時間から見るに、パーティーはそろそろ終盤だろう。遙はもうヘトヘトだった。顔に笑顔が張り付いて取れないくらいに散々愛想を振り撒いて、何かあれば謝罪をして、場合によっては走り回った。でも一番神経を使ったのは、なるべく湊のことを見ないようにすることだったかもしれない。恋人を見ないように努力するだなんて、どうかしてる。でも、視界に入れば涙が出そうになるから仕方がなかった。
そんな中で、遙は決めたのだ。このパーティーが終わったら、遙は湊と縁を切る。恋人という関係も、居候という立場も捨てる。散々働き回りながらそう決めた。湊が少しでも遙を好きでいてくれた事実、それだけを胸に秘めて生きて行くつもりだ。
何十回目かの溜息はオーケストラの演奏にかき消される。それはまるでちっぽけな悩みだと言われているみたいに思えた。遙は空いた大皿を手に調理場へと下がると、そこでももう一度息を吐いた。
「なに溜息ついてんの」
ふと見上げた先には、コックコートを汚した新がいた。調理場はだいぶ落ち着いているらしい。
昨日からの付き合いだけれど、彼はすっかり遙を励ましてくれる存在だ。遙も新にとってそうなれたら良い。でも、新とも今日でお別れだろうか。悲しくて切なくて、どうしようもない気持ちが強くなった。
新は遙に顔を近づけると、小さな声で「まだ悲しい?」と聞いてきた。正直、悲しいどろこの騒ぎじゃない。上手く答えられないでいると、彼まで切なそうに眉を歪めた。
「悲しいのか。そっか」
新はそう言うとすぐに何か閃いたように顔を明るくした。
「ちょっと待ってて」
瞬く間に走り去ったと思ったら冷蔵庫と戸棚から何かを取り出し、すぐに戻ってきて遙の手を引く。
「行くよ、こっそりね」
そう言って連れてこられたのは数時間ぶりの裏口だった。促されるままに茂みにしゃがみ込むと、新も隣で胡座をかいた。それから左手で持っていた茶色い紙袋を広げる。
「これ、もらったんだ」
そう言って見せてくれたのは、バニラ味のアイスクリームだ。もしかしたら今日のデザートの材料の一部かもしれない。
「二日間頑張ったなって。ちょっと高級らしいよ。ちょうど二個あるから、一緒に食べよう」
「新くんが貰ったのに、俺までいいの?」
「他に一緒に食べる人なんていないから」
さらりと告げられた言葉。少し前までの遙と一緒だ。彼の横顔は少しだけ寂しそうに見えた。だから遙も姿勢を崩して地面に座り込む。洋服が汚れても構わないと思った。
「一緒に食べられるの、嬉しい」
遙がそう呟くと、新は嬉しそうに口角を上げた。
夜とはいえ、真夏の空気にアイスクリームはすぐに溶けてしまうだろう。新が持ってきたスプーンを使い、白いバニラを掬って一口食べる。
「うわぁ、染み渡る」
キンとした冷たさと濃厚な甘さが体を溶かす。新を見ると、彼も目を瞑って味わっているようだった。
「今日の中で、今が一番楽しい」
半分まで食べたところで、思わず心の声が溢れ出た。
「今日なんて楽しい要素ないだろ」
「でも湊の誕生日だからさ、良い日にしたかったんだ」
「ふーん。そんなもんかな」
「湊はずっと楽しいと良いな」
「楽しいんじゃないの。親兄弟に囲まれて、親戚も大勢来て。それだけで楽しいだろ」
「……そっか」
アイスクリームはあっという間にあと一口だ。
「美味しかった」
「うん」
「新くんに感謝」
「おう、感謝しろ」
横柄な態度が面白くて思わず笑ってしまうと、新も楽しそうに笑顔を見せた。
夏の風が駆け抜けていく。アイスクリームのおかげか随分と涼しくなった。そうやって少しぼんやりしていると、突然聞こえてきた足音。新と顔を見合わせて、茂みに隠れるように身を伏せた。なんだか隠れてばかりで、お互いに少し笑ってしまう。
「遙、遙?」
湊の声だ。聞き間違いでなければ、遙と言っているだろうか。反射で立ちあがろうとすると、新が遙の腕を引いた。
「遙って、本当にあんたのことかよ」
「え?」
「さっきの美女の名前かも」
「……あぁ、確かに」
どちらかといえば女性に多い名前だ。妙に納得してもう一度身を伏せると、新が遙を守るように肩に腕を回した。お互いの体が暑くて、少しだけ息苦しい。
「遙」
名前を呼ばれる時、遙はいつも嬉しかった。誰でもなく湊に呼ばれると心が躍るのだ。でも今は嫌な気持ちだ。これが嫉妬だろうか。湊は少しすると通り過ぎて行った。複雑な気持ちで後ろ姿を見つめることしかできない。
