鬼のつがい~競売に堕ちた令嬢は不器用な年下当主の執愛に絡め取られる

 新樹はとにかく苦しかった。呼吸をしようと思えば、うまく息を吸えず胸の奥が鋭く痛む。
「うっ……うぅ……」
 身体は燃えるように熱く、針で刺すようなピリッとした痛みが走った。
 帝都に人狩りが出たと皇帝に呼び出され、暁陽派の鬼族を連れて現場に急いだ。
 そこは河川敷の広場で、よく紙芝居小屋が開かれる場所でもあったが、幸いなことに今日は何もなかった。
 その代わり、人狩りが暴れていたのだ。人狩りとはその名の通り人をさらう者たちを指すが、それは個人の名ではなく組織を指す。人狩りを構成するのは鬼人だったりただの人間だったりと、そこに統一性はない。ただ、人や鬼人をさらって利用するという目的だけは共通していた。
 その人狩りの鬼人たちが、河川敷を散歩していた鬼人の家族を襲ったようで、それを目撃した者がすぐに帝国軍へと通報した。
 しかし人狩りは、帝国軍が近づけないようにと結界を張ったうえで、鬼人の家族を人質にしたのだ。帝国軍が結界を破って侵入するようであれば、人質を殺すと。
 だから新樹たちが呼び出された。応援に入ったのは暁陽家の他に瑞雨家である。
 人狩りと帝国軍が睨み合っている間に、結界をすり抜けるようにして中に侵入できたのは、新樹だからだ。
 そのため皇帝は新樹を指名した。人狩りに気づかれぬよう彼らに近づいたところで、人質を解放するのが新樹の役目なのだ。
 結界内に侵入した後、昂焔に人質解放を頼み、新樹本人は人狩りを捕獲する。
 ばんっ! と霊力の塊を手のひらから放出し、人狩りの一人にぶつけると、その男は砂埃をあげながら、後方に吹っ飛んでいった。だが、それが合図となって人狩りは一斉に新樹に向かってきた。
 人質は昂焔が解放し、瑞雨家の者に引き継いだから、彼らがまた捕らえられるようなことはないだろう。
 そこまで考えて新樹は自身の全霊力を解放したものの、それに呼応するかのように、次から次へと人狩りが襲いかかってくる。いや、人狩りだけでない。人狩りは下等な鬼、その見た目は動物や虫と変わらないが、それらに霊力を植え付けたものを新樹に向けてきたのだ。
 ぶんぶんと羽音のうるさい虫型の鬼を手で払いつつ、四つ足の獣姿の鬼に霊力で練った剣を向けるが、とにかく虫型が邪魔だ。
「昂焔!」
 他に人がいるときは、昂焔は決してしゃべらない。黙って新樹の指示に従い、人狩りに向かって次々と霊力を放つ。ちなみに昂焔の場合は、口から霊力が放たれるため、うさぎのようなかわいい姿だとその攻撃スタイルが似合わない。
 霊力と霊力がぶつかり合い、じゅっと肉の焦げるような臭いが漂う。
 新樹は無我夢中で目の前の敵を相手に戦っていた。だが突然、身体が鉛のように重くなった。
「新樹様!」
 素早く航平が駆けつけてくれたのは覚えているが、そこからの記憶は曖昧だった。
 耳元で航平が騒ぎ、百花の声も聞こえたような気がする。昂焔はもう、動けないだろう。何よりも新樹は霊力を使いすぎた。目の前の鬼に必死になり、力配分を誤ったのだ。霊力が枯渇すれば、その命すら危うくなる。霊力もまた、生命の源なのだ。
 航平に支えられながらなんとか部屋まで戻り、いつもの寝台に横になったが、とにかく体が熱くて痛くて息苦しい。
「うぅっ……」
 喉の奥もひりついていて、水が飲みたかった。
 浅い眠りと目覚めを何度か繰り返しているうち、ひんやりとしたものが額に触れた。
 すると、あれだけ苦しかった身体の痛みも、すぅっとやわらいでいくのだ。
「……百花?」
 こんなことをできるのは百花しかいないが、意識も曖昧だったため、夢の中の出来事かもしれない。
 しかし、気がつけばすぐ側に百花がいたのだ。
 彼女の力は不思議なものでよくわからない。ただ、ぬいぐるみに昂焔を定着できたのも、そのぬいぐるみを作ったのが百花だからだ。そして今、彼女が触れるだけで、身体の熱も痛みも奪われ、楽になっていく。
 水が飲みたいと伝えれば、すぐに冷たい水が渇いた口の中を満たした。
 百花の存在を確認するように何度も彼女の名を呼び、彼女が側にいるのを確認できれば安堵感に包まれる。
 そんななか、今にも彼女が離れてしまうのではと気が気ではなく、百花に手を握るようにと命じてしまった。
 もちろん彼女は嫌がるようなそぶりを見せず、新樹の右手をしっかり握りしめてくれる。そこから伝わる体温と共に、まろやかな霊力が流れ込んできて、少しずつ新樹の身体を満たしていく。その心地よさに、新樹はふっと深い眠りに落ちた。
