梨園の花嫁〜歌舞伎の御曹司は、芸妓の娘の義妹を手放せない〜

日が経つにつれて、屋敷での私の立ち位置も、少しずつ固まっていった。
鴇子は私に対して、面と向かって激しいことを言うわけではなかった。
怒鳴ることも、手を上げることもない。
ただ、細かいことを次々と言いつけた。

「この棚の整理をしなさい」
「庭の掃き掃除をしなさい」
「この帯は畳み皺がつかないように片付けなさい」

最初は手伝いだと思っていた。
屋敷に世話になっているのだから、自分にできることをするのは当然だと。

けれど、少しずつ量が増えていった。
学校から帰れば、夕食の時間まで休む間もなく手を動かす。
終わったと思えば次の用事がある。
そうしているうちに、私はこの家の娘というより、使いのきく下働きのようになっていった。

しかも、それは誰にもはっきり告げられないまま進んでいく。
気づけば私がやることになっていて、やらなければ、なぜ気がつかないのと叱られる。
その曖昧さが、いちばん堪えた。

使用人たちは、私のことを哀れむような目で見ていた。
声をかけてくれることはあまりない。
けれど廊下ですれ違うとき、ちらりと目が合うことがある。
その一瞬に同情が混じっているのがわかって、それがかえってつらかった。

『同情いうもんはな、人を弱うしてしまうんよ』

母がそう言っていた。
同情されると、自分が弱いものだと信じてしまうから、と。

だから私は、そういう目に気づいても俯いた。
見なかったことにする。気づかなければ、まだ大丈夫だと思えたから。

つらい手伝いはいくらでもあった。
けれど、不思議と歌舞伎に関わるものだけは嫌ではなかった。

「この着物を片付けなさい。折り目に気を付けて」
「小物は丁寧に扱いなさい」
「装飾品は特に、柔らかい布で拭き上げなさい」

女方の衣裳に触れると、指先が少しだけ浮き立つ。
光沢のある布、細やかな刺繍、かんざしの重み。
楽屋へ運ばれる前の鬘や小道具を目にするだけでも、胸の奥がそっと動いた。

鴇子はきつい人ではあったけれど、歌舞伎に対しては真剣なのが伝わってきた。
衣裳の置き方ひとつ、扱う手つきひとつにも無駄がない。
そこにだけは、家の見栄でも意地でもない、本気があった。

それに触れていると、京での暮らしや、母のことを思い出す。
祇園に響く、三味線の音に耳を澄ませていた夜のこと。
支度をする母の背を、飽きもせず眺めていたこと。

何より、艶やかで華やかな歌舞伎の世界を、私は存外嫌いではないのだと気づいた。
苦しくても、ここにある色や音だけは、まだ私の心を遠ざけなかった。