シグルドはこちらの返事を待たずに、隣へと腰を下ろした。彼がそばにいてくれるだけで、ホッと安心することに、アンネリーゼの胸は高鳴った。
――本当に自分は、彼のことが好き……なのだろう。
そう自覚してからというもの、彼の顔がまともに見られなくなっていた。
視線を泳がせると同時に、あのルシアードとの対峙のときに彼が口にした言葉が脳裏に蘇る。
『彼女は、俺の正式な婚約者だ』
あの瞬間のシグルドの凛々しい横顔と、腰を抱き寄せられた手の強さを思いだすと、顔が火が出るほど熱くなってしまう。
(あああ、もうダメ……!)
アンネリーゼは逃げるようにうつむいた。
(シグルド様に、あのお言葉の真意をお聞きしよう。二人だけの今がチャンス。あの場を乗り切るためのでまかせだったと言ってもらえれば、この気持ちを諦められるから)
ふーっと息を吐くと、隣の彼を窺うように上目遣いで見上げる。
「あの、シグルド様。……昼間の、その、ルシアード様へおっしゃったことですが」
「……ああ。婚約者のことか」
シグルドはあっさりと言い当てる。もしかしたら、彼もその話題を切り出そうと思っていたのかもしれない。
シグルドは、まっすぐに焚き火を見つめたまま、静かに言葉をつなぐ。
「驚かせてすまなかった。あの場を収めるための、嘘だと思っただろうか」
「……はい。わたしを守るための、方便なのだと……」
そう思ったままを答えると、ズキリと胸の奥が痛んだ。
(あの場を切り抜けるための嘘……。そうよね、それ以外は考えられない。わたしは、間違っていない)
届かない想いを抱えることが、こんなにも切ないことだとは思わなかった。何者でもない自分は、身の程を弁(わきま)えなければならない。事業担当者として、彼に信頼され、彼のそばにいられるだけでも幸せなことなのだ。本来ならば、言葉を交わすことすら難しい身分の方なのだから。
ポツリとつぶやいたアンネリーゼの指先を、おもむろにシグルドの大きな手が優しく包み込んだ。ハッと驚いて顔を上げる。そこには、王太子としての威厳を脱ぎ捨てた、ひとりの男性としての真剣なまなざしがあった。
「アンネ。俺は、嘘で君を〝婚約者〟と呼んだわけではないんだ」
(え……)
その言葉に、息が止まりそうになる。
――彼は、自分になにを伝えようとしてくれているのだろう。
シグルドはこちらの手を握る力を強め、ゆっくりと語りだす。
「国境の街で君と再会したときから、君の情熱と、人々の幸せを願うその清らかな心に、俺は救われてきた。祖国を追われ、傷つきながらも前を向こうとする君を、俺は誰にも渡したくないと思った。……これは、俺の心からの願いだ」
シグルドの金茶色の瞳が、アンネリーゼの菫色の瞳を射抜くように見つめる。
「君がルシアード殿の婚約者であったことは、当初は知らなかった。おそらくは君を守るため、他国には詳細を知らせていなかっただけなのだろう。……けれど、その婚約が破棄されたと聞いたとき、俺は不謹慎にも、幸運だと思ってしまったんだ。そうすれば、俺の手で君を幸せにすることができるから」
シグルドからつむがれる言葉ひとつひとつで、胸が締めつけられるような想いがする。
(殿下、それではまるで、わたしに告白――)
この状況を信じることができなくて、まるで夢の中にいるようで、そんなことを考えてしまう。彼の顔を見ることができなくて、アンネリーゼは真っ赤になった顔をうつむける。シグルドが優しく目を細め、こちらをじっと見つめる。
「……どうか、伝えさせてほしい。俺は、君のことが、好きだ」
「シグルド、様……」
「君を、ただの事業責任者としてではなく、俺の生涯の妻として迎えたい。……アンネ。正式に、俺の婚約者になってくれないだろうか」
目尻が熱くなり、視界が激しくにじんでいく。
前世で志半ばに倒れ、この異世界でも裏切りと孤独を味わった自分に、こんなにももったいないほどの幸せが訪れるなんて。
アンネリーゼは嗚咽を漏らしながら、つながれたままの手に願うように額を寄せる。
「……わたくしで、よろしいのですか? なんの肩書きもない、ただの追放された娘なのに……」
「君だから、いいんだ。君がいない未来など、もう考えられない」
シグルドはそう言うと、アンネリーゼの震える肩を抱き寄せ、その広い胸の中に包み込んだ。軍服から香る、夜の風と彼の匂い。これほど安心できる場所はない、彼のそばこそが自分の居場所なのだと思えた。
(この場所を、失いたくない……)
シグルドからもらったブローチと同じように、彼の隣はかけがえのない宝物だ。
この温かいところを、なにがあっても守りたいと思った。
あふれる涙を抑えることができず、彼の胸に顔を埋める。
「はい……。わたくしも、シグルド様のおそばにいたいです。……これからも、ずっと」
静かな森の中、二人の心音が重なるように響く。
シグルドが愛おしげに目を細め、大きな手を伸ばしてアンネリーゼの顎にそっと触れた。そのまま上を向かせるように促されて、潤んだ瞳で見上げると、情熱を秘めたシグルドの金茶色の瞳と目が合う。
「……俺もだ、アンネ。どうかずっと、俺の隣で笑っていてくれ」
吐息が触れ合うほどの距離でささやかれる。その甘い響きに、体中の熱が顔に集まっていくような感覚に陥る。
シグルドの顔がゆっくりと近づき、まぶたを閉じると、ふわりと柔らかな唇が重なる。
パチパチと爆ぜる焚き火の音が遠のき、ただ互いの熱い体温だけが、夜の静寂の中に溶けていくようだった。
――本当に自分は、彼のことが好き……なのだろう。
そう自覚してからというもの、彼の顔がまともに見られなくなっていた。
視線を泳がせると同時に、あのルシアードとの対峙のときに彼が口にした言葉が脳裏に蘇る。
『彼女は、俺の正式な婚約者だ』
あの瞬間のシグルドの凛々しい横顔と、腰を抱き寄せられた手の強さを思いだすと、顔が火が出るほど熱くなってしまう。
(あああ、もうダメ……!)
