聞こえてくる様子だと、ひとまず怒られずに済んだようだ。遙は安心して、裏口の階段にしゃがみ込んだ。流石に疲れた。もう何もやりたくない。そう思っていると、不意に裏口の扉が開いた。そこからニュッと出てきたのはペットボトルのスポーツドリンクだ。見上げるとエキゾチックな顔が少し見えた気がした。
「ありがとう」
そう言いながら受け取ると、すぐに扉が閉まった。よく冷えたペットボトルを額に充てると暑さが少しマシになる気がする。
新は遙と同じようにアルバイトだろうか。その割には厳しく指導されているように見えた。
「よし」
そう言って立ち上がり、ペットボトルの蓋を開けるとゴクゴクと半分ほどまで飲み干した。同年代も頑張っていることだし、何より高時給と湊のためだ。遙は気合を入れ直すと仕事を探すためにメイン会場へと向かうことに決めた。
*******
パーティーは湊の誕生日の十八時から開催される。遙はその二時間前から給仕係用のベストと蝶ネクタイなどを身に付けさせられ、会場準備の仕上げをしていた。立食式がメインでありながら着席スペースまで準備されていて、ただの誕生日祝いとは思えない。財閥の御曹司の力はこれほどまでに大きいのだ。
「白石くん、こっちお願い」
昨日の会場設営や食材搬入とは異なり、今日はまだ涼しい中で作業できるために随分と楽だ。机にクロスを敷いて、花飾りとカトラリー類の準備をしていく。いい匂いがするのはビュッフェ形式の食事を配置し始めたからだろう。
遙なりに丁寧に作業を進めていく中で、見知った姿を見つけた。白いコックコートを着た青年、新だ。彼は立派な白衣を身につけたコックらしい男性に指示を受けながら食事を配置していく。熱心な眼差しは彼の真面目さが伝わるようだ。遙は男性がいなくなったタイミングを見計らって新に近づいた。
「こんにちは」
新はぴくりと肩を揺らして振り返った。
「昨日はありがとう。あのスポーツドリンクで生き返った」
遙が意気揚々と話しかけると、新は慌てて遙の腕を引っ張り、口元に人差し指を充てた。
「あれ、内緒」
ヒソヒソと話しかけられたことで、遙も声を顰める。
「そうなの?じゃあ尚更ありがとう」
新に笑顔を向けると、彼は少しだけ口角をあげて頷いた。
「あんた、何歳?」
「俺は十六」
「高校一年?」
「そうだよ」
「同じ年だ」
「へえ。どこの高校?」
「……高校には、行ってない」
急に暗くなった表情に、遙は少し慌てた。何か事情があるのかもしれない。急いで話を変えないとと、必死で頭を巡らす。
「ここの調理場で働いてるんだね」
「ここは普段レストランだから。修行してる」
「へえ」
ここは一条財閥が経営する会場だとは聞いたけれど、こんな立派な会場がレストランだとは。一条財閥恐るべしだ。
「今日の主役も同じ年らしい。生まれた環境で人生決まるもんだな」
「まあ、確かに。俺の方は、貧乏暇なし」
それは昨日からしみじみと感じていたことだ。最近はドーナツ屋で比較的ゆったりと働いていたから忘れかけていたけれど、久しぶりに痛感した。貧乏人は雇い主のために死ぬほど働くしか生きる道はない。同じ人間なのに、遙と湊はまるで別次元を生きているのだ。
「遙」
突然名前を呼ばれて振り返ると、綺麗に着飾った湊が険しい表情で立っていた。
「あ、主役」
新が小さな声で呟いた。
「こんにちは。準備、ありがとう」
湊が新に挨拶をすると、新は軽く会釈だけして調理場の方へと去っていった。
「湊、早いね」
遙が尋ねると、湊は眉をあげて「まあね」と言った。
「主役なんだから控えてないと。スポットライトがどーんってなって登場なんでしょ」
