オーケストラが盛り上がりを見せた時、来賓たちの反応はさまざまだった。各々ダンスを楽しむ者、歓談するもの、二階を見てざわめく者、見守る者。その中で、新は誰よりも一部始終を見守りつづけた。遙と一条家の次男坊が楽しそうに踊る姿は、きっとどこの誰にも邪魔できないだろう。
ちらりと親族席を振り返ると、次男坊の父親らしき男性が目を細めて彼らを見ていた。その表情からは何も伺えない。怒りとか呆れとか、そのあたりだろうか。普段はどうも思わないのに少し考えたくなったのは、彼らには幸せでいてほしいからだ。でも、そもそも親と疎遠の新には、どうせ親の気持ちなんて微塵もわからない。だから余計に湊の好きなようにしたら良いと思った。
「ちょうど良いステージね」
遙と湊を引き合わせた美女が話しかけてきた。彼女はかなり良い働きをしたと思う。でも次男坊にかなり気がありそうだったのに、良いのだろうか。ちらりと視線を向けると、彼女は新を一瞥して「ふん」と顎を上げた。随分と高飛車だ。
「あんたは誰とも踊らなくて良いの」
会場には若い男も少なからずいる。彼女へ注がれる視線も随分とありそうだ。
「私、ダンス好きじゃないの」
視線を蹴散らすようにそう言った彼女は再び新を横目で見た。
「あなた、さっさと仕事したら」
話しかけてきたのは彼女のはずなのに、散々な言われようだ。
「言われなくてもしますけど。あの二人見てからね」
二人は音楽に合わせて上手とは言えないダンスを踊り続ける。時折楽しそうに顔を綻ばせて、何やら話してはくすくすと笑う。心底羨ましいと思ったのは久しぶりだった。だって、新は遙のことが。
「あなた、あの子のこと好きなの?」
「……なに、急に」
「今は給仕係の男が流行っているの?意味がわからない」
彼女はそう言うと首をすくめて去っていった。確かに、意味がわからないかもしれない。でも新にとっては、昨日出会ったばかりの遙はすでに大切な人なのだ。これは単なる仲間意識かもしれないし、それ以上の感情かもしれない。とにかく、遙には幸せでいてほしい。
オーケストラの演奏が止んで、自然と拍手が巻き起こった。これは演奏者に対しての賛辞なのだろう。でも新は二階へ向けて拍手を送った。遠くにいる遙と目が合った気がする。軽く手を挙げると、彼はブンブンと手を振って応えてくれた。
*******
貧乏暇なし。遙の人生は一生その一言に尽きると思っていた。深夜にこっそりしていた弁当作りは孤独な節約のためだったはずである。それが、大好きな人と一緒にキッチンに立つ日が来るとは思わなかった。
「遙、卵焼きは甘いやつが良い」
「うん。そうしようか」
「ナスと豚肉も炒めたい。昔遙のお弁当に入っていたやつ、美味しかったんだ。ほら、俺が勝手に食べたやつ」
「あれか。結構適当だよ」
卵焼きを焼いて、メインのおかずをたくさん詰めて、隙間には冷蔵庫のあり物を炒める。その作業がこんなにも楽しい。
「楽しい」
ぽそりと呟いた言葉に、湊が頷いた。
「うん、楽しいね」
ふわりと微笑まれると余計に嬉しくなる。美しいだけでなく可愛らしいだなんて、そう思うのは遙だけでありたいくらいだ。
「こんな時間だ!湊、行こう」
最後には大慌てでお重箱を風呂敷に包み、向かった先は湊の誕生日パーティーをしたあの会場である。
昼の営業が落ち着いた調理場の裏口、そこで待ち合わせをしているのはコックコートを汚した新だ。彼は時間ちょうどに裏口から出てきて、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「本当に来たんだ」
「当たり前だろ。新の誕生日なんだから」
一応持参したレジャーシートにお重を広げてみせると、新が今までで一番の笑顔を見せた。
「いっぱい食べよう」
三人で囲む食事は、また格別に美味しい気がする。
「遙、これは?」
「一応タコさんウィンナー。初めて作ったら足だらけになった」
「これは?」
「多分カニだったかな?湊が作ったんだよね」
途中で口数が少ない湊に気がついた。話しているのはほとんど遙と新だけだ。
「湊?」
「……ん?」
「どうかした」
