「月宮お前土曜の模試来なかったな」
「あー忘れちゃった」
「受験勉強命のお前が?忘れちゃった?」
月曜日の昼休み。椅子の背もたれに肘を置いて菓子パンの袋を開けた柳瀬が
大袈裟に驚いた。
「月宮風邪でもひいたのかと思った」
僕の隣に腰掛け、弁当の包みを黙々と開く楠木が続けてそう言った。楠木は大食いで、毎日持ってくる弁当箱が異様に大きい。それを残さず完食するものだから細い体のどこに収まっているのか不思議でならない。
「だよな?つか、メッセージに返信くらいしろよ。二日間未読スルーされたら傷つくってか心配になんじゃん」
「ごめんって。気をつける」
「じゃあ本当の理由教えてよ。模試なんかより大事な用があったんじゃないの?」
好奇心いっぱいの目をして柳瀬が顔を乗り出してくる。彼のくるりとした髪が今日はいつもより巻かれているからきっと雨が降るだろう。部屋の換気で開かれた窓からじっとりとした空気が流れてきているし、青空の奥には雨を降らしそうな雲がスタンバっている。
「別に何もないって」
「本当かぁ?なーんか隠してる気がすんだよな」
隠してるっていうか、言えるわけがないじゃんか。関わらない方が良いって言ってた相手と夜の学校に忍び込んで、そのまま泊まらせてもらって、好きって言い合ってキスして……。そんなこと赤裸々に話したら僕じゃなくて柳瀬が百面相しながら気を失ってしまうだろう。だから、隠しているのではなくて、柳瀬のことを思って言わないでいる、ということにしたい。
「あ、そういえば金曜日塾の帰り俺月宮見たよ」
「え?」
──何時に?どこで?僕だけ?それともっ……
口から出かける言葉を全て飲み込んで、メガネをクイと上げながらすまし顔で咀嚼している楠木の方へ素早く首を向けた。楠木の言葉に僕が何を返しても墓穴を掘るだけ、圧倒的不利な状態になってしまった。察する事のできる楠木にバレてしまったのなら仕方がないと思うことができるがやっぱり柳瀬には気づかれたくない。
楠木が次何をいうか興味津々の柳瀬を横目に見て、「何も言わないでくれ」と言わんばかりの懇願の視線を祈るように楠木に向けた。
その時。
『えー、二年五組鬼屋敷遥。二年五組鬼屋敷遥。至急生徒指導室まで来なさい。繰り返します。二年五組鬼屋敷遥──』
賑やかだった昼休みの教室が一瞬静まり返り、皆がスピーカーを見た。そしてしばらくしてまたざわめき出す。
「ウエーまた鬼屋敷じゃん。何やらかしたんだろな」
「やらかしとは限らないけどな」
「いや、生徒指導室への呼び出しは十中八九お説教だろ。全校生徒の前で呼び出されんのやだなー」
二人の会話に入れない。まるで自分が呼び出しされたような気持ちだった。口の中に入ったままのサンドイッチを揉み込むことができない。何をやらかしたかって、そんなの心当たりが多すぎる。
「どうした、月宮?」
「……ごめんトイレ行ってくる」
断りを入れて僕は生徒指導室へと向かった。世界史の教室と同じく生徒指導室もここから距離があるから、早く歩きたいのに足が重くて思うように動かない。
十中八九お説教。柳瀬の声が頭の中でこだました。どう考えたって、金曜日に学校に不法侵入した件だろう。帰る時、僕たちの姿は見回りの人にバレている。鬼屋敷は何度か見つかっているって言ってたから、教員に話がいけば怪しまれるのは彼だろう。それにライトで照らされてしまったから見た目もきっとバレている。二人でいたことも報告されているだろう。長身の金髪ってだけできっと鬼屋敷はヒットしてしまうが、僕はどうだろう。僕だとすでにわかっているのだろうか。
それにしてもなんで僕はこんなに急いで生徒指導室に向かっているのだろうか。
多分、教室でじっとしているのが正解なのだ。僕は鬼屋敷と関係がないってフリをすれば怒られることはない。それに、万が一、僕の名前が上がったとしても証拠は無い。たとえ鬼屋敷が一緒にいたのは僕だと供述したとして、それを僕が否定した場合、生徒指導の教師は僕の言ったことを信じてしまうだろう。僕の言葉が嘘か本当かなんて確かめもせずにそう決めつけてしまうのだろう。
そして僕はそれが嫌なのだ。鬼屋敷だけ怒られてしまうのが嫌だ。「共犯」だって笑い合ったのが忘れられない。嬉しかったから。鬼屋敷が一人で責任を背負うことだけはしてほしくないから。
