どれくらい車に乗っていただろうか。
窓から見える景色が、少しずつ変わっていく。
見慣れた和風の家並みが途切れ、石造りの建物や、洋風の看板を掲げた店が増えていく。
やがて遠くに海が見えた。
陽を弾く水面の向こうに、何本ものマストが立ち、煙を吐く船まで浮かんでいる。
潮の匂いに、どこか石炭の焦げたような匂いまで混じって、京とも東京とも違う、港町の空気が窓の隙間から入り込んできた。
車は港の近くを抜け、やがてゆるやかな坂を上っていく。
石畳を踏む音が砂利混じりに変わり、タイヤがごとりと小さく跳ねた。
見上げる先には、洋館が点々と並んでいる。
異人館、と呼ばれるような家々の中でも、嘉月の家はひときわ大きかった。
白い外壁に、ところどころ煉瓦が貼られ、こげ茶の窓枠が整然と並ぶ。
暖炉があるのだろうか、煙突まで高く伸びていた。
庭には薔薇が植えられ、見たこともないような異国めいた花が、海からの風に揺れている。
「到着しました」
嘉月の声で、はっと我に返る。
車の扉が開かれ、ゆっくりと降りると、ブーツで踏む砂利の音は、東城院の家の砂利とはまるで違って聞こえた。
乾いて軽いその音まで、ここがもう別の土地なのだと告げてくる。
「あ、荷物……」
「弥生さん、荷物は使用人が運びますよ」
そう言われ、邸の中へ促される。
大きな扉が開くと、数人の使用人がすでに待機していた。
「お帰りなさいませ。旦那様、お嬢様」
頭を下げられたその声に、思わず怖気づく。
床に敷かれた絨毯を見て、慌ててブーツを脱ごうとしゃがみ込む。
「弥生さん。屋敷内は靴で大丈夫ですよ」
「え!?部屋の中なのに……!?」
「はい。そのままで」
靴のまま立っていてもわかる、絨毯のやわらかさ。
何もかも初めての感覚で、畳の匂いが恋しくなる。
こんな家で、これから暮らすなんて。
「弥生さんの部屋に案内しますね」
階段を上り、廊下の窓から見える景色に思わず足が止まりそうになる。
港の方にはまだ船の影が見え、その向こうには、街が異国の絵葉書みたいに広がっていた。
ここだけ、まるで帝國ではないみたいだった。
「部屋はこちらです。急いで用意したんで、足りないものがあったら遠慮なく」
案内された部屋も、やはり洋風だった。
畳ではなく絨毯。
箪笥でも押し入れでもなく、クロゼット。
座布団ではなく、ソファに置かれたクッション。
大きな天蓋つきのベッドが、部屋の真ん中で堂々と場所を陣取っている。
全部、私のために用意されたのだろう。
部屋には真新しい家具の匂いがして、まだ誰の暮らしにも馴染んでいない気配があった。
「袴も和服も、洋服も、一通りあるかと思います。弥生さん?」
「あっ、すんまへん……その、こんな自分のために」
「当然ですよ。ここは弥生さんの家ですから」
私の家。
その言葉に、戸惑ってしまう。
「夕食は一緒に。嫌いなものはありますか?」
「いえ!なんでも、食べれます」
「なら良かった。それまでゆっくりしていてください」
そう言われ、部屋に一人きりになると、余計に部屋が広く感じてしまう。
どこにいてもいいはずなのに、どこにいたらいいのかわからず、しばらく立ち尽くしてから、ようやくベッドの端に遠慮がちに腰を下ろす。
東城院の家で与えられた四畳半の部屋より、ずっと広い部屋。
何もかも与えられている。
きっと、望めば嘉月はさらに用意してくれるのだろう。
ありがたいはずなのに……ここには千景がいない。
それだけのことで、この異国みたいな部屋が、ひどく空虚な場所に思えてしまう。
