静まり返った家の中、会話の切り口がわからなくて「おいで」と言う言葉に静かに従って、彼の部屋について行った。
「「あのさ」」
声が重なって、やっと視線を合わせた。数日しか離れていないのに久しぶりに顔を見た気がする。ちゃんと眠れていないのか、目元にクマができている。目元にかかった前髪を掬って無意識にその目の下を触ってしまった。
「体調大丈夫?」
「うん」
「ごめんね。僕のせいで風邪ひかせて」
「月宮のせいじゃないよ。俺が悪い。ちゃんと言葉にできなくて、嫌な思いさせたよな」
「僕も一人で怒って鬼屋敷のこと置き去りにして……友達じゃないって言われたの嫌だったから」
「ごめんね。俺すげー月宮のこと好きだからさ、友達としてしか見られてないのが嫌だったのかも。頭では分かってたんだよ。友達としか思ってなかったら抱きしめられたら嫌だろうし、キスだって受け入れてもらえないから、月宮も俺と同じ好きだって分かってたけど、試すようなことした。月曜の昼小山に呼ばれた時も、絶対に月宮は怒られてほしくなかったし、俺と同じって思われてほしくなかった」
いつものように、想いを伝えるように指先を絡め合う。互いに許し合うように、寄り添い合うように。
「うん」
「俺と一緒にいることで、月宮が今まで頑張って築き上げてきたものを壊しちゃうのが何より怖かった。一緒にいたいって気持ちより、月宮が幸せに生きる方が大事だから。臆病でごめん」
「僕の方こそ。鬼屋敷の気持ち勝手に勘繰って、隣にいたいから友達って言い張って。でも、へへ、鬼屋敷僕のことそんなに好きなんだ」
自然と笑みが溢れた。僕のことを一番に考えてくれていて、一番大事だから守ろうとしてくれていたことがわかって嬉しかった。
「そうだよ、嫌いになった?」
「なるわけないよ。一生嫌いになんてならない。それに、僕もなりふり構ってられないくらい好きだよ」
笑いかければ、鬼屋敷はほっとしたように微笑んだ。僕はその緩く弧を描く唇に、少し背伸びをしてキスをした。
「月宮」
「なに?」
「俺の、恋人になってください」
額をくっつけたまま、まっすぐな瞳が僕を見据えている。
「うん。なりたい」
少しだけ声が震えて上擦った。鬼屋敷が息を漏らして僕を強く抱きしめる。背中がしなる程に思い切り抱きしめられて慌てて彼を支えるように腰に腕を回した。
「やば、腰抜けそう。カッコつかなすぎ」
お互いしていたであろう緊張が一気に解けてしまって、二人してベッドに体を預けた。
「寝れてなかったの?目の下クマできてる」
「うん。目を閉じるとさ、月宮が泣いてる顔が浮かんできてさ」
「っ別に泣いてない」
「そう?別れた後も気が気じゃなくて、追いかけていくべきだったなとか、ちゃんと月宮電車乗ったよなとか、風邪ひかないかなとか、ずっと雨ん中考えてたら俺が風邪引くし、悪夢ってより凄い後悔の夢ばっかり見てさ。俺に向けられた最後の顔が」
「ごめんね、心配かけて」
「月宮もずっと俺のこと気にしてくれてたんだろ?」
「うん」
「ほんと言葉足りなかったよな」
「あ、そういえば教科書」
言葉というワードに、机の中から無くなっていた教科書の行方を聞いた。
「ここにあるよ」
そう言って枕元から教科書を鬼屋敷が引き寄せた。
「教室から無くなってたから、本当に愛想尽くされたのかと思った。連絡手段これしか無かったし」
「火曜日帰る時に、俺も月宮からなんかメッセージ来てないかなって確認してて、そのまま持って帰っちゃった。俺たちの唯一の繋がりを持ってたくて……ここに書いてある月宮の文字全部覚えてるよ」
「勉強のために持ち帰ったって言えばいいのに」
ふい、と視線を逸らしてもまた、磁石のように引き寄せられてしまう。