「よかったな。気まずいもんな」
「……うん」
「そろそろ戻るか。バレないうちに」
新はそう言うと立ち上がり、遙の手を引いて引っ張り上げてくれる。
「新くんは優しい」
「はあ?」
「しかも顔がかっこいい」
「なんだそれ」
新は遙を気味悪そうに見ると、手をひらひらと振って先に歩いて行ってしまった。ゴミはしっかり持って行ってくれるのだから、やはり優しい男だ。
遙はズボンを叩いて砂を落とすと、気合を入れ直してパーティー会場へと戻った。ダンスパーティーもそろそろ終わりに向かっているのだろう。会場は大盛り上がりだ。主役の湊がいないことにも気が付かず、大人たちは楽しそうに踊っている。
ふと腕を引かれて、遙は慌てて振り返った。心臓がドキドキする。
「……えっと」
思わずそう漏らしたのは、湊が探していたはずの女性が遙の腕を掴んでいたからだ。驚きで一瞬固まったものの、遙はハッと思い出して外を指差した。
「あの、一条家の湊さんが、さっきあなたを探していましたよ」
「何言ってるの、探されているのはあなたよ」
「へ?いや、俺は給仕係なので」
「湊くんは給仕係のあなたが良いんですって」
「え?」
「なによ、知り合いじゃないの?」
「知り合いですけど、……え?」
つまり、先ほどの「遙」とは。
遙は会場を見回した。湊の姿は見えない。一瞬の間の後に走り出したのは、すぐにでも探さないといけない気がしたからだ。いや、それよりも、どうしようもなく湊に会いたい。
「遙、あっち」
いつからいたのか、近くの机で作業をしていた新が会場の隅にある階段を指差した。吹き抜けとなっている二階部分から探せと言いたいのだろう。
「ありがとう」
遙は周りには目もくれず、階段を駆け上がった。
*******
遙の姿はどこにも見えなかった。先ほどまで給仕係の仕事をしていたのに、彼女と話しているうちに消えたのだ。一瞬でも目を離したことが悔やまれる。必死で探し回り、会場の外へ出て裏口の方まで見たのにどこにもいない。湊は肩を落として、裏口の階段に腰掛けた。主役が不在のパーティーはこのまま勝手に終わるのだろう。今回もまた、一つも楽しくなかった。
「湊」
遙の声が聞こえた気がした。顔を上げて、立ち上がる。姿はどこにもない。
「湊!」
ふと見上げる。そこには。
「遙!」
バルコニーから顔を出した遙が手を振っている。瞬時に湊はその場から駆け出した。人波をかき分けて、走って走って、階段を駆け上がった。そこには湊を待ち構えている遙がいて、不覚にも泣きそうになった。そのままの勢いで抱きつく。
「み、湊、みんなに見られるよ」
「見せつけたら良いよ」
「えぇ」
遙は戸惑っていたけれど、湊の背中にそっと腕を回してくれた。オーケストラの音楽は最後の盛り上がりを迎える。湊は一度遙をぎゅっと抱きしめて、それから体を離した。
「遙、お願いがあるんだ」
「え、なに」
「ラストダンス、一緒に踊ってよ」
「俺、踊れないよ。踊ったことない」
「大丈夫。こんなの割と適当なんだから」
遙の手をとり、体はなるべく近づける。遙は戸惑いがちに姿勢を正した。遙と湊らしく踊れば良いのだ。一歩踏み出すと遙の動きは信じられないほどぎこちなくて、そこがまた湊の心をくすぐる。
「俺ね、湊と離れようと思ったんだ」
「はっ!?」
この期に及んで何を言い出すのだろう。信じられなくて遙を見ると、彼は静かに言葉を続ける。
「でもね、無理みたい」
「そんなの当たり前でしょ」
「湊の隣には綺麗な女の子がよく似合う。でも」
遙はそこで言葉を切ると、一度目を伏せた。それから覚悟を決めたように視線を上げる。
「俺じゃないとだめ」
全身に鳥肌がたった。一気に込み上げるものを必死で抑える。
「そうだね。遙じゃないと」
「うん」
「他の誰でもだめなんだ。やっと気づいてくれたね」
湊にとっても、今になってわかったことがある。湊はずっと不安だったのだ。手に入ったと思いたいのに、ふとどこかへ消えてしまいそうな予感。それがやっと打ち砕かれた気がした。
「ねえ、湊」
「ん?」
「そろそろ、歌おうかな?」
「歌うって?」
「ハッピーバースデーの歌。最高のやつ」
照れたように言われたら、断るわけにはいかないだろう。でも。
「まずはラストダンスを最後まで」
湊がそう言うと、遙は満面の笑みで頷いた。
