追放令嬢、隣国の王太子と異世界ウェディング事業を始めます!

(こ、婚約者……⁉)

 初めて聞くその言葉に、アンネリーゼの思考が真っ白に染まる。心臓が耳もとで激しく音を立て、顔が火が出るほど熱くなるのを感じる。

(聞き間違い……ではないと思うけれど。そ、そうね、嘘も方便……。殿下はわたしを守るとしてくださっているのだわ)

 そう結論づけたアンネリーゼは、シグルドの婚約者発言に同意するかのように、彼に身を寄せる。

「アルシェリアの王太子の婚約者……だと? いつの間にそのような面倒なことに……」

 ルシアードは忌々しそうに吐き捨て、顔を醜くゆがめた。

「ただの追放者が、隣国の王太子に取り入るとはな。だがアンネリーゼ、君の意思など関係ない。我が国を救うための〝道具〟である君を、このまま野放しにはできないのだ」

 その勝手な言い草に、シグルドがアンネリーゼの腰をさらに強く抱き寄せる。

「……道具だと? 貴公はまだ、彼女をひとりの女性として見ていないのか。アンネは我が国の恩人であり、俺が心から大切にしたいと願った女性だ。二度と彼女を侮辱することは許さない」

 軍服越しに伝わるシグルドのまっすぐな怒りと、自分を『大切にしたい』と言ってくれたその熱い言葉。アンネリーゼは、視界が熱いものでにじみそうになる。

(シグルド様……。やっぱりわたし、この方の隣にいたい……!)

 彼の隣にいると、自分は自分らしくいられる――もっともっと、彼のために頑張りたいと思えた。
 固い絆で結ばれているふたりを前に、交渉は決裂したと悟ったのか、ルシアードの瞳に残忍で禍々しい光が宿った。

「……いいだろう。そこまで頑固だというのなら、せめて聖獣だけでも力ずくで奪わせてもらう! 禁術展開!」

 追い詰められたルシアードは、激昂して懐から禍々しい輝きを放つ古びた巻物を取り出した。嫌な予感に、アンネリーゼは反射的に身を縮ませる。
 ルシアードの冷たい声音が高らかに響き渡った。

「黒き鎖よ、聖獣を囚(とら)えよ! 古き契約を断ち切り、我が支配に従え! 禁術――『奪霊の黒鎖(だつれいのこくさ)』!」

 そのとき、巻物から黒い鎖が放たれ、アンネリーゼのそばにいたエルドランの気配が、魂を削り取るような悲鳴と共に実体化した。

『アンネ……ッ!』

 脳裏に響く、苦しげなエルドランの苦悶の声。誇り高き白銀の聖獣の気配が、禁術の力によって自分から無理やり引き剥がされていく。

「エルドラン! ルシアード様、おやめくださいッ! わたしの聖獣に手を出さないで! こんなことをしても、なんの意味もないわ!」
「意味ならあるさ。聖獣さえ手に入ってしまえば、いくらでもやりようはある。さきほどの禁術を使えば、私の手足のように聖獣を――意のままに支配できるのだからな」

 黒い鎖に縛りつけられて暴れているエルドランを尻目に、ルシアードは愉快そうに笑っている。

(意のままに支配できる……エルドランを無理やり従えるということ?)

 他人に支配されるなど、聖獣にとって大きな負担になるに違いない。自分の大切な相棒であり友達である彼を、これ以上、傷つけさせるわけにはいかない……!
 アンネリーゼは馬車を飛びだすと、鎖に蝕まれ、宙でぐったりとしているエルドランに必死に手を伸ばす。指先が白銀のたてがみに触れる直前、ルシアードが冷酷に口角を持ち上げた。

「無駄だ。一度この鎖に囚(とら)われれば、聖獣といえども抗(あらが)うことはできん。これこそが、我が国の王家にのみ伝わる略奪の秘術なのだからな」

 ルシアードが巻物を強く引き寄せると、エルドランの巨体は抗う術もなく、闇の鎖に完全に囚われてしまった。白銀の光が完全に消え去ったエルドランを、ルシアードは指先を動かして操作し、まるで物でも扱うかのように屋根の上部に放り投げる。

「エル、ドラン……? そんな、嘘でしょう……?」

 魂の半分をもぎ取られたような衝撃に、アンネリーゼはその場に膝をついた。視界が涙で激しくにじみ、なにも見えなくなる。

「ははは! ついに手に入れたぞ。これさえあれば、あんな使い物にならないセレスティアなど不要だ! アルシェリアの王太子殿、今回は私の勝ちのようだな」

 ルシアードは勝ち誇ったように馬車へ飛び乗ると、絶望するアンネリーゼたちを置き去りにして、高笑いと共に走り去っていく。
 静まり返った街道。馬車を降り立ったシグルドが、アンネリーゼの震える肩を、力強く、けれど壊れ物を扱うように優しく抱き寄せた。

「聖獣を捕らえる禁術……。グランディールには、あのような恐ろしいものが伝わっていたのだな。ルシアード殿の自国が危機に瀕しているとはいえ、それが聖獣を無理やり奪っていい理由にはならない。あのような暴挙は許されない」

 シグルドの低い声には、激しい怒りが宿っている。

「俺は、君のことはもちろん大切に思っているが――君の聖獣であるエルドランのことも、同じように大事に思っているんだ。なにせ、小さい頃の俺を振り落とさずに背中に乗せてくれたからな」

 励ますように、シグルドが少しだけ茶目っ気を込めて言う。
 そうしてアンネリーゼの手を取ると、決意を込めてまっすぐにこちらを見つめた。

「アンネ、大丈夫だ。俺が必ず取り戻す。……アルシェリア王国の誇りにかけて」