Webデザイナーのわたしと、ハッカーの彼!

「先輩が、"Strange(ストレンジ) Lemon(レモン)"……!?」

 わたしは、驚きのあまり電流が頭のてっぺんから足のつま先まで走ったように感じた。

 そう、Strange Lemonとは、正体は不明だけど世界的に知られているハッカー。
 悪いことをするハッカーじゃなくて、サイバーテロリストから政府関連期間や公的組織、大手企業のサイトやシステムを守る仕事を請け負っている、いわゆるホワイトハッカーだ。

 海外で、某国の政府機関や大企業のシステムを狙った大規模なサイバーテロを起こったが、それに介入してさらなる攻撃を防いだのも、またランサムウェアによって、日本の某企業を狙った犯罪集団を特定し解決に導いたのも、公表はされていないが実はStrange Lemonのおかげだと、ネット上では噂されている。

 その正体はだれなのか、いままでにもいろいろ取り沙汰されてきた。
 ネット上で、米国やヨーロッパの著名なプログラマー複数の名が挙がったこともある。

 そんなStrange Lemon、その本当の正体が千坂先輩なんて……。
 そんなこと……。

 わたしは思わず、先輩に食いつくように話した。

「……先輩が、あのStrange Lemonなんて……。
 ……あの、わたし、天才ハッカーって呼ばれるような人って、見るからに理系の秀才タイプで、鋭そうでトゲトゲしてて、みたいな……要するに、頭よ過ぎて近寄りがたいオーラ発してる系の人、ってイメージしかなくて……。
 そやから、先輩みたいにニコニコしてて親しみやすい感じの人が凄腕ハッカーStrange Lemonだなんて言われても、どうにも頭の中で結びつかないですよ……」

 千坂先輩はわたしの言葉を聴き表情を見ると、照れ隠しのように両手を頭の上に乗せて天井を見た。

「……まあ、信じられないかもしれないな。
 でもほんまや。
 ハッカーっていっても、みんながみんな、ピリピリしたやつらばかりなわけじゃない。
 こういうタイプのハッカーがおっても、ええやろ。
 な?」

 そして先輩は、まだ半信半疑の表情のままのわたしに、自分がハッカーになった経緯を話し始めた。

「オレがコンピューターハッキングというものを知ったのは小学生のころ。
 半分遊びのつもりで始めたのが最初だ。
 オレの家は親父がパソコン用パーツのメーカーに勤めていたから、家にもパソコンが何台もあって、子どものころからパソコンは身近な存在だった。
 パソコンはオレにとって、言わばおもちゃみたいなもんだったわけさ。

 それで、本やネット情報を参考にしながら、少しずつプログラミングやネット技術を身につけていき、やがてより高度なことができるようになった。
 身につけた能力を応用して、大企業の社内システムにこっそり侵入してみたり、政府関連機関のWebサイトの裏に入って中のシステムを覗いてみたり……。
 ……あっ、情報を盗んだり、悪いことはなにもしてないぞ、念のために言っとくけど。
 あくまで腕試しが目的だったからな。

 高校生になると、ハッカーの能力を競うコンテスト、いわゆるハッカソンというものがあるのを知って、参加するようになった。
 そこで入賞するようになり、大学に入ったころには毎回なにかのハッカソンで優勝できるようになった。
 するとそれをきっかけにして、企業からシステムの脆弱性を探してほしいとか、セキュリティー強化のため対策を提案して実装してほしい、というような仕事の依頼が来るようになった。

 そんなふうにして、オレはそうした仕事の依頼を請けるようになり、自分の力を発揮できる場が与えられた。
 いわゆる『ネットセキュリティー』という世界に足を踏み入れたんだ。
 これが、オレのハッカーとしてのキャリアの始まり。

