ひと月だけの同居人

 積まれた段ボールを前に、拓実は腕まくりをしている。

「とりあえず必要なものだけだそうか?」

「木崎さんは、きちんと荷ほどきされてください、僕の方が荷物が少ないみたいだし、1ヶ月後には僕が出て行きますよ」

 拓実はその言葉に、少し考え込んで、にかっと笑いながら、否定した。

「それじゃあ、陽介が『間借り』してるみたいで気を遣うだろ? 一ヶ月はお互い仮りの宿なんだ、できるだけ平等でいこうよ。……あ、俺の事は拓実でいい。俺も陽介って呼ぶから」
 
 その言葉に、陽介の胸が理由もわからずざわついた。

「は、はい、でも年次はそちらが上ですし……呼び捨てはちょっと無理です。拓実さん、でいいですか?」

 陽介の返事に、眼に一瞬寂しそうな光りが揺らめき、そしてホッとしたような小さな安堵の吐息……そしてそんなことをかき消すように、ニコリと笑うと、陽介の方を親しげにたたいた。

「よし、それでいいよ。さあ、最低減必要なものだけ出していこう」

 その距離感にどぎまぎして、陽介は思わず一歩さがる。
 誤魔化すように自分の段ボールへ向かった。

 二人はリビングに積んだ荷物を、それぞれ仕分けしていく。

「これは要る。これは……まあいいか。」

 拓実は手早く仕分けながら、不要なものを段ボールに戻していく。

 一方で陽介は丁寧に必要なものを取り出し並べていった。

 その様子は、二人の性格をそのまま映しているようだった。

「……っ」
 段ボールを持ち上げようとして、陽介が小さく呻いた。

「ああ、それ重かったよな? 何が入ってんの?」

「本です。ぎっしり詰まってて……」

「へー読書家なんだな、どんなの読むの?」

「なんでも、わりと……好きなんで」

「そうか、とりあえずその隅の棚、使っていいよ、読みそうなの並べておくといいよ」
 
「ありがとうございます」

 陽介はいそいそと本を並べ始める。その途中で一冊を取り出して、
 表紙を見た瞬間、陽介の顔が赤く染まった。
 慌ててその本を段ボールの奥に押し込み、蓋を少し閉じる。

 ちらりと横を見ると、自分の片付けに夢中の拓実がこちらを見ている様子のない事に気付いた陽介は、そっと胸をなで下ろした。

 ベランダからの陽光が赤い色を増したころ、拓実が声をかけた。

「さて、今日はこれくらいにして、夕飯の支度でもしようか。とりあえず買い物にいこう、来る途中にスーパーがあったよな」
 
「はい、分かりました」


 二人は夕方の道をスーパーに向かっていた。
 
 並んで歩く二人。
 距離感の掴めない陽介に対し、拓実は自然に歩調を合わせて隣に並ぶ。
 その距離は、陽介には未知の近さだった。
 拓実の振った手が、陽介の手をすっとかすめた。
 その触れた手の感触に、陽介は感じた事のない人の肌の温もりを感じて、不思議な感情を覚えた。

「さて、何を食べるか、陽介は前のとこでは自炊とかしてた?」

「僕は、料理は苦手で、出来合いの弁当とか、外食したりとかばかりでした」
 
 拓実は上から下まですっと視線を動かすとため息をつきながら言う。

「だからそんな細いんだよ。まあ、太るよりはいいけどさ。じゃあ俺が作ってやるよ。こう見えて料理は得意なんだ」

「ありがとうございます」

 二人はスーパーのかごを持って、中を歩く。

「嫌いなものとか、アレルギーとかある?」

「いえ、特には」

「そうか、鶏肉が安いな、げっ、流石に東京は、牛肉が高いなぁ」
 
 陽介はそれを聞きながら、『家庭的な人なんだ』と少し驚いた気持ちになる。
 
「陽介は、酒は飲む?」

「誘われたら付き合いで少し飲むくらいで、家では飲まないです」

「そうか、俺は営業だからな、仕事柄どうしても飲む機会が多いから、家でもついな。誘われたら付き合うなら、今日は新居のお祝いだし、つきあってくれるか?」

 そう笑いながら言う拓実の眼が少し不安な色を見せている。だがそれを不安と感じるほど人付き合いの経験のない陽介は、少しの違和感を感じながら、返事をかえす。

「弱いですけど、少しならお付き合いしますよ」
 
「ようし、乾杯しような」——ことさらに大きな声で喜びを見せた拓実は、ビールの缶とウィスキーの瓶をかごに放り込んだ。


 一人暮らし用にしては立派なキッチンで、拓実が器用に素材を包丁で切り分ける。

 横では不器用な手つきで、陽介が食器を洗っていた。

「拓実さん、包丁上手ですね」

「ああ、良くつくって食べさせてたからな」

「あ、あの、恋人さんとかですか?」
 
「さぁ、どうだろう大人にはいろいろあるさ」
 
「え、色々って?」

「色々は色々……さて、下ごしらえはよし、さて、俺があと作るから洗い終わったら布巾でふいて、おいておいて」

 器用にフライパンをあやつると、瞬く間に料理をつくっていく拓実に対し、陽介は不器用に、皿のしずくを布巾でふいていく。時間をかけ丁寧にしずくを拭いていっていた。


 食卓にきつね色に焼かれた鶏肉と、温めたご飯。湯気のたつお味噌汁と、簡単なサラダ。

「なんか家のご飯って感じですね、実家を思い出しました」

「洒落たもんじゃなくて悪いな。食べさせてたって言ってたのは実は妹なんだ。うち、父子家庭で、歳の離れた妹がいてね。ずっと料理は俺がやってたんだ」

 陽介は胸の奥に、小さな違和感を感じた。
 ただ、拓実の明るさの奥の影に、触れたような気がした。

「美味しそうですね、いただいていいですか?」

「その前にビールで乾杯しようぜ」
 
 拓実は陽介にビールの缶を渡すと、自分の缶のプルをあける。
 ぷしゅっという音が、静かな部屋に響いた。

「一ヶ月限定同棲生活に乾杯」
 
 悪戯っぽく笑う拓実。 

「か、乾杯……」

『同棲』という響きに、陽介は声が擦れた。
 照れ隠しにビールをあおると、すぐに頬が熱くなる。
 それが照れたせいなのか、アルコールのせいなのか、陽介はぼんやりと考えていた。
 
 拓実の料理は、経験を感じる家庭的で美味しいもので、陽介が、美味しいと何度も言う度に、拓実の返事する声が、ほんの少し弾んでいた。