ひと月だけの同居人

 翌朝、目が覚めるとベッドに拓実が寝ているのを見て、心がふわりと小さく動いた気がした。

 昨日より遅いタイミングで拓実が起きてきた。寝不足なのか欠伸を噛み殺している。

「一人だと寝るの早いんだな」——何だか怒っているような口調に瞬間に心が冷える。そんな陽介は反射的に謝ってしまう。

「すみません」

「別に悪いことしたわけじゃないんだから……」——バツが悪そうに頭をかく拓実。

 その目は、どこを見るでもなく、視線が泳いでいた。

 そうしてなんとなくぎこちない朝を過ごした二人は、言葉少なく出勤していくのだった。
 お互い並んで歩くのに慣れつつあったが、まだ心の距離をはかりながら、並ぶ距離もはかりつつ歩く二人だった。


 経理課二日目の職場は、昨日の喧噪が嘘のように落ち着いていた。

「昨日はほったらかしにしてすまなかったね」

「いえ、期初ですので、お手伝いできずにこちらこそ申し訳なかったです」

「じゃ、さっそくだけど、今日はこの書類、確認をおねがいできるかな」

「はい、わかりました」

 陽介は書類の数値と電卓と首っ引きで確認を始める。
 
「わからないことがあればすぐ聞いてね」
 
「はい、大丈夫です」

 一人作業に没頭する陽介は部内の雑談にも参加せずひたすら書類に集中していた。

 昼休みの少し前、陽介が課長の席を訪ねた。

「確認終わりました。気になったところは付箋でメモを残しています」

「最後まで見終わったのかい?」

「はい」

 陽介の顔を見ながら、そっと息を溢す課長。

「あ、ああ、そうか、おかしなところがあれば都度教えて欲しかったんだが……」
 
「申し訳ございません」

 被せるように謝る陽介に、呆気にとられながら、課長も言葉を返した。

「いや、きちんと言っておかなかったこちらも悪かったね、なあ、新川くん。僕たちは一緒に働く仲間だからなるだけ話しあいながら仕事を一緒にしたいと私は思ってるよ」

「はい、わかりました」

 熱の籠もった課長への陽介の言葉には、熱らしきものは籠もっているようには見えなかった。


 その日の夜は陽介も課の歓迎会があり、遅くなるとメッセージを拓実に送ると、拓実からも同僚の歓迎会があるからこちらも遅くなると返信があった。

 盛り上がりに欠ける歓迎会をこなして、マンションに戻ると、ちょうど玄関で拓実と鉢合わせした。

「あ、おかえりなさい」

「よう、そっちも今お帰りかい?」

「はい、そうです」

「なんだ? しけた顔をして、酒が足りないんじゃないか?」

 そんな軽口をいいながら一緒にエレベータに乗り、部屋のドアを開けた。

 靴を脱いだ拓実が大きな息をつく。

「お疲れですか?」——思わず陽介はそう尋ねてしまう。

「ん? いや、ぜんぜんまだ飲めるよ。営業職は飲むのも仕事だかんな」

 そう明るく返す拓実の目に、陽介は何かわだかまりのようなものを感じ、落ち着かなくなった。

 部屋に入ると冷蔵庫から残っていたビールと、つまみにチーズを持って拓実はテーブルに置いた。

「二人でも乾杯しようぜ」
 
「あ、はい」

 しばし杯を重ねる。陽介はちびちびと飲むが、拓実はハイペースで缶を開けていく。
 
 しばらくして、拓実がぼんやりとしながら口を開いた。

「そういえば、あの時もこんな風に部屋でビール飲んだなぁ……」——ぼそっと拓実が溢した。

「あの時って?」

「真剣だったんだ、あんときの俺はさ。あの人が好きで…………」——そう言ったまま、拓実はソファに寄りかかって小さく寝息を立て始めた。

 真っ赤な顔をして、かなり酔ったのであろう拓実に、陽介はそっと毛布をかけて、後片づけを始めた。


 台所を片付け終わった陽介は、部屋にいき、残った荷物の整理をはじめる。

 服などをケースにしまい終えると、段ボールの底には一冊の本だけが残った。

 それを見て、今日買ってきたものを思い出した陽介は、リビングへ戻る。ガチャという扉の開く音に反応して、拓実が目を覚ました。

「ああ、寝ちゃったかすまない。なんか汗かいたな、シャワーでも浴びるか」

「あ、じゃあ、タオル用意しておきますね」

 陽介はそう言って部屋干ししていたバスタオルを脱衣所に運んで行った。

 拓実は、着替えを取りにリビングに行って帰ってくる。
 
 何か慌てた様子で陽介が戻ってきたが、拓実は何も気にしていないように浴室に向かった。

 陽介はもぞもぞと鞄から何か取り出して、寝室に向かう。
 
 箱に変化のないことをみて、ほっと息をつく。
 
 そして、いそいそとブックカバーをその本にとりつけて、そっとしまった。