 大学を中退するか卒業してすぐにでも、この仕事を個人で請けるなりして本業にしてもよかったんだが、その前にオレはまず普通に会社勤めして経験を積もう、って考えた。
 会社組織に所属することを経験して、組織運営のノウハウを学びたいと思ったんだ。
 というのも、いつか自分で会社を作りたいと思っていたからな。
 それで、就活シーズンになるとシステム会社へ就職するべく活動を開始し、入れてもらったのが前の会社、ビットシステムズ。
 そう、きみもいた会社だ」

 わたしは先輩を見つめて、こくり、とうなずいた。

「はい。
 先輩がおってくださったおかげで、わたしも先輩に会えました」

 先輩はまた人懐っこい笑顔になった。

「そうやな」

「ビットにいたときも、ハッカーの仕事はやってたんですか?」

 先輩はうなずいて続けた。

「うん、前の会社にいたときも、ハッカーの仕事を受注して帰宅後にこなしていた。
 でも、会社に勤めて四年経ったころかな、自分の好きな仕事だけを好きなようにしたい、って思いが強くなってな。
 自分で会社を作れば、普通のシステム開発もハッカーの仕事も好きな分だけ、好きなように回せる。
 それで、これはそろそろ起業する潮時かな、と考えたんだ。
 つまり、オレが起業した目的は、普通にシステム開発と、そしてもうひとつはハッカー業務。
 この両方をやるため、ってことや」

 わたしの心の中で、いろんな想いが駆け巡った。

 起業して自分の裁量で仕事をしたい、という先輩の思いはわたしもよくわかる。
 でも、先輩が前の会社を去ったとき、わたしが感じたさみしさもまた事実。
 いま、その気持ちをついぶつけたくなってしまった。

「さみしかったんですよ、先輩が辞めるってのを聞いたとき。
 置いていかれた気持ちがして」

 先輩は申し訳なさそうに言った。

「ごめんな。
 でも、いつかきみを絶対誘おうと思うてたんやぞ。
 そのために、早く会社を軌道に乗せなきゃとも思った。
 で、それを実現できたから、こうやって誘うてる」

 わたしは、思わず笑みを漏らした。

「はい、知ってます。
 辞めるときも、そう言うてくれましたもんね。
 もちろんおぼえてます」

「ああ」

「わたし、先輩のお誘いの言葉があったから、前の会社でがんばってこれたんです。
 先輩のもとに行けるまでは、ここでできるベストの仕事をしよう、って」

「うん。
 ……ありがとうな」

「ありがとうは、わたしが言うべき言葉ですよ」

「まあ、おたがいさまやな」

 先輩はデスクの上のPCディスプレイを撫でるように触った。

「……そんなわけで、こうやって自分の会社を作って、いまに至るわけや。
 いまは自分の会社だから、こんなふうにハッカー業務専用の部屋を作って、本業の合間に好きにやっている。
 で、最近はこのハッカー関連の仕事依頼が急増しててな。
 時節柄というか……」

 そして先輩はわたしに話し始めた。

「……で、ここから本題に入るぞ。
 きみにお願いしたい仕事というのは、このハッカー業務のアシスタントだ。

 きみの専門はWebデザイナー・UI/UXデザイナーだ。
 だが、プログラムやネットセキュリティーについての勉強も欠かさずやっている。
 だから、その知識もスキルもけっこうある。
 プログラマーとの共同作業を数多く経験してきているから、コミュニケーション力や連携能力も高い。
 だから、オレのようなハッカーと連携して仕事するのも、うまくできるはずだ。

 それになにより、きみには仕事に対する情熱がある。
 困難があっても、それを乗り越える力を持ってる。

 案件のほとんどは、システムのセキュリティーを守ったり、サイバーテロに遭ったシステムを修復し、テロリストを特定しそれ以上の攻撃から防ぐこと、これが業務になる。
 たいていの場合、サイバーテロリストはWebサイトを通じて社内システムに侵入してくる。
 つまり、HTMLやJavaScriptの脆弱性を突いてくることが圧倒的に多いんだ。
 だから、きみのようなWebデザインが専門で、なおかつプログラミングやセキュリティーの知識もじゅうぶんに持っている人間を、とても必要としている。