「そんな恥ずかしいことしないって。勘弁して」
遙がケラケラと笑うと、湊はやっと表情を柔らかくする。少し緊張しているのだろうか。
「湊は楽しんでね。俺ができる限り頑張るから」
「もう十分頑張ってくれたって聞いてるよ」
「まあね。給料良いから張り切ってるんだよ」
ニッと笑顔を向けると、湊は複雑そうな表情で一つ頷いた。
「ねえ、遙」
「なに?」
「俺は不良かもしれない。髪も赤いし、制服も着崩すよ。放課後は遊び歩くし、勝手にバイトもする」
「うん」
「でも、俺のこと、信じてね」
「……え?」
湊は遙の髪をさらりと撫でると、くるりと背を向けて去っていった。その背中は、少しだけ寂しそうに見えた。
湊の言葉の意味はパーティーが始まってすぐにわかった。大勢訪れた来賓は、ほとんどが一条家の親族と近しい仕事関係者らしい。着飾った彼らは親族席に聞こえない音量でずっと同じような話を繰り返していた。
「次男坊は碌でもない」
「相当遊んでいるらしい」
「今から先が思いやられる」
最初は耳を疑ったけれど、どうやら全て湊のことらしい。親族席の近くで作業をしていると同じ来賓が真逆のことを口にするのだから、何を信じたら良いのかわからない世界だということはわかった。湊は父親の隣に静かに座って、パーティー会場を傍観している。髪は黒く染めるように方々から散々言われていたのに、結局染めなかったのが彼らしさだ。
「ちょっと、君」
「はい」
「ここ、ワインが足りないよ」
「申し訳ありません」
「なんだ、随分と可愛いね」
「ありがとうございます」
パーティーの給仕係というのは、要領は大体居酒屋店員と同じだ。居酒屋店員の仕事にプラスして、客のドリンクの減りを少し気にしていれば良いくらいである。遙はセクハラ紛いのことも適当にスルーできるため、割と向いている仕事かもしれない。
「お待たせしました」
ワインを手に戻ると、遙に話しかけてきた中年の男はニヤニヤと遙の肩を抱いてきた。
「いやあ、本当に可愛いね」
「それはどうも」
「君も一杯どうだい」
「いえ、仕事中ですので」
「ちょっとくらい付き合ってくれよ。こんなパーティー、退屈なんだ」
居酒屋で働いている時も面倒なタイプの客はよくいたものだ。大抵は遙が笑顔を消して強気に出ると引き下がる。でも、今回は湊の家の関係者だと思うと強くも出られないことが厄介だ。何より、せっかくの湊の誕生日なのに気分が悪い。
「良いパーティーになるように、尽力しますので」
「じゃあ一杯飲もう」
顔を近づけられると酒臭く、相手はかなり酔っていることがわかる。これくらい酔っていたら一喝しても怒られないだろうか。遙が内心そんなことを考えていると、突然男の腕が離れた。代わりに油のような香りに包まれる。
「遙」
見上げるとそこにはエキゾチックな顔。
「なんだ君」
「あなたのこと、ホストがお怒りでしたよ」
新がそう言うと、男は「え゙!」と顔を青くした。
「行こう」
新に促されるままに会場を出ると、裏口へと連れて行かれる。外は蒸し暑いものの、色々な匂いが充満する会場よりは息をするのが楽だった。
「新くん」
何より気になるのは、新がこんなところにいても良いのかということだ。調理場では今も色々な料理を大量に作っているはずだ。
「本当、鈍臭いね」
「え?」
思わず聞き返したけれど、確かに聞こえた。昨日から二度目の「鈍臭い」は、怒りよりも心配が滲んでいる気がする。新が遙に向き直った。
「あんなおっさんに絡まれて何黙ってるんだよ。突き飛ばせ」
「いやあ、そういう訳には……。文句くらいは言おうかなと思ってたけど」