「連絡先……欲しいんだけど。っ今日だって、ありささんの方が先で一番じゃ無かったし、絆創膏だって……何かあったらすぐ教えて欲しいし、鬼屋敷の一番になりたい」
「交換しよ、今すぐしよ」
「なんでもっと早くしなかったんだろうね」、そう鬼屋敷は笑ったが、連絡先を交換しなかった理由なんてきっと鬼屋敷だってわかっているはずだ。じゃなきゃこんなに大事に教科書を枕元に置いておくはずがないから。教科書を通したあの時間が何よりもドキドキして幸せで楽しかったのは僕だけじゃなかったから。
「俺からも一つお願い良い?」
「なに?」
「月宮のこと下の名前で呼びたい。俺のこともさ、はるかって呼んで?つか、ありさの前ではるかくんって呼んでたよな?先越されるとかショックだった」
「ありささんって、誰?」
「え?」
「え?」
「ありさ、自分のことなんも言わないで喋ってたの?」
「うん。勢いに押されて」
なんとなく想像がつくけど、今日ずっと気になっていたからこのタイミングで聞いてしまった。鬼屋敷は少し顔を顰めてから「もー困らせんなよ」と起きれたように呟いた。
「ありさは俺の叔母で、前も言ったかも知れないけど親がいない時いつも面倒見てくれててさ。ここ三日くらい連絡返さなかったら家に突撃してきた。すげぇお喋りで余計な事しか言わないけど、良い人だよ」
「やっぱり」
「気づいてた?」
「確信はなかったけど、顔似てるなぁって思ってた。凄い綺麗なお姉さんだね」
「直接言ったらすげぇ喜ぶだろうなぁって、俺より好きにならないでよ」
拗ねた顔をしておどける鬼屋敷の鼻を摘んだ。
「なるわけないじゃん。でも良い家族だね」
「そうかも」
鬼屋敷は笑ってそう言った。
「なー話逸れちゃったけど、俺の名前呼んで?」
期待に満ちた目で見つめられると、こんなにも名前を呼びにくいものなのか。それとも、名前の呼び方に大事な意味があるからだろうか。
「……はるか」
「うん。もう一回」
「はるか」
好きっていうより恥ずかしくて、鬼屋敷の胸に顔を埋めれば、頭をぎゅっと抱きしめられた。
「まどか」
「なに」
呼ばれるのもソワソワして落ち着かない。ありささんに呼ばれた時はこんな気持ちにならなかったのに。
「ずっと呼びたかった。楠木達も下の名前で呼ばないもんな?すげぇ優越感」
「なんで知ってんの?」
驚いて鬼屋敷の腕の間から顔を出した。
「あー、火曜日かな、一年に一回提出する部活の在籍届出しに部活顔出したらさ、部長が楠木に変わってて、思わず楠木って名前呼んだらなんで知ってるんだってすげぇ不審がられて」
「すごく楠木の表情の想像がつく」
「はは、そしたらすぐに月宮との関係聞かれてさ、最近様子がおかしいのはお前のせいかーって。俺すげぇびくりして挙動不審になっちゃったけど、俺たちのこと知ってんの?」
思い当たる節はある。楠木は洞察力が凄いがそれ以上に空気を読む力が凄い。楠木が金曜日に僕を見た、とか、今日も風邪の話を鬼屋敷と結びつけて話してくれたのは探りを入れるのと同時に僕たちをさりげなくフォローしてくれていたのだろう。
「知らないと思うけど、勘づいてはいて、きやし……はるかが風邪ひいてるって教えてくれたのも楠木だよ。あ、あと鬼屋敷謹慎処分説が流れてるらしい」
侮れない男だと思う。
「まじ?でも楠木様様ってわけだ」
「そういうこと」
「すげぇ良い友達だね」
「うん」
「俺さ、頑張るよ。まどかの隣歩いてて後ろ指さされたりしないようになりたい。なるべく校則は守るし、まどかと同じ大学は無理だとしても近くのとこ通えるくらい勉強頑張ってさ、一緒に暮らしたい」
「ほんとに?」
