翌朝、すぐには劇場へ向かえなかった。
支度をしながらも、前日のことが何度も頭をよぎる。
千景の顔。
瑠璃子の声。
廊下の陰からこちらを窺っていた、あの気配。
考えまいとしても、ふとした拍子に胸の奥へ戻ってくる。
目を閉じれば、連日観ている『八重垣姫』の面影まで重なって、息が浅くなる。
今日は、少し遅れて行こうか。
どうせ裏方の手伝い。朝一番でなくても、少しぐらいは困りはしない。
そう思って袴の紐を結び直していた時、廊下の向こうで、慌ただしい足音が止まった。
「弥生さん!いらっしゃいますか!」
劇場の者の声。
障子を開けると、若い男が息を切らして立っている。
顔色まで変えていて、ただごとではないとすぐにわかった。
「大変です。千之助さんの衣装が見当たらないんです」
「……え?」
「『八重垣姫』の大振袖です。昨日の終演後、最後に確認していたのは弥生さんだと聞いて」
血の気が引くのがわかる。
『八重垣姫』の大振袖。
昨日、自分の手で皺を伸ばし、裾を整え、確かに所定の衣裳掛けへ戻したはずのものだ。
間違えるはずがない。間違えていいものでもない。
「そんな……」
「とにかく、すぐ来てください」
支度をしながらも、前日のことが何度も頭をよぎる。
千景の顔。
瑠璃子の声。
廊下の陰からこちらを窺っていた、あの気配。
考えまいとしても、ふとした拍子に胸の奥へ戻ってくる。
目を閉じれば、連日観ている『八重垣姫』の面影まで重なって、息が浅くなる。
今日は、少し遅れて行こうか。
どうせ裏方の手伝い。朝一番でなくても、少しぐらいは困りはしない。
そう思って袴の紐を結び直していた時、廊下の向こうで、慌ただしい足音が止まった。
「弥生さん!いらっしゃいますか!」
劇場の者の声。
障子を開けると、若い男が息を切らして立っている。
顔色まで変えていて、ただごとではないとすぐにわかった。
「大変です。千之助さんの衣装が見当たらないんです」
「……え?」
「『八重垣姫』の大振袖です。昨日の終演後、最後に確認していたのは弥生さんだと聞いて」
血の気が引くのがわかる。
『八重垣姫』の大振袖。
昨日、自分の手で皺を伸ばし、裾を整え、確かに所定の衣裳掛けへ戻したはずのものだ。
間違えるはずがない。間違えていいものでもない。
「そんな……」
「とにかく、すぐ来てください」