満たされるべきはずなのに。
窓から見える景色が、少しずつ変わっていく。
見慣れた和風の家並みが途切れ、石造りの建物や、洋風の看板を掲げた店が増えていく。
やがて遠くに海が見えた。
陽を弾く水面の向こうに、何本ものマストが立ち、煙を吐く船まで浮かんでいる。
潮の匂いに、どこか石炭の焦げたような匂いまで混じって、京とも東京とも違う、港町の空気が窓の隙間から入り込んできた。
車は港の近くを抜け、やがてゆるやかな坂を上っていく。
石畳を踏む音が砂利混じりに変わり、タイヤがごとりと小さく跳ねた。
見上げる先には、洋館が点々と並んでいる。
異人館、と呼ばれるような家々の中でも、嘉月の家はひときわ大きかった。
白い外壁に、ところどころ煉瓦が貼られ、こげ茶の窓枠が整然と並ぶ。
暖炉があるのだろうか、煙突まで高く伸びていた。
庭には薔薇が植えられ、見たこともないような異国めいた花が、海からの風に揺れている。
「到着しました」
嘉月の声で、はっと我に返る。
車の扉が開かれ、ゆっくりと降りると、ブーツで踏む砂利の音は、東城院の家の砂利とはまるで違って聞こえた。
乾いて軽いその音まで、ここがもう別の土地なのだと告げてくる。
「あ、荷物……」
「弥生さん、荷物は使用人が運びますよ」
そう言われ、邸の中へ促される。
大きな扉が開くと、数人の使用人がすでに待機していた。
「お帰りなさいませ。旦那様、お嬢様」
頭を下げられたその声に、思わず怖気づく。
床に敷かれた絨毯を見て、慌ててブーツを脱ごうとしゃがみ込む。
「弥生さん。屋敷内は靴で大丈夫ですよ」
「え!?部屋の中なのに……!?」
「はい。そのままで」
靴のまま立っていてもわかる、絨毯のやわらかさ。
何もかも初めての感覚で、畳の匂いが恋しくなる。
こんな家で、これから暮らすなんて。
「弥生さんの部屋に案内しますね」
階段を上り、廊下の窓から見える景色に思わず足が止まりそうになる。
港の方にはまだ船の影が見え、その向こうには、街が異国の絵葉書みたいに広がっていた。
ここだけ、まるで帝國ではないみたいだった。
「部屋はこちらです。急いで用意したんで、足りないものがあったら遠慮なく」
案内された部屋も、やはり洋風だった。
畳ではなく絨毯。
箪笥でも押し入れでもなく、クロゼット。
座布団ではなく、ソファに置かれたクッション。
大きな天蓋つきのベッドが、部屋の真ん中で堂々と場所を陣取っている。
全部、私のために用意されたのだろう。
部屋には真新しい家具の匂いがして、まだ誰の暮らしにも馴染んでいない気配があった。
「袴も和服も、洋服も、一通りあるかと思います。弥生さん?」
「あっ、すんまへん……その、こんな自分のために」
「当然ですよ。ここは弥生さんの家ですから」
私の家。
その言葉に、戸惑ってしまう。
「夕食は一緒に。嫌いなものはありますか?」
「いえ!なんでも、食べれます」
「なら良かった。それまでゆっくりしていてください」
そう言われ、部屋に一人きりになると、余計に部屋が広く感じてしまう。
どこにいてもいいはずなのに、どこにいたらいいのかわからず、しばらく立ち尽くしてから、ようやくベッドの端に遠慮がちに腰を下ろす。
東城院の家で与えられた四畳半の部屋より、ずっと広い部屋。
何もかも与えられている。
きっと、望めば嘉月はさらに用意してくれるのだろう。
ありがたいはずなのに……ここには千景がいない。
それだけのことで、この異国みたいな部屋が、ひどく空虚な場所に思えてしまう。
満たされるべきはずなのに。



