終幕が近づくにつれ、客席の空気は変わっていく。
誰もが舞台の上の『八重垣姫』に引き込まれているのがわかる。
静まり返った空気の中で、千景の声だけが、ひどく遠いのに、ひどく近く聞こえた。
あの声が客席の隅々まで届いていくのに、私には耳元で囁かれているみたいにも感じられる。
そんなはずはないのに。
あの人は、こんなふうに恋を知っているのだろうか。
それは過去なのか、それとも現在なのか。
誰かを想って、胸の内を隠したまま生きる苦しさを、知っているのだろうか。
届かないとわかっている相手を、それでも見つめてしまう心を、知っているのだろうか。
そう思った瞬間、胸がまた痛んだ。
あの人の隣には、きっと瑠璃子のような人が立つのだろう。
華やかで、正しくて、東城院の名にも、御曹司の相手としてもふさわしい人が。
大勢の前で並んでも少しも揺らがず、今日みたいな日の中心に立つことを許されている人。
私ではない。
最初からわかっていたことなのに、どうしてこんなにも苦しくなるのか。
知っていたはずの現実が、今さら刃になって胸の内側をゆっくり切っていく。
舞台の美しさに心を奪われるほど、その刃の痛みまでくっきりしていくのが皮肉だった。
幕が下りる。
しばしの静寂のあと、客席から割れるような拍手が起こった。
どこかで「東屋!」と大向うがかかる。
その声に混じって、誰かが「千之助!」と叫んだ。
ひとつ、またひとつと声が重なり、拍手が波みたいに広がっていく。
胸の奥が震えるほどの感動。
ああ、すごい。
本当に、すごい。
誇らしいような、遠くへ行ってしまうような、どうしようもない気持ちが胸いっぱいに広がる。
あの人はこんなふうに人の心をさらってしまうのだと、今さら思い知らされる。
私が好きになった人は、こんなにも眩しい人だったのだと。
舞台袖へ戻ってくる千景を、私はまっすぐに見られなかった。
あの『八重垣姫』を見てしまったあとでは、もう何も知らないふりはできない。
ただ芸が好きなのだと、自分をごまかすこともできない。
好き。
その一言だけが、頭の中で何度も響く。
千景のことが好き。
それ以外の言葉が、何ひとつ思い浮かばないくらい、はっきりと。
苦しいのに、否定しようのない形で。
それなのに、口に出せるはずも、許されるはずもない。
そっと唇を噛み、うつむく。
舞台の熱がまだ残る廊下の向こうで、誰かが千之助の名を呼んでいる。
その声を聞きながら、私はようやく知った。
五年前、東城院の家に来たあの日から少しずつ積み重なっていたものの名前を。
それは憧れではなく、感謝でもなく、執着でもない。
千景のそばにいたいと思ってしまう理由。
あの人の一言に、あんなにも胸が揺れた理由。
舞台の上の恋する姫を見て、涙が止まらなかった理由。
どうしようもなく、恋をしていた。
誰もが舞台の上の『八重垣姫』に引き込まれているのがわかる。
静まり返った空気の中で、千景の声だけが、ひどく遠いのに、ひどく近く聞こえた。
あの声が客席の隅々まで届いていくのに、私には耳元で囁かれているみたいにも感じられる。
そんなはずはないのに。
あの人は、こんなふうに恋を知っているのだろうか。
それは過去なのか、それとも現在なのか。
誰かを想って、胸の内を隠したまま生きる苦しさを、知っているのだろうか。
届かないとわかっている相手を、それでも見つめてしまう心を、知っているのだろうか。
そう思った瞬間、胸がまた痛んだ。
あの人の隣には、きっと瑠璃子のような人が立つのだろう。
華やかで、正しくて、東城院の名にも、御曹司の相手としてもふさわしい人が。
大勢の前で並んでも少しも揺らがず、今日みたいな日の中心に立つことを許されている人。
私ではない。
最初からわかっていたことなのに、どうしてこんなにも苦しくなるのか。
知っていたはずの現実が、今さら刃になって胸の内側をゆっくり切っていく。
舞台の美しさに心を奪われるほど、その刃の痛みまでくっきりしていくのが皮肉だった。
幕が下りる。
しばしの静寂のあと、客席から割れるような拍手が起こった。
どこかで「東屋!」と大向うがかかる。
その声に混じって、誰かが「千之助!」と叫んだ。
ひとつ、またひとつと声が重なり、拍手が波みたいに広がっていく。
胸の奥が震えるほどの感動。
ああ、すごい。
本当に、すごい。
誇らしいような、遠くへ行ってしまうような、どうしようもない気持ちが胸いっぱいに広がる。
あの人はこんなふうに人の心をさらってしまうのだと、今さら思い知らされる。
私が好きになった人は、こんなにも眩しい人だったのだと。
舞台袖へ戻ってくる千景を、私はまっすぐに見られなかった。
あの『八重垣姫』を見てしまったあとでは、もう何も知らないふりはできない。
ただ芸が好きなのだと、自分をごまかすこともできない。
好き。
その一言だけが、頭の中で何度も響く。
千景のことが好き。
それ以外の言葉が、何ひとつ思い浮かばないくらい、はっきりと。
苦しいのに、否定しようのない形で。
それなのに、口に出せるはずも、許されるはずもない。
そっと唇を噛み、うつむく。
舞台の熱がまだ残る廊下の向こうで、誰かが千之助の名を呼んでいる。
その声を聞きながら、私はようやく知った。
五年前、東城院の家に来たあの日から少しずつ積み重なっていたものの名前を。
それは憧れではなく、感謝でもなく、執着でもない。
千景のそばにいたいと思ってしまう理由。
あの人の一言に、あんなにも胸が揺れた理由。
舞台の上の恋する姫を見て、涙が止まらなかった理由。
どうしようもなく、恋をしていた。