少し息を切らしながら指導室の前で足を止めた。鬼屋敷のダルそうな声と、怒鳴るような教師の声が聞こえる。体育を担当している小山先生だ。とても厳しくて女子が何人か泣かされているけれど、真面目な生徒には甘いところがある。僕のクラスの副担任でもあるから他の科目の先生に比べて多少会話したことはある。だからと言って、僕は先生に何を言うつもりなのだろう。何を言えば良いか考えてなかったが、自首をするのが早いと思った。僕がやったって言えば、鬼屋敷がこれ以上責められることは無くなると踏んだからだ。
「っだーかーらぁ!見間違いだっつてんだろ?金曜は俺一人だったって言ってんじゃん」
「二人見たって証言があんだよ。お前は何を庇ってるんだ?らしくもない。お前これ以上ここに呼ばれたら謹慎にするって約束前にしたよな?」
「覚えてねー。まぁ、したきゃ勝手にすれば??俺を謹慎にして済むんだったらもう話は終わりだな」
扉のすぐ近くで聞き耳を立てていると勢いよく戸が開いた。ギロ、と冷たい視線が降りかかる。そして僕であると認識した瞬間にその目は大きく見開かれた。
「おい、立ち止まってどうした?言う気にでもなったか?言うならさっきの話取り消してやっても良いが」
「せ、先生」
「月宮?どうした」
鬼屋敷を追って席を立ったのであろう小山先生が僕を見て声のトーンをあからさまに上げてそう言った。
「あの、金曜日っ」
そこまで言って声が跳ねる。鬼屋敷が先生の見えないところで僕の腕を強く握ったからだ。言葉を止めるかのように。
「金曜……話を聞いてたのか?おい、鬼屋敷もしかしてお前月宮と友達」
「ツキミヤ?知らねぇんだけど。友達?俺がこいつと?はは、残念ですけどこんな真面目そうで上品なオトモダチは俺にはいませんよ」
話を遮るように冷ややかに放ち、鬼屋敷は僕を見て鼻で笑った。
「あぁ、まあそうだよな。疑ってすまん月宮」
小山先生はしどろもどろに僕に謝った。謝る相手は僕ではない。
「じゃもうこの話は終わりな。俺戻るから。……月宮くんも俺と一緒にいると勘違いされちゃうから早く戻りな」
「おい何勝手なことを……!」
鬼屋敷はするりと僕から手を離して小山先生の慌てた声を華麗に無視して階段の方へと歩いて行った。
鬼屋敷は今僕になんて言った?
僕と友達ではないと、そう言った。大きなショックを受けると思考が停止して固まってしまうのだと、今初めて知った。息がうまくできない。取り残された僕はまっすぐに小山先生を見ているはずなのに、世界が少しずつ傾いて回転を始めた。
「悪い、月宮。俺に何か用だったか?」
「え?あぁ……忘れました」
「顔色悪いけど大丈夫か?」
「はい……あの、鬼屋敷はどうなるんですか。扉開ける前、謹慎と聞こえたんですけど」
「あーあの問題児な。なんか今回は誰かと一緒に悪さしてたらしいけど口を割らないんだ。この後の教員会議で詳しいことは決まるだろうが……鬼屋敷と連むなんて相手も何を考えてんだか。月宮お前も友達は選べよ。お前にはみんな期待してるんだから、人付き合いで無駄にすんなよ」
一番言われたくないことをあたかも僕のことを思って言っているんだ、と言うような口ぶりで言ってくる。
「言われなくたって、誰と付き合うか自分で決めれます。それに、鬼屋敷は先生が思っているほど悪い人じゃないと思います。……は、話を聞いている限りですけど、友達を庇う思いやりとか優しいとことかあると思います。では僕はこれで」
早口で捲し立てて急いでその場を後にした。心臓がバクバクする。先生に刃向かったのは初めてだった。感情がそのまま言葉に乗ってしまった。それほど言われたことが屈辱だった。先生だけじゃない。鬼屋敷も鬼屋敷だ。いくら鈍感でも鬼屋敷が本心じゃないことくらい理解しているつもりだ。それにしてもだ。あんな冷ややかな目で見られて、少しバカにした口調で、まるで赤の他人みたいな態度を取られたら傷つく。それに僕が生徒指導室に行ったのは共犯であると自供するためだったのに、全ての責任が鬼屋敷一人に行く最悪な守られ方をしてしまった。僕も僕だ。鬼屋敷の嘘を無碍にすることもできず、本当のことも、上手い嘘も付けずに一番下手なことをしてしまった。先生にも鬼屋敷にも僕自身にも腹が立つ。いつも保身に走ってしまう僕が、何より弱くて情けなくて嫌いだ。
とにかく早く鬼屋敷と会って話したい。
次、鬼屋敷に会ったらちゃんと言うのだ。
──って、次っていつ?!
