ジーク王子の足音が聞こえなくなった頃、ロアンナは顔を上げた。隣で同じようにデュアンも顔を上げている。
ロアンナは、背の高いデュアンを見上げた。
「デュアン卿。無事に殿下の許可を得られたので、これからは私専属の護衛騎士を王太子宮に置くつもりです」
デュアンは「護衛には、ロアンナ様の弟であるレイ・クラウチをご希望ですか?」と尋ねた。
「そうです」
「分かりました。すぐにレイをそちらに配属するように手続きいたします。ひとまず、私達はこれで。行こう、ルル」
踵を返したデュアンのあとを、ルルが付いていく。そのとき、ルルが申し訳なさそうな視線をロアンナに向けていたので、多少は心境の変化があったのかもしれない。
二人と別れてからロアンナは、ようやく全身の力を抜いた。ライズがフワフワと近づいてくる。
『やりましたね、ロアンナ様!』
自分のことのように喜んでくれるライズに、ロアンナは心の中で返事をした。
『勝てたのは、ライズさんのおかげよ』
『ご謙遜を! ロアンナ様があんなに馬術がうまかったなんて、俺、知らなくて! あの腕前なら策を弄せずとも勝てましたね』
ライズはそう言うが、さすが騎士団長なだけありデュアンの腕前もかなりのものだった。まともに勝負していたら、どちらが勝っていたか分からない。
『約束を後回しにしてしまっていたけど、レイにライズさんのことを聞かないと。今から会いに行きましょう。』
『はい!』
元気なお返事をしたライズと共に、王宮の訓練場に向かっていると、途中でレイとバッタリ会った。
「姉さん!」
「レイ!?」
驚くロアンナの手を、レイが両手で握りしめる。
「騎士団長から聞いたよ! 今日から僕が姉さんの護衛騎士になるって!」
「そうなのだけど……。デュアン卿、仕事が早いわね」
ついさっき別れたばかりなのに、もうレイに知らせてくれたようだ。
「これでやっと姉さんを守れる! ずっと一人で戦わせて、ごめんね」
レイの目尻に浮かんだ涙を見て、ロアンナの胸は温かくなった。
「そんなことないわよ。いつもありがとう」
自分より背が高い弟をロアンナはそっと抱きしめる。
「レイ、あなたに聞きたいことがあるの。とにかく、私の部屋に行きましょう」
自室に戻る間、ライズは遠慮がちにロアンナに尋ねた。
『その、今さらかもしれませんが、どうしてロアンナ様はジーク殿下と婚約なさっているんですか? お二人を見る限り、どちらかが希望して成立したものではないですよね?』
ライズは『あっ、もちろん、言いたくなければ言わなくて大丈夫です』と慌てている。そんなライズにロアンナは、心の中で返事をした。
『まだ言っていなかったかしら? 五年前にジーク殿下と私が婚約してはどうかと、国王陛下から打診を受けたのよ。そのときは、私の方が年上だからとクラウチ侯爵家から辞退したのだけど……』
『だけど?』
ライズはつぶらな瞳をパチパチしている。
『その二年後に私の両親が馬車の事故に遭ってね』
『あっ! それでロアンナ様のお兄さんが若くして当主になられたのですね。クラウチ家の当主が代わったことは知っていたのですが詳細までは知らず! つらいお話をさせてしまい、すみません』
謝るライズに、ロアンナは首を左右に振る。
『実は……両親の遺体がまだ見つかっていないの。生死が分からず、二人とも行方不明なのよ』
『えっ?』
馬車の事故のあと、クラウチ侯爵家は全力で当主とその妻の行方を探した。しかし、一年経っても見つからず、目撃情報すらない。
これ以上、捜索に人員を割き続けるわけには行かず困っているときに王家が捜索支援を申し出てきた。
『その支援の条件が、ジーク殿下と私の婚約だったの』
ロアンナの兄も弟も、婚約に反対してくれた。しかし、当主不在のクラウチ侯爵家が王家からの打診を断るのは難しかった。
『それならば、いっそのこと覚悟を決めて婚約して、王家にも両親を捜索してもらおうと思いここまできたのだけど……。このありさまよ』
ロアンナが婚約したことで、王家は捜索支援をしてくれているそうだが、ロアンナがそれを確認する術(すべ)はなく、両親はまだ見つかっていない。