「それならさっさと言えよ。貧乏人はいつも搾取されて終わりだ」
「ご、ごめん。ありがとう」
なんて現実を知っている若者だろうか。同じ年だけれど、感覚の異なる同級生ばかりと接していたから感動してしまう。
「でも、新くんが怒ることないよ。今後は俺が自分でなんとかするから」
「……それなら、良いけど」
新はツンと横を向くと、やっと遙の手を離した。ふと見ると、綺麗な頬が煤のようなもので汚れている。遙は胸に入れていたナプキンで汚れをそっと拭ってやった。
「な、なな、なに」
「汚れてたから」
そんなに動揺することないだろう。もしかしたら断りもなく触れられて嫌だったのかもしれない。遙が少しだけ反省をしていると、突如として再び新に手を引かれた。そしてそのまま門近くの茂みに連れて行かれて、促されるままに二人でしゃがみ込んだ。
「なに?」
「静かに」
言われた通り静かにすると、聞こえてきたのは誰かの足音。少し気怠い雰囲気のそれが誰のものか、遙にはすぐにわかった。
「湊だよ」
一応静かに新に伝えると、新は眉を顰めた。
「湊?一条家の坊ちゃんを呼び捨てかよ」
「クラスメイトなんだ」
それでいて、居候で恋人。複雑な関係性を簡単に表現するならばクラスメイトがちょうど良いと思った。湊は何かを探すようにキョロキョロとしている。探し物なら手伝ってやらないとと、遙は茂みから出ようとした。その時だった。
「湊くん」
可愛らしい女性の声に慌てて身を潜める。なぜ隠れたのかわからない。なんとなく隠れなければいけないと思ったのだ。女性は遙たちと同世代に見えて、随分と美しい容姿をしていた。綺麗にまとめられた髪も、煌びやかなパーティードレスもよく似合っている。彼女は湊の元へと駆け寄ると、辿り着く寸前で小さくつんのめった。湊はその身体を危なげなく支えると、「大丈夫ですか」と紳士的に言葉にした。
「ごめんなさい。私、そそっかしくて」
「いいえ。こんなところへ何しに来たんですか」
「もちろん、湊くんを探しにきたのよ。急にいなくなっちゃうんだもん」
女性はそう言うと、湊の首元に両腕を回した。
「でも、二人きりになれて嬉しい」
そう言って、湊に顔を近づける。遙は叫び出しそうになりながらも、思わず手で顔を覆った。少しの沈黙の後、恐る恐る手を退かすと、遙に見えたのは二人の後ろ姿だった。女性が腕を組んでいて、二人は仲睦まじそうに見える。
「今の、見た?口と口、くっついてた?」
遙が新に尋ねると、新は心底嫌そうな顔をして首を横に振った。
「いや、見てない。見たくなくて目瞑っちゃった」
頭を抱える遙に、新は「そんなに見たかったの」と聞いてくる。見たい訳ないだろう。でも、見るべきだったのかもしれない。
「もしかして、あの女の子のこと好きだったとか?」
新の言葉に遙は力無く首を横に振った。
「……俺が好きなのは湊」
「はあ?湊って男だよ。しかも親の金で好き勝手生きてて、不良で、御曹司。十六で働く俺らとは人生が違う」
「うん。でも」
涙が溢れそうになった。そんな遙を見てか、新が小さく息をついて肩を抱いてくる。
「まあ、あれだよ。御曹司は美女が好きかもしれないけどさ」
「……うん」
「その、なんていうか、遙も良いと、俺は思うよ」
絶望の淵にいるのに、悲しいのに。思わず笑ってしまった。無愛想なくせに、気を遣ってくれるらしい。涙がポロリと溢れたけれど、その涙はすぐに新が拭ってくれた。
「今時の若いやつは頼りない」
「細い腕だな」
「おい、高校生」
そんな風に軽く罵られても耐えるのは高時給だからだ。
「白石くん、大丈夫?」