 そういうわけで、このハッカーアシスタント業務にはきみが最も適任だとオレは思う。
 ……これが、織宮さんを誘った第一の理由」

 そこまで言うと、先輩はわたしから目をそらすように横を向いて、ぼそっとつぶやいた。

「第二の理由は……。
 もう何度も言ってるけど、きみと仕事をするのは楽しい。
 だから。
 ……ハッカー仕事もきみといっしょにやってみたい、ずっとそう思うてた……」

 先輩が恥ずかしそうに言うのを見て、わたしも顔が赤くなった。
 うれしかった。
 
 でも、本当にこの仕事がわたしにできるだろうか。

「ほんまに務まりますやろか、わたしに。
 世界的ハッカーのアシスタント、ってことですよね……」

 先輩はまた人懐っこく笑った。

「できる。
 心配ないよ、オレは確信してる」

 わたしはいっそう顔が赤くなった。
 続ける言葉が見つからない。
 彼も黙ってしまったので、沈黙が支配した。
 やがて、この沈黙を打ち消したいとでもいうように、先輩が声を出した。

「……あ!
 もう5、6分くらいしたら、錠前さんもここに来る。
 なので錠前さんが来たらみんなで仕事場に入ろう。
 より具体的な業務内容について説明するよ」

 わたしは息を整え、火照った顔を直すように両手で頬を、ぴちゃっ、と叩くと先輩に尋ねた。

「錠前さんは、このお仕事のことをすべてご存じなんですか?」

「ああ。
 錠前さんは、うちの社員でこの業務のことを知っている唯一の人だ。
 このハッカー業務は、仕事量もそれなりにあるし、実は報酬もかなりの金額を占めている。
 そやから、この業務の存在が表には出ないようにしつつ、経理上は合法的に処理することが必須だ。
 虚偽の取引名目とかで処理したら、すぐに役所に目をつけられてバレるのが目に見えてるからな。

 錠前さんは、もともとサイバーテロの事例やそれに関わる法律にくわしい。
 それに経理のプロでもあるから、そのへんのことがよくわかっていて処理が上手だ。
 それに口も堅いし、こういう会社の機密事項も外に漏れないよう、確実に守ってくれる。
 彼女の、そういう能力と責任感があるところを見込んで、オレは彼女を雇ったんだ。
 全面的に信頼できる人だよ」

 ……ん。
 経理以外に、サイバーテロの事例や関連する法律にくわしい……。
 錠前さんの前職って、いったいなんだったんやろ?
 
 わたしはいろいろと想像してみたが、ちょっと思いつかない。
 本人に聞いたら、教えてくれるやろか?
 (いやー、どうやろ……)
 いつか、教えてもらえるときが来るだろうか。

 先輩が続けた。

「ただ、錠前さんには、織宮さんをこの仕事に入れることについてかなり反対された。
 業務時間外の仕事だし、守秘義務も多い、責任も伴う、心身の負担も大きい……。
 総務担当として懸念を抱くのは、まあ当然やろう。
 彼女が『いろいろとリスクが伴う』と言うのは、そのとおりだ。

 でも、もう二人では……そう、オレともうひとり、フリーランスで手伝ってくれてる人間がいるんだが、その二人では回し切れなくなってきつつあるくらい、依頼が増えてきている。
 だから、どうしてもあとひとりメンバーに加えたいと思ったとき、オレにはきみ以外考えられんかった。
 もちろん、無理をお願いしてるのは承知の上だ。
 それでもきみが受けてくれるなら……」