『両親の捜索を始めてから三年。ジーク殿下と婚約してからは二年が経ったわ。兄が両親の捜索は、今年いっぱいで打ち切ると決断したの。あとは私とジーク殿下の婚約をどうするかね』
本来なら捜索が打ち切られても婚約を続けるのが筋だが、当のジークがこれほど嫌がっているのに継続できるわけがない。
『できれば穏便に婚約解消したかったのだけど……。ジーク殿下は、どうしても私を悪者にして婚約破棄したがっているから、私も今ではジーク殿下有責での婚約破棄を願っているわ」
『そういう事情があったんですね』
王太子宮内にあるロアンナの自室についたので、ロアンナは話を切り上げた。
『私の話はここまでよ。これからはライズさんの話をしましょう』
部屋に入ったレイは、「姉さん。今、もしかして幽霊と話していたの?」と首をかしげる。
「そうよ。ここにライズさんがいるわ」
「いるわって……。ライズさんは姉さんとのデートに満足してお空に行ったんでしょう!?」
「それが、行き方が分からないらしいの」
レイはしばらく黙り込んだ後に「やっぱり」とつぶやいた。
「前にも言ったけど、ライズさんって幽霊っぽくないんだよね」
「どうして、そう思ったの?」
レイは身につけているネックレスに触れた。
「このネックレスをつける前の子どもの頃の記憶だから、はっきりとは覚えていないんだけどね。幽霊に憑りつかれたときと、ライズさんに僕の身体を貸したときの感覚がぜんぜん違っていて」
ライズが『どう違うんですか?』と尋ねたので、ロアンナがライズの代わりにレイに伝える。
「幽霊に憑りつかれたときは、もっとこうザワザワするというか気持ち悪いんだけど、ライズさんに身体を貸したときは、友達が遊びにきたみたいな感じで嫌な感覚がしなくて……」
『じゃあ、俺はいったい?』
戸惑うライズの声が届いていないレイは、ポケットから手紙を取り出した。
「朝一で姉さんからの手紙を受け取って、指示通り情報屋からライズ・ノアマン辺境伯のことを仕入れてきたんだ。姉さんの予想通り、ノアマン辺境伯が亡くなったなんて情報は王都には入ってきていない」
『それって、どういうことですか!?』
驚くライズをロアンナは見つめた。
「必ずそうだとは言えないのだけど、ライズさんは亡くなったのではなく、身体から魂が抜けだしてしまった状態。ようするに、生霊の可能性があるわ」
『生霊……って、俺がまだ生きている可能性があるってことですか!?』
ロアンナが頷くと、ライズはピョンッと飛び上がった。
『や、やった! じゃあ、身体に戻ったら生き返れるってことですよね?』
「それは……。まだなんとも……」
なぜなら、出会ってすぐのライズは【階段から落ちた】と言っていた。その拍子に魂が出てしまったのだとして、身体が無事かどうか。そして、一度抜け出した魂が、元の身体に戻れるのかロアンナには分からない。
「不確かな情報でごめんなさい。マックスお兄様にもライズさんの身体がどうなっているのか調べてもらうために手紙を出したのだけど、返事はだいぶ先になると思うわ」
謝るロアンナの周りをライズはクルクルと回った。
『どうして謝るんですか! その情報だけで十分ですよ! なぜなら、俺が飛んで行って、今の俺の身体の状態を確認してくればいいだけですから』
「そうね」
『とにかく、一度ノアマン辺境伯領に行ってきます! ロアンナ様、今まで大変お世話になりました』
「こちらこそ、世話になったわね」
ジッとロアンナの顔を見つめていたライズは、ニコッと笑うと両手をピョコピョコさせる。
『もし、生きていたら、ロアンナ様に会いに来てもいいですか?』
「もちろんよ」
ロアンナが手をかざすと、ライズはハイタッチするようにその手にチョンと触れる。
ライズの手が触れる感覚はなかったが、ロアンナは確かにそこに友情のようなものを感じとった。
「ライズさん、ありがとう。さようなら」
ライズは力いっぱい手を振りながら、部屋の壁を通り抜けていった。
取り残されたレイが「ライズさん、行っちゃったんだね」とつぶやく。
「そうね。寂しくなるわ」
その会話の三十分後、去っていった幽霊ライズが『ロアンナ様!』と叫びながら真っ青な顔で戻ってくることを、二人はまだ知らない。
