夢の中の少女

 ふと、僕の視線が部屋の棚に飾ってある写真立てに吸い寄せられた。

 そこには、赤ん坊を抱いた母親とおぼしき女性が、左側を向いて幸せそうに笑っている写真があった。その女性の視線の先、写真の左側は、不自然に切り取られている。

 ——え?  僕の家の、あの写真。右側を向いた父。切り取られた右端。この写真の左側。二つの写真が、僕の頭の中でパチリと合わさるような錯覚を覚えた。

「あら? お客さん……って男物の靴じゃない、優希、彼氏連れてきたの?」

「やだもお、友達よ。紹介するから入って」

 そんな声がして、優希の後から母親らしき女性が入ってきた。

「紹介するね、お友達の『ゆうき』くん」

「はじめまして、優希の母の……」そう言いながら、女性の目が僕を捉えた。その瞬間、優希の母親は言葉を失い、石になったように立ち尽くしたまま、僕の顔をじっと見つめていた。


 静かな部屋に、時計の音だけが、カチカチと聞こえていた。沈黙にたまりかねた僕は、とにかく挨拶をすることにした。

「真城祐希です。はじめまして」

 その名前を聞いて、優希の母親がビクッと震えた。

「ママ?」——不審そうに優希も母親を見ている。

「はじめまして、優希の母の伊藤優美です。遊びに来てくれてありがとう。でももう遅い時間だから、女の子の家に遅くまでいるのは、大人としては感心できないわね。今日はもう帰りなさい。お父様やお爺様も心配なさるでしょう」

 そう言うと、彼女は僕の荷物をとって帰るように促す。

「ええ、いいじゃない祐希はいつももっと遅くに帰っているって言うからまだ大丈夫よ」

 そう優希が懇願するが、母親は取り合わない。

 僕は鞄を手にもたされて、そのまま追い立てられるように、外に出させられると、目の前で、マンションの扉が締まり、ガチャリと鍵のかかる音がした。

 それは僕と優希の間を冷たく阻んでいるような気がした。


 しばらく僕は所在なげに、扉の前で立ち尽くしていたが、諦めて外に出た。その足取りは鉛の靴でも履いているように重かった。どう歩いたかわからないうちに気付いたら電車の中にいた。何度もスマホを見るが、優希からのメッセージはこない。

 一口だけ食べた暖かい鶏肉の味だけが、ただただずっと、舌に残っていた。あそこに自分の欲しかった色々なものがいっぱいに詰まっていた。

 車窓にふと優希の顔が見えたような気がして、凝視するが、そこに映っていたのは何のことはない自分の顔だった。大きなため息をつくと、僕はまた時間だけを映すスマホの画面を見つめていた。

 最寄りの駅につく前に、いつものように父へ到着時刻を知らせるメールをした。

『今日は少し早かったんだな、ちょうど仕事終わる頃だからそのまま迎えに行く』

 そう帰ってきた父の言葉が、何か遠いもののように感じた。


 駅につくと、父の車が駅前に止まっていた。

「お待たせ」そう言うと僕は助手席に乗り込んだ。何も言わず車を走らせる父。

 その父の横顔を見て、僕はあの写真を思い出した。そして、父が何と言うのか気になって、つい作り話を口にした。

「今日、予備校出たところで、少し気分が悪くなってうずくまってたら、親切な女性が助けてくれてね。看護師さんなんだって、伊藤優美さんって言ったかな」——そう言った瞬間、父の表情が固まるのがわかった。ちょうど僕の名前を聞いた優美さんと同じような表情をしていた。

「そ、そうか、親切な人だな、ちゃんとお礼は言ったか?」

 動揺を隠すように珍しく饒舌に父が喋ってくる。僕は、「はい」とそう答えた。

 その後は、白々しい空気が車内に流れている中、内容のない父の予備校の勉強への質問が何度か繰り返されて、僕はそれに当たり障りのない返事を返した。

 その父の態度は、明らかに何かを誤魔化したいという態度にしか見えなかった。

 家に帰って、味のしない夕飯を食べ終わると、僕は部屋に戻る。引き出しの奥からあの写真を取り出してきた。その切り取り線は確かに今日見たあの写真と重なるように見えた。

「どういうことだよ?」——僕の疑問の言葉はただ何もない部屋に吸い込まれていくようだった。

 二つの写真が、僕の中でひとつになった。