最初に口を開いたのは千景だった。
怒鳴ったわけでもないのに、その一言だけで空気がひやりと冷えた。
舞台で聞く声とはまた違う声。
感情を押し殺しているからこそ、余計に鋭かった。
「そんな話を、突然持ち出して」
「突然であることは承知しています」
「承知しているなら、なおさら軽々しく口にするな」
千景はさらに半歩前に立つ。
庇うように。通さないように。
自分のことなはずなのに、千景の背中をただ見つめることしかできない。。
私のために怒ってくれているのだとわかるのに、その怒りの向こうにあるものまで考えてしまって、苦しくなる。
嘉月は一歩も引かない。
「軽々しく口にしているつもりはありません」
「自覚があるのなら、なおタチが悪い」
千景の声がさらに低くなる。
「弥生の母の名を出して、血液型だけであれこれと」
「血液型だけではありません」
嘉月の視線が、まっすぐ千景に向く。
「弥栄菊さんが姿を消した時期も、あなた方の家に弥生さんが引き取られた事情も、調べさせてもらいました」
「昨日の今日でか?」
「ええ。昨日、弥生さんと別れたすぐ後に。声を聞いた瞬間に、確かめずにはいられなくなった」
千景の肩がわずかに強張る。
その横顔には、さっきまで見たことのない色が差していた。
嘉月に向ける警戒だけではない。
私の知らない母の時間が、この人の知らないところにあったのだと突きつけられた時の、行き場のない硬さにも見えた。
「こそこそと嗅ぎまわって……そんなことで、弥生を振り回すな」
「振り回したいわけではありません」
「結果としてそうなると言っている」
千景は言い切った。
「父だけではなく、お前との関係も否定されたらどうする」
「それは……」
「弥生は母のことまで掘り返され、今度こそ行く当てがなくなってしまうことになる」
「……」
「それに」
千景はそこで一度だけ言葉を切る。
喉の奥に、何かひどく苦いものを押し込めるような間だった。
「十七年間も放っておいて、今さら父親だと名乗るつもりか」
その問いに、嘉月はすぐには答えない。
しばらく黙って、それから静かに口を開く。
「名乗る資格があるとは思っていません」
「なら——」
「ですが、もし本当に弥生さんが私の娘なら、知らないままでいることだけは許されない」
はっと顔を上げた。
嘉月の目は、まっすぐだった。
探るようでいて、どこか怯えているようでもある、昨日から変わらないあの目。
けれど今、その奥にあるものは少しだけわかった気がした。
怖いのだ。
真実を知ることも、知った先で自分がどう裁かれるかも。
それでも、知らずにいる方がもっと怖いのだと、そういう目だった。
「弥生さん」
嘉月が、今度は私に向き直る。
「急にこんな話をされて、戸惑われるのは当然です。ですから、すぐに答えを出してほしいとは申しません」
「……」
「ただ、どうか血液型だけでも確かめさせていただけないでしょうか」
唇を引き結んだ。
答えようとしても、言葉にならない。
母のこと。父のこと。自分のこと。
考えなければならないことが多すぎて、頭の中が白くなっていく。
その隣で、千景がきっぱりと言った。
「だめだ」
「兄さん」
「だめだ、弥生」
千景を見ると、その顔は、静かだった。
けれどその静けさの下で、感情がひどく激しく動いているのがわかった。
「こんな形で、お前に選ばせるわけにはいかない」
「でも」
「でもじゃない。お前は昨日も今日も、散々振り回されたばかりだろう」
その言葉に、胸が小さく揺れた。
振り回された。
確かにそうかもしれない。
瑠璃子に翻弄され、千景のことでも心を乱され、今また母の過去まで突然目の前に差し出されている。
けれど——
「……でも、兄さん」
自分の声が、思っていたよりも落ち着いて響いた。
その目を見つめ返し、ほんの少し息を吸った。
「もし、うちがお父さんの娘でないなら……」
「弥生」
恐る恐る、千景の着物の袖を震える手で掴むと、千景が、はっとしたように私を見る。
「うち、兄さんの妹じゃないかもしれません」