「いやいや、どうもこうも……」
湊はそこで言葉を区切ると眉間に皺を寄せて唇を尖らせた。
「二人ともなんなわけ?仲良すぎ!絶対に許せないんですけど」
ぷんぷんと音がしそうなほど怒っている湊は珍しい気がする。弁当を作っているときはあれほどご機嫌だったのに、本当に面白い男だ。
「許されなくても良いよ。俺、遙のこと結構好き」
どこかで聞いたようなセリフだ。挑発するようにそう言った新に、湊はさらに目をつり上げた。遙には冗談だとわかるから面白い。
「あはは!ありがとう」
「遙!ありがとうじゃないよ。受け入れたらダメだから」
「はーい」
遙が素直に答えても湊は釈然としないようだ。だから、こうなったら遙が盛り上げるしかない。湊の誕生日にもプレゼントした歌。短いハッピーバースデーの歌を、今こそ披露する時だ。
「じゃあ、歌います」
「じゃあって、どこから何が歌うことに繋がってるわけ」
「遙!歌のプレゼントは俺にだけして」
ワーワー言われているけれど関係ない。新への祝いの気持ちを込めてハッピーバースデーの歌を大熱唱すると、気がついたら二人とも転げ回って笑っていた。
*******
湊は最初から納得いかなかった。湊と遙にとって弁当とは、二人の繋がりを象徴するものの一つなのだ。それなのに、何処の馬の骨かもわからないコック見習いに贈るだなんて許せない。でも遙がどうしてもと言うから仕方がないのだ。二人での弁当作りはとても楽しかったから、少しくらいは許してやろう。いや、やっぱり許せない。そんな葛藤と不機嫌を隠しながらのお誕生日会を終えて荷物を片付けていると、新が湊の隣に立った。
「あんた、幸運だってわかってる?」
話しかけられたことに多少驚きつつも、ちらりと目をやる。綺麗な顔の男だ。湊も綺麗だと言われるけれど、男らしくて逞しい印象を受ける。そんな新は遙のことを優しく見つめて、それから湊に視線を寄越した。
「うかうかしていると奪っちゃうから」
突然何を言い出すのか。薄々は気づいていたけれど、遙のことを特別に想っているらしい。やはり誕生日祝いなんてするべきではなかったのだ。湊が黙っていると、新はニヤリと笑った。
「安心してる場合じゃないからね」
軽く言っているようで、その眼差しは真剣だ。湊は少し黙った後、「ふん」とだけ言って、まとめた重箱とレジャーシートの入った鞄を持ち上げた。
「なんとでも言えば。天地がひっくり返ったって、遙が好きなのは俺だから」
宣戦布告には受けて立つつもりだ。その言葉は遙にも聞こえたらしく、目を瞬かせながら「え、え?」だなんて言っている。こんなに無垢な恋人だ。何があったって、他の誰にも渡すものか。
新に何か言っている遙の手を引いて、帰り道を急ぐ。新と別れてからしばらくは黙ってついてきていた遙だけれど、途中で湊の顔を覗き込んできた。
「新となにか話してたね」
「まあね」
「新と仲良くなったんだ」
「はあ?なんでそういうことになるの」
「二人でこそこそ話すなんて良い感じだよ。友達みたいでさ。それに、俺の歌聴いた時は二人で仲良く笑い転げてたじゃん」
「いや、あれは」
湊の誕生日、遙が初めて歌を送ってくれた。パーティーの帰り道、しっとりとした夜の中で、調子はずれのメロディーを盛大に歌い上げた姿は今でも鮮明に思い出せる。愛おしいのに下手すぎて、笑いを抑えられないほどおかしくて可愛かった。今日も少しも恥ずかしがらずに歌い上げた遙の歌声は、やはり信じられないくらい調子はずれで、でも自信満々な様子が誰よりも魅力的だった。
「もう一回歌ってよ。俺のために」
「でも湊、誕生日じゃないじゃん」
「誕生日じゃなくても、いつでも聴きたいよ」
「仕方がないな、良いよ。特別にすごいやつ歌ってあげる」
割とノリノリらしい遙は楽しそうにそう言った。
「でも小さい声でね。さっきは調理場の人、窓から見てたから」
「うそ。美声すぎたかな」
真剣なのだか、ふざけているのだかわからないところが遙らしい。おかしくて笑うと、彼はもっと楽しそうにケラケラと笑った。