「ほんと。ゆくゆくはさ、まどかのご家族に挨拶して、息子さんと一緒にいさせてくださいって言いに行くでしょ?そん時断られないようにも今からちょっとずつ頑張んのよ」
さらさらと、僕の後頭部の髪を鬼屋敷が弄りながら言う。
「それは多分大丈夫」
「まじ?」
「うん。僕の大好きな人だから」
「はは、なにそれ」
「好きな人と一緒にいるって『僕の幸せ』だから。やっぱり普通の幸せっていうのは分からないし、それが本当に僕に必要なのかも分からない。だけど、こうやって遥と一緒にいられるのが、僕の毎日を特別にしてくれるし、何にも変えられない幸せだから、大丈夫」
「まどか」
「んわっ」
抱き枕のように全身を鬼屋敷に抱き締められて、身体が彼の中に沈んでいくようだった。
「大好きだよ。出会ってくれてありがとう」
胸の振動と共に降りかかる低い声が心地よかった。
眠るまで話をしよう。
将来よりちょっと近い未来の話。夏休みに一緒にしたいこと。
冷房を効かせた部屋でアイスを食べながら気になってはいたけどまだ観ていない映画を観る。夏祭りに行く。手持ち花火をする。海とか水族館に行く。電車に乗って遠出する。二人だけで旅行に行きたいし、家に一日籠るのも捨てがたい。
少しずつ、話す声がゆっくりになって途切れていく。
「この夏だけじゃ足りないね」
「この先の夏全部にまどかがいて欲しいから、予約」
微睡んだ鬼屋敷が僕に手を差し伸べた。軽く握られた手の小指に自分の小指を絡ませる。
「目が覚めたら名前を呼んで」
「夢じゃないって僕に笑って」
数時間後の約束をし合って、鬼屋敷は安心したように眠りについた。その綺麗な寝顔を僕は長い間見つめた。
それから、世界史の教科書のページを開いて机の上に転がっていたシャープペンを手に取った。
《月曜日、いつもの時間にいつもの場所で。》
次の世界史の授業でこのページを開くのが楽しみになるように。
「「あのさ」」
声が重なって、やっと視線を合わせた。数日しか離れていないのに久しぶりに顔を見た気がする。ちゃんと眠れていないのか、目元にクマができている。目元にかかった前髪を掬って無意識にその目の下を触ってしまった。
「体調大丈夫?」
「うん」
「ごめんね。僕のせいで風邪ひかせて」
「月宮のせいじゃないよ。俺が悪い。ちゃんと言葉にできなくて、嫌な思いさせたよな」
「僕も一人で怒って鬼屋敷のこと置き去りにして……友達じゃないって言われたの嫌だったから」
「ごめんね。俺すげー月宮のこと好きだからさ、友達としてしか見られてないのが嫌だったのかも。頭では分かってたんだよ。友達としか思ってなかったら抱きしめられたら嫌だろうし、キスだって受け入れてもらえないから、月宮も俺と同じ好きだって分かってたけど、試すようなことした。月曜の昼小山に呼ばれた時も、絶対に月宮は怒られてほしくなかったし、俺と同じって思われてほしくなかった」
いつものように、想いを伝えるように指先を絡め合う。互いに許し合うように、寄り添い合うように。
「うん」
「俺と一緒にいることで、月宮が今まで頑張って築き上げてきたものを壊しちゃうのが何より怖かった。一緒にいたいって気持ちより、月宮が幸せに生きる方が大事だから。臆病でごめん」
「僕の方こそ。鬼屋敷の気持ち勝手に勘繰って、隣にいたいから友達って言い張って。でも、へへ、鬼屋敷僕のことそんなに好きなんだ」
自然と笑みが溢れた。僕のことを一番に考えてくれていて、一番大事だから守ろうとしてくれていたことがわかって嬉しかった。
「そうだよ、嫌いになった?」
「なるわけないよ。一生嫌いになんてならない。それに、僕もなりふり構ってられないくらい好きだよ」