敦も遙と同じく力仕事要員だ。でも遙とは異なる精悍な立ち姿は大人たちから見ても頼もしいのだろう。ジャージ姿に重そうな荷物を軽々と抱えて、遙を心配する余裕まであるらしい。
「大丈夫です。へっちゃらです」
「そう?疲れたら隅で休んでなよ」
「はい。ありがとうございます」
そうは言ったものの実際は休むわけにもいかない。
「おい、高校生。裏に食材が届いたから調理場に持っていってくれ」
「はい」
また辛そうな仕事だ。それでも気合を入れて裏門まで向かうと、そこには野菜が入っているらしい段ボールや酒瓶が入ったケースが大量に置かれていた。炎天下の中、これは骨の折れる作業になりそうだ。途方に暮れそうになったけれど、高時給と湊のためだ。遙は大きく息を吸い込んで気持ちを整えると、まずは野菜の段ボールから持ち上げた。そのまま調理場に続く裏口まで向かう。
「しまった」
思わず口に出してしまったのは、裏口が完全に閉まっていたからだ。
「すみません!食材を搬入したいんですけど」
なるべく大きな声で呼びかけても反応がない。こうなったら、一旦この重い荷物を下ろすしかなさそうだ。諦めかけたその時だった。裏口の扉が勢いよく開いて、思わずのけぞった。その反動で転びそうになったその瞬間、手元が軽くなって腕を引かれる。気がついた時には体をがっしりと支えられていた。目の前には遙と同年代の青年。エキゾチックな印象を受ける端正な顔立ちだなと思った。
「あ、ありがとうございます」
慌ててお礼を言うと、目の前の青年は大きくため息をつき、おまけに盛大に舌打ちを打った。
「鈍臭いね」
片手に野菜の入った段ボールを抱えたまま、遙の体をゆっくりと離す。とてつもなく感じが悪いのに、手つきは意外と優しくて不思議だ。
「すみません」
そう言いながら青年を観察してみる。彼が身につけている白衣は簡易的なコックコートのように見えた。
「なに。まだ何か用」
強い口調は威圧的だ。遙はムッとしながらも、冷静になれと自分に言い聞かせた。
「まだ運びたい食材がたくさんあるので、ここ開けておいてください」
「あれを、一人で運ぶつもり」
「はい」
遙が頷くと、彼はもう一度大きな溜息をついた。彼は段ボールを調理場へ下ろすと扉を固定し、黙って食材の山に歩み寄っていった。それから一番重たそうな酒瓶ケースを持ち上げて運び始める。態度はすこぶる悪いのに、手伝ってくれるつもりらしい。
「どうも、ありがとう」
感謝の言葉は無視されたけれど、彼は遙よりもずっと逞しい体つきで、どんどん搬入作業を進めてくれる。
「新、何やってるんだ!」
作業の途中、調理場の奥から聞こえてきた声。彼は怯えたように一瞬だけ体を止めた。
「すみません!すぐ行きます」
そう言いながらもすぐに作業を再開する。まだ手伝ってくれるつもりらしい。
「あ、あの」
「さっさとやらないと日が暮れる」
新という名前らしい彼はそう言うとスピードをあげて、最後まで搬入作業に付き合ってくれた。灼熱の太陽の下で、二人とも汗だくだ。
「新!」
お礼を言う前に聞こえてきた大声に、遙は体をびくりと跳ねさせた。新は顔を引き攣らせながらも、「はい!」と返事をして調理場へと戻っていく。遙は一瞬で思考を巡らせて、わざと調理場に顔を向けた。
「新くん、食材の搬入手伝ってくれてありがとう!一人だったら一生かかるところだった!」
突然大声を出した遙を見て、新は呆気に取られたように目を見開いている。
「また手伝ってね!」
そう言って笑って見せると、新はむず痒そうな、なんとも言えない表情で調理場へと入っていってしまった。勢いよく閉ざされた裏口の扉。遙はその扉に少しだけ近づいてみた。
