栞みたいな恋だった

 周くんとの日々を胸の奥に押し込んでも、あのハンカチはずっと離せないままだった。
 地元の女子大に入学した私は、英文学を専攻して、二年の夏にアルバイト代を貯めて短期の語学留学をした。
 現地で知り合った友達と、SNSでつながってメッセージをやり取りする日々。
 そして、私はそこに留学生活の写真をたくさんのせて、カルチャーショックを受けたことや、初めての一人暮らしで直面した悩みを赤裸々に投稿していた。
 そんな、語学学校での授業を終えた夜。いつものようにBBCを聞き流し、「知り合いかも」の友達検索ページを見ていた時の事だった。

 ――【もしかして知り合いかも:Shu Sato】

 そこに表示されていたのは、初期設定のままのアイコン。そして、数年ぶりにみた、彼の名前。
 自己紹介には何も記入されていないし、投稿も写真もなにひとつない。けれど、それが本人だと分かったのは、そのアカウント名の横に記された四桁の数字が、彼の誕生日だったからだ。
 懐かしい気持ちと、嬉しい気持ち。そして、またメッセージを送ったら、今の彼はどう思って、何を返してくれるか。不安と期待を混ぜながら、私は周くんへメッセージを綴り、送った。

 周くん、お久しぶりです。元気ですか?
 私は今、語学留学で海外にいます。
 教員免許を目指して、いつか先生になりたいなって思ってます。
 北見司の話、たくさんしたのが、懐かしいね。
 どうか、お元気で。

 久しぶりに送った言葉は、どこか背伸びしていて、それでいてあの時の私たちの時間を少しだけ目を背けたようなものになってしまった。
 けれど、元気で居てくれたら。それだけでいい。
 彼がどんな理由で、本当は心に何を抱えて、転校という選択をしたのかは分からない。けれど、大学生になった私は、理由よりも、彼が幸せに生きていることを願う、「ひとりの女の子」として彼にそれを伝えたかった。
 きっと、返信は来ない。そう思ったからこそ、返信が要らないことを滲ませる文面にした。まるで、自分に言い聞かせるみたいに。

 そうして、二ヶ月が過ぎて日本へ帰国する数日前。SNSの吹き出しマークに、赤い点がついていた。
 パソコンのマウスで、そこをゆっくりとクリックしたのは、たぶん直感で、それが周くんからだと察していたからなのかもしれない。
 何が、書いてあるんだろう。彼はどう思ったんだろう。
 けれど、私が身構えるよりも、その内容はあっさりとしたものだった。

《貴女の幸せを願っています》

 たった、それだけだった。
 しばらくの間、私はその十二文字を何度も読み返した。嬉しいのか、悲しいのか、自分でもよく分からなかった。ただ、泣きたいような、笑いたいような、言葉にならない感覚だけが、体の奥から静かに満ちてくる。
 杏奈でもなく、佐藤さんでもなく——貴女。
 その一言に、もうあの頃の私たちには戻れないということが、静かに込められていた。彼らしい、誠実な別れだと思った。ごめんねの一つもなくても、責め立てる気持ちにはならなかった。
 私はそれに返信をせず、パソコンをそっと閉じる。
 それでも、彼の言葉はまだ、心のどこかで静かに光り続けていた。