笑いかければ、鬼屋敷はほっとしたように微笑んだ。僕はその緩く弧を描く唇に、少し背伸びをしてキスをした。
「月宮」
「なに?」
「俺の、恋人になってください」
額をくっつけたまま、まっすぐな瞳が僕を見据えている。
「うん。なりたい」
少しだけ声が震えて上擦った。鬼屋敷が息を漏らして僕を強く抱きしめる。背中がしなる程に思い切り抱きしめられて慌てて彼を支えるように腰に腕を回した。
「やば、腰抜けそう。カッコつかなすぎ」
お互いしていたであろう緊張が一気に解けてしまって、二人してベッドに体を預けた。
「寝れてなかったの?目の下クマできてる」
「うん。目を閉じるとさ、月宮が泣いてる顔が浮かんできてさ」
「っ別に泣いてない」
「そう?別れた後も気が気じゃなくて、追いかけていくべきだったなとか、ちゃんと月宮電車乗ったよなとか、風邪ひかないかなとか、ずっと雨ん中考えてたら俺が風邪引くし、悪夢ってより凄い後悔の夢ばっかり見てさ。俺に向けられた最後の顔が」
「ごめんね、心配かけて」
「月宮もずっと俺のこと気にしてくれてたんだろ?」
「うん」
「ほんと言葉足りなかったよな」
「あ、そういえば教科書」
言葉というワードに、机の中から無くなっていた教科書の行方を聞いた。
「ここにあるよ」
そう言って枕元から教科書を鬼屋敷が引き寄せた。
「教室から無くなってたから、本当に愛想尽くされたのかと思った。連絡手段これしか無かったし」
「火曜日帰る時に、俺も月宮からなんかメッセージ来てないかなって確認してて、そのまま持って帰っちゃった。俺たちの唯一の繋がりを持ってたくて……ここに書いてある月宮の文字全部覚えてるよ」
「勉強のために持ち帰ったって言えばいいのに」
ふい、と視線を逸らしてもまた、磁石のように引き寄せられてしまう。
「連絡先……欲しいんだけど。っ今日だって、ありささんの方が先で一番じゃ無かったし、絆創膏だって……何かあったらすぐ教えて欲しいし、鬼屋敷の一番になりたい」
「交換しよ、今すぐしよ」
「なんでもっと早くしなかったんだろうね」、そう鬼屋敷は笑ったが、連絡先を交換しなかった理由なんてきっと鬼屋敷だってわかっているはずだ。じゃなきゃこんなに大事に教科書を枕元に置いておくはずがないから。教科書を通したあの時間が何よりもドキドキして幸せで楽しかったのは僕だけじゃなかったから。
「俺からも一つお願い良い?」
「なに?」
「月宮のこと下の名前で呼びたい。俺のこともさ、はるかって呼んで?つか、ありさの前ではるかくんって呼んでたよな?先越されるとかショックだった」
「ありささんって、誰?」
「え?」
「え?」
「ありさ、自分のことなんも言わないで喋ってたの?」
「うん。勢いに押されて」
なんとなく想像がつくけど、今日ずっと気になっていたからこのタイミングで聞いてしまった。鬼屋敷は少し顔を顰めてから「もー困らせんなよ」と起きれたように呟いた。
「ありさは俺の叔母で、前も言ったかも知れないけど親がいない時いつも面倒見てくれててさ。ここ三日くらい連絡返さなかったら家に突撃してきた。すげぇお喋りで余計な事しか言わないけど、良い人だよ」
「やっぱり」
「気づいてた?」
「確信はなかったけど、顔似てるなぁって思ってた。凄い綺麗なお姉さんだね」
「直接言ったらすげぇ喜ぶだろうなぁって、俺より好きにならないでよ」
拗ねた顔をしておどける鬼屋敷の鼻を摘んだ。
「なるわけないじゃん。でも良い家族だね」
「そうかも」
鬼屋敷は笑ってそう言った。
「なー話逸れちゃったけど、俺の名前呼んで?」
期待に満ちた目で見つめられると、こんなにも名前を呼びにくいものなのか。それとも、名前の呼び方に大事な意味があるからだろうか。