 そこまで先輩が話したところで、このルームのドアが開き、錠前さんが入ってきた。
 錠前さんもスマートウォッチを左手首につけており、それをかざして開けたようだ。
 
 錠前さんはふだんと変わらず、冷静な表情と様子で軽く頭を下げると言った。

「社長、織宮さん、お疲れさまです。
 ノックなしで失礼します。
 このドアは分厚くて、ノックしても伝わらないので意味がありませんし、ノックして大きな音を出すのも、ほかの社員の注意を引くことになって不都合ですので」

 錠前さん、大真面目な顔でそういう、ジョークなのかようわからんようなこと言うのや。
 わたしは思わず、くすっ、と声を出してしまった。

「……あ、すみません!
 錠前さん、お疲れさまです」

 錠前さんはびくともしていないようだ。
 冷静なまま、先輩とわたしに尋ねた。

「どこまで話は行ってますか」

 先輩が言った。

「錠前さん、ちょうどいいところに来た。
 お願いしたい業務の概要と、オレがハッカーを始めた経緯を、いま彼女に説明したところだ。
 これから三人でエレベーターに乗って、オフィスに行こう」

 錠前さんが応えた。

「そうですか。
 ……いままでの話を聞いた現時点で、織宮さんは辞退したいというお気持ちはないですか?」

 わたしはすぐに答えた。

「はい、ないです。
 正式にはこのあとのご説明を聴いてからですが、いまの時点ではぜひお仕事をさせてほしい。
 そう思ってます」

 錠前さんは先輩に言った。

「織宮さんにいちばん重要な話、条件などの説明はしましたか?」

 先輩が思い出したようにあわてて付け加えた。
 
「そうやった!
 それを忘れてた!」

 錠前さんは表情を変えずに、社長を睨むと言った。

「最初に織宮さんに伝えるよう、申したはずですが」

「すまん……」

 先輩、もしかして錠前さんの尻に敷かれてる?
 先輩がわたしを見て、話を続けた。

「えー……この案件においての、織宮さんの労働条件などを話してなかったな……。
 いまからそれを言うよ。 

 この仕事は『サイバー攻撃からシステムやWebサイトを守る』というものである性質上、さまざまなリスクがつきものだ。
 織宮さんがこの業務を引き受けてくれたなら、きみにはもちろん、今後ネットセキュリティーについてのより高度な技術・知識・スキルをオレが教えていくし、業務上のヘルプも常時していく。

 ただ、実際に本番業務に入れば、サイバーテロリストがしかけてくる攻撃をリアルタイムで防いでいくスキルもいずれ求められるようになってくる。
 基本的にチームワークでやっていくから、常にオレがサポートしていくけど、想定外の事態も常に起こり得る。
 場合によっては、サイバー攻撃に個々人が即座に判断しながら対応していくことも、ゆくゆくは必要になってくるだろう。
 これについても、オレが教えていくからご心配なく。

 それから勤務時間について。
 基本的に、織宮さんには本業の業務終了後、週に2、3日、1日2時間程度というふうにしようと考えてる。
 オレたちがやっている分は、深夜まで及ぶこともあるが、きみにはそんな負担はかけないようにする。
 これは錠前さんと相談した上での考えだ。
 とはいえ、織宮さんにそれなりの負担がかかることは確かだ。 
 もちろん、きみの体調が最優先なので、希望があったら相談してほしい。
 こちらとしては、週に2、3時間手伝ってくれるだけでも助かるから。

 でもこの仕事、うまくいったときの達成感は格別だぞ!」

 先輩の言葉にわたしが返そうとすると、錠前さんが割って入った。

「……それから、もうひとつ重要なことですが、金銭面での待遇についてです。
 この業務を織宮さんが引き受けていただいた場合、概算ですが給与が現行の約3割増しになるとお考えください。
 通常の残業代計算よりははるかにいい待遇になるかと思います。
 正確な額は別途、後日に提示します」

