「失礼します」
百花が応接室に入ると、ソファに座っていた加恋がじろっと睨みつけてきた。
「おはようございます。瑞雨家のお嬢様」
以前、加恋がそうしたように、百花もスカートの裾を持ち上げ腰を折った。だが、加恋をお嬢様と呼んだのはわざとであり、彼女に対するけん制のつもりである。
「本日はどういったご用件でしょうか?」
加恋が百花に対して挨拶も何も言う気がないと判断し、さっさと本題を切り出した。
「立ち話もなんだから、あなたも座ったら?」
向かい側に座れと顎でしゃくってくる。これではどちらがおもてなしを受ける側かわからないが、立場は百花のほうが弱いので、加恋に従うしかない。
「では、お言葉に甘えまして。失礼いたします」
ソファに浅く腰掛けた百花は胸を張って、目の前の加恋を凝視した。
「ただいま、お茶の用意をしておりますので」
「あら? そんなに気を遣わなくていいのよ? 長居をするつもりはないのだから」
さようですか、と言いたくなった百花だが、その言葉はぐっと堪えてから切り出した。
「では、早速、本題をお伺いしてもよろしいですか?」
長居するつもりないと言うのであれば、さっさと話を聞いたほうがいい。
百花が加恋を見据えたまま尋ねると、彼女はソファに深く座り直して背もたれに身体を預け、その姿をくだけさせた。
「そうね。でも、わたくしがここに来た理由なんて一つ。新樹様のお見舞いよ?」
「ただいま旦那様は療養中ですので、他の方とお会いできません」
「そのようね。さっきも同じことを言われたの。だから、あなたから新樹様の様子を聞こうと思ってね。さっきの男は駄目ね。何を聞いても、言えませんの一点張り」
「新樹様は療養中ですが、順調に回復しております。私から伝えられるのはそれだけです」
影月が言えないと口にしたのであれば、百花も加恋に伝えるのは最小限の内容にとどめるべきだ。
だが、百花の返事を聞いた加恋の口元が、ほっとゆるんだ。
「そう……、回復されている……のね?」
加恋は念押しすると、百花を真正面から見つめてくる。その眼差しに、百花も一瞬、怯みそうになったが、「はい」とはっきりした声で告げた。
「……そうなのね。新樹様は、ご無事なのね……そう、よかったわ……」
まるで自分に言い聞かせるかのようにぽつぽつ呟く加恋の言葉は、よく聞き取れない。
「では、新樹様に伝えてもらえるかしら」
伝言くらいであれば、問題ないだろう。そう思いつつも、どんな言葉が来るのかと身構えてしまう。もし新樹にとってよくない言葉であれば、伝えないという選択肢もありだろうか。
「父を助けてくださってありがとうございますと。新樹様のおかげで父は怪我一つせず、ぴんぴんしておりますの。少しくらい、筋肉痛になってもよかったのにと思ったんですけれどね」
それは、加恋の強張りが解け、年相応の笑顔を見せてくれた瞬間だった。帝国会館でパフェを頬張っていたときと同じような、かわいらしいもの。
「わかりました。間違いなくお伝えいたします」
加恋に対して醜い気持ちを持ってしまったことを、百花は心の中でそっと恥じた。
「それから、お見舞いの品は先ほどの男性に預けたの。そちらも新樹様にお渡ししてね」
「はい」
「では、わたくしはこれで失礼するわ」
加恋が立ち上がったため、百花も同じように腰を上げた。
「お見送りいたします」
加恋に対する感情は複雑なものだ。それを表情に出さないようにと気を遣いつつ、部屋を出たところでティーワゴンを押してくる女中とすれ違う。
「お客様はお帰りです」
それはそのままで、と女中の耳元で小さく伝えると彼女も頷き返す。
エントランスホールで加恋を見送り、「次は、新樹様が元気なときに是非いらしてください」と社交辞令の言葉をかけると「えぇ、次はぜひともそうさせていただくわ」と、加恋も応戦する。