遠くにいる父親と目があった気がする。親族や来賓にも見られているのかもしれない。その全てがどうでも良かった。目の前にいる遙を一番大切にしたい。それだけを思って、湊は踊り続けた。
そんな中で、遙は決めたのだ。このパーティーが終わったら、遙は湊と縁を切る。恋人という関係も、居候という立場も捨てる。散々働き回りながらそう決めた。湊が少しでも遙を好きでいてくれた事実、それだけを胸に秘めて生きて行くつもりだ。
何十回目かの溜息はオーケストラの演奏にかき消される。それはまるでちっぽけな悩みだと言われているみたいに思えた。遙は空いた大皿を手に調理場へと下がると、そこでももう一度息を吐いた。
「なに溜息ついてんの」
ふと見上げた先には、コックコートを汚した新がいた。調理場はだいぶ落ち着いているらしい。
昨日からの付き合いだけれど、彼はすっかり遙を励ましてくれる存在だ。遙も新にとってそうなれたら良い。でも、新とも今日でお別れだろうか。悲しくて切なくて、どうしようもない気持ちが強くなった。
新は遙に顔を近づけると、小さな声で「まだ悲しい?」と聞いてきた。正直、悲しいどろこの騒ぎじゃない。上手く答えられないでいると、彼まで切なそうに眉を歪めた。
「悲しいのか。そっか」
新はそう言うとすぐに何か閃いたように顔を明るくした。
「ちょっと待ってて」
瞬く間に走り去ったと思ったら冷蔵庫と戸棚から何かを取り出し、すぐに戻ってきて遙の手を引く。
「行くよ、こっそりね」
そう言って連れてこられたのは数時間ぶりの裏口だった。促されるままに茂みにしゃがみ込むと、新も隣で胡座をかいた。それから左手で持っていた茶色い紙袋を広げる。
「これ、もらったんだ」
そう言って見せてくれたのは、バニラ味のアイスクリームだ。もしかしたら今日のデザートの材料の一部かもしれない。
「二日間頑張ったなって。ちょっと高級らしいよ。ちょうど二個あるから、一緒に食べよう」
「新くんが貰ったのに、俺までいいの?」
「他に一緒に食べる人なんていないから」
さらりと告げられた言葉。少し前までの遙と一緒だ。彼の横顔は少しだけ寂しそうに見えた。だから遙も姿勢を崩して地面に座り込む。洋服が汚れても構わないと思った。
「一緒に食べられるの、嬉しい」
遙がそう呟くと、新は嬉しそうに口角を上げた。
夜とはいえ、真夏の空気にアイスクリームはすぐに溶けてしまうだろう。新が持ってきたスプーンを使い、白いバニラを掬って一口食べる。
「うわぁ、染み渡る」
キンとした冷たさと濃厚な甘さが体を溶かす。新を見ると、彼も目を瞑って味わっているようだった。
「今日の中で、今が一番楽しい」
半分まで食べたところで、思わず心の声が溢れ出た。
「今日なんて楽しい要素ないだろ」
「でも湊の誕生日だからさ、良い日にしたかったんだ」
「ふーん。そんなもんかな」
「湊はずっと楽しいと良いな」
「楽しいんじゃないの。親兄弟に囲まれて、親戚も大勢来て。それだけで楽しいだろ」
「……そっか」
アイスクリームはあっという間にあと一口だ。
「美味しかった」
「うん」
「新くんに感謝」
「おう、感謝しろ」
横柄な態度が面白くて思わず笑ってしまうと、新も楽しそうに笑顔を見せた。
夏の風が駆け抜けていく。アイスクリームのおかげか随分と涼しくなった。そうやって少しぼんやりしていると、突然聞こえてきた足音。新と顔を見合わせて、茂みに隠れるように身を伏せた。なんだか隠れてばかりで、お互いに少し笑ってしまう。
「遙、遙?」
湊の声だ。聞き間違いでなければ、遙と言っているだろうか。反射で立ちあがろうとすると、新が遙の腕を引いた。
「遙って、本当にあんたのことかよ」
「え?」
「さっきの美女の名前かも」
「……あぁ、確かに」
どちらかといえば女性に多い名前だ。妙に納得してもう一度身を伏せると、新が遙を守るように肩に腕を回した。お互いの体が暑くて、少しだけ息苦しい。
「遙」
名前を呼ばれる時、遙はいつも嬉しかった。誰でもなく湊に呼ばれると心が躍るのだ。でも今は嫌な気持ちだ。これが嫉妬だろうか。湊は少しすると通り過ぎて行った。複雑な気持ちで後ろ姿を見つめることしかできない。
「よかったな。気まずいもんな」
「……うん」
「そろそろ戻るか。バレないうちに」
新はそう言うと立ち上がり、遙の手を引いて引っ張り上げてくれる。