 え、いまの3割増し……!
 これは社会貢献みたいなもの、と考えていたのに、金に目がくらんでしまいそうだ……。
 しょうもな、わたし……。

 先輩が話を続けた。

「ということで、昼間も言ったとおり、いま話したところまでを聞いた上で、受けるか受けないかの判断してほしい。
 自分には負担が大き過ぎる、無理だ、と思うなら、断ってもらって全然かまわない。
 きみには断る権利がある。
 これを断っても、社員としてのきみの待遇に影響することはまったくない。
 だから安心してくれ。
 ……錠前さん、あと補足することはないか?」

「いえ、とりあえずこれでいいと思います」

 そして錠前さんはわたしのほうを向いて、ふだん見せることがないような、いくぶんやさしげな眼差しになると言った。

「織宮さん、いかがですか。
 社長はサポートすると言ってますが、率直に申しますとなかなかキツいことも多い仕事になる可能性は高いです。
 あなたの症状に負担をかけ、悪化させる危険性もあり得ます。
 わたしはそれを心配しているので、本当は労働条件についてももっと短時間、軽いものを提案しておりました。
 いま社長がお話した条件は、社長の希望との間で妥協した条件です。
 本来なら、もっとあなたをお守りできるような条件にすべきところですが、力足りずで申し訳ございません……」

 錠前さんがそう言って深々と頭を下げたので、わたしはびっくりして、いえいえ、そんなこと、と声をかけた。

 錠前さんは頭を上げ、メガネに指をかけて整えると続けた。

「織宮さん、それでも、これからオフィスに行き、説明をお聴きになりますか?
 いま、ここでぜんぜん断ってくださってもよいのですよ」

 わたしは考えた。
 いろいろとたいへんかもしれない。
 特にわたしのような障害を持っている人間には。
 それはよくわかっている。
 
 でも、やりたい。 
 先輩といっしょに、これまでよりもっとすごい仕事を……。

 先輩と錠前さんを見て、わたしは訴えるように声を上げた。

「……行きます。
 連れて行ってください」

 錠前さんが、ふぅ、とため息をついた。
 先輩は安堵したように笑顔になっていた。
 あはは、なんと言うべきか……。

 錠前さんが応じた。

「……そうですか。
 そういうことであれば、このあと社長とわたしの説明をお聴きになった上で、慎重にご判断ください」

「はい、ありがとうございます」

 先輩がうなずくと言った。

「よし。
 じゃあ行くか」 

 開いたエレベーターの出入口の中に、先輩、錠前さん、わたしは入った。
 錠前さんがエレベーターのボタンを押した。
 エレベーターの扉が閉まり、動き出す音と振動が伝わる。

 エレベーターの中は、壁も天井もすべてが、真新しい銀色に輝く金属。
 まるで、未来へと連れて行ってくれる乗り物のよう。
 エレベーターが動くかすかな振動と音は、足元や耳、身体に響き続けている。
 
 ふと気がついた。
 エレベーターは下がっているのではない。
 上のフロアへと上がっているのだ。

 それまで黙っていたわたしは、先輩と錠前さんを見て尋ねた。

「……上のフロアにあるんですか、仕事場?」

 先輩がわたしを見つめると、ドヤ顔っぽくニッと笑った。

「よく気づいたな。
 そう、上のフロアにある。
 会社のオフィスにここを契約したときに、空いていた上のフロアもいっしょに押さえといたんだ。
 普通、隠れ仕事部屋といえば地下とかに作るやろ?
 だから、地下に作るのはかえってバレやすい。
 逆に、階上に作ったほうが普通のオフィスと区別がつきにくくてバレにくい……。
 そう考えたわけだ」

「なるほど」

「それに、この仕事場は小さい。
 個人が住むマンションの一室並みの広さしかない。
 でも、少人数だからその広さでじゅうぶんやし、小さい部屋のほうが、いざというときに即座に撤去したり、ほかの部屋に移動したりも楽だから、その一角を選んだ。
 オフィスがある12Fは、ほかにテナントは入ってないので、うちが独占して使っている。
 物理的にもそう簡単には侵入できないように、いろいろしかけがしてあるんや」