だがそれも、ほほ笑ましいものだと思えてくるのが不思議だった。今まではできるだけ関わりたくないと思っていた相手なのに、彼女の子どもらしい一面を見てしまったからかもしれない。
加恋を見送った後、百花は女中が用意したティーワゴンを押して、新樹の部屋を訪れた。
「新樹様、お茶はいかがですか?」
寝台の上で布団の塊がもぞもぞと動いた。
「申し訳ありません。お休み中でしたか?」
「いや……ちょっと横になっていただけだ。だけど眠れないから、どうしようかと思っていた」
その表情を見れば、眠っていたわけではないのがわかる。
「では、お茶はいかがですか? お客様がいらしたのですが、お茶の用意をしている間にもう帰られたので」
「客? 誰か来たのか?」
新樹が焦った様子で身を乗り出してきた。
「新樹様、そんなにしたら寝台から落ちてしまいますよ」
「だが、客人って……誰が来たんだ?」
「瑞雨家の加恋様です。新樹様、加恋様のお父様を助けたのですね? それのお礼を言いに来られました」
百花はお茶の用意をしながら答えると、新樹は寝台から足をおろし、椅子のようにして座り直してサイドテーブルを引き寄せる。
「まぁ……助けたと言えば助けたかもしれんが……人狩りを倒すだけで精一杯だったからな。よく覚えていない」
「新樹様、お砂糖は二つですよね?」
紅茶に砂糖を二杯入れ、それを新樹の前に置こうとしたが、彼は百花を見上げたまま凝視してくる。
「どうかされました?」
「い、いや……」
すぐにぷいっと視線を逸らした新樹は、砂糖を二杯入れた紅茶に口をつけ「美味いな」と呟く。
彼好みのお茶を淹れられた事実に、百花の気分も高揚してきたところで、はっとする。
「ところで新樹様。昨日から昂焔さんの姿が見えないのですが……」
新樹と一緒に屋敷を出ていったところまでは覚えている。しかし、新樹が帰ってきたときから、昂焔の姿を見ていない。
「あぁ……もしかしたら、車の中に置きっぱなしかもしれない……あ、やばいな……」
昂焔に同情すると共に、昂焔が新樹に向かって文句を言う様子が容易に想像できて、百花は小さく噴き出した。
「おい、百花……?」
「あ、申し訳ございません。車の中ですね? 私が取ってきましょうか?」
紅茶を口に含んで考え込んだ新樹は、それをごくりと嚥下してから「頼む」と、声を絞り出した。
新樹の部屋を出た百花は影月に頼んで車の鍵を開けてもらい、後部座席を確認する。しかし、シートの上には何も見つからず、足元をのぞき込むと、こてんとひっくり返った狼のぬいぐるみがあった。
しかも汚れているし、少しだけ縫い目が裂けている。
影月に礼を言ってから、昂焔を両手で大事に抱いて、新樹の元へと向かう。
「新樹様。昂焔さん、いましたよ」
百花が彼の部屋の扉を開けた瞬間、腕の中から昂焔が飛び出してダダダダっと走り出した。
《おい、坊。オレ様をあんなところに、放置しやがって。しかも、嬢ちゃんがくるまで動けなかったんだからな》
まるで新樹に向かって飛び蹴りを食らわすような勢いで飛びついたが、新樹はそれを片手で制した。
「悪い。霊力切れを起こした」
《はぁ? 何、やってんだよ。力は考えて使えってんだ。そうやって考えなしに使い放題してると、霊力が枯渇して死んじまうのは知ってんだろ?》
「え? そうなんですか?」
昂焔から告げられた事実に、百花は放心するしかなかった。と同時に、新樹が無事でよかったと心から思う。
《おい、坊。何、嬢ちゃんを泣かせてんだよ》
「はぁ? おまえが余計なことを言うからだろ。おい、百花。泣くな!」
この騒がしい状況を見ているだけで、新樹の存在を確かに感じられた。
彼が生きていてよかった――。