「……はるか」
「うん。もう一回」
「はるか」
好きっていうより恥ずかしくて、鬼屋敷の胸に顔を埋めれば、頭をぎゅっと抱きしめられた。
「まどか」
「なに」
呼ばれるのもソワソワして落ち着かない。ありささんに呼ばれた時はこんな気持ちにならなかったのに。
「ずっと呼びたかった。楠木達も下の名前で呼ばないもんな?すげぇ優越感」
「なんで知ってんの?」
驚いて鬼屋敷の腕の間から顔を出した。
「あー、火曜日かな、一年に一回提出する部活の在籍届出しに部活顔出したらさ、部長が楠木に変わってて、思わず楠木って名前呼んだらなんで知ってるんだってすげぇ不審がられて」
「すごく楠木の表情の想像がつく」
「はは、そしたらすぐに月宮との関係聞かれてさ、最近様子がおかしいのはお前のせいかーって。俺すげぇびくりして挙動不審になっちゃったけど、俺たちのこと知ってんの?」
思い当たる節はある。楠木は洞察力が凄いがそれ以上に空気を読む力が凄い。楠木が金曜日に僕を見た、とか、今日も風邪の話を鬼屋敷と結びつけて話してくれたのは探りを入れるのと同時に僕たちをさりげなくフォローしてくれていたのだろう。
「知らないと思うけど、勘づいてはいて、きやし……はるかが風邪ひいてるって教えてくれたのも楠木だよ。あ、あと鬼屋敷謹慎処分説が流れてるらしい」
侮れない男だと思う。
「まじ?でも楠木様様ってわけだ」
「そういうこと」
「すげぇ良い友達だね」
「うん」
「俺さ、頑張るよ。まどかの隣歩いてて後ろ指さされたりしないようになりたい。なるべく校則は守るし、まどかと同じ大学は無理だとしても近くのとこ通えるくらい勉強頑張ってさ、一緒に暮らしたい」
「ほんとに?」
「ほんと。ゆくゆくはさ、まどかのご家族に挨拶して、息子さんと一緒にいさせてくださいって言いに行くでしょ?そん時断られないようにも今からちょっとずつ頑張んのよ」
さらさらと、僕の後頭部の髪を鬼屋敷が弄りながら言う。
「それは多分大丈夫」
「まじ?」
「うん。僕の大好きな人だから」
「はは、なにそれ」
「好きな人と一緒にいるって『僕の幸せ』だから。やっぱり普通の幸せっていうのは分からないし、それが本当に僕に必要なのかも分からない。だけど、こうやって遥と一緒にいられるのが、僕の毎日を特別にしてくれるし、何にも変えられない幸せだから、大丈夫」
「まどか」
「んわっ」
抱き枕のように全身を鬼屋敷に抱き締められて、身体が彼の中に沈んでいくようだった。
「大好きだよ。出会ってくれてありがとう」
胸の振動と共に降りかかる低い声が心地よかった。
眠るまで話をしよう。
将来よりちょっと近い未来の話。夏休みに一緒にしたいこと。
冷房を効かせた部屋でアイスを食べながら気になってはいたけどまだ観ていない映画を観る。夏祭りに行く。手持ち花火をする。海とか水族館に行く。電車に乗って遠出する。二人だけで旅行に行きたいし、家に一日籠るのも捨てがたい。
少しずつ、話す声がゆっくりになって途切れていく。
「この夏だけじゃ足りないね」
「この先の夏全部にまどかがいて欲しいから、予約」
微睡んだ鬼屋敷が僕に手を差し伸べた。軽く握られた手の小指に自分の小指を絡ませる。
「目が覚めたら名前を呼んで」
「夢じゃないって僕に笑って」
数時間後の約束をし合って、鬼屋敷は安心したように眠りについた。その綺麗な寝顔を僕は長い間見つめた。
それから、世界史の教科書のページを開いて机の上に転がっていたシャープペンを手に取った。
《月曜日、いつもの時間にいつもの場所で。》
次の世界史の授業でこのページを開くのが楽しみになるように。