家までもう少しだ。例えば、いつか二人だけで暮らしてみたい。誰の手も借りず、二人だけで。遙のことが好きで好きで、苦をしいほど大好きだ。思わずその丸い頬にキスを贈ると、遙はくすぐったそうに身をすくませた。
ちらりと親族席を振り返ると、次男坊の父親らしき男性が目を細めて彼らを見ていた。その表情からは何も伺えない。怒りとか呆れとか、そのあたりだろうか。普段はどうも思わないのに少し考えたくなったのは、彼らには幸せでいてほしいからだ。でも、そもそも親と疎遠の新には、どうせ親の気持ちなんて微塵もわからない。だから余計に湊の好きなようにしたら良いと思った。
「ちょうど良いステージね」
遙と湊を引き合わせた美女が話しかけてきた。彼女はかなり良い働きをしたと思う。でも次男坊にかなり気がありそうだったのに、良いのだろうか。ちらりと視線を向けると、彼女は新を一瞥して「ふん」と顎を上げた。随分と高飛車だ。
「あんたは誰とも踊らなくて良いの」
会場には若い男も少なからずいる。彼女へ注がれる視線も随分とありそうだ。
「私、ダンス好きじゃないの」
視線を蹴散らすようにそう言った彼女は再び新を横目で見た。
「あなた、さっさと仕事したら」
話しかけてきたのは彼女のはずなのに、散々な言われようだ。
「言われなくてもしますけど。あの二人見てからね」
二人は音楽に合わせて上手とは言えないダンスを踊り続ける。時折楽しそうに顔を綻ばせて、何やら話してはくすくすと笑う。心底羨ましいと思ったのは久しぶりだった。だって、新は遙のことが。
「あなた、あの子のこと好きなの?」
「……なに、急に」
「今は給仕係の男が流行っているの?意味がわからない」
彼女はそう言うと首をすくめて去っていった。確かに、意味がわからないかもしれない。でも新にとっては、昨日出会ったばかりの遙はすでに大切な人なのだ。これは単なる仲間意識かもしれないし、それ以上の感情かもしれない。とにかく、遙には幸せでいてほしい。
オーケストラの演奏が止んで、自然と拍手が巻き起こった。これは演奏者に対しての賛辞なのだろう。でも新は二階へ向けて拍手を送った。遠くにいる遙と目が合った気がする。軽く手を挙げると、彼はブンブンと手を振って応えてくれた。
*******
貧乏暇なし。遙の人生は一生その一言に尽きると思っていた。深夜にこっそりしていた弁当作りは孤独な節約のためだったはずである。それが、大好きな人と一緒にキッチンに立つ日が来るとは思わなかった。
「遙、卵焼きは甘いやつが良い」
「うん。そうしようか」
「ナスと豚肉も炒めたい。昔遙のお弁当に入っていたやつ、美味しかったんだ。ほら、俺が勝手に食べたやつ」
「あれか。結構適当だよ」
卵焼きを焼いて、メインのおかずをたくさん詰めて、隙間には冷蔵庫のあり物を炒める。その作業がこんなにも楽しい。
「楽しい」
ぽそりと呟いた言葉に、湊が頷いた。
「うん、楽しいね」
ふわりと微笑まれると余計に嬉しくなる。美しいだけでなく可愛らしいだなんて、そう思うのは遙だけでありたいくらいだ。
「こんな時間だ!湊、行こう」
最後には大慌てでお重箱を風呂敷に包み、向かった先は湊の誕生日パーティーをしたあの会場である。
昼の営業が落ち着いた調理場の裏口、そこで待ち合わせをしているのはコックコートを汚した新だ。彼は時間ちょうどに裏口から出てきて、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「本当に来たんだ」
「当たり前だろ。新の誕生日なんだから」
一応持参したレジャーシートにお重を広げてみせると、新が今までで一番の笑顔を見せた。
「いっぱい食べよう」
三人で囲む食事は、また格別に美味しい気がする。
「遙、これは?」
「一応タコさんウィンナー。初めて作ったら足だらけになった」
「これは?」
「多分カニだったかな?湊が作ったんだよね」
途中で口数が少ない湊に気がついた。話しているのはほとんど遙と新だけだ。
「湊?」
「……ん?」
「どうかした」
「いやいや、どうもこうも……」
湊はそこで言葉を区切ると眉間に皺を寄せて唇を尖らせた。
「二人ともなんなわけ?仲良すぎ!絶対に許せないんですけど」