ロアンナは、背の高いデュアンを見上げた。
「デュアン卿。無事に殿下の許可を得られたので、これからは私専属の護衛騎士を王太子宮に置くつもりです」
デュアンは「護衛には、ロアンナ様の弟であるレイ・クラウチをご希望ですか?」と尋ねた。
「そうです」
「分かりました。すぐにレイをそちらに配属するように手続きいたします。ひとまず、私達はこれで。行こう、ルル」
踵を返したデュアンのあとを、ルルが付いていく。そのとき、ルルが申し訳なさそうな視線をロアンナに向けていたので、多少は心境の変化があったのかもしれない。
二人と別れてからロアンナは、ようやく全身の力を抜いた。ライズがフワフワと近づいてくる。
『やりましたね、ロアンナ様!』
自分のことのように喜んでくれるライズに、ロアンナは心の中で返事をした。
『勝てたのは、ライズさんのおかげよ』
『ご謙遜を! ロアンナ様があんなに馬術がうまかったなんて、俺、知らなくて! あの腕前なら策を弄せずとも勝てましたね』
ライズはそう言うが、さすが騎士団長なだけありデュアンの腕前もかなりのものだった。まともに勝負していたら、どちらが勝っていたか分からない。
『約束を後回しにしてしまっていたけど、レイにライズさんのことを聞かないと。今から会いに行きましょう。』
『はい!』
元気なお返事をしたライズと共に、王宮の訓練場に向かっていると、途中でレイとバッタリ会った。
「姉さん!」
「レイ!?」
驚くロアンナの手を、レイが両手で握りしめる。
「騎士団長から聞いたよ! 今日から僕が姉さんの護衛騎士になるって!」
「そうなのだけど……。デュアン卿、仕事が早いわね」
ついさっき別れたばかりなのに、もうレイに知らせてくれたようだ。
「これでやっと姉さんを守れる! ずっと一人で戦わせて、ごめんね」
レイの目尻に浮かんだ涙を見て、ロアンナの胸は温かくなった。
「そんなことないわよ。いつもありがとう」
自分より背が高い弟をロアンナはそっと抱きしめる。
「レイ、あなたに聞きたいことがあるの。とにかく、私の部屋に行きましょう」
自室に戻る間、ライズは遠慮がちにロアンナに尋ねた。
『その、今さらかもしれませんが、どうしてロアンナ様はジーク殿下と婚約なさっているんですか? お二人を見る限り、どちらかが希望して成立したものではないですよね?』
ライズは『あっ、もちろん、言いたくなければ言わなくて大丈夫です』と慌てている。そんなライズにロアンナは、心の中で返事をした。
『まだ言っていなかったかしら? 五年前にジーク殿下と私が婚約してはどうかと、国王陛下から打診を受けたのよ。そのときは、私の方が年上だからとクラウチ侯爵家から辞退したのだけど……』
『だけど?』
ライズはつぶらな瞳をパチパチしている。
『その二年後に私の両親が馬車の事故に遭ってね』
『あっ! それでロアンナ様のお兄さんが若くして当主になられたのですね。クラウチ家の当主が代わったことは知っていたのですが詳細までは知らず! つらいお話をさせてしまい、すみません』
謝るライズに、ロアンナは首を左右に振る。
『実は……両親の遺体がまだ見つかっていないの。生死が分からず、二人とも行方不明なのよ』
『えっ?』
馬車の事故のあと、クラウチ侯爵家は全力で当主とその妻の行方を探した。しかし、一年経っても見つからず、目撃情報すらない。
これ以上、捜索に人員を割き続けるわけには行かず困っているときに王家が捜索支援を申し出てきた。
『その支援の条件が、ジーク殿下と私の婚約だったの』
ロアンナの兄も弟も、婚約に反対してくれた。しかし、当主不在のクラウチ侯爵家が王家からの打診を断るのは難しかった。
『それならば、いっそのこと覚悟を決めて婚約して、王家にも両親を捜索してもらおうと思いここまできたのだけど……。このありさまよ』
ロアンナが婚約したことで、王家は捜索支援をしてくれているそうだが、ロアンナがそれを確認する術(すべ)はなく、両親はまだ見つかっていない。