百花が応接室に入ると、ソファに座っていた加恋がじろっと睨みつけてきた。
「おはようございます。瑞雨家のお嬢様」
以前、加恋がそうしたように、百花もスカートの裾を持ち上げ腰を折った。だが、加恋をお嬢様と呼んだのはわざとであり、彼女に対するけん制のつもりである。
「本日はどういったご用件でしょうか?」
加恋が百花に対して挨拶も何も言う気がないと判断し、さっさと本題を切り出した。
「立ち話もなんだから、あなたも座ったら?」
向かい側に座れと顎でしゃくってくる。これではどちらがおもてなしを受ける側かわからないが、立場は百花のほうが弱いので、加恋に従うしかない。
「では、お言葉に甘えまして。失礼いたします」
ソファに浅く腰掛けた百花は胸を張って、目の前の加恋を凝視した。
「ただいま、お茶の用意をしておりますので」
「あら? そんなに気を遣わなくていいのよ? 長居をするつもりはないのだから」
さようですか、と言いたくなった百花だが、その言葉はぐっと堪えてから切り出した。
「では、早速、本題をお伺いしてもよろしいですか?」
長居するつもりないと言うのであれば、さっさと話を聞いたほうがいい。
百花が加恋を見据えたまま尋ねると、彼女はソファに深く座り直して背もたれに身体を預け、その姿をくだけさせた。
「そうね。でも、わたくしがここに来た理由なんて一つ。新樹様のお見舞いよ?」
「ただいま旦那様は療養中ですので、他の方とお会いできません」
「そのようね。さっきも同じことを言われたの。だから、あなたから新樹様の様子を聞こうと思ってね。さっきの男は駄目ね。何を聞いても、言えませんの一点張り」
「新樹様は療養中ですが、順調に回復しております。私から伝えられるのはそれだけです」
影月が言えないと口にしたのであれば、百花も加恋に伝えるのは最小限の内容にとどめるべきだ。
だが、百花の返事を聞いた加恋の口元が、ほっとゆるんだ。
「そう……、回復されている……のね?」
加恋は念押しすると、百花を真正面から見つめてくる。その眼差しに、百花も一瞬、怯みそうになったが、「はい」とはっきりした声で告げた。
「……そうなのね。新樹様は、ご無事なのね……そう、よかったわ……」
まるで自分に言い聞かせるかのようにぽつぽつ呟く加恋の言葉は、よく聞き取れない。
「では、新樹様に伝えてもらえるかしら」
伝言くらいであれば、問題ないだろう。そう思いつつも、どんな言葉が来るのかと身構えてしまう。もし新樹にとってよくない言葉であれば、伝えないという選択肢もありだろうか。
「父を助けてくださってありがとうございますと。新樹様のおかげで父は怪我一つせず、ぴんぴんしておりますの。少しくらい、筋肉痛になってもよかったのにと思ったんですけれどね」
それは、加恋の強張りが解け、年相応の笑顔を見せてくれた瞬間だった。帝国会館でパフェを頬張っていたときと同じような、かわいらしいもの。
「わかりました。間違いなくお伝えいたします」
加恋に対して醜い気持ちを持ってしまったことを、百花は心の中でそっと恥じた。
「それから、お見舞いの品は先ほどの男性に預けたの。そちらも新樹様にお渡ししてね」
「はい」
「では、わたくしはこれで失礼するわ」
加恋が立ち上がったため、百花も同じように腰を上げた。
「お見送りいたします」
加恋に対する感情は複雑なものだ。それを表情に出さないようにと気を遣いつつ、部屋を出たところでティーワゴンを押してくる女中とすれ違う。
「お客様はお帰りです」
それはそのままで、と女中の耳元で小さく伝えると彼女も頷き返す。
エントランスホールで加恋を見送り、「次は、新樹様が元気なときに是非いらしてください」と社交辞令の言葉をかけると「えぇ、次はぜひともそうさせていただくわ」と、加恋も応戦する。