僕はまた頭を抱えた。ごん、と額を机にぶつけて脱力する。気付いたら学校は終わり、なんとなく駅に向かう気になれず塾の自習室に来た。額はヒリヒリと痛むし、静まり返った部屋の中何人かが僕の方を振り返る気配を感じたが気にしている余裕は無かった。
気を取り直して教室に戻り、何も無かったかのように五限の授業を受けた。しかし六限の世界史の授業になると、どうしたって考えてしまう。
机の中の教科書を引っ張り出して新しい文字を探すも見当たらない。連絡先は交換していないまま。この教科書だけしか鬼屋敷と約束をする手段がないのだ。
「友達じゃない」。そう言われた言葉が刺さって抜けない。
そりゃ、僕だって鬼屋敷と友達かと言われたら疑問が残る。彼の事が好きだから。でも、友達以外で僕たちの関係を表す言葉が思いつかない。鬼屋敷も僕の事が好きだって言ってたのに。
金曜日の出来事が古い楽しかった記憶のようにぼんやりと頭の中に浮かんでは消えていく。いっそ、引いていく波が僕の記憶まで奪って行ってくれたらいいのに。
ひとしきり、ひとりでモヤモヤしながら方程式を解いていく。ゴロゴロと遠くの方で雷が鳴りそういえばずっと雨が降りそうだったと思い、鞄を探るが折り畳み傘が見つからない。
夏特有の激しい雨に降られる前に帰宅しようと足早に駅に向かった。
今日は会えないと思っていたから完全に気が抜けていた。
鬼屋敷は僕を待っていた。ベンチの横に自転車が置いてある。姿を見て足を止めればこちらに気づいた彼が足早に駆け寄ってくる。
「月宮!」
鬼屋敷が声を張り上げた。昼のことを思い出して少し怯んでしまう。鬼屋敷が僕のことを友達ではないと思っている方が本心である可能性だって考えてしまっていたから。
「ごめん」
続く言葉はか弱くて、恐る恐る鬼屋敷の顔を見た。また、見たことのない顔をしている。
「なんのこと?」
精一杯の普通を装ったがどうしたって声が震えてしまう。鞄の持ち手を強く握った。
「昼間、月宮に強い言葉使った……本心じゃないけど、俺と一緒にいて月宮が怒られたりすんのは嫌だからさ」
「なに、それ。どういうこと?」
「先生にさ、言われたでしょ。俺と関わんなって」
「知らない」
「先生はさ、俺と一緒にいると月宮がおかしくなっちゃうって思ってるんだよ。俺は誰からも期待されてないけど、月宮は違うから」
「そんなことない!」
今度は僕が声を張り上げた。
「そんなことない。鬼屋敷のおかげで僕はっ……ていうか、鬼屋敷はもっとちゃんと僕と関わってよ。勝手に自分と僕の間に線引いて離さないでよ」
ポツリ、ポツリ、と大粒の雨が神を濡らしていく。けれどそんなこと気にもならなかった。鬼屋敷も同じようで、その場に佇んだまま少し俯いて何か言う訳でもなく僕の言葉を静かに聞いていた。
「今回のことだって、鬼屋敷が全部責任負う必要なんてないじゃんか。僕は僕の意思で鬼屋敷について行ったんだよ?見つかったら一緒、怒られんのも一緒、共犯だって言ったよね」
唇が震える。声が震える。拳に力が入り、唇を噛み締めた。
「僕たち、友達だよね?友達なら、庇うなよ」
「……友達じゃ、ないよ」
その小さな、でも確かな声は雨に掻き消されることもなく僕に届いた。
──なんだよ、なんなんだよ。僕だけ、僕だけがそう思ってたってこと?