「なんだ、新。搬入手伝ってたのか」
「はい」
「それならそう言え」
「さっさと手洗ってこい」
うっすらと聞こえてくる様子だと、ひとまず怒られずに済んだようだ。遙は安心して、裏口の階段にしゃがみ込んだ。流石に疲れた。もう何もやりたくない。そう思っていると、不意に裏口の扉が開いた。そこからニュッと出てきたのはペットボトルのスポーツドリンクだ。見上げるとエキゾチックな顔が少し見えた気がした。
「ありがとう」
そう言いながら受け取ると、すぐに扉が閉まった。よく冷えたペットボトルを額に充てると暑さが少しマシになる気がする。
新は遙と同じようにアルバイトだろうか。その割には厳しく指導されているように見えた。
「よし」
そう言って立ち上がり、ペットボトルの蓋を開けるとゴクゴクと半分ほどまで飲み干した。同年代も頑張っていることだし、何より高時給と湊のためだ。遙は気合を入れ直すと仕事を探すためにメイン会場へと向かうことに決めた。
*******
パーティーは湊の誕生日の十八時から開催される。遙はその二時間前から給仕係用のベストと蝶ネクタイなどを身に付けさせられ、会場準備の仕上げをしていた。立食式がメインでありながら着席スペースまで準備されていて、ただの誕生日祝いとは思えない。財閥の御曹司の力はこれほどまでに大きいのだ。
「白石くん、こっちお願い」
昨日の会場設営や食材搬入とは異なり、今日はまだ涼しい中で作業できるために随分と楽だ。机にクロスを敷いて、花飾りとカトラリー類の準備をしていく。いい匂いがするのはビュッフェ形式の食事を配置し始めたからだろう。
遙なりに丁寧に作業を進めていく中で、見知った姿を見つけた。白いコックコートを着た青年、新だ。彼は立派な白衣を身につけたコックらしい男性に指示を受けながら食事を配置していく。熱心な眼差しは彼の真面目さが伝わるようだ。遙は男性がいなくなったタイミングを見計らって新に近づいた。
「こんにちは」
新はぴくりと肩を揺らして振り返った。
「昨日はありがとう。あのスポーツドリンクで生き返った」
遙が意気揚々と話しかけると、新は慌てて遙の腕を引っ張り、口元に人差し指を充てた。
「あれ、内緒」
ヒソヒソと話しかけられたことで、遙も声を顰める。
「そうなの?じゃあ尚更ありがとう」
新に笑顔を向けると、彼は少しだけ口角をあげて頷いた。
「あんた、何歳?」
「俺は十六」
「高校一年?」
「そうだよ」
「同じ年だ」
「へえ。どこの高校?」
「……高校には、行ってない」
急に暗くなった表情に、遙は少し慌てた。何か事情があるのかもしれない。急いで話を変えないとと、必死で頭を巡らす。
「ここの調理場で働いてるんだね」
「ここは普段レストランだから。修行してる」
「へえ」
ここは一条財閥が経営する会場だとは聞いたけれど、こんな立派な会場がレストランだとは。一条財閥恐るべしだ。
「今日の主役も同じ年らしい。生まれた環境で人生決まるもんだな」
「まあ、確かに。俺の方は、貧乏暇なし」
それは昨日からしみじみと感じていたことだ。最近はドーナツ屋で比較的ゆったりと働いていたから忘れかけていたけれど、久しぶりに痛感した。貧乏人は雇い主のために死ぬほど働くしか生きる道はない。同じ人間なのに、遙と湊はまるで別次元を生きているのだ。
「遙」
突然名前を呼ばれて振り返ると、綺麗に着飾った湊が険しい表情で立っていた。
「あ、主役」
新が小さな声で呟いた。
「こんにちは。準備、ありがとう」
湊が新に挨拶をすると、新は軽く会釈だけして調理場の方へと去っていった。
