魔女が地下牢に囚われて数日。
結局、魔法を解く方法を口にすることは最後までなく、魔封の印を結ばれたうえで国外追放が決まった。
最後に、殿下へのお目通りを願ったそうだけれど、その願いが叶うこともなく。
そして、今日、宮廷魔術師によって、ミレイユにかけられた変身魔法を解く日。
用意されたのは、大きな魔法陣。
幾重にも術式が描き込まれた円の中央へ、殿下がそっとミレイユを下ろす。
ミィの正体がミレイユだとわかったあの日から今日まで、殿下の態度が変わることはなかった。
猫として扱われたままではなく、だからといって急によそよそしくもならず、ただずっと、ミレイユをミィとして大事にしてくれていた。
不安げに見上げるミレイユを、殿下がそっと頭を撫でる。
「ミィ。大丈夫だ」
「ゴロゴロゴロ(これが最後のゴロゴロになるのかも……)」
最後ならまだいい。
猫でなくなったら、殿下の態度まで変わってしまうかもしれない。
腕の中へ抱き上げられることも、頭を撫でられることも、もうなくなるかもしれない。
そんな気持ちが、ミレイユの胸にはあった。
(でも……それはそれで、また出会いからやり直してもいいですか)
宮廷魔術師たちが呪文を唱え始める。
低く重なる声に呼応するように、魔法陣が少しずつ光り始めた。
やがてその光は眩いほどに強くなり、ミレイユの体をすっぽり包み込む。
世界が、大きく揺れる。
ミレイユは光の中で、何かが変わっていくのを感じた。
縮んでいたものが伸び、四本だった足が、二本に変わる。
毛が引っ込んでいく。耳の形が変わる。視界の高さが変わる。重力のかかり方まで変わっていく。
伸びる。
伸びる。
伸びる。
ぐらり、と体が傾いた。
四足歩行から二足歩行への移行は、思っていたよりずっと大変だった。
どこに重心を置けばいいのか、一瞬わからなくなる。
「っ……!」
声が出た。
人間の声だ。
喉の震え方も、音の響き方も、もう猫の鳴き声ではない。
「ミレイユっ!」
ミレイユは膝から崩れ落ちそうになると、すぐに腕が伸びてきて、支えられる。
顔を上げると、殿下が目の前にいた。
青灰色の瞳が、まっすぐミレイユを見ていた。
「すまない……!戻った時のことまで考えていなかった……!」
「え?」
次の瞬間、ばさりと殿下の上着が肩にかけられる。
そこでようやく、ミレイユは自分が一糸まとわぬ姿で、人に戻ったのだと、はっきり理解した。
見上げると、ちゃんと人間としての目線の高さで殿下の顔がある。
碧い目と、青灰色の目が向かい合う。
「…………」
「…………」
しばらく、誰も何も言わなかった。
言葉が見つからないのは、たぶんミレイユだけではない。
ミレイユは殿下の腕に支えられながら、なんとか立ち上がろうとした。
約二カ月ぶりの二足歩行は、思った以上に不安定で、足元が頼りない。
立っているだけなのに、少し震える。
手のひらを見る。
あの可愛らしい、ピンクの肉球はもうない。
そこにあるのは、紛れもない人間の手だった。
「無理をするな」
「……大丈夫、です」
自分の声が出た。
人間の声で、ちゃんと返事ができた。
それだけで、喉の奥が熱くなる。
ミレイユは少し震えながら、それでも立った。
殿下の腕が、一拍遅れて離れる。
完全に手を放す前に、倒れないかを確かめるような間があった。
「体のどこかが痛かったりしないか?」
「首のあたりが少しきつく……でも、大丈夫です」
「そのピンクのリボン。人の首には少しきついかもしれないな」
殿下の視線が、ふとミレイユの首元へ落ちる。
ミレイユは伸ばされた手を取ると、その温かい手をそっと握り返す。
(人間の手で、握り返せる)
その感覚が、胸にしみた。
それだけで、泣きそうになった。
「ずっと、ずっと頑張っていたのだな」
その言葉に、とうとう声が出なかった。
猫だった時間を、殿下がちゃんと覚えていてくれる。
ミィだった自分を、なかったことにしないでいてくれる。
ミレイユは唇をきゅっと結び、それでもこらえきれずに目を潤ませながら、こくりと頷いた。