アンネリーゼは逃げるようにうつむいた。
(シグルド様に、あのお言葉の真意をお聞きしよう。二人だけの今がチャンス。あの場を乗り切るためのでまかせだったと言ってもらえれば、この気持ちを諦められるから)
ふーっと息を吐くと、隣の彼を窺うように上目遣いで見上げる。
「あの、シグルド様。……昼間の、その、ルシアード様へおっしゃったことですが」
「……ああ。婚約者のことか」
シグルドはあっさりと言い当てる。もしかしたら、彼もその話題を切り出そうと思っていたのかもしれない。
シグルドは、まっすぐに焚き火を見つめたまま、静かに言葉をつなぐ。
「驚かせてすまなかった。あの場を収めるための、嘘だと思っただろうか」
「……はい。わたしを守るための、方便なのだと……」
そう思ったままを答えると、ズキリと胸の奥が痛んだ。
(あの場を切り抜けるための嘘……。そうよね、それ以外は考えられない。わたしは、間違っていない)
届かない想いを抱えることが、こんなにも切ないことだとは思わなかった。何者でもない自分は、身の程を弁(わきま)えなければならない。事業担当者として、彼に信頼され、彼のそばにいられるだけでも幸せなことなのだ。本来ならば、言葉を交わすことすら難しい身分の方なのだから。
ポツリとつぶやいたアンネリーゼの指先を、おもむろにシグルドの大きな手が優しく包み込んだ。ハッと驚いて顔を上げる。そこには、王太子としての威厳を脱ぎ捨てた、ひとりの男性としての真剣なまなざしがあった。
「アンネ。俺は、嘘で君を〝婚約者〟と呼んだわけではないんだ」
(え……)
その言葉に、息が止まりそうになる。
――彼は、自分になにを伝えようとしてくれているのだろう。
シグルドはこちらの手を握る力を強め、ゆっくりと語りだす。
「国境の街で君と再会したときから、君の情熱と、人々の幸せを願うその清らかな心に、俺は救われてきた。祖国を追われ、傷つきながらも前を向こうとする君を、俺は誰にも渡したくないと思った。……これは、俺の心からの願いだ」
シグルドの金茶色の瞳が、アンネリーゼの菫色の瞳を射抜くように見つめる。
「君がルシアード殿の婚約者であったことは、当初は知らなかった。おそらくは君を守るため、他国には詳細を知らせていなかっただけなのだろう。……けれど、その婚約が破棄されたと聞いたとき、俺は不謹慎にも、幸運だと思ってしまったんだ。そうすれば、俺の手で君を幸せにすることができるから」
シグルドからつむがれる言葉ひとつひとつで、胸が締めつけられるような想いがする。
(殿下、それではまるで、わたしに告白――)
この状況を信じることができなくて、まるで夢の中にいるようで、そんなことを考えてしまう。彼の顔を見ることができなくて、アンネリーゼは真っ赤になった顔をうつむける。シグルドが優しく目を細め、こちらをじっと見つめる。
「……どうか、伝えさせてほしい。俺は、君のことが、好きだ」
「シグルド、様……」
「君を、ただの事業責任者としてではなく、俺の生涯の妻として迎えたい。……アンネ。正式に、俺の婚約者になってくれないだろうか」
目尻が熱くなり、視界が激しくにじんでいく。
前世で志半ばに倒れ、この異世界でも裏切りと孤独を味わった自分に、こんなにももったいないほどの幸せが訪れるなんて。
アンネリーゼは嗚咽を漏らしながら、つながれたままの手に願うように額を寄せる。
「……わたくしで、よろしいのですか? なんの肩書きもない、ただの追放された娘なのに……」
「君だから、いいんだ。君がいない未来など、もう考えられない」
シグルドはそう言うと、アンネリーゼの震える肩を抱き寄せ、その広い胸の中に包み込んだ。軍服から香る、夜の風と彼の匂い。これほど安心できる場所はない、彼のそばこそが自分の居場所なのだと思えた。
(この場所を、失いたくない……)
シグルドからもらったブローチと同じように、彼の隣はかけがえのない宝物だ。
この温かいところを、なにがあっても守りたいと思った。
あふれる涙を抑えることができず、彼の胸に顔を埋める。
「はい……。わたくしも、シグルド様のおそばにいたいです。……これからも、ずっと」
静かな森の中、二人の心音が重なるように響く。
シグルドが愛おしげに目を細め、大きな手を伸ばしてアンネリーゼの顎にそっと触れた。そのまま上を向かせるように促されて、潤んだ瞳で見上げると、情熱を秘めたシグルドの金茶色の瞳と目が合う。
「……俺もだ、アンネ。どうかずっと、俺の隣で笑っていてくれ」
吐息が触れ合うほどの距離でささやかれる。その甘い響きに、体中の熱が顔に集まっていくような感覚に陥る。
シグルドの顔がゆっくりと近づき、まぶたを閉じると、ふわりと柔らかな唇が重なる。
パチパチと爆ぜる焚き火の音が遠のき、ただ互いの熱い体温だけが、夜の静寂の中に溶けていくようだった。