「まさに秘密基地ですね」

 錠前さんがめずらしく、かすかに皮肉っぽいけれど、でも楽しげにも見える笑顔を浮かべて応えた。

「……まあ秘密基地というより、『社長の避難場所』と言ったほうが適切ですかね。
 おかげで、わたしはそれがほかの社員にも世間にも知られないようにするのに、骨を折っているわけですが……」

 錠前さんは、いつも社長に厳しい物言いをしているように見えるが、実際のところ彼女もこのハッカー業務に意義を認めているし、先輩の『志』とでもいうべきものに賛同する部分があるからこそ、この会社に入り、このハッカー業務のサポートを引き受けているのだろう。

 そう考えると、わたしの中でなにか感動めいたものがこみ上げてきた。
 わたしはあわてて、指で目元を拭った。
 
「着きました」

 錠前さんがそう言うのと同時にエレベーターのドアが開き、目の前に暗く、がらんどうのフロアが現れた。
 倉庫のように中にはデスク、チェア、テーブル、デスクトップPC本体やディスプレイなど、さまざまな備品がびっしりと置かれている。
 そんな備品の山の向こうの左奥に、また金属と特殊樹脂でできているらしい壁に覆われた小さな一角があった。

「あの奥の小部屋です」

 わたしは心の高揚を感じた。
 
 ここが、ハッカー業務専用のオフィス……。

 先輩が先導して、三人は小さな角部屋の前に立った。

「ここは鍵が二重だ。
 まずひとつめ」

 先輩が再びスマートウォッチをかざすと、金属のドアが両開きに開いた。
 入ると、さらに同じような重い色の金属製ドアが行く手を遮っている。

「そしてふたつめ。
 こっちはスマートウォッチでは開けられない。
 指紋と顔認証が必要だ」

「普通の大手企業より厳重ですね」

「そもそも普通の大手企業が甘過ぎるんだよ。
 最強度のセキュリティーを目指すなら、このくらいまでやるのが当然だ」

 先輩はそう言って、ドアの右脇にあるセンサーに右手を当て、同時に左右上部にあるカメラを見つめた。
 ピピッ、とセンサーが反応する音がして、ロックが解除され、重いドアが開いた。

 はあー……すごい……。

「現時点でこの指紋と顔認証を登録してあるのは、オレと錠前さん、そして契約フリーランスで手伝ってもらってる青桐くんの三人のみ。
 もし織宮さんも、ここに加わることになれば……」

 錠前さんがぴしゃりと言った。

「まだ決まってません。
 織宮さんに業務の概要を説明し終わって、そのあとに彼女の意志を確認してからです」

「わかったわかった……。
 織宮さん、そういうことだ」

 錠前さんが手を差し出してわたしを案内した。

「どうぞ、織宮さん。
 ここがハッカー案件用のオフィスです」

 わたしたちが入った部屋。
 そこは、確かに個人の住宅用マンションのひと部屋のようだった。
 3LDK程度の小さな部屋。
 しかし、デスクとチェアが肩を並べ、その上には最新鋭・最高性能レベルのデスクトップPC、ディスプレイ、ノートPC、タブレットなど、業務に必要そうな機器はすべてそろっている。
 デスクの前には窓があるが、シェードがかかっていて外の光はわずかに間から漏れ入ってくるだけ。
 しかしその狭さが、かえって自宅の部屋で仕事をするかのような親密さを醸し出してくれる。

