梨園の花嫁〜歌舞伎の御曹司は、芸妓の娘の義妹を手放せない〜

「よりによって、西の女に手を出すなんて」

その言葉は、床に額を擦りつけたままの私の上に、容赦なく降ってきた。

十二歳の春、芸妓(げいこ)をしていた母が亡くなった。
お茶屋の女将さんに連れられ、ここへ来たのは、母の葬儀が終わってちょうど四十九日が過ぎた頃だった。

広いお屋敷。
磨き込まれた廊下はひやりと冷たく、遠くでは三味線の音がする。
琴の爪弾きに、笛の細い音まで重なっていた。

ここは、帝國で東西南北に分かれる歌舞伎の宗家、その東を束ねる東城院(とうじょういん)家。
そして目の前にいる男性——その名跡を東條(とうじょう)千宗(せんそう)という人が、どうやら私の父らしい。

らしい、というのは、茶屋の女将さんの帳簿と、私が生まれた時期を照らし合わせた結果そうなる、というだけの話だからだ。

幼いころ、何度か会ったことがある気もする。
けれど、それも朧げで、夢と見分けがつかない。

そんな曖昧な記憶だけを頼りに訪ねてきた娘を、快く思われるわけがない。
それくらい、私にもわかっていた。

「そう言うな。俺の娘だ。お前に任せる」
「あなたっ!」
「あぁ……名は、なんと言ったか」

娘の名前すら知らない父親。

けれど、仕方がない。
そう思うしかなかった。
私にはもう、ここ以外に頼れる場所なんてないのだから。

弥生(やよい)……と、いいます」
「弥生、か。弥栄菊(やえぎく)の名から取ったのだな」

母の芸妓としての名前。
その名が、この人の口から出た。
ちゃんと覚えていてくれたのだ。
私のことではなくても、母のことを。

それだけで、目の奥がじわりと熱くなる。
泣いてはいけないと思うのに、喉の奥が細く詰まった。

葬儀には来てくれなかった。
それでも、突然訪ねてきた、娘を名乗る私を追い返しはしない。
それだけで十分だと、そう思ってしまった。
少しだけ、この人を信用してもいいのではないかと。
そんなふうに考えた自分が、幼いながらにずいぶん浅はかだったのだろうけれど。

部屋を出ていく父の背を、私は伏せたまま目で追った。
そのあとを、苦言を呈しながら女性が続いていく。

ぴたり、と障子の向こうに人の気配が止まった。
そちらへ目をやると、私より少し年上の男の子と、少し年下の女の子がいた。

男の子は、じっとこちらを見ていた。
値踏みするようでもない。蔑むようでもない。
ただ静かで、妙に目を逸らせなくなる眼差しだった。

その隣で、女の子があからさまに顔をしかめる。
小さな皺の寄った眉間に、拒絶がそのまま浮かんでいた。

この家には、正妻の子が二人いると聞いていた。
きっと、この二人のことなのだろう。

私は座ったまま、自然と背を縮める。
一瞥されるだけで十分だった。
自分がここでどう見られるのか、嫌でもわかってしまう。

愛人の娘。
西の女の子。
歓迎されるはずがない。

それでも、ここにしがみつくしかなかった。

こうして私は、梨園(りえん)の家の娘になった。

遠くで、ベン、と三味線が強く鳴った。
張ったばかりの糸を爪で弾いたような、鋭い音。
まるで、これから先を告げる合図のように。