まわりにはたくさんの人がいるのに。
つい先日まで、私が東城院の人間として劇場に出入りしていたのは、ほとんどの人が知っている。
ロビーのざわめきも、衣擦れの音も、何もかもが急に遠くなる。
自分の浅くなった呼吸の音ばかりが、やけにはっきり聞こえた。
「何を馬鹿なことを!!千景さん!西の女との結婚なんて認めませんよ!」
「そ、そうよ!なんで、よりによって弥生さんなの」
鴇子と薫子の言葉が矢のように飛んでくる。
二人の言うことはもっともだ。
自分ですら、千景の言葉をまだ消化しきれていないのに。
「さては……弥生さん、あなた!お兄様を誑かしたのね!」
「なんてことをっ……!」
「どんな手を使ったのか言いなさいよ!!」
「そ、そんなことっ……」
鴇子に掴みかかられそうになった時、私を庇いながら千景が二人を睨みつける。
「二人には関係ない。これは俺と弥生の問題だ」
その一声がぴしゃりと場を切るように響き、場の空気が変わった。
周囲の人々が固唾を飲み、睨み合うように向かい合う宗景と千景を見つめている。
当事者であるはずの自分だけが、置いてきぼりにされているような感覚になる。
それなのに、繋がれた千景の手だけが、それを許さない。
お前はここにいろ、とでも言うみたいに、震える私の手を強く、熱く、離さずにいてくれる。
ゆっくりと、宗景が口を開く。
「弥生を引き取ってから、お前の芸が変わったことには気づいていた」
「はい」
「女方の色も、舞台での間も、以前とは違っていった。だが、それが何によるものか、あえて聞かなかった。……弥生の存在が、お前の芸を押し上げていたのだな」
「すべて、弥生のおかげです」
私を引き取った時、目の前にいる私の名前すら知らなかった宗景。
五年間で会話をしたのも、数えるほど。
鴇子と薫子を諫めもしない宗景を、冷たい人だとも思っていた。
けれど、愛人が生んだ子どもに対してはそんなものだろうと、いつしか諦めてもいた。
それなのに。
芸を通して、私の存在を、ちゃんと認識していたなんて。
やがて、宗景がは目をつむり、ため息よりも大きな息を吐く。
「すぐには認められん」
その答えが、胸に響く。
やっぱり、芸妓の娘、まして西の生まれの私を認めてもらえるわけがない。
「だが、お前が東條の名を継ぐ覚悟と、その娘を梨園に迎える覚悟の両方を示すなら、話は別だ」
その言葉に、俯いていた顔を見上げる。
「芸でもって示せ。家の者としても、男としてもな」
「っあなた!!!」
「お父様!嫌よ!!そんなのっ」
「千景さん!許しませんよ!!」
「鴇子、薫子。黙れ。今ここで口を出すことではない」
千景から目を逸らすことなく、言い切る宗景の声に、鴇子と薫子が体を震わせて黙り込む。
「示します。俺は弥生を、『梨園の嫁』にします」
迷うことなく答える千景の声。
五年間、梨園の家で育ててもらった。
『梨園の嫁』という言葉の重圧も、その覚悟の大きさも、私だって知っている。
その全部を引き受けるつもりで、千景は今ここに立っているのだ。
繋がれた手が、もう一度だけ強く握られた。
それだけで、泣きそうになる。
怖いのに。
嬉しいのに。
もう、後戻りなどできないのだと、その熱だけでわかってしまった。
もう、逃げられない。
つい先日まで、私が東城院の人間として劇場に出入りしていたのは、ほとんどの人が知っている。
ロビーのざわめきも、衣擦れの音も、何もかもが急に遠くなる。
自分の浅くなった呼吸の音ばかりが、やけにはっきり聞こえた。
「何を馬鹿なことを!!千景さん!西の女との結婚なんて認めませんよ!」
「そ、そうよ!なんで、よりによって弥生さんなの」
鴇子と薫子の言葉が矢のように飛んでくる。
二人の言うことはもっともだ。
自分ですら、千景の言葉をまだ消化しきれていないのに。
「さては……弥生さん、あなた!お兄様を誑かしたのね!」
「なんてことをっ……!」
「どんな手を使ったのか言いなさいよ!!」
「そ、そんなことっ……」
鴇子に掴みかかられそうになった時、私を庇いながら千景が二人を睨みつける。
「二人には関係ない。これは俺と弥生の問題だ」
その一声がぴしゃりと場を切るように響き、場の空気が変わった。
周囲の人々が固唾を飲み、睨み合うように向かい合う宗景と千景を見つめている。
当事者であるはずの自分だけが、置いてきぼりにされているような感覚になる。
それなのに、繋がれた千景の手だけが、それを許さない。
お前はここにいろ、とでも言うみたいに、震える私の手を強く、熱く、離さずにいてくれる。
ゆっくりと、宗景が口を開く。
「弥生を引き取ってから、お前の芸が変わったことには気づいていた」
「はい」
「女方の色も、舞台での間も、以前とは違っていった。だが、それが何によるものか、あえて聞かなかった。……弥生の存在が、お前の芸を押し上げていたのだな」
「すべて、弥生のおかげです」
私を引き取った時、目の前にいる私の名前すら知らなかった宗景。
五年間で会話をしたのも、数えるほど。
鴇子と薫子を諫めもしない宗景を、冷たい人だとも思っていた。
けれど、愛人が生んだ子どもに対してはそんなものだろうと、いつしか諦めてもいた。
それなのに。
芸を通して、私の存在を、ちゃんと認識していたなんて。
やがて、宗景がは目をつむり、ため息よりも大きな息を吐く。
「すぐには認められん」
その答えが、胸に響く。
やっぱり、芸妓の娘、まして西の生まれの私を認めてもらえるわけがない。
「だが、お前が東條の名を継ぐ覚悟と、その娘を梨園に迎える覚悟の両方を示すなら、話は別だ」
その言葉に、俯いていた顔を見上げる。
「芸でもって示せ。家の者としても、男としてもな」
「っあなた!!!」
「お父様!嫌よ!!そんなのっ」
「千景さん!許しませんよ!!」
「鴇子、薫子。黙れ。今ここで口を出すことではない」
千景から目を逸らすことなく、言い切る宗景の声に、鴇子と薫子が体を震わせて黙り込む。
「示します。俺は弥生を、『梨園の嫁』にします」
迷うことなく答える千景の声。
五年間、梨園の家で育ててもらった。
『梨園の嫁』という言葉の重圧も、その覚悟の大きさも、私だって知っている。
その全部を引き受けるつもりで、千景は今ここに立っているのだ。
繋がれた手が、もう一度だけ強く握られた。
それだけで、泣きそうになる。
怖いのに。
嬉しいのに。
もう、後戻りなどできないのだと、その熱だけでわかってしまった。
もう、逃げられない。



