夏を迷えど、遥けし恋はますばかり

 太輔に背中を押されるようにして、俺たちは神社へと向かった。
 石段を上りきった先には、夏特有の、色の濃い世界が広がっていた。鮮やかな朱塗りの門と、それとは対照的な深い緑の木々。
 その本殿の足元。深い影が落ちる石段に、小学生たちが四、五人、塊のように座り込んでいた。一様に俯き、ゲーム機の小さな画面に意識を没入させている彼らにとって、ここはただの「涼しい溜まり場」に過ぎないのだろう。その無防備な笑顔を見ていると、かつての俺たちの姿が重なった。

「……ああいうの、やったよな。いつも五人で」

 太輔が、小学生たちをちらりと見ながら言った。

「うん。あーあ、売っ払わなきゃ良かった。もっと大事に持っておけば、今頃、高く売れたかもな」

 都会の方では、レトロブームなんてのが起きているらしい。俺らの町はブームもなにも、今ですら現在進行形でレトロが残っている。再開発には程遠く、ぽつりとここだけ時代から取り残されたみたいに、何もかもが発展遅れだった。それを窮屈だと思うこともあるし、安心することもある。

「神社の社務所って、あっち?」
「違う。そっちは集会所として使われてるらしい。神主さんが住んでんのは、あそこだよ」

 太輔が指差したのは、境内の端の方だった。
 使わなくなった器具や廃棄物をまとめてぶち込んだような物置が手前にあって、その奥に縦に長い平屋建てが続いている。
 錆びたトタンが夏の光を鈍く反射して、近づくにつれて、木の古い匂いと、湿った草の匂いが混じり合って漂ってきた。
 入口の脇に、木の板が打ちつけられている。煤けた墨で「社務所」と書かれていた。達筆なのか、あるいは崩れているのか、判断がつかない字。その横の柱に「セールスお断り」のシールが何枚も貼られていたけれど、一番古そうなものは、紙というより染みになっていた。何年分の夏と冬が、ここに重なっているんだろう。
 太輔と俺は、しばらくその入口の前に立ったまま、どちらも先に進めなかった。

「人が住んでるようには見えねぇけど」
「金木のじいちゃんが一人で暮らしてたはずだけど……出かけてんのか? いや、でも……」

 この暑さの中で老人が一人で出掛けるのも考えにくい。
 ちょっと待ってみるか、と二人で建物の左右を見渡した時、石畳の向こうから下駄の音がして、俺たちは振り返った。

「あ? なに、お前ら。なんか妖怪~? なーんつって」

 初めて見る男だった。この町の住人じゃない、というのはその身なりからして明らかだった。
 無精髭を生やして、ヨレヨレの白いタンクトップ。黒いズボンは異様なほど砂埃で汚れていて、境内に音を響かせている下駄とのミスマッチ感が半端じゃない。
 大した手入れもしていなさそうな黒いパーマの髪が、汗で首筋に貼りついている。
 見るからに、俺が苦手なタイプの人間だった。
 近づきたくない、という本能的な感覚が、一歩後退(あとずさ)りさせる。

「どうしたんだよ、こんなクソ暑い日に。お前ら、高校生か?」

 ヘラヘラと笑いながら、白い小さなビニール袋を片手に手を振ってくる。俺が警戒するように眉間に皺を寄せている横で、太輔は一度ぺこりと頭を下げると、自らその男に近づいていった。

「あの、社務所で金木さんにお話が聞きたくて。……お知り合いの方ですか?」

 その問いかけに、俺はぎょっとして太輔の横顔を見た。
 どっからどう見たら、この浮浪者みたいな男が神主の知り合いに見えるんだ、と。
 けれど太輔の視線は、男の手を振る指先に絡んだお守りの付いた鍵に向けられていた。俺が警戒で頭をいっぱいにしている間に、もっと細かいところを見ていたらしい。

「お知り合いも何も、親族だけど。……あぁー、うん。はいはい、なんとなく用件は分かりました」

 男は太輔になんてことのないように返事をすると、その隣に立つ俺の顔に視線を移した。
 けれど、それは俺の目を見ているわけじゃなかった。もっと奥を、俺の後ろにある見えない何かまで透かして見ようとするような瞳だ。それが頭のてっぺんから腰の辺りまでをゆっくりと往復して、男は何かを確認したみたいに頷く。
 何が見えているんだろう、この人には。その疑問が浮かんだけれど、怖くて聞けなかった。

「まぁ、とりあえず入んなよ。俺、茶の淹れ方は知らねえから。自分らでやってもらう事になるけど」

 男は鍵を取り出して、社務所の戸に差し込んだ。
 錆びついた金属の擦れる音がして、重い戸がゆっくりと内側へ引かれた。湿った木の匂いと、線香の残り香が、薄暗い内側から漂ってくる。

「んじゃまぁ、適当に座って。……俺は榊。元々は金木の分家の人間なんだけど……まぁ、訳あってここを当分の間、守ることになったというか。代わりみたいなもんだ」
「……金木さんは、どうしたんですか?」
「あぁ、介護が必要になってな。あっちのバカでかい病院の隣に、老人ホームがあるだろ。今はそこに居る。子どもが居ないから、誰も看てくれる人がいねえんだよ」

