追放令嬢、隣国の王太子と異世界ウェディング事業を始めます!

 月明かりの下、芝生の上で重なり合ったまま。アンネリーゼたちはしばらくの間、動くことができなかった。

(とても恥ずかしいけれど……離れたくない)

 この心地よい温かさの中で、ずっとまどろんでいたいと思ってしまうのだ。好きな人の、腕の中で――。
 至近距離で見つめ合うシグルドの瞳が、驚きから次第に熱を帯びたものへと変わっていくのがわかる。彼もまた離れがたいと思っていてほしい……そう願わずにはいられない。
 シャツ越しに伝わる彼の鼓動が力強く響き、ハッと我に返ったアンネリーゼは、今の大胆な状況に頭の中が真っ白に染まった。

「……あ、あの、シグルド様」
「……ああ。すまない、アンネ。あまりに突然のことで、少し……その、驚いてしまった」

 シグルドが狼狽した様子で答えて、こちらの腰を支えていた手に力を込め、ゆっくりと体を起こした。そのまま抱き上げられるようにして芝生の上に座らされると、彼はきまり悪そうに口もとを片手で覆い、赤くなった耳を隠すようにそっぽを向いた。

「……」
「……」

 気恥ずかしい空気が漂う中、自分もまた、乱れた髪を指先で整えながら、熱くなった頬を冷まそうと必死に深呼吸を繰り返す。先ほど触れ合いそうだった彼の唇の感触が、まだ鼻先に残っているような気がして、どうしても落ち着かなかった。
 なんとか空気を変えようと、シグルドが軽く咳払いをして、改めて表情を引き締める。

「アンネ。これを伝えたかったのだが、さっきの言葉、うれしかった。俺を守るために強くなりたいと言ってくれたこと」
(あ……)
「俺は、王族として今まで誰かを守ることしか頭になく、それが当たり前だと思っていたんだ。だから、なんと言えばいいのか……君に守ると言われて衝撃を受けたし、とても……感動した。それほどうれしかったんだ」

 シグルドが、いつも不意に見せる少年のような笑顔を浮かべる。
 彼の飾り気のないまっすぐな言葉が、こちらの胸を打つ。
 この人を大切にしたいと、心からそう思った。
 彼がこちらの手をそっと取る。

「だが、ひとつだけ約束してくれないか。無理はしないでほしいんだ。君が傷つくことだけは、俺自身が耐えられそうにないからな」
「はい、承知いたしました。……でも、シグルド様。わたしはあなたの隣で、ただ守られるだけの存在でいたいわけではないんです。共に手を取り合って、この国の未来を築いていくパートナーとして、ふさわしい自分でありたい。誇り高いあなたの隣に立っても恥ずかしくないようになりたいのです」

 シグルドの婚約者になるということは、国王夫妻はもちろんのこと、この国の国民たちにも認められなくてはならない。この人物なら、国や王太子のことを支えられると信じてもらわなければならないのだ。
 アンネリーゼの決意に満ちた瞳を見つめ返したシグルドが、ふっと愛おしげに目を細めると、温かい手でこちらの頭を優しくなでてくれた。

「君は本当にすばらしい女性だな。……本当に、俺などにはもったいないほどだ」
「そ、そんなこと……! シグルド様こそ、わたしなど釣り合っては――」

 言いかけた口を、目の前まで顔を寄せた彼の唇にふさがれる。彼はそれを離すと、吐息が触れ合うほどの距離で、甘く切実な響きのある声でささやいた。

「……アンネ、君が正式に俺の婚約者になってくれた時は、さきほどの続きをさせてもらいたい。もう、こうしてなでるだけでは自分を抑えられそうにないんだ。……もっと、深く君に触れたいと、そう願ってしまうんだ」

 その言葉に含まれた独占欲と、腰を抱き寄せる手の力強さに、アンネリーゼは瞳を潤ませて彼を見つめ返すことしかできなかった。

(本当にその時が来たら……恥ずかしいけれど、なんて幸せな時間になるだろう)

 愛する人と、愛し合う時間を過ごす。それは幸せすぎて、自分がどうにかなってしまうのではないだろうか。
 二人きりの訓練場に流れる夜の静寂(しじま)の中で、お互いの抱きしめ合う体温だけが、甘く溶け合っていくようだった。