ぷんぷんと音がしそうなほど怒っている湊は珍しい気がする。弁当を作っているときはあれほどご機嫌だったのに、本当に面白い男だ。
「許されなくても良いよ。俺、遙のこと結構好き」
どこかで聞いたようなセリフだ。挑発するようにそう言った新に、湊はさらに目をつり上げた。遙には冗談だとわかるから面白い。
「あはは!ありがとう」
「遙!ありがとうじゃないよ。受け入れたらダメだから」
「はーい」
遙が素直に答えても湊は釈然としないようだ。だから、こうなったら遙が盛り上げるしかない。湊の誕生日にもプレゼントした歌。短いハッピーバースデーの歌を、今こそ披露する時だ。
「じゃあ、歌います」
「じゃあって、どこから何が歌うことに繋がってるわけ」
「遙!歌のプレゼントは俺にだけして」
ワーワー言われているけれど関係ない。新への祝いの気持ちを込めてハッピーバースデーの歌を大熱唱すると、気がついたら二人とも転げ回って笑っていた。
*******
湊は最初から納得いかなかった。湊と遙にとって弁当とは、二人の繋がりを象徴するものの一つなのだ。それなのに、何処の馬の骨かもわからないコック見習いに贈るだなんて許せない。でも遙がどうしてもと言うから仕方がないのだ。二人での弁当作りはとても楽しかったから、少しくらいは許してやろう。いや、やっぱり許せない。そんな葛藤と不機嫌を隠しながらのお誕生日会を終えて荷物を片付けていると、新が湊の隣に立った。
「あんた、幸運だってわかってる?」
話しかけられたことに多少驚きつつも、ちらりと目をやる。綺麗な顔の男だ。湊も綺麗だと言われるけれど、男らしくて逞しい印象を受ける。そんな新は遙のことを優しく見つめて、それから湊に視線を寄越した。
「うかうかしていると奪っちゃうから」
突然何を言い出すのか。薄々は気づいていたけれど、遙のことを特別に想っているらしい。やはり誕生日祝いなんてするべきではなかったのだ。湊が黙っていると、新はニヤリと笑った。
「安心してる場合じゃないからね」
軽く言っているようで、その眼差しは真剣だ。湊は少し黙った後、「ふん」とだけ言って、まとめた重箱とレジャーシートの入った鞄を持ち上げた。
「なんとでも言えば。天地がひっくり返ったって、遙が好きなのは俺だから」
宣戦布告には受けて立つつもりだ。その言葉は遙にも聞こえたらしく、目を瞬かせながら「え、え?」だなんて言っている。こんなに無垢な恋人だ。何があったって、他の誰にも渡すものか。
新に何か言っている遙の手を引いて、帰り道を急ぐ。新と別れてからしばらくは黙ってついてきていた遙だけれど、途中で湊の顔を覗き込んできた。
「新となにか話してたね」
「まあね」
「新と仲良くなったんだ」
「はあ?なんでそういうことになるの」
「二人でこそこそ話すなんて良い感じだよ。友達みたいでさ。それに、俺の歌聴いた時は二人で仲良く笑い転げてたじゃん」
「いや、あれは」
湊の誕生日、遙が初めて歌を送ってくれた。パーティーの帰り道、しっとりとした夜の中で、調子はずれのメロディーを盛大に歌い上げた姿は今でも鮮明に思い出せる。愛おしいのに下手すぎて、笑いを抑えられないほどおかしくて可愛かった。今日も少しも恥ずかしがらずに歌い上げた遙の歌声は、やはり信じられないくらい調子はずれで、でも自信満々な様子が誰よりも魅力的だった。
「もう一回歌ってよ。俺のために」
「でも湊、誕生日じゃないじゃん」
「誕生日じゃなくても、いつでも聴きたいよ」
「仕方がないな、良いよ。特別にすごいやつ歌ってあげる」
割とノリノリらしい遙は楽しそうにそう言った。
「でも小さい声でね。さっきは調理場の人、窓から見てたから」
「うそ。美声すぎたかな」
真剣なのだか、ふざけているのだかわからないところが遙らしい。おかしくて笑うと、彼はもっと楽しそうにケラケラと笑った。
家までもう少しだ。例えば、いつか二人だけで暮らしてみたい。誰の手も借りず、二人だけで。遙のことが好きで好きで、苦をしいほど大好きだ。思わずその丸い頬にキスを贈ると、遙はくすぐったそうに身をすくませた。