「ばか。鬼屋敷のばかっ!」
出したことのない荒い声が出ていた。止みそうにない頬を流れていく熱い雫を雨で誤魔化す。
僕は鬼屋敷の胸をトン、と叩いた。シャツはぐっしょりと濡れていて、その冷たさに触れるだけの力ない抵抗だった。睨むように鬼屋敷を見上げるも、その悲しげな表情に言葉がこれ以上続かない。なんで鬼屋敷がこんな顔をするのか分からない。理解したくない。何も話してくれないのが腹立たしい。
僕だけが浮かれてた。仲良くなれたのが嬉しくて、一緒にいるのが楽しくて、そんな気持ちが自分だけのもので、全部僕の為の偽物だったと言われているようで悔しかった。それ以上に馬鹿馬鹿しく思えてきてしまう。
鬼屋敷の胸に縋るように置いたままになっていた手を下げて、涙を拭った。
近づけたと思ったのに、こんなに鬼屋敷のことが好きなのに。鬼屋敷が僕のことをなんだと思っているのかが分からなくてまた涙が滲んでくる。
いつもだったら僕を追いかけるように腕を掴んでくるのに、僕が欲しい言葉をくれるのに、鬼屋敷は黙ったままただ、雨に濡れている。
何もないのが一番僕を苦しめる。好きの反対は無関心というから。引き下がることしかできなかった。
息を吸うと鼻の奥が震えて上手く吐けない。下手な呼吸と溢れる涙を隠すように俯いてやっとのことで僕は足を進めた。鬼屋敷の横を通って、駅の中に入る。改札を通って階段を登って、ホームに上がる。だんだんと近づいてくる明かりと聞きなれた音に後ろを振り返りたくなる気持ちをグッと抑えた。
早く帰ってしまいたかった。
「あー忘れちゃった」
「受験勉強命のお前が?忘れちゃった?」
月曜日の昼休み。椅子の背もたれに肘を置いて菓子パンの袋を開けた柳瀬が
大袈裟に驚いた。
「月宮風邪でもひいたのかと思った」
僕の隣に腰掛け、弁当の包みを黙々と開く楠木が続けてそう言った。楠木は大食いで、毎日持ってくる弁当箱が異様に大きい。それを残さず完食するものだから細い体のどこに収まっているのか不思議でならない。
「だよな?つか、メッセージに返信くらいしろよ。二日間未読スルーされたら傷つくってか心配になんじゃん」
「ごめんって。気をつける」
「じゃあ本当の理由教えてよ。模試なんかより大事な用があったんじゃないの?」
好奇心いっぱいの目をして柳瀬が顔を乗り出してくる。彼のくるりとした髪が今日はいつもより巻かれているからきっと雨が降るだろう。部屋の換気で開かれた窓からじっとりとした空気が流れてきているし、青空の奥には雨を降らしそうな雲がスタンバっている。
「別に何もないって」
「本当かぁ?なーんか隠してる気がすんだよな」
隠してるっていうか、言えるわけがないじゃんか。関わらない方が良いって言ってた相手と夜の学校に忍び込んで、そのまま泊まらせてもらって、好きって言い合ってキスして……。そんなこと赤裸々に話したら僕じゃなくて柳瀬が百面相しながら気を失ってしまうだろう。だから、隠しているのではなくて、柳瀬のことを思って言わないでいる、ということにしたい。
「あ、そういえば金曜日塾の帰り俺月宮見たよ」
「え?」
──何時に?どこで?僕だけ?それともっ……
口から出かける言葉を全て飲み込んで、メガネをクイと上げながらすまし顔で咀嚼している楠木の方へ素早く首を向けた。楠木の言葉に僕が何を返しても墓穴を掘るだけ、圧倒的不利な状態になってしまった。察する事のできる楠木にバレてしまったのなら仕方がないと思うことができるがやっぱり柳瀬には気づかれたくない。
楠木が次何をいうか興味津々の柳瀬を横目に見て、「何も言わないでくれ」と言わんばかりの懇願の視線を祈るように楠木に向けた。
その時。
『えー、二年五組鬼屋敷遥。二年五組鬼屋敷遥。至急生徒指導室まで来なさい。繰り返します。二年五組鬼屋敷遥──』
賑やかだった昼休みの教室が一瞬静まり返り、皆がスピーカーを見た。そしてしばらくしてまたざわめき出す。
「ウエーまた鬼屋敷じゃん。何やらかしたんだろな」
「やらかしとは限らないけどな」
