奏が来なくなって、三日が過ぎた。
教室の窓際にも、購買のパンコーナーにも、あの騒がしい太陽の姿はない、
「………せいせいするわ」
放課後の図書室、めくったページの文字が滑っていく。
追い払ったのは自分だ。あの残酷なほど優しい楽譜を突き返したのは私だ。これでようやく、静かな「抜け殻」の日常に戻れる。
そう思っているのに、私の耳は、無意識に「隣」の音を探していた。
旧校舎から聞こえてくるはずの、下手くそなピアノ。
それが聞こえないことが、こんなにも落ち着かないなんて。
気付けば、私はまたあの音楽室の前に立っていた。
扉は閉まっている。けれど、隙間から漏れてきたのは、三日前とは違う、痛々しいほど悲痛な音だった。
――奏のピアノだ。
彼女は一人で、あの連弾曲を弾いていた。
本来なら奏が弾いていた伴奏はなく、本来なら私が弾いていた旋律を。
高音域のメロディだけが、支えを失って宙に浮いている。
伴奏が鳴るべきはずの空白の時間、彼女はリズムを崩さないように、必死に拍子を数えている。その「音のない時間」こそが、今の私達の距離そのものだった。
突然、音が止まった。
「……う、……ううっ………」
扉の向こうから、嗚咽が聞こえる。
「……ごめんね、零。……ごめん、なさい………」
奏が泣いている。
三年前のあの日から、ずっと彼女を縛り続けている罪悪感。
私が逃げ続けることで、彼女に背負わせ続けていた十字架。
私は、自分の右手がじっと見つめた。
動かない。
けれど、この手が動かないことよりも、隣で泣いている彼女を放っておくことの方が、今の私には耐え難かった。
私は扉を乱暴に開けた。
「……テンポが速すぎるって言ったでしょ」
ピアノに突っ伏していた奏が、弾かれたように顔を上げた。
涙でぐちゃぐちゃの顔。真っ赤な目。
「零………?」
「その楽譜、まだ持ってるんでしょ。………出しなさいよ。一回だけ、合わせてあげるから」
奏は目を見開いたまま、震える手で鍵盤に指を置く。
私の左手が、重く、深く、鍵盤を沈ませた。
一音。
ただの一音。
けれど、その音が鳴った瞬間、奏の旋律に血が通った。
動かない右手は、膝の上で強く握りしめる。
それでも、私達は今、間違いなく同じ音楽の中にいた。
不完全な、欠落だらけの、けれど、世界でたった一つの私達の音が、暗い音楽室を満たしていく。
教室の窓際にも、購買のパンコーナーにも、あの騒がしい太陽の姿はない、
「………せいせいするわ」
放課後の図書室、めくったページの文字が滑っていく。
追い払ったのは自分だ。あの残酷なほど優しい楽譜を突き返したのは私だ。これでようやく、静かな「抜け殻」の日常に戻れる。
そう思っているのに、私の耳は、無意識に「隣」の音を探していた。
旧校舎から聞こえてくるはずの、下手くそなピアノ。
それが聞こえないことが、こんなにも落ち着かないなんて。
気付けば、私はまたあの音楽室の前に立っていた。
扉は閉まっている。けれど、隙間から漏れてきたのは、三日前とは違う、痛々しいほど悲痛な音だった。
――奏のピアノだ。
彼女は一人で、あの連弾曲を弾いていた。
本来なら奏が弾いていた伴奏はなく、本来なら私が弾いていた旋律を。
高音域のメロディだけが、支えを失って宙に浮いている。
伴奏が鳴るべきはずの空白の時間、彼女はリズムを崩さないように、必死に拍子を数えている。その「音のない時間」こそが、今の私達の距離そのものだった。
突然、音が止まった。
「……う、……ううっ………」
扉の向こうから、嗚咽が聞こえる。
「……ごめんね、零。……ごめん、なさい………」
奏が泣いている。
三年前のあの日から、ずっと彼女を縛り続けている罪悪感。
私が逃げ続けることで、彼女に背負わせ続けていた十字架。
私は、自分の右手がじっと見つめた。
動かない。
けれど、この手が動かないことよりも、隣で泣いている彼女を放っておくことの方が、今の私には耐え難かった。
私は扉を乱暴に開けた。
「……テンポが速すぎるって言ったでしょ」
ピアノに突っ伏していた奏が、弾かれたように顔を上げた。
涙でぐちゃぐちゃの顔。真っ赤な目。
「零………?」
「その楽譜、まだ持ってるんでしょ。………出しなさいよ。一回だけ、合わせてあげるから」
奏は目を見開いたまま、震える手で鍵盤に指を置く。
私の左手が、重く、深く、鍵盤を沈ませた。
一音。
ただの一音。
けれど、その音が鳴った瞬間、奏の旋律に血が通った。
動かない右手は、膝の上で強く握りしめる。
それでも、私達は今、間違いなく同じ音楽の中にいた。
不完全な、欠落だらけの、けれど、世界でたった一つの私達の音が、暗い音楽室を満たしていく。



