
季節が変わった。
雨季が終わり、乾季の風がジャングルを乾かし、またスコールが戻ってきた。
相沢は石段を掃き続けた。
タイ語を少しずつ覚えた。
最初に覚えた言葉は「ขอโทษ(コートート)」——すみません、という言葉だった。
次に覚えたのは「ขอบคุณ(コープクン)」——ありがとう、だった。
老僧はプラ・アーチャンと呼ばれていた。尊師、という意味だと後で知った。
彼は相沢に経文を教えなかった。教義も説かなかった。
ただ、毎朝同じ時間に起き、同じ順序で掃き、同じ道を歩いた。
繰り返しの中に、何かがあった。
相沢にはまだそれが何か分からなかった。
ある夕暮れ、托鉢から戻った相沢は、境内の端に人影があるのに気づいた。
長い黒髪の女性だった。
ずいぶん久しぶりに見る顔だった。
彼女は仏龕(ぶつがん)の前に花を供えていた―白い花だった。
未だに彼女の名前を知らない。
相沢は立ち止まった。
近づくべきか、引くべきか。
彼女はただ手を合わせ、目を閉じていた。
相沢も、その場で手を合わせた。
二人の間に、言葉はなかった。
ただ夕暮れの光の中で、二人が同じ方向へ向かって立っていた。
それだけだった。
やがて彼女は花を整え、小さく会釈をして立ち上がった。
驚きも、怒りも、許しも、その目にはなかった。
波一つない水面のように静かに時間が流れた。
相沢はその目を、何年経っても忘れなかった……。