「いや、生徒指導室への呼び出しは十中八九お説教だろ。全校生徒の前で呼び出されんのやだなー」
二人の会話に入れない。まるで自分が呼び出しされたような気持ちだった。口の中に入ったままのサンドイッチを揉み込むことができない。何をやらかしたかって、そんなの心当たりが多すぎる。
「どうした、月宮?」
「……ごめんトイレ行ってくる」
断りを入れて僕は生徒指導室へと向かった。世界史の教室と同じく生徒指導室もここから距離があるから、早く歩きたいのに足が重くて思うように動かない。
十中八九お説教。柳瀬の声が頭の中でこだました。どう考えたって、金曜日に学校に不法侵入した件だろう。帰る時、僕たちの姿は見回りの人にバレている。鬼屋敷は何度か見つかっているって言ってたから、教員に話がいけば怪しまれるのは彼だろう。それにライトで照らされてしまったから見た目もきっとバレている。二人でいたことも報告されているだろう。長身の金髪ってだけできっと鬼屋敷はヒットしてしまうが、僕はどうだろう。僕だとすでにわかっているのだろうか。
それにしてもなんで僕はこんなに急いで生徒指導室に向かっているのだろうか。
多分、教室でじっとしているのが正解なのだ。僕は鬼屋敷と関係がないってフリをすれば怒られることはない。それに、万が一、僕の名前が上がったとしても証拠は無い。たとえ鬼屋敷が一緒にいたのは僕だと供述したとして、それを僕が否定した場合、生徒指導の教師は僕の言ったことを信じてしまうだろう。僕の言葉が嘘か本当かなんて確かめもせずにそう決めつけてしまうのだろう。
そして僕はそれが嫌なのだ。鬼屋敷だけ怒られてしまうのが嫌だ。「共犯」だって笑い合ったのが忘れられない。嬉しかったから。鬼屋敷が一人で責任を背負うことだけはしてほしくないから。
少し息を切らしながら指導室の前で足を止めた。鬼屋敷のダルそうな声と、怒鳴るような教師の声が聞こえる。体育を担当している小山先生だ。とても厳しくて女子が何人か泣かされているけれど、真面目な生徒には甘いところがある。僕のクラスの副担任でもあるから他の科目の先生に比べて多少会話したことはある。だからと言って、僕は先生に何を言うつもりなのだろう。何を言えば良いか考えてなかったが、自首をするのが早いと思った。僕がやったって言えば、鬼屋敷がこれ以上責められることは無くなると踏んだからだ。
「っだーかーらぁ!見間違いだっつてんだろ?金曜は俺一人だったって言ってんじゃん」
「二人見たって証言があんだよ。お前は何を庇ってるんだ?らしくもない。お前これ以上ここに呼ばれたら謹慎にするって約束前にしたよな?」
「覚えてねー。まぁ、したきゃ勝手にすれば??俺を謹慎にして済むんだったらもう話は終わりだな」
扉のすぐ近くで聞き耳を立てていると勢いよく戸が開いた。ギロ、と冷たい視線が降りかかる。そして僕であると認識した瞬間にその目は大きく見開かれた。
「おい、立ち止まってどうした?言う気にでもなったか?言うならさっきの話取り消してやっても良いが」
「せ、先生」
「月宮?どうした」
鬼屋敷を追って席を立ったのであろう小山先生が僕を見て声のトーンをあからさまに上げてそう言った。
「あの、金曜日っ」
そこまで言って声が跳ねる。鬼屋敷が先生の見えないところで僕の腕を強く握ったからだ。言葉を止めるかのように。
「金曜……話を聞いてたのか?おい、鬼屋敷もしかしてお前月宮と友達」
「ツキミヤ?知らねぇんだけど。友達?俺がこいつと?はは、残念ですけどこんな真面目そうで上品なオトモダチは俺にはいませんよ」
話を遮るように冷ややかに放ち、鬼屋敷は僕を見て鼻で笑った。
「あぁ、まあそうだよな。疑ってすまん月宮」
小山先生はしどろもどろに僕に謝った。謝る相手は僕ではない。
「じゃもうこの話は終わりな。俺戻るから。……月宮くんも俺と一緒にいると勘違いされちゃうから早く戻りな」
「おい何勝手なことを……!」
鬼屋敷はするりと僕から手を離して小山先生の慌てた声を華麗に無視して階段の方へと歩いて行った。
鬼屋敷は今僕になんて言った?
