追放令嬢、隣国の王太子と異世界ウェディング事業を始めます!

 翌朝、窓から差し込むまぶしい陽光に、アンネリーゼはゆっくりとまぶたを押し上げた。 鏡の前に立ち、身なりを整えると、昨日いただいた菫色のブローチを胸もとに添える。シグルドが、仕事の邪魔にならないようにと、あの金の腕輪をリメイクしてくれた大切な宝物だ。

(やっぱり、とってもステキ……)

 指先で宝石をなでると、シグルドの温かい笑みが思い出されて、朝から胸の奥が熱くなる。……今日、シグルドと顔を合わせた時に普通でいられるだろうか。

(な、なんだか、緊張してきたわ……!)

 フーッと深く息を吐き出して気を落ち着けていた矢先、控えめなノックの音が響いた。

「アンネ、おはよう。もう起きているか?」

 扉の向こうから聞こえるシグルドの声に、アンネリーゼは少し慌てて声を整える。

「は、はい! シグルド様、おはようございます」

 扉を開けると、そこには朝の光を浴びて、いつも以上に凛々しく見えるシグルドが立っていた。彼はこちらの胸もとに視線を落とすと、少しだけ照れくさそうに目を細める。

「……そのブローチ、やはり君によく似合っているな。つけてくれて、うれしい」
「ありがとうございます。わたしの、一番の宝物です」

 アンネリーゼが微笑んで答えると、彼は一瞬息を呑んでからうなずいた。

「そ、そうか。それはよかった。しかし、なんというか……自分の身近な女性が、俺の贈ったものを身につけてくれていると、気恥ずかしいが、とても誇らしいものだな」
(身近な、女性……)

 シグルドが何気なく発した言葉に、アンネリーゼの鼓動が跳ねる。
 彼にとって、自分はその〝身近な女性〟に当たるのだ。
 まるで彼に守られているような気がして――どこか孤独だった心がほっとする。
 一緒にいると安心できる人……彼は自分にとってそんな人物なのだ。
 温かい気持ちになっていると、シグルドがアンネリーゼの肩にそっと手を添える。

「アンネ。よかったら、朝食のあと、少し街を歩かないか。君の『ブライダル事業』がこの街にどれだけの希望を取り戻したのかを、君と確かめておきたいんだ」

 シグルドのお誘いに、アンネリーゼは快くうなずいた。


***


 シグルドと共に訪れた城塞都市の街並みは、昨日の余韻が残っているかのように、どこか活気づいて見えた。石畳の通りを歩いていると、街の人々が次々と笑顔で会釈をしてくれる。シグルドと並んで歩いていると、ほぼ確実に「あらあらおふたりとも、おそろいで」とからかわれてしまい、隣の彼と目が合わせられなくてなんとも恥ずかしかった。
 昨日の式を担当した花屋の前に差しかかると、新婦だった彼女が、朝一番の新鮮な花を持って駆け寄ってきた。

「アンネ様! シグルド様! 昨日は本当にありがとうございました」

 彼女の表情は、昨日までの沈んでいた様子が嘘のように輝いている。彼女は「あのお式のあと、お店にたくさんの予約が入ったんです」と、顔をほころばせた。

「『自分たちもあんなステキなお式を挙げたい』って、街の若い人たちが相談に来てくれて……。アンネ様の魔法が、街中に広がっているみたいですね!」

 彼女の喜びの声に、アンネリーゼは心が温かいものでいっぱいになる。

(ウェディングプランナーとして、これほど光栄な言葉はないわ)

 隣に立つシグルドも、感慨深そうに街を見渡していた。

「アンネ、君の言ったとおりだったな。ひとつの結婚式が、これほどまでに人々の心を動かし、街を明るくするとは」

 シグルドは向き直ると、真剣なまなざしでアンネリーゼを見つめる。

「俺は本気で考えている。この『ブライダル事業』を、正式にこの国の事業として推し進めていきたい。それで、その……これからも、責任者として君の力を貸してほしいんだ」

 彼から向けられたまっすぐな信頼に、アンネリーゼの視界が潤む。
 ――この方のためなら、この国のためなら、どんな困難も乗り越えていける。
 そんな確かな予感が、アンネリーゼの心を強く突き動かす。無意識に胸もとのブローチに触れると、指先から彼との絆の力が伝わってくるようだった。

(わたしに居場所をくださったシグルド殿下、そしてこの国の人々。皆の優しさに、応えたい)

 アンネリーゼは胸に手を当てると、目の前のシグルドに決意を込めて頭を下げた。

「はい、殿下。わたくしの全力を尽くして、この国にたくさんの幸せをプロデュースさせていただきますわ!」

 アンネリーゼとシグルドは互いに微笑み合う。希望に満ちた未来へと歩きだすために。
 アンネリーゼの返事に安心したのか、シグルドはホッと胸をなでおろしたあと――急に視線を泳がせる。

(殿下……?)

 アンネリーゼが首をかしげていると、彼は耳もとを赤くして、落ち着かない様子で後ろ頭をかいた。

「それと、アンネのことを、俺の父上と母上……国王夫妻にも紹介したいと思っているんだ。あ、いや、俺の友人たちにもな。……も、もちろん、仕事の話として、だ! けっして変な意味ではなく!」

 ぶんぶんと手を振って必死に弁解する彼の姿は、王太子としての威厳はどこへやら、まるで自分の初めての感情に振り回されている少年のように見える。
 アンネリーゼは目をパチパチさせながらも、予想外の提案に、じわじわと頬が熱くなってくる。

(ご両親やご友人に紹介って、それはまるで……)

 真っ赤になってうつむいている彼を見ていると、胸の奥がキュッと締めつけられるような、こそばゆくてうれしい感情が広がっていく。
 彼がこれほどまでに自分を信頼し、自分の大切な人たちに引き合わせたいと思ってくれている。その優しさが、なによりもありがたかった。
 これからのことを思うと、うれしくてうれしくて、また涙ぐんでしまいそうだ。

(わたしは、なんて幸せ者なんだろう……)

 いつかのシグルドの言葉を借りれば、自分こそ、彼に出会えたことは幸運だったのだろう。彼の一挙一動が、自分を温かく包み込んでくれるのだ。
 アンネリーゼは顔を上げると、シグルドに幸せに満ちあふれた笑みを浮かべる。

「はい。光栄でございます。わたくしでよろしければ、ぜひご一緒させてください」

 アンネリーゼが答えると、彼はようやく安心したように、けれどまだ少し耳を赤くしたまま、うなずいた。

「ありがとう。では、準備が整い次第、王都へ出発しよう。楽しみだな」

 シグルドが上機嫌で、まるで少年のふうな明るい表情をしている。
 一連のやりとりを見守っていた花屋の娘が、アンネリーゼの隣でそっとつぶやいた。

「本当に、お似合いのおふたりだと思います。わたしは、おふたりの放つ幸せの輝きが、この国の未来を明るく導いてくれると信じています」

 彼女の言葉を受けて、アンネリーゼは、店内に並べられている花々を見やっているシグルドに目を向ける。

(シグルド様と一緒にいられる未来……。そんな日が来たら、きっと――)

 アンネリーゼは、けっして叶うことのない未来に思いを馳せる。
 たとえ彼の特別な存在になれなかったとしても、構わない。ウェディングプランナーという仕事を通じて、彼の隣でこの国の未来を共に支えていける。ただそれだけで、今の自分には十分すぎるほど幸せなのだから。


 ……けれど、この時の自分はまだ知らなかったのだ。この成功の知らせが、自分を追放したあのグランディール王国にまで届き、平穏を揺るがす影を呼び寄せてしまうことを。