 先輩が自分のデスクと思われる前にあるチェアに座った。

「どうや?
 悪くないやろ」

「はい。
 マンションの自宅部屋の中に、個人事業主が構えたオフィスみたいですね。
 オフィスっぽくないのが、かえってすごくええと思います」

「うん、オレも気に入ってる。
 このなんでもなさが」

 そう言って、先輩がデスクの上のノートPCを開いた。
 すでに電源はONになっている。

「デスクトップPCも使えるんだが、オレはノートを使うほうが多い。
 持って移動できるからというのもあるしな」

 それから、先輩はハッカー業務のよりくわしい内容(月間の平均案件数、具体的な事例、サイバーテロの典型的な手口や最近のトレンドなどの概要)、そしてハッカーのアシスタント業務についての概要と具体的な業務内容を説明してくれた。

「……これはいま受けてる案件なんだが、サプライチェーン攻撃で系列会社のサイトから侵入し、親会社の社内システムに入り込んだ手口だ。
 織宮さん、このHTML見て、侵入経路わかるか?」

 わたしは先輩が差し出したノートPCの画面に映し出されているHTMLのソースコードを、一字一句見落とすまいと順に読んでいった。

「HTMLのコードと、ここの関連するJavaScriptファイルのつなぎかたに、見た目には影響してませんけど脆弱性がありますね。
 ここから侵入したんやないですか?」

 先輩がうれしそうにわたしを見つめて、ぐっ、と親指を上げた。

「ご名答!
 そのとおり。
 ではその修正方法は……」

「ここのコードをこことでいったん分離してこう書き換えると……」

 わたしが先輩のノートPCに直接打ち込むと、先輩はうなずいた。

「そう、これもそのとおり。
 頼もしいな、そう思ってたけど」

「えへ」

 先輩のお褒めの言葉に、わたしは思わず間抜けな声を出した。

***

 先輩と錠前さんがわたしの前で話した。

「……いまは概要を説明しただけだが、でも、いまのサンプル事例も侵入経路と解決法の両方、ちゃんと答えられたし、織宮さんはなんの問題なくこの仕事ができそうやな」

「社長、織宮さんには冷静に判断していただきましょう。
 ……織宮さん、いますぐでなくてもけっこうです。
 よく考えた上で、受けるか否か回答いただければ」

 でも、わたしの心はもう決まっていた。
 わたしは、きっ、と前を向いて、先輩と錠前さんの顔を見つめると答えた。

「先輩……いえ社長、錠前さん。
 もうよく考えました。
 やります、このお仕事。
 お引き受けします!
 できるかぎりがんばらせていただきます。
 みなさんにいろいろサポートもいただくことになるかと思いますので、その際はよろしくお願いいたします」

 そう言って、わたしは二人に深くお辞儀をした。
 
 先輩が感無量とでもいった感じに、息を、すぅー、と吸う音が聞こえた。
 そして喜びの表情でわたしに応じてくれた。

「ありがとう、織宮さん。
 すごくうれしいよ。
 いっしょにがんばろうな!」

 錠前さんの表情もやさしかった。

「わかりました。
 お引き受けしていただく、と決まったからには、織宮さんの負担が最小限になるよう、わたしも全力でサポートいたします。
 どんなことでも遠慮なさらず、おっしゃってくださいね」

 わたしは心を打たれて、涙が出そうになった。
 その前に、先輩と錠前さんの二人の手が、わたしの手をがっちり支えてくれた。
 
 ああ、そうなんだ……。
 みんなが、こうやって支えてくれるんだ。
 きっとできる。

 わたしはそう思った。
 
 落ち着くと、先輩が言った。

「そうそう……さっき話した、フリーランスで協力してもらってる青桐くんに、ビデオチャットだけどあいさつに顔出ししてくれるよう、頼んであるんや。
 ログインしてみよう……お、来てる来てる。
 青桐くん、悪い、おまたせ!」

 ディスプレイのビデオチャット画面に映ったのは、黒髪を長いストレートにした、色白で細めの面長な美形の人……。
 若い女性?
 でも先輩、『青桐くん』って呼んだよな。