僕と友達ではないと、そう言った。大きなショックを受けると思考が停止して固まってしまうのだと、今初めて知った。息がうまくできない。取り残された僕はまっすぐに小山先生を見ているはずなのに、世界が少しずつ傾いて回転を始めた。
「悪い、月宮。俺に何か用だったか?」
「え?あぁ……忘れました」
「顔色悪いけど大丈夫か?」
「はい……あの、鬼屋敷はどうなるんですか。扉開ける前、謹慎と聞こえたんですけど」
「あーあの問題児な。なんか今回は誰かと一緒に悪さしてたらしいけど口を割らないんだ。この後の教員会議で詳しいことは決まるだろうが……鬼屋敷と連むなんて相手も何を考えてんだか。月宮お前も友達は選べよ。お前にはみんな期待してるんだから、人付き合いで無駄にすんなよ」
一番言われたくないことをあたかも僕のことを思って言っているんだ、と言うような口ぶりで言ってくる。
「言われなくたって、誰と付き合うか自分で決めれます。それに、鬼屋敷は先生が思っているほど悪い人じゃないと思います。……は、話を聞いている限りですけど、友達を庇う思いやりとか優しいとことかあると思います。では僕はこれで」
早口で捲し立てて急いでその場を後にした。心臓がバクバクする。先生に刃向かったのは初めてだった。感情がそのまま言葉に乗ってしまった。それほど言われたことが屈辱だった。先生だけじゃない。鬼屋敷も鬼屋敷だ。いくら鈍感でも鬼屋敷が本心じゃないことくらい理解しているつもりだ。それにしてもだ。あんな冷ややかな目で見られて、少しバカにした口調で、まるで赤の他人みたいな態度を取られたら傷つく。それに僕が生徒指導室に行ったのは共犯であると自供するためだったのに、全ての責任が鬼屋敷一人に行く最悪な守られ方をしてしまった。僕も僕だ。鬼屋敷の嘘を無碍にすることもできず、本当のことも、上手い嘘も付けずに一番下手なことをしてしまった。先生にも鬼屋敷にも僕自身にも腹が立つ。いつも保身に走ってしまう僕が、何より弱くて情けなくて嫌いだ。
とにかく早く鬼屋敷と会って話したい。
次、鬼屋敷に会ったらちゃんと言うのだ。
──って、次っていつ?!