「新くんは優しい」
「はあ?」
「しかも顔がかっこいい」
「なんだそれ」
新は遙を気味悪そうに見ると、手をひらひらと振って先に歩いて行ってしまった。ゴミはしっかり持って行ってくれるのだから、やはり優しい男だ。
遙はズボンを叩いて砂を落とすと、気合を入れ直してパーティー会場へと戻った。ダンスパーティーもそろそろ終わりに向かっているのだろう。会場は大盛り上がりだ。主役の湊がいないことにも気が付かず、大人たちは楽しそうに踊っている。
ふと腕を引かれて、遙は慌てて振り返った。心臓がドキドキする。
「……えっと」
思わずそう漏らしたのは、湊が探していたはずの女性が遙の腕を掴んでいたからだ。驚きで一瞬固まったものの、遙はハッと思い出して外を指差した。
「あの、一条家の湊さんが、さっきあなたを探していましたよ」
「何言ってるの、探されているのはあなたよ」
「へ?いや、俺は給仕係なので」
「湊くんは給仕係のあなたが良いんですって」
「え?」
「なによ、知り合いじゃないの?」
「知り合いですけど、……え?」
つまり、先ほどの「遙」とは。
遙は会場を見回した。湊の姿は見えない。一瞬の間の後に走り出したのは、すぐにでも探さないといけない気がしたからだ。いや、それよりも、どうしようもなく湊に会いたい。
「遙、あっち」
いつからいたのか、近くの机で作業をしていた新が会場の隅にある階段を指差した。吹き抜けとなっている二階部分から探せと言いたいのだろう。
「ありがとう」
遙は周りには目もくれず、階段を駆け上がった。
*******
遙の姿はどこにも見えなかった。先ほどまで給仕係の仕事をしていたのに、彼女と話しているうちに消えたのだ。一瞬でも目を離したことが悔やまれる。必死で探し回り、会場の外へ出て裏口の方まで見たのにどこにもいない。湊は肩を落として、裏口の階段に腰掛けた。主役が不在のパーティーはこのまま勝手に終わるのだろう。今回もまた、一つも楽しくなかった。
「湊」
遙の声が聞こえた気がした。顔を上げて、立ち上がる。姿はどこにもない。
「湊!」
ふと見上げる。そこには。
「遙!」
バルコニーから顔を出した遙が手を振っている。瞬時に湊はその場から駆け出した。人波をかき分けて、走って走って、階段を駆け上がった。そこには湊を待ち構えている遙がいて、不覚にも泣きそうになった。そのままの勢いで抱きつく。
「み、湊、みんなに見られるよ」
「見せつけたら良いよ」
「えぇ」
遙は戸惑っていたけれど、湊の背中にそっと腕を回してくれた。オーケストラの音楽は最後の盛り上がりを迎える。湊は一度遙をぎゅっと抱きしめて、それから体を離した。
「遙、お願いがあるんだ」
「え、なに」
「ラストダンス、一緒に踊ってよ」
「俺、踊れないよ。踊ったことない」
「大丈夫。こんなの割と適当なんだから」
遙の手をとり、体はなるべく近づける。遙は戸惑いがちに姿勢を正した。遙と湊らしく踊れば良いのだ。一歩踏み出すと遙の動きは信じられないほどぎこちなくて、そこがまた湊の心をくすぐる。
「俺ね、湊と離れようと思ったんだ」
「はっ!?」
この期に及んで何を言い出すのだろう。信じられなくて遙を見ると、彼は静かに言葉を続ける。
「でもね、無理みたい」
「そんなの当たり前でしょ」
「湊の隣には綺麗な女の子がよく似合う。でも」
遙はそこで言葉を切ると、一度目を伏せた。それから覚悟を決めたように視線を上げる。
「俺じゃないとだめ」
全身に鳥肌がたった。一気に込み上げるものを必死で抑える。
「そうだね。遙じゃないと」
「うん」
「他の誰でもだめなんだ。やっと気づいてくれたね」
湊にとっても、今になってわかったことがある。湊はずっと不安だったのだ。手に入ったと思いたいのに、ふとどこかへ消えてしまいそうな予感。それがやっと打ち砕かれた気がした。
「ねえ、湊」
「ん?」
「そろそろ、歌おうかな?」
「歌うって?」
「ハッピーバースデーの歌。最高のやつ」
照れたように言われたら、断るわけにはいかないだろう。でも。
「まずはラストダンスを最後まで」
湊がそう言うと、遙は満面の笑みで頷いた。
遠くにいる父親と目があった気がする。親族や来賓にも見られているのかもしれない。その全てがどうでも良かった。目の前にいる遙を一番大切にしたい。それだけを思って、湊は踊り続けた。