 上半身までしか映っていないが、その服装もベージュのーパーカー、その下にダークブルーのTシャツという姿。
 ユニセックスな服装なので性別はわからない。
 でも、見た目はどう見ても女性、しかもかなり美人にしか見えない。
 その人が、チャットソフトの向こうからこちらに話しかけてきた。

「千坂さん、遅いよー。
 待ってる間に仕事2件ほど、終わらせちゃったからね!
 あとで報告送りますけど」

 その声は、女にしては低め、男にしては高め。

「すまんな。
 ハッカー助手の件、決まったぞ。
 紹介するよ。
 織宮理乃(おりみやまさの)さん。
 うちでWebデザインやUI/UXデザインを担当してもらってる。
 プログラムやネットセキュリティーのスキルもあるんで、オレたちとの共同作業もスムーズに行くはずや。
 頼もしい人なんで、期待しててや」

 わたしは思わず、

「先輩!
 そんなプレッシャーかけんといてください!」

と叫び声を上げた。
 チャットソフトの向こうの人が、くすっ、と笑うのが聞こえた。

「前に言ってた、社長の前の会社の後輩さんですね。
 はじめまして、ぼくは青桐鞘(あおぎりさや)
 このチームではサイバー攻撃手法の分析と対策、その他もろもろを担当してます。
 セキュリティーエンジニアが本業で、フリーランスで仕事してる。 
 千坂社長と出会ったのは……いつだっけ、ネット上やったよね?
 ま、思い出したらまた話すね。
 きょうはビデオチャット越しだけど、近々そちらにお邪魔するんで、そのとき直接会えるのを楽しみにしてるよ。
 よろしくお願いします」

 え、男?

「……あ、青桐さん、男性なんですか?」

「ああ、そうやな、見た目だけじゃわかんないよね。
 そう、生物学的には男。
 でも、どっちでもない、って言ったほうが正確かな。
 めずらしく見えるかもしれないけど、そこ以外は普通の人間だから、きみも普通に接してくれるとうれしいな」

「……あ、はあ、はい、わかりました。
 ありがとうございます」

「ほな、青桐くん、またあとで案件の話を!」

「はい、千坂さんとはまたあとで」

「おう」

「錠前さん、次お伺いしたときに、業務量の確認しますんで、お願いします」

「はい、お待ちしてます」

「そして、織宮さん。
 これからよろしく。
 ぼちぼちやって行きましょ!」

「はい、ありがとうございます。
 よろしくおねがいします!」

 ビデオチャットがログオフになった。
 いい人そうや、青桐さん。
 
 先輩が言った。

「彼……というか青桐くんは、生物学的には男だが、男性にも女性にも性的に欲望を持たない、いわゆるアセクシャルなんだ。
 でも、見た目があんなふうにとてもきれいやから、街を歩いてるとよく声かけられたり、迷惑してるって言ってる」

「あー、わかります」

「彼は、腕はめちゃくちゃ優秀なんだ。
 青桐くんがいなかったら、仕事の半分は回らなくなるくらい、助かってる。
 織宮さんも今後、彼……というべきか、彼女というべきか、とにかく青桐くんからいろいろ学べると思うよ」

「はい、楽しみです!」

 わたしは笑顔で声をはずませた。
 先輩も両手を上げて叫んだ。

「いやー、これからおもしろくなりそうやぞ!」

 そこにすかさず錠前さんが注意した。

「まだ喜ぶのは早いです、社長。
 これから解決しなければならない問題が増えますよ、まちがいなく」

 そうかもしれない。
 でも、それでも、おもしろくなるんや、きっと。
 わたしもそう思った。

 このメンバーで、サイバーテロから企業や人々を守っていく。
 それはどんなにたいへんであっても、それを補って余りあるくらい、エキサイティングな仕事にちがいない!
 チャレンジするだけの価値がある!
 そんなワクワクする気持ちで、わたしの心の中はあふれかえっていた。
 絶対がんばるぞ。
 そうわたしは、決心したのだった。