僕はまた頭を抱えた。ごん、と額を机にぶつけて脱力する。気付いたら学校は終わり、なんとなく駅に向かう気になれず塾の自習室に来た。額はヒリヒリと痛むし、静まり返った部屋の中何人かが僕の方を振り返る気配を感じたが気にしている余裕は無かった。
気を取り直して教室に戻り、何も無かったかのように五限の授業を受けた。しかし六限の世界史の授業になると、どうしたって考えてしまう。
机の中の教科書を引っ張り出して新しい文字を探すも見当たらない。連絡先は交換していないまま。この教科書だけしか鬼屋敷と約束をする手段がないのだ。
「友達じゃない」。そう言われた言葉が刺さって抜けない。
そりゃ、僕だって鬼屋敷と友達かと言われたら疑問が残る。彼の事が好きだから。でも、友達以外で僕たちの関係を表す言葉が思いつかない。鬼屋敷も僕の事が好きだって言ってたのに。
金曜日の出来事が古い楽しかった記憶のようにぼんやりと頭の中に浮かんでは消えていく。いっそ、引いていく波が僕の記憶まで奪って行ってくれたらいいのに。
ひとしきり、ひとりでモヤモヤしながら方程式を解いていく。ゴロゴロと遠くの方で雷が鳴りそういえばずっと雨が降りそうだったと思い、鞄を探るが折り畳み傘が見つからない。
夏特有の激しい雨に降られる前に帰宅しようと足早に駅に向かった。
今日は会えないと思っていたから完全に気が抜けていた。
鬼屋敷は僕を待っていた。ベンチの横に自転車が置いてある。姿を見て足を止めればこちらに気づいた彼が足早に駆け寄ってくる。
「月宮!」
鬼屋敷が声を張り上げた。昼のことを思い出して少し怯んでしまう。鬼屋敷が僕のことを友達ではないと思っている方が本心である可能性だって考えてしまっていたから。
「ごめん」
続く言葉はか弱くて、恐る恐る鬼屋敷の顔を見た。また、見たことのない顔をしている。
「なんのこと?」
精一杯の普通を装ったがどうしたって声が震えてしまう。鞄の持ち手を強く握った。
「昼間、月宮に強い言葉使った……本心じゃないけど、俺と一緒にいて月宮が怒られたりすんのは嫌だからさ」
「なに、それ。どういうこと?」
「先生にさ、言われたでしょ。俺と関わんなって」
「知らない」
「先生はさ、俺と一緒にいると月宮がおかしくなっちゃうって思ってるんだよ。俺は誰からも期待されてないけど、月宮は違うから」
「そんなことない!」
今度は僕が声を張り上げた。
「そんなことない。鬼屋敷のおかげで僕はっ……ていうか、鬼屋敷はもっとちゃんと僕と関わってよ。勝手に自分と僕の間に線引いて離さないでよ」
ポツリ、ポツリ、と大粒の雨が神を濡らしていく。けれどそんなこと気にもならなかった。鬼屋敷も同じようで、その場に佇んだまま少し俯いて何か言う訳でもなく僕の言葉を静かに聞いていた。
「今回のことだって、鬼屋敷が全部責任負う必要なんてないじゃんか。僕は僕の意思で鬼屋敷について行ったんだよ?見つかったら一緒、怒られんのも一緒、共犯だって言ったよね」
唇が震える。声が震える。拳に力が入り、唇を噛み締めた。
「僕たち、友達だよね?友達なら、庇うなよ」
「……友達じゃ、ないよ」
その小さな、でも確かな声は雨に掻き消されることもなく僕に届いた。
──なんだよ、なんなんだよ。僕だけ、僕だけがそう思ってたってこと?
「ばか。鬼屋敷のばかっ!」
出したことのない荒い声が出ていた。止みそうにない頬を流れていく熱い雫を雨で誤魔化す。
僕は鬼屋敷の胸をトン、と叩いた。シャツはぐっしょりと濡れていて、その冷たさに触れるだけの力ない抵抗だった。睨むように鬼屋敷を見上げるも、その悲しげな表情に言葉がこれ以上続かない。なんで鬼屋敷がこんな顔をするのか分からない。理解したくない。何も話してくれないのが腹立たしい。
僕だけが浮かれてた。仲良くなれたのが嬉しくて、一緒にいるのが楽しくて、そんな気持ちが自分だけのもので、全部僕の為の偽物だったと言われているようで悔しかった。それ以上に馬鹿馬鹿しく思えてきてしまう。
鬼屋敷の胸に縋るように置いたままになっていた手を下げて、涙を拭った。
近づけたと思ったのに、こんなに鬼屋敷のことが好きなのに。鬼屋敷が僕のことをなんだと思っているのかが分からなくてまた涙が滲んでくる。
いつもだったら僕を追いかけるように腕を掴んでくるのに、僕が欲しい言葉をくれるのに、鬼屋敷は黙ったままただ、雨に濡れている。
何もないのが一番僕を苦しめる。好きの反対は無関心というから。引き下がることしかできなかった。
息を吸うと鼻の奥が震えて上手く吐けない。下手な呼吸と溢れる涙を隠すように俯いてやっとのことで僕は足を進めた。鬼屋敷の横を通って、駅の中に入る。改札を通って階段を登って、ホームに上がる。だんだんと近づいてくる明かりと聞きなれた音に後ろを振り返りたくなる気持ちをグッと抑えた。
早く帰ってしまいたかった。

