晴れの日にビニール傘

『久方(ひさかた)大樹(たいき)がずぶ濡れで、鬼の形相をしながら校舎を走り回っていた』という噂は、翌日には校内中の知るところとなり、流石の生徒指導の教師陣も、下剋上か、校内抗争かと朝から気を使い、「昨日はどうした?」「風邪引かなかったか?」と、おはようの挨拶に気遣いが添えられた。

 体育館に続く校舎裏の道は普段から人通りが少ない上に、今日は勝手に人が避けてくるから尚更歩きやすい。

「俺が何かしたわけじゃないだろうに」

 成長期を終えた中学の頃には既に筋肉質だった体躯に、生まれつき狭い額と細い眉は、不良マンガの主人公さながらで、自分でも「高校のテッペン取る」とでも言うのがお似合いだと毎朝鏡を見るたびに思っている。
 実際、そこまでお行儀がいい方ではないが、他校と喧嘩だとか、教師に殴り掛かるとか、そんなことをしたことは一度もない。多少の遅刻と、多少のサボり、あとは勝手にビビった連中があれこれ代わりにやってくれるのを良しとしている程度。

「あいつ、まじで毎日なのか」

 昨日と同じ花壇の前に、ビニール傘が咲いている。

「おい、今日も雨降んのか?」

 しゃがんだままの体が、器用に上半身を捻りながら、ピョンと跳ねてこちらを向いた。

ーーカエルか。

「待ってれば降るよ」

「あれは雨じゃなくて、つーか、いじめられてんのか、お前」

 自分に言われてるとは微塵も思っていない顔でじーっと見返してくる。
 拍子抜けしながら、顎でお前だよと促すと、やはり怪訝な顔をした。

「いじめられてないけど」

「毎日バケツで水掛けられてたら普通はいじめだろ。まぁ、しょーもない嫌がらせだけどな」

「水は、花壇に撒いてくれてるから、助かってるよ」

 どこまでも真っ直ぐな様子に、呆れて肩を落とした。要件だけ済まそうと、膝を折って目線を合わせた。距離を詰めすぎて、ビビらせたら悪いなと思って少し離れたが、こいつは微動だにしない。ただ、じっとこちらを見ているだけだった。

「昨日の、バケツの3人組、あいつらの名前とクラス、教えろ」

「なんで?」

「俺に水ぶっ掛けたんだから、取り敢えず詫び入れさせる」

「雨降るよって教えたじゃん。言うこと聞かないのが悪いよ」

 まただ。いや、昨日よりずっと、最早幼子をあやすような言い方。それより何より、何故、こいつはあいつらを庇っているのか、理解が及ばない。
 当惑が眉間の皺になって現れる。いかんいかんと、指先で眉間と、続けてこめかみを解して表情を戻す。

「お前は教えてくれたのかもしれねぇけど、あいつら、確認せずに雨降らしたろ?んで、悪いことしたから逃げてったよな?」

「確かに……悪いことしたから逃げたのか。そうだね、君にごめんなさいしないとイケないね」

 小さい子どもに説教を垂れるような言い回しを互いにし合っていることが歯がゆい。どうしたってズレているのはこいつの方だと確信しているのに、自分が悪かったんだろうかと心のどこかで思ってしまう不思議な空気が流れている。

「で、何組の誰だ」

「同じクラス。名前は……佐藤、鈴木、高橋」

「苗字、多い順に並べたか?もうちょい捻って嘘つけ。あ?」

「覚えてない。話したことないし」

「そ?」

 溜め息に合わせて項垂れた。じゃぁなんでいじめられてんだとか、クラスでどうしてんだとか、聞きたいことは山ほど湧いて出たが、どれも面倒の方が大きそうに思える。
 こいつの空気に飲まれるのは、癪だった。

「わかった。じゃぁ、お前は何年何組の誰だ」

「2年1組、雨宮(あめみや)(わたる)