 次に意識を取り戻したときは、身体を押さえつけられるような重みを感じた。その重みの原因を確認しようと、上半身だけ起こすと、百花が新樹の身体に突っ伏すようにして眠っている。しかも懐かしいお仕着せ姿のままだ。
「……百花?」
 小さな声で呟くと、彼女の耳には届いたらしい。ぴくっと身体を震わせ、顔を上げた。
「あっ……おはようございます、新樹様。お身体の具合はいかがでしょうか?」
「あぁ、悪くはない」
「そうですか、よかったです……」
 薄暗い中、へにゃりと笑顔を見せた百花だが、彼女の目はまだ半分、閉じていた。
「百花、おまえも部屋に戻って休め」
「でも、深山さんもいらっしゃらないので……新樹様をお一人にはできましぇん。新樹様、どこかに行っちゃうかもしれないと……深山さんが……」
 まだ夜中なのだろう。百花も眠いのか、活舌が悪い。
「わかった。俺はきちんとここで寝ている。だから、おまえも横になれ。そこのソファを使え」
 部屋に戻れと言っても、それをきかないのであれば、とにかく身体を横にして休めてやりたい。
「新樹様、よい子できちんと寝ますか?」
「寝る。寝るから、おまえも休め」
「お水は飲みますか?」
 そう尋ねられると、喉が渇いていた。
「飲む」
 すると、目を半分だけ閉じたまま、百花が水差しを手渡してくれるが、彼女が寝ているのか起きているのかよくわからない。
「じゃ、新樹様。横になってくだしゃい」
 百花はぽんぽんと寝台を叩き、寝るようにと促してきた。
 新樹がもう一度身体を横たえると、百花はやさしく頭を撫で始める。それが異様に心地よくて、新樹はすとんと眠りに落ちてしまった。
 新樹がもう一度目を覚ましたときには、百花はソファの上で丸くなって眠っていた。太陽が昇り、カーテンの隙間から朝の光が柔らかく差し込んでいる。
 新樹は身体を起こすと、ソファで眠る百花の姿をじっと見つめた。部屋に差し込む光の角度は少しずつ変わっていくが、百花はまだ起きない。
 ふと時計を見ると、七時を過ぎた頃。いつもであれば、着替えて朝食に向かう時間だが、百花はまだ寝ている。
 そのとき太陽の光がうまい具合に反射して百花の瞼を叩くと、彼女は弾かれたようにぱっと身体を起こした。
「あっ……おはようございます、新樹様。身体の具合はいかがでしょうか?」
 夜中の半分寝ているような状態の百花とは異なり、今は寝起きでもしゃきっとしている。
「ああ、問題ない。それよりも腹が減った……」
「では、すぐに朝食の用意をいたします。先に、洗顔の準備をいたしますからお待ちください」
 そんな百花の姿を目で追いつつ、夜中のぼんやりした彼女に世話を焼かれるのも悪くはなかったと思い返す。
「新樹様。今日は一日、寝台の上でお過ごしください」
 洗顔を終えた新樹に、百花はピシャリと言ってのけた。洗顔と言っても、昨日、左手を負傷してしまい右手しか使えないため、百花が濡れたタオルで顔を拭いてくれただけ。
「なぜだ? 俺はもうピンピンしてる」
「お医者様からの指示です。それに左手を怪我されていたじゃないですか!」
 手首から手のひらにかけて包帯がぐるぐると巻かれていた。
「こんな怪我、大したことない。すぐに治る」
「でも、今日は無理をしてはなりません。休んでいてください。仕事のほうは、できる範囲で私がすすめておきますから」
 百花に依頼しているのは、天璃華語で書かれた契約書の解読だ。あれが一番納期の近い案件だろう。
「おはようございます、新樹様。食事をお持ちしましたよ。って、元気そうですね。いやぁ、昨日はどうなるかと思いましたが、さすがの回復力です。だけど、調子に乗って動き回りそうなので、どうか今日一日、寝台の上でお過ごしください」
 朝食のワゴンを押しながら航平が部屋に入ってきたが、やはり百花と同じ内容を口にした。となれば、今日はおとなしくしておいたほうがいいだろう。
「ちっ、仕方ない。おまえがうるさいから、今日は仕方なく言うことを聞いてやる」
「新樹様が素直に私の言うことを聞くなんて珍しい。はい、朝食です。って、新樹様、手を怪我されていましたね。自分で食べられますか? あ~んしますか?」
 航平が面白がって冗談を言うと、それを本気で受け止めた人物が一人いた。
「深山さんの手を煩わせるわけにはいきません」
 航平からスプーンを奪っておかゆすくい、それを新樹の口元へと運んできたのが百花である。
 航平は必死に笑いを堪えているが、この状況で新樹は断れない。何より新樹は右利きで右手は使えるのだ。
 しかし場の空気を読んだ新樹は、ひな鳥のように素直に口を開けた。