「湊、早いね」
遙が尋ねると、湊は眉をあげて「まあね」と言った。
「主役なんだから控えてないと。スポットライトがどーんってなって登場なんでしょ」
「そんな恥ずかしいことしないって。勘弁して」
遙がケラケラと笑うと、湊はやっと表情を柔らかくする。少し緊張しているのだろうか。
「湊は楽しんでね。俺ができる限り頑張るから」
「もう十分頑張ってくれたって聞いてるよ」
「まあね。給料良いから張り切ってるんだよ」
ニッと笑顔を向けると、湊は複雑そうな表情で一つ頷いた。
「ねえ、遙」
「なに?」
「俺は不良かもしれない。髪も赤いし、制服も着崩すよ。放課後は遊び歩くし、勝手にバイトもする」
「うん」
「でも、俺のこと、信じてね」
「……え?」
湊は遙の髪をさらりと撫でると、くるりと背を向けて去っていった。その背中は、少しだけ寂しそうに見えた。
湊の言葉の意味はパーティーが始まってすぐにわかった。大勢訪れた来賓は、ほとんどが一条家の親族と近しい仕事関係者らしい。着飾った彼らは親族席に聞こえない音量でずっと同じような話を繰り返していた。
「次男坊は碌でもない」
「相当遊んでいるらしい」
「今から先が思いやられる」
最初は耳を疑ったけれど、どうやら全て湊のことらしい。親族席の近くで作業をしていると同じ来賓が真逆のことを口にするのだから、何を信じたら良いのかわからない世界だということはわかった。湊は父親の隣に静かに座って、パーティー会場を傍観している。髪は黒く染めるように方々から散々言われていたのに、結局染めなかったのが彼らしさだ。
「ちょっと、君」
「はい」
「ここ、ワインが足りないよ」
「申し訳ありません」
「なんだ、随分と可愛いね」
「ありがとうございます」
パーティーの給仕係というのは、要領は大体居酒屋店員と同じだ。居酒屋店員の仕事にプラスして、客のドリンクの減りを少し気にしていれば良いくらいである。遙はセクハラ紛いのことも適当にスルーできるため、割と向いている仕事かもしれない。
「お待たせしました」
ワインを手に戻ると、遙に話しかけてきた中年の男はニヤニヤと遙の肩を抱いてきた。
「いやあ、本当に可愛いね」
「それはどうも」
「君も一杯どうだい」
「いえ、仕事中ですので」
「ちょっとくらい付き合ってくれよ。こんなパーティー、退屈なんだ」
居酒屋で働いている時も面倒なタイプの客はよくいたものだ。大抵は遙が笑顔を消して強気に出ると引き下がる。でも、今回は湊の家の関係者だと思うと強くも出られないことが厄介だ。何より、せっかくの湊の誕生日なのに気分が悪い。
「良いパーティーになるように、尽力しますので」
「じゃあ一杯飲もう」
顔を近づけられると酒臭く、相手はかなり酔っていることがわかる。これくらい酔っていたら一喝しても怒られないだろうか。遙が内心そんなことを考えていると、突然男の腕が離れた。代わりに油のような香りに包まれる。
「遙」
見上げるとそこにはエキゾチックな顔。
「なんだ君」
「あなたのこと、ホストがお怒りでしたよ」
新がそう言うと、男は「え゙!」と顔を青くした。
「行こう」
新に促されるままに会場を出ると、裏口へと連れて行かれる。外は蒸し暑いものの、色々な匂いが充満する会場よりは息をするのが楽だった。
「新くん」
何より気になるのは、新がこんなところにいても良いのかということだ。調理場では今も色々な料理を大量に作っているはずだ。
「本当、鈍臭いね」
「え?」
思わず聞き返したけれど、確かに聞こえた。昨日から二度目の「鈍臭い」は、怒りよりも心配が滲んでいる気がする。新が遙に向き直った。
