余白で描く君との恋〜交換日記の相手は僕とは正反対の彼でした〜

日課になった教科書のチェック。会話の内容は他愛もないものから約束に変わった。

《水曜九時、あの場所で》

 僕と鬼屋敷しか知らない秘密の暗号のようなもの。世界史の授業だけでなく放課後にも楽しみができた。鬼屋敷とは相変わらず学校で話すことは一度もない。廊下ですれ違うことがあっても一瞬目が合うかどうか。偶に振り返ると鬼屋敷もこちらを見ていて、ベェ、と悪戯に舌を出してきた時もあったが。
 あの場所というのは、いつもの駅のホーム。九時を過ぎると人が本当に来ないから、ベンチに座ってゆっくりと喋るには最適の場所で僕から提案した。今日も塾終わりに会う約束を教科書の余白でしている。

「お待たせ、ごめん少し遅くなった」

 階段を登ってくるその音に心を弾ませていた僕は、鬼屋敷の声に今気づいたとでもいうように平静を装って少し遅れて振り向いた。

「全然大丈夫。お疲れ」

「はい、アイス買ってきた。一緒に食お」

「え、いいの?」

「うん。この前レモンかソーダって言ってたから両方買ってきたけどどっちがいい?」

 青と黄色のアイスキャンディーの袋が差し出されて僕はハッとした。
 ──本当に鬼屋敷が交換日記の相手だったんだ。あの文章も全部読んで返事してくれてたんだ。

「うーん、レモン」

「俺がソーダがいいって言ったの覚えてたんだ?」

 ニヤリと笑う鬼屋敷を前に僕の頬は熱を持つ。

「っそっちだって、この二択ってことは全部覚えてるんでしょ」

「うん。全部覚えてるよ。世界史の度に全部のやり取り見返してたからさ」

 鬼屋敷はさらりとそう言って、黄色い袋をこちらにくれた。

「あ、せっかくだからソーダも食べる?先、良いよ」

 突然のことにどう反応するのが正解かなんてわからなくて固まっていると、ちょん、と冷たいものが唇に当たった。押し付けられたアイスの棒を持とうとするも、鬼屋敷は棒から手を離す気は無いらしく、半ば強引に開かされた唇で角を小さく噛み砕いた。

「こっちもあげる」

「ん。ちょーだい」

 鬼屋敷の口元に運んだアイスは、その大きな口に齧られた。

「つめてー」

「うん。おいしい」

 鬼屋敷がアイスを食べているのを僕はただただ見ていた。程なくして指の先に伝ってくる冷たい蜜に急いでそれを口に運んだ。体温とそう変わらない気温に溶けてしまうアイスはすぐになくなってしまう。口の中で混じったソーダとレモンの甘さだけがずっと舌の上に残った。

「そういえば、月宮またテスト一位だったんだな」

「なんで知ってんの?」

「世界史の教室んとこの廊下に順位表張り出されるからさ」

「あーそうだった」

「勉強得意って良いよな。俺、高校入ってからなんも勉強してなくてやばい」

「別に好きでやってる訳じゃないけど、勉強くらいしか今することないから」

 鬼屋敷はやばいって言ってるけど、この高校に入ってきている時点で頭は良いはずだ。それに要領が良いからなんもしなくても留年等の心配はないのだろう。

「好き、ね……それで言ったら俺、世界史だけこの前点数上がってた」

「え?」

 好き、というワードから世界史が導き出されたことに驚いて素っ頓狂な声を上げてしまった。

「月宮との共通の話題が世界史しかなかったから、比較的真面目に聞いてたしな。他の授業も月宮と同じだったら俺も優等生になってたかも」

「っ受けてる科目は今も全部同じだけどね」

「はは、言えてる」

 鬼屋敷は愉快そうに笑った。
 また、可愛げのない返事をしてしまった。鬼屋敷は僕と一緒に授業を受けれたら、という意味で言ったのだろう。そんなことわかってる。でもそんな人誑かしな言葉は僕にはあまりに無縁で突き返さなければ、身が持たない。

「そういえば、月宮といつも一緒にいる友達も頭良いの?」

「うん。大体いつもあの紙に名前載ってるよ」

「へぇすごいね」

「入学して半年くらいは僕、柳瀬に勉強に関しては敵対視されてたっぽい。基本おちゃらけてるけど、多分一番努力してると思うよ」

「柳瀬……俺見て怯えてるのが顔に出まくりの奴だよな。今俺と一緒にいるの見られたら、月宮怒られそう」

 柳瀬と楠木については以前さらっと説明したことはあったが、鬼屋敷の解像度の高さに素直に頷いてしまった。
 柳瀬は第一志望の大学に合格することだけを考えているから、トラブルを持ってこられるのを嫌がる節がある。鬼屋敷に良い印象を持っていない柳瀬からして僕が彼と関わりがあると知ったら、まずは僕の身を案ずるだろうし、僕が鬼屋敷の肩を持つなら僕ごと切り離してしまうだろう。
 柳瀬はまっすぐな人間だからきっとこうなる。そう考えると安易に鬼屋敷の話を二人にはできなかったし、今も僕は二人からこの関係を隠してしまっている。

「……僕は鬼屋敷が良い人だって、二人に話したいんだけど」

「無理しなくていいよ。俺が悪い噂ばっかり持ってるせいだし。もし、学校で一緒にいるの見つかったら印象悪くなるの月宮だから」

「そんなことない」

「でも、本当にさ、こうやって月宮が俺のことちゃんと知ってくれてるだけで嬉しいよ」

 少しだけ寂しそうに鬼屋敷は笑った。静かに靡く髪が眩しい光に照らされて電車がきてしまったのだと知る。

「あのさ、これからも、僕とここで会ってくれる?」

 立ち上がる鬼屋敷の袖を引っ張って僕は彼を呼び止めた。

「それ、俺の台詞だよ」

 鬼屋敷は振り返ってそう言った。

 息をするには窮屈すぎるこの世界で、僕たちはどうやったら上手く呼吸ができるのだろうか。もがこうにも小さい水槽の中では手足は満足に伸ばせない。けれど、少しだけ亀裂の入ったその場所を蹴り続けたら光は見えてくるのかもしれない。