追放令嬢、隣国の王太子と異世界ウェディング事業を始めます!

「しっかり捕まっていろ、アンネ!」
「はい、シグルド様……っ!」

 空を切り裂くような速度で、黒竜ファヴニールがグランディール王国の国境へとひた走る。吹きつける風は鋭く、目を開けているのもやっとだったが、シグルドのたくましい腕がアンネリーゼの腰をがっしりと抱き寄せ、守ってくれていた。

(シグルド様から伝わる熱が、わたしの心に勇気をくれる……!)

 一時はエルドランを失った喪失感に見舞われていたけれど――彼の存在が、自分に前を向かせる勇気を灯してくれていた。
 眼下には、砂煙を上げて爆走するルシアードの馬車が見えた。その屋根の上には、未だ禍々(まがまが)しい黒い鎖に縛られ、苦悶(くもん)に震えるエルドランの姿がある。

(エルドラン、どうかもう少しだけ耐えて……! すぐに助けに行くわ!)

 馬車を認め、シグルドが黒竜に声をかける。

「ファヴニール、あの馬車を止めろ! ただし、エルドランを傷つけるなよ!」
『承知した、我が主(あるじ)よ。……地を這(は)う愚か者どもに、真の覇道の力を知らしめてくれよう』

 ファヴニールが地響きのような咆哮(ほうこう)を上げ、一気に急降下する。

「わッ……!」

 ガクン、と揺れる振動に驚いて声を上げると、すかさずシグルドが手を伸ばしてアンネリーゼの頭をファヴニールに近づけた。

「頭を下げるんだ、アンネ! 行くぞ!」

 ファヴニールの巨大な翼が巻き起こす突風が街道を直撃し、ルシアードの馬車はたまらず横転しかけて急停止した。御者が悲鳴を上げて逃げ出し、中から転がり出るようにしてルシアードが姿を現す。

「な、なんだ……⁉ この化け物は……!」

 漆黒の鱗(うろこ)をきらめかせた黒竜の姿に、ルシアードは腰を抜かして震え上がっている。シグルドはアンネリーゼを抱いたまま、軽やかに黒竜の背から飛び降りた。その金茶色の瞳には、冷徹なまでの怒りが宿っている。

「ルシアード殿。簡潔に言う。我が友エルドランを解放してもらおうか」
「ふ、ふん、よくもしつこく追ってきたな! だが無駄だよ。この鎖は、この聖獣が私に従うまで決して外れることはない!」

 それを証明するかのように、ルシアードが呪文を唱えようと口を開く。エルドランが最後の力を振り絞るようにして、悲痛な声を上げた。

『アンネ……逃げ……るんだ……っ。この鎖が、ボクの力を吸い取って……っ』
(力を、吸い取る――?)

 つまり、エルドランはあの鎖に囚われたままだと、徐々に衰弱していくということになる。そして力を搾り取られた最後には、きっと――。

「エルドラン……! そんな、このままじゃエルドランが死んでしまうわ……!」

 アンネリーゼは叫び、まっすぐにルシアードを見据えた。
 以前の自分なら、彼の威圧感に怯(ひる)んでいたかもしれない。けれど、今の自分には、隣で手を握ってくれるシグルドがいる。そして、この国で見つけた、仕事への誇りと情熱がある。

(だからもう、怖くはない……!)

 深く息を吸って気を落ちつけ、ルシアードをまっすぐに見つめる。

「ルシアード様、もうおやめください! 聖獣は〝道具〟ではありません。そんな力で支配しても、グランディールに真の繁栄など訪れませんわ!」
「黙れ! 追放者の分際で、この私に指図するな!」
「……っ」

 ――追放者。その言葉がアンネリーゼの胸に突き刺さる。
 自分がもう何者でもないのだと……王太子と言葉を交わす資格などないのだと思い出されたから。シグルドとだって、本来は共にいていい立場ではないのだ。
 顔を伏せるアンネリーゼの肩を、シグルドがそっと抱き寄せる。まるで、これからは自分が傍にいると伝えるかのように。そんな彼に寄り添ったそのとき、逆上したルシアードが巻物を掲げた。

(エルドランッ!)

 また見せしめのごとくエルドランを苦しめるつもりなのかもしれない。その瞬間、それを阻止するようにシグルドが前に踏み出した。

「ファヴニール。エルドランが〝再生〟を司る光だとするなら、おまえは悪をなぎ払う〝破壊〟の力だ。……あの鎖、根源から消し飛ばせ!」

 シグルドの号令と共に、黒竜が大きく口を開いた。漆黒の炎がその喉奥で渦巻き、次の瞬間、世界を飲み込むような咆哮が放たれる。闇よりも深く、夜を溶かし込んだような漆黒の炎が猛烈に渦を巻き、あふれ出した。

「な、なんだその炎は……⁉ やめろ、私の聖獣に傷をつける気か!」

 ルシアードが悲鳴のような声を上げる。

(私の聖獣だなんて、どの口がそんなことを……!)

 怒りが沸き上がるアンネリーゼの隣、シグルドはまっすぐに前を見据えたまま揺らがない。ファヴニールが咆哮(ほうこう)と共に放った漆黒の炎は、エルドランを傷つけるどころか、彼を縛りつけていた禍々しい黒い鎖だけを、狙い澄ましたかのように包み込んだ。
 ジュウウッ、と耳をつんざくような音が響き、禁術の鎖が激しく火花を散らす。
 アンネリーゼは自身の瞳と同じ菫(すみれ)色に輝くブローチを握りしめ、必死に祈る。

(お願い……! エルドランを助けて……っ!)

 そのときだった。パキィィィン! という高い音と共に、あんなに強固だった禁術の鎖が、ガラス細工のように粉々に砕け散ったのだ。

『……ア、アンネ……ッ!』

 鎖から解き放たれたエルドランが、白銀の光を再び取り戻し、ゆっくりと宙を舞った。黒い鎖に吸い取られていた霊力が、ファヴニールの炎によって浄化され、彼の元へと戻っていくのがわかる。

「エルドラン!」

 アンネリーゼが必死に両手を差しだすと、エルドランが清廉な鳴き声を上げ、こちらの元へと駆け寄ってきた。失われていた半身を取り戻したようで、冷え切っていた心が満たされていく。

「ば、馬鹿な……。我が王家に伝わる絶対の禁術が、こうも容易く……っ!」

 ルシアードは、力の源であった巻物が灰となって消えていくのを呆然と見つめ、その場にへたり込んだ。
 シグルドはアンネリーゼの肩を抱き寄せ、優しく、けれど力強くうなずいた。

「アンネ、約束しただろう。……君の大切な半身を、必ず取り戻すと」

 彼が、こちらの顔をのぞき込んで自信満々に笑んだ。それは、いつも心を温かくしてくれる屈託のない彼の表情で――アンネリーゼは、たまらず彼の首もとに抱きついた。

「ありがとうございます、シグルド様……! ありがとう!」
「ア、アンネ! 君に喜んでもらえて光栄なのだが、君の聖獣がとても怒っているぞ」

 うろたえるシグルドを蹴り飛ばさんばかりに、エルドランが鼻息を荒くしている。

『シグルド! ボクはまだ、アンネをキミに任せると決めたわけじゃないからね!』

 嫉妬しているらしいエルドランの白いたてがみを、アンネリーゼはそっと撫でる。
 ファヴニールの漆黒の炎が、過去の因縁という名の鎖をも焼き尽くしたかのように。アンネリーゼはエルドランの温かな毛並みに顔を埋め、シグルドの隣で、ようやく本当の自由と幸せを噛みしめていた。