その日から、週に一、二度、千景の稽古を見るようになった。
宗景はもちろん、鴇子にも、誰にも内緒で。
千景の方も「わざわざ言わなくていい」と言っていたから、私も何も口にしなかった。
けれど、稽古を見ているうちに、少しずつ、歌舞伎というものがわかってきた。
女方の動きひとつを取っても、手の位置から、指先の角度、顎の引き方、目線の落とし方、そのすべてに意味がある。
ただ女の形を真似ればいいわけではない。
男が演じるからこそ、現実の女よりも、もっと研ぎ澄まされた女の美しさが引き立ち、立ちのぼる。
そこに、歌舞伎の不思議な妖しさがあるのだと思った。
母のそばにいて、いろいろな芸事を見てきた。
けれど、あれは舞子や芸妓の美しさだった。
女が、女としての美しさを磨き、見せる芸事。
でも歌舞伎の女方は違う。
男が女を演じる。
その遠さがあるからこそ、かえって『妖艶な女らしさ』だけが抜き出されて、ひどく鮮やかになる。
千景の稽古を見ながら、そんなことを考えていた。
「今日は、何か気になることは」
稽古のあと、千景は必ずそう聞いた。
「目線が……少しだけ、自分のことを見ている気がします」
「自分のことを?」
「女の人の目線は、自分ではなく、相手を見るというより……見られている、いう意識がある気ぃして。男の人は自分の意志で動くけど、女の人は、見られることを前提に動くいうか」
「なるほど」
「うまく言えへんのやけど」
「いや、わかる」
千景は少し考えてから言った。
「自意識の向きが違う、ということか」
「そうかもしれません」
「……それは、女方の師匠も言わなかったな」
千景は静かにそう言った。
否定ではなく、本当に考え込んでいる声音だった。
「本か何かで覚えたのか」
「いいえ。母を見ていて、なんとなく思っていたことで」
千景が、こちらを見る。
まっすぐで、でも責めるようではない目だった。
「芸妓だったと言っていたな」
「はい」
「あれも、なかなか厳しい世界だ」
「はい。座敷ですけれど、似たようなものでっしゃろか。見てもらうことで成り立つ、いう意味では」
言ってから、しまったと思った。
姉さんたちの稽古も、母の支度も、ずっと見てきた。
どちらも真剣だった。
けれど、同じ芸事だからといって、梨園の芸と並べるみたいなことを言っていいのかはわからない。
千景はしばらく黙っていた。
怒らせたかもしれないと思って様子を窺う。
けれど、その顔に怒りはなかった。
何かを自分の中で噛み砕いているような、そんな沈黙だった。
「もう少し、教えてもらえるか」
「うちが教えられることなんて、あらしまへん……」
「教える、じゃなくていい」
「……え?」
「お前が思ったことを、そのまま言ってくれればいい。それが、今の俺には必要だと思う」
真剣な声。
千景が私に対して、本気で何かを求めている。
その事実が、じんわり胸の奥に広がる。
この家に引き取られてから、余計なことは言わないようにしてきた。
目立たないように、間違えないように、黙っている方を選んできた。
そんな私の言葉を、必要だという人がいる。
驚いて、少しのあいだ、何も言えなかった。
宗景はもちろん、鴇子にも、誰にも内緒で。
千景の方も「わざわざ言わなくていい」と言っていたから、私も何も口にしなかった。
けれど、稽古を見ているうちに、少しずつ、歌舞伎というものがわかってきた。
女方の動きひとつを取っても、手の位置から、指先の角度、顎の引き方、目線の落とし方、そのすべてに意味がある。
ただ女の形を真似ればいいわけではない。
男が演じるからこそ、現実の女よりも、もっと研ぎ澄まされた女の美しさが引き立ち、立ちのぼる。
そこに、歌舞伎の不思議な妖しさがあるのだと思った。
母のそばにいて、いろいろな芸事を見てきた。
けれど、あれは舞子や芸妓の美しさだった。
女が、女としての美しさを磨き、見せる芸事。
でも歌舞伎の女方は違う。
男が女を演じる。
その遠さがあるからこそ、かえって『妖艶な女らしさ』だけが抜き出されて、ひどく鮮やかになる。
千景の稽古を見ながら、そんなことを考えていた。
「今日は、何か気になることは」
稽古のあと、千景は必ずそう聞いた。
「目線が……少しだけ、自分のことを見ている気がします」
「自分のことを?」
「女の人の目線は、自分ではなく、相手を見るというより……見られている、いう意識がある気ぃして。男の人は自分の意志で動くけど、女の人は、見られることを前提に動くいうか」
「なるほど」
「うまく言えへんのやけど」
「いや、わかる」
千景は少し考えてから言った。
「自意識の向きが違う、ということか」
「そうかもしれません」
「……それは、女方の師匠も言わなかったな」
千景は静かにそう言った。
否定ではなく、本当に考え込んでいる声音だった。
「本か何かで覚えたのか」
「いいえ。母を見ていて、なんとなく思っていたことで」
千景が、こちらを見る。
まっすぐで、でも責めるようではない目だった。
「芸妓だったと言っていたな」
「はい」
「あれも、なかなか厳しい世界だ」
「はい。座敷ですけれど、似たようなものでっしゃろか。見てもらうことで成り立つ、いう意味では」
言ってから、しまったと思った。
姉さんたちの稽古も、母の支度も、ずっと見てきた。
どちらも真剣だった。
けれど、同じ芸事だからといって、梨園の芸と並べるみたいなことを言っていいのかはわからない。
千景はしばらく黙っていた。
怒らせたかもしれないと思って様子を窺う。
けれど、その顔に怒りはなかった。
何かを自分の中で噛み砕いているような、そんな沈黙だった。
「もう少し、教えてもらえるか」
「うちが教えられることなんて、あらしまへん……」
「教える、じゃなくていい」
「……え?」
「お前が思ったことを、そのまま言ってくれればいい。それが、今の俺には必要だと思う」
真剣な声。
千景が私に対して、本気で何かを求めている。
その事実が、じんわり胸の奥に広がる。
この家に引き取られてから、余計なことは言わないようにしてきた。
目立たないように、間違えないように、黙っている方を選んできた。
そんな私の言葉を、必要だという人がいる。
驚いて、少しのあいだ、何も言えなかった。