 男はそう言いながら煙草に火をつけた。ふうっと吐き出された煙が、薄暗い室内をゆらりと漂って、部屋の香りと混ざり合う。
 天井の低い部屋だった。日に焼けてすっかり黄色くなった畳が、腰を下ろすとその形を保てずにふかふかと沈み込む。
 俺は立ち昇る煙を目で追いながら、これまでの経緯を話した。
 太輔が立て続けに、怪我や事故に遭ったこと。
 蛇神に守ってもらうようお願いしてから、黒い影が周りの人間に危害を加えるようになったこと。
 言葉を選びながら、でも急かされるような焦りで、次々と話し続けた。
 けれど、全てを言い終えるより先に、男は全部知っていたみたいな顔で俺を見て笑い、手のひらをこちらに向けた。

「わーった、わかったよ。そんな必死に次々と話すんじゃねぇ。俺は頭わりいからな、一気に喋られんのは苦手なんだよ」

 折角、人が必死に話したのに。
 俺はぺったんこの薄い座布団の上で、正座した太ももの上に拳を作る。言い返す言葉を探していると、男は煙草を指に挟んだまま続けた。

「けどな。そっちに座ってるお前の『気』からして、取り憑いているものがとんでもない強さのモノだっつうことは、視えない俺でも分かる」

 男は俺の肩のあたりをじっと見つめた。それから視線を太輔の方へ滑らせる。視えていないと言うけれど、まるで見えているみたいにしか思えなかった。
 蛇神は今もここにいるはずだ。こうして話しているこの瞬間も、俺のすぐそばに。男の視線がその気配を正確になぞるたびに、うなじの産毛が立つような気味悪さを感じた。

「お祓いとか、御祈祷で……黒い影を、成仏させることって出来ませんか?」

 太輔が、それなら話は早いとでも言いたげに単刀直入に言った。今すぐにでもどうにかしてほしい、そういう言い方だった。俺が言葉を選んでいる間に、太輔はいつもそうやって核心を突いてくる。
 男は煙草の灰を、脇に置いた灰皿にトントン、と落としてから言った。

「ここの蛇神に守ってもらっているのが事実だとしても。その影っつうのが、何なのか分からない。悪霊、地縛霊、ならざるモノ。あるいは、もっと位の高い土地神なのかもしれない。どういう理由で悪さをしているにせよ、御札やお祓いが効かないから、この世に留まり続けているんじゃねぇかと俺は思うけどな」

 煙がまた、ゆらりと天井へ向かった。部屋の空気が、さっきよりも重くなる。

「でも、このままじゃ。毎日俺たちの知り合いが怪我をし続ける。太輔のことだけ守れたとしても、それじゃあ――」
「落ち着け。……所詮、相手は人間じゃねぇ。祟りと思われる出来事に対して、この国の人間はいくつもの生贄や、祭りや、奴らの機嫌を取るようなことを昔っからやってきた。……要するに、それを覆すほどの力を持つ人間は、ごくわずかで、だからこそ手当たり次第に祟りが収まる方法を模索したってわけだ」

 男がホンモノなのかは分からない。けれど、その言いっぷりはまるでいくつもの修羅場をくぐってきたような重さを持っていたし、話の内容そのものも、知見のある人間のそれに聞こえた。
 煙草の煙が細く揺れて、障子の染みに吸い込まれていく。

「じゃあ、やっぱり……打つ手はないってことですか」

 俺が低く呟くと、男は灰皿に灰を落とした。それから畳の上で片足を立て膝にしてあぐらをかくと、俺の顔を正面からじっと見据える。その目が、さっきの検分するような目とは少し違った。どこか、面白がっているような軽薄さがある。

「まぁ、どんな悪霊も人間の(ラブ)(エロ)には勝てないって聞くけどな」
「…………ハァ?」
「よく言うだろ。幽霊は、エロいことをすると居なくなる、愛を注がれると成仏する。ようするに、ラブとエロは霊と反対の極致にある。だから、なんらかの効果が見込めるってわけだ」

 男はガハハッと笑いだして、ビニール袋から取り出した缶のプルタブを引き起こすと、呆気にとられる俺と太輔を置き去りにするように一気に煽った。返す言葉が見つからない。
 コイツ、実はただのデタラメで、全部口から出まかせだったんじゃないか。さっきまでの重みのある言葉は何だったんだ。
 思わず横目で太輔を見ると、ごく真面目な顔で、男が気持ちよく受け答えできるのを待っているみたいに正座を保っていた。
 そして、男が缶をテーブルに置いた瞬間、間髪容れずに質問した。

「え、エロいことを……すれば、霊からの攻撃を避けられるってことですか?」

 太輔が真面目な顔でそう言うものだから、俺は畳の目を数えるように視線を落とした。共感性羞恥、ってやつだ。

「まぁ、それもある。けどな、お前らが守りたい奴ら全員にそれを強制するなんて無理な話だろ。だから、せめてこっちから悪霊払いじゃなくて、お前を弔ってやるっていうスタンスで供養するとか。そういう何らかの手を打って『無償の愛』を示すことは、何かの変化に繋がるかもしれねぇな」

 ますます意味が分からなかった。あてずっぽうにも、ほどがある。けれど、供養という言葉だけが頭の中に引っかかって残る。
 悪霊払いじゃなくて、弔う。力でねじ伏せるんじゃなくて、寄り添う。それが何かを変えるかもしれないという話は——荒唐無稽なようで、どこか一筋の希望の光のようにも感じられた。
 男は最後に、缶を両手で包むように持ったまま、真剣な顔になって言った。

「最後の最後にはな、人間の本気の愛の力に勝るものなんてのは、絶対に存在しねぇんだよ。どんなお祓いも、呪物も、その愛の力の前では無力だ」

 面白おかしく話しているけれど、声だけは本気だった。その落差が、より一層言葉に重さを持たせる。
 俺たちは何も言えないまま、ただ男の顔を見つめ返すばかりだった。