結局、魔法を解く方法を口にすることは最後までなく、魔封の印を結ばれたうえで国外追放が決まった。
最後に、殿下へのお目通りを願ったそうだけれど、その願いが叶うこともなく。
そして、今日、宮廷魔術師によって、ミレイユにかけられた変身魔法を解く日。
用意されたのは、大きな魔法陣。
幾重にも術式が描き込まれた円の中央へ、殿下がそっとミレイユを下ろす。
ミィの正体がミレイユだとわかったあの日から今日まで、殿下の態度が変わることはなかった。
猫として扱われたままではなく、だからといって急によそよそしくもならず、ただずっと、ミレイユをミィとして大事にしてくれていた。
不安げに見上げるミレイユを、殿下がそっと頭を撫でる。
「ミィ。大丈夫だ」
「ゴロゴロゴロ(これが最後のゴロゴロになるのかも……)」
最後ならまだいい。
猫でなくなったら、殿下の態度まで変わってしまうかもしれない。
腕の中へ抱き上げられることも、頭を撫でられることも、もうなくなるかもしれない。
そんな気持ちが、ミレイユの胸にはあった。
(でも……それはそれで、また出会いからやり直してもいいですか)
宮廷魔術師たちが呪文を唱え始める。
低く重なる声に呼応するように、魔法陣が少しずつ光り始めた。
やがてその光は眩いほどに強くなり、ミレイユの体をすっぽり包み込む。
世界が、大きく揺れる。
ミレイユは光の中で、何かが変わっていくのを感じた。
縮んでいたものが伸び、四本だった足が、二本に変わる。
毛が引っ込んでいく。耳の形が変わる。視界の高さが変わる。重力のかかり方まで変わっていく。
伸びる。
伸びる。
伸びる。
ぐらり、と体が傾いた。
四足歩行から二足歩行への移行は、思っていたよりずっと大変だった。
どこに重心を置けばいいのか、一瞬わからなくなる。
「っ……!」
声が出た。
人間の声だ。
喉の震え方も、音の響き方も、もう猫の鳴き声ではない。
「ミレイユっ!」
ミレイユは膝から崩れ落ちそうになると、すぐに腕が伸びてきて、支えられる。
顔を上げると、殿下が目の前にいた。
青灰色の瞳が、まっすぐミレイユを見ていた。
「すまない……!戻った時のことまで考えていなかった……!」
「え?」
次の瞬間、ばさりと殿下の上着が肩にかけられる。
そこでようやく、ミレイユは自分が一糸まとわぬ姿で、人に戻ったのだと、はっきり理解した。
見上げると、ちゃんと人間としての目線の高さで殿下の顔がある。
碧い目と、青灰色の目が向かい合う。
「…………」
「…………」
しばらく、誰も何も言わなかった。
言葉が見つからないのは、たぶんミレイユだけではない。
ミレイユは殿下の腕に支えられながら、なんとか立ち上がろうとした。
約二カ月ぶりの二足歩行は、思った以上に不安定で、足元が頼りない。
立っているだけなのに、少し震える。
手のひらを見る。
あの可愛らしい、ピンクの肉球はもうない。
そこにあるのは、紛れもない人間の手だった。
「無理をするな」
「……大丈夫、です」
自分の声が出た。
人間の声で、ちゃんと返事ができた。
それだけで、喉の奥が熱くなる。
ミレイユは少し震えながら、それでも立った。
殿下の腕が、一拍遅れて離れる。
完全に手を放す前に、倒れないかを確かめるような間があった。
「体のどこかが痛かったりしないか?」
「首のあたりが少しきつく……でも、大丈夫です」
「そのピンクのリボン。人の首には少しきついかもしれないな」
殿下の視線が、ふとミレイユの首元へ落ちる。
ミレイユは伸ばされた手を取ると、その温かい手をそっと握り返す。
(人間の手で、握り返せる)
その感覚が、胸にしみた。
それだけで、泣きそうになった。
「ずっと、ずっと頑張っていたのだな」
その言葉に、とうとう声が出なかった。
猫だった時間を、殿下がちゃんと覚えていてくれる。
ミィだった自分を、なかったことにしないでいてくれる。
ミレイユは唇をきゅっと結び、それでもこらえきれずに目を潤ませながら、こくりと頷いた。