「特進か、頭いいんだな。俺は久方(ひさかた)大樹(たいき)。7組」

「え、あ……うん」

「なんだ、え、あ、うん、って。覚えろ」

 詰め寄ろうとしたところで、遠くから制止の声がかかる。
 慣れたこととはいえ、ほとほと呆れ果てる。

「久方、何やってんだ。イジメじゃないだろうな?」

「んなガキみてぇなことしねぇって」

「そうだな」

 端から疑っていないのならもう少し声の掛け方があるだろうと思う。そういう信用はあるんだろう。ただ、教師という仕事の条件反射か何かで、根暗そうな生徒とイカつい生徒がいれば声を掛ける。

「言っとくけど、割と俺、優等生じゃん」

「優等生は無遅刻無欠席、勉学に部活に打ち込んでるやつを言うんだよ。あー、なんだ、雨宮も、晴れてる日は傘しまえ」

 一瞬、名前が出て来なかったな、と思った。教師も人間だ。何もなければ、名簿以上のことは記憶されない。

「雨、降るんで」

「そんな予報だったか?」

「センセ、違う違う。この後、2階からバケツ1杯、土砂降りんなんの」

「何だ、それは」

「俺もよく知らねぇ」

 親指で雨宮を指す。教師が一瞥して、軽く溜め息をついた。

「用がないなら下校しなさい。久方、うちは部活は必修なんだからな」

「俺が帰宅部してんのは、不可抗力。んで、俺だけじゃなくてこいつにも言えよ」

「僕、園芸部入ってるよ。悪いのは久方くんだけ」

「だそうだ。帰宅部ならほっつき歩いてないでサッと帰宅しなさい」

 重大な問題はないと判断したのか、教師はそのままゆったりとした足取りで校舎の方に戻っていく。背中を見送りながら「何だかなぁ」とボヤくと「何だったんだろ」と下から声がした。
 初めて、会話が噛み合った。

「絵面の問題だろ」

「何?」

「晴れの日に傘差してる変なやつが、メンチ切ってる不良生徒に絡まれてるように見えたんだろ」

「そんなことないけど」

 会話が続いたことが可笑しかった。
 ガキの頃に河川敷で見つけた猫に、放課後、給食のパンを持って行った時のアレに似ていた。

「はいはい、雨降るんだもんな」

「じゃなくて」

「何?」

「不良にも絡まれてない」

「は?」

「アシタバみたいで可愛いと思うよ」

 面食らった。
 こいつはいじめられてもいないし、目の前にいるコワモテの男は、不良どころか可愛いと来た。
 腹を空かせていると思って持って行ったパンは、ずっと猫パンチを繰り返され、食うわけでもなくずっとオモチャにされた。

「え?不良なの?」

「違う、違わないか?いや、どうだろうな、不良ではないか」

 一人でに笑いが込み上げてくる。
 勝手に不良扱いをされ続けて慣れてしまったからか、いつの間にか自認不良になっていた。高校のテッペンなんて目指したこともなければ、喧嘩もカツアゲもしたことはない。
 一頻り大笑いして、ちょっと息が苦しくなる。
 肩で息をしながら、雨宮の傘をデコピンで押し上げると、簡単に仰け反って転びそうになっていた。まだ、笑いが収まらないまま、倒れそうな雨宮を傘の束を握って引き戻してやる。

「お前、ズレてて面白いな」

 バランスを取り戻した雨宮は、変わらず怪訝そうな表情を浮かべたまま、ただじっとこちらを見ている。

「園芸部ってみんなそんな?」

「部員、僕だけ」

「部じゃねぇじゃん、って、あぁ、あれか、チャリ置きのポスター、雨宮書いたのか」

『園芸部 部員募集 参加自由 名義貸し歓迎』

「名義貸し、歓迎なんだよな?」

「え?」

「俺、入るわ」

「なんで?」

 理由なんてよくわからない。
 ただ、少し面白くて、少し肩が軽い。バランスを崩して尻餅をついた後、周りの目を気にしながら、はにかんで起き上がるときみたいな、気恥ずかしのお陰で他のあれやこれやが頭からすっぽりと抜け落ちた無敵状態みたいな浮遊感があった。

「晴れてる方が好きだから」

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