だがそれも、ほほ笑ましいものだと思えてくるのが不思議だった。今まではできるだけ関わりたくないと思っていた相手なのに、彼女の子どもらしい一面を見てしまったからかもしれない。
加恋を見送った後、百花は女中が用意したティーワゴンを押して、新樹の部屋を訪れた。
「新樹様、お茶はいかがですか?」
寝台の上で布団の塊がもぞもぞと動いた。
「申し訳ありません。お休み中でしたか?」
「いや……ちょっと横になっていただけだ。だけど眠れないから、どうしようかと思っていた」
その表情を見れば、眠っていたわけではないのがわかる。
「では、お茶はいかがですか? お客様がいらしたのですが、お茶の用意をしている間にもう帰られたので」
「客? 誰か来たのか?」
新樹が焦った様子で身を乗り出してきた。
「新樹様、そんなにしたら寝台から落ちてしまいますよ」
「だが、客人って……誰が来たんだ?」
「瑞雨家の加恋様です。新樹様、加恋様のお父様を助けたのですね? それのお礼を言いに来られました」
百花はお茶の用意をしながら答えると、新樹は寝台から足をおろし、椅子のようにして座り直してサイドテーブルを引き寄せる。
「まぁ……助けたと言えば助けたかもしれんが……人狩りを倒すだけで精一杯だったからな。よく覚えていない」
「新樹様、お砂糖は二つですよね?」
紅茶に砂糖を二杯入れ、それを新樹の前に置こうとしたが、彼は百花を見上げたまま凝視してくる。
「どうかされました?」
「い、いや……」
すぐにぷいっと視線を逸らした新樹は、砂糖を二杯入れた紅茶に口をつけ「美味いな」と呟く。
彼好みのお茶を淹れられた事実に、百花の気分も高揚してきたところで、はっとする。
「ところで新樹様。昨日から昂焔さんの姿が見えないのですが……」
新樹と一緒に屋敷を出ていったところまでは覚えている。しかし、新樹が帰ってきたときから、昂焔の姿を見ていない。
「あぁ……もしかしたら、車の中に置きっぱなしかもしれない……あ、やばいな……」
昂焔に同情すると共に、昂焔が新樹に向かって文句を言う様子が容易に想像できて、百花は小さく噴き出した。
「おい、百花……?」
「あ、申し訳ございません。車の中ですね? 私が取ってきましょうか?」
紅茶を口に含んで考え込んだ新樹は、それをごくりと嚥下してから「頼む」と、声を絞り出した。
新樹の部屋を出た百花は影月に頼んで車の鍵を開けてもらい、後部座席を確認する。しかし、シートの上には何も見つからず、足元をのぞき込むと、こてんとひっくり返った狼のぬいぐるみがあった。
しかも汚れているし、少しだけ縫い目が裂けている。
影月に礼を言ってから、昂焔を両手で大事に抱いて、新樹の元へと向かう。
「新樹様。昂焔さん、いましたよ」
百花が彼の部屋の扉を開けた瞬間、腕の中から昂焔が飛び出してダダダダっと走り出した。
《おい、坊。オレ様をあんなところに、放置しやがって。しかも、嬢ちゃんがくるまで動けなかったんだからな》
まるで新樹に向かって飛び蹴りを食らわすような勢いで飛びついたが、新樹はそれを片手で制した。
「悪い。霊力切れを起こした」
《はぁ? 何、やってんだよ。力は考えて使えってんだ。そうやって考えなしに使い放題してると、霊力が枯渇して死んじまうのは知ってんだろ?》
「え? そうなんですか?」
昂焔から告げられた事実に、百花は放心するしかなかった。と同時に、新樹が無事でよかったと心から思う。
《おい、坊。何、嬢ちゃんを泣かせてんだよ》
「はぁ? おまえが余計なことを言うからだろ。おい、百花。泣くな!」
この騒がしい状況を見ているだけで、新樹の存在を確かに感じられた。
彼が生きていてよかった――。