『両親の捜索を始めてから三年。ジーク殿下と婚約してからは二年が経ったわ。兄が両親の捜索は、今年いっぱいで打ち切ると決断したの。あとは私とジーク殿下の婚約をどうするかね』
本来なら捜索が打ち切られても婚約を続けるのが筋だが、当のジークがこれほど嫌がっているのに継続できるわけがない。
『できれば穏便に婚約解消したかったのだけど……。ジーク殿下は、どうしても私を悪者にして婚約破棄したがっているから、私も今ではジーク殿下有責での婚約破棄を願っているわ」
『そういう事情があったんですね』
王太子宮内にあるロアンナの自室についたので、ロアンナは話を切り上げた。
『私の話はここまでよ。これからはライズさんの話をしましょう』
部屋に入ったレイは、「姉さん。今、もしかして幽霊と話していたの?」と首をかしげる。
「そうよ。ここにライズさんがいるわ」
「いるわって……。ライズさんは姉さんとのデートに満足してお空に行ったんでしょう!?」
「それが、行き方が分からないらしいの」
レイはしばらく黙り込んだ後に「やっぱり」とつぶやいた。
「前にも言ったけど、ライズさんって幽霊っぽくないんだよね」
「どうして、そう思ったの?」
レイは身につけているネックレスに触れた。
「このネックレスをつける前の子どもの頃の記憶だから、はっきりとは覚えていないんだけどね。幽霊に憑りつかれたときと、ライズさんに僕の身体を貸したときの感覚がぜんぜん違っていて」
ライズが『どう違うんですか?』と尋ねたので、ロアンナがライズの代わりにレイに伝える。
「幽霊に憑りつかれたときは、もっとこうザワザワするというか気持ち悪いんだけど、ライズさんに身体を貸したときは、友達が遊びにきたみたいな感じで嫌な感覚がしなくて……」
『じゃあ、俺はいったい?』
戸惑うライズの声が届いていないレイは、ポケットから手紙を取り出した。
「朝一で姉さんからの手紙を受け取って、指示通り情報屋からライズ・ノアマン辺境伯のことを仕入れてきたんだ。姉さんの予想通り、ノアマン辺境伯が亡くなったなんて情報は王都には入ってきていない」
『それって、どういうことですか!?』
驚くライズをロアンナは見つめた。
「必ずそうだとは言えないのだけど、ライズさんは亡くなったのではなく、身体から魂が抜けだしてしまった状態。ようするに、生霊の可能性があるわ」
『生霊……って、俺がまだ生きている可能性があるってことですか!?』
ロアンナが頷くと、ライズはピョンッと飛び上がった。
『や、やった! じゃあ、身体に戻ったら生き返れるってことですよね?』
「それは……。まだなんとも……」
なぜなら、出会ってすぐのライズは【階段から落ちた】と言っていた。その拍子に魂が出てしまったのだとして、身体が無事かどうか。そして、一度抜け出した魂が、元の身体に戻れるのかロアンナには分からない。
「不確かな情報でごめんなさい。マックスお兄様にもライズさんの身体がどうなっているのか調べてもらうために手紙を出したのだけど、返事はだいぶ先になると思うわ」
謝るロアンナの周りをライズはクルクルと回った。
『どうして謝るんですか! その情報だけで十分ですよ! なぜなら、俺が飛んで行って、今の俺の身体の状態を確認してくればいいだけですから』
「そうね」
『とにかく、一度ノアマン辺境伯領に行ってきます! ロアンナ様、今まで大変お世話になりました』
「こちらこそ、世話になったわね」
ジッとロアンナの顔を見つめていたライズは、ニコッと笑うと両手をピョコピョコさせる。
『もし、生きていたら、ロアンナ様に会いに来てもいいですか?』
「もちろんよ」
ロアンナが手をかざすと、ライズはハイタッチするようにその手にチョンと触れる。
ライズの手が触れる感覚はなかったが、ロアンナは確かにそこに友情のようなものを感じとった。
「ライズさん、ありがとう。さようなら」
ライズは力いっぱい手を振りながら、部屋の壁を通り抜けていった。
取り残されたレイが「ライズさん、行っちゃったんだね」とつぶやく。
「そうね。寂しくなるわ」
その会話の三十分後、去っていった幽霊ライズが『ロアンナ様!』と叫びながら真っ青な顔で戻ってくることを、二人はまだ知らない。