怒鳴ったわけでもないのに、その一言だけで空気がひやりと冷えた。
舞台で聞く声とはまた違う声。
感情を押し殺しているからこそ、余計に鋭かった。
「そんな話を、突然持ち出して」
「突然であることは承知しています」
「承知しているなら、なおさら軽々しく口にするな」
千景はさらに半歩前に立つ。
庇うように。通さないように。
自分のことなはずなのに、千景の背中をただ見つめることしかできない。。
私のために怒ってくれているのだとわかるのに、その怒りの向こうにあるものまで考えてしまって、苦しくなる。
嘉月は一歩も引かない。
「軽々しく口にしているつもりはありません」
「自覚があるのなら、なおタチが悪い」
千景の声がさらに低くなる。
「弥生の母の名を出して、血液型だけであれこれと」
「血液型だけではありません」
嘉月の視線が、まっすぐ千景に向く。
「弥栄菊さんが姿を消した時期も、あなた方の家に弥生さんが引き取られた事情も、調べさせてもらいました」
「昨日の今日でか?」
「ええ。昨日、弥生さんと別れたすぐ後に。声を聞いた瞬間に、確かめずにはいられなくなった」
千景の肩がわずかに強張る。
その横顔には、さっきまで見たことのない色が差していた。
嘉月に向ける警戒だけではない。
私の知らない母の時間が、この人の知らないところにあったのだと突きつけられた時の、行き場のない硬さにも見えた。
「こそこそと嗅ぎまわって……そんなことで、弥生を振り回すな」
「振り回したいわけではありません」
「結果としてそうなると言っている」
千景は言い切った。
「父だけではなく、お前との関係も否定されたらどうする」
「それは……」
「弥生は母のことまで掘り返され、今度こそ行く当てがなくなってしまうことになる」
「……」
「それに」
千景はそこで一度だけ言葉を切る。
喉の奥に、何かひどく苦いものを押し込めるような間だった。
「十七年間も放っておいて、今さら父親だと名乗るつもりか」
その問いに、嘉月はすぐには答えない。
しばらく黙って、それから静かに口を開く。
「名乗る資格があるとは思っていません」
「なら——」
「ですが、もし本当に弥生さんが私の娘なら、知らないままでいることだけは許されない」
はっと顔を上げた。
嘉月の目は、まっすぐだった。
探るようでいて、どこか怯えているようでもある、昨日から変わらないあの目。
けれど今、その奥にあるものは少しだけわかった気がした。
怖いのだ。
真実を知ることも、知った先で自分がどう裁かれるかも。
それでも、知らずにいる方がもっと怖いのだと、そういう目だった。
「弥生さん」
嘉月が、今度は私に向き直る。
「急にこんな話をされて、戸惑われるのは当然です。ですから、すぐに答えを出してほしいとは申しません」
「……」
「ただ、どうか血液型だけでも確かめさせていただけないでしょうか」
唇を引き結んだ。
答えようとしても、言葉にならない。
母のこと。父のこと。自分のこと。
考えなければならないことが多すぎて、頭の中が白くなっていく。
その隣で、千景がきっぱりと言った。
「だめだ」
「兄さん」
「だめだ、弥生」
千景を見ると、その顔は、静かだった。
けれどその静けさの下で、感情がひどく激しく動いているのがわかった。
「こんな形で、お前に選ばせるわけにはいかない」
「でも」
「でもじゃない。お前は昨日も今日も、散々振り回されたばかりだろう」
その言葉に、胸が小さく揺れた。
振り回された。
確かにそうかもしれない。
瑠璃子に翻弄され、千景のことでも心を乱され、今また母の過去まで突然目の前に差し出されている。
けれど——
「……でも、兄さん」
自分の声が、思っていたよりも落ち着いて響いた。
その目を見つめ返し、ほんの少し息を吸った。
「もし、うちがお父さんの娘でないなら……」
「弥生」
恐る恐る、千景の着物の袖を震える手で掴むと、千景が、はっとしたように私を見る。
「うち、兄さんの妹じゃないかもしれません」