「あんなおっさんに絡まれて何黙ってるんだよ。突き飛ばせ」
「いやあ、そういう訳には……。文句くらいは言おうかなと思ってたけど」
「それならさっさと言えよ。貧乏人はいつも搾取されて終わりだ」
「ご、ごめん。ありがとう」
なんて現実を知っている若者だろうか。同じ年だけれど、感覚の異なる同級生ばかりと接していたから感動してしまう。
「でも、新くんが怒ることないよ。今後は俺が自分でなんとかするから」
「……それなら、良いけど」
新はツンと横を向くと、やっと遙の手を離した。ふと見ると、綺麗な頬が煤のようなもので汚れている。遙は胸に入れていたナプキンで汚れをそっと拭ってやった。
「な、なな、なに」
「汚れてたから」
そんなに動揺することないだろう。もしかしたら断りもなく触れられて嫌だったのかもしれない。遙が少しだけ反省をしていると、突如として再び新に手を引かれた。そしてそのまま門近くの茂みに連れて行かれて、促されるままに二人でしゃがみ込んだ。
「なに?」
「静かに」
言われた通り静かにすると、聞こえてきたのは誰かの足音。少し気怠い雰囲気のそれが誰のものか、遙にはすぐにわかった。
「湊だよ」
一応静かに新に伝えると、新は眉を顰めた。
「湊?一条家の坊ちゃんを呼び捨てかよ」
「クラスメイトなんだ」
それでいて、居候で恋人。複雑な関係性を簡単に表現するならばクラスメイトがちょうど良いと思った。湊は何かを探すようにキョロキョロとしている。探し物なら手伝ってやらないとと、遙は茂みから出ようとした。その時だった。
「湊くん」
可愛らしい女性の声に慌てて身を潜める。なぜ隠れたのかわからない。なんとなく隠れなければいけないと思ったのだ。女性は遙たちと同世代に見えて、随分と美しい容姿をしていた。綺麗にまとめられた髪も、煌びやかなパーティードレスもよく似合っている。彼女は湊の元へと駆け寄ると、辿り着く寸前で小さくつんのめった。湊はその身体を危なげなく支えると、「大丈夫ですか」と紳士的に言葉にした。
「ごめんなさい。私、そそっかしくて」
「いいえ。こんなところへ何しに来たんですか」
「もちろん、湊くんを探しにきたのよ。急にいなくなっちゃうんだもん」
女性はそう言うと、湊の首元に両腕を回した。
「でも、二人きりになれて嬉しい」
そう言って、湊に顔を近づける。遙は叫び出しそうになりながらも、思わず手で顔を覆った。少しの沈黙の後、恐る恐る手を退かすと、遙に見えたのは二人の後ろ姿だった。女性が腕を組んでいて、二人は仲睦まじそうに見える。
「今の、見た?口と口、くっついてた?」
遙が新に尋ねると、新は心底嫌そうな顔をして首を横に振った。
「いや、見てない。見たくなくて目瞑っちゃった」
頭を抱える遙に、新は「そんなに見たかったの」と聞いてくる。見たい訳ないだろう。でも、見るべきだったのかもしれない。
「もしかして、あの女の子のこと好きだったとか?」
新の言葉に遙は力無く首を横に振った。
「……俺が好きなのは湊」
「はあ?湊って男だよ。しかも親の金で好き勝手生きてて、不良で、御曹司。十六で働く俺らとは人生が違う」
「うん。でも」
涙が溢れそうになった。そんな遙を見てか、新が小さく息をついて肩を抱いてくる。
「まあ、あれだよ。御曹司は美女が好きかもしれないけどさ」
「……うん」
「その、なんていうか、遙も良いと、俺は思うよ」
絶望の淵にいるのに、悲しいのに。思わず笑ってしまった。無愛想なくせに、気を遣ってくれるらしい。涙がポロリと溢れたけれど、その涙はすぐに新が拭ってくれた。



