追い出された白猫姫は、王太子にお猫様として溺愛される

その夜、ミレイユは殿下の寝所で待っていた。
会食のあいだ、さすがにミレイユは同席できない。
執務室か寝所で留守番、というのがここ数週間の決まった流れになっていた。
侍従がときどき様子を見に来てくれるので、完全に一人きりというわけではないけれど、それでも会食の夜は、どうしても落ち着かなかった。

(今夜の会食はどんな様子かな)

窓辺に座り、夜の庭を見下ろす。
王宮に潜り込んでから、もうずいぶん経った。
最初は雨をしのぐ場所を探すだけで精一杯だったのに、今ではこうして王太子の寝所で帰りを待っているのだから、不思議なものだ。

魔女はまだそこにいる。
偽ミレイユとして、着々と王宮での立場を固めようとしている。
でも殿下との仲は——どうやら、うまくいっていないらしいことが少しずつわかってきていた。

殿下は、偽ミレイユと距離を置いていた。
それが魔女の計算違いだったのかもしれない。

殿下は『謹厳な御方』という評判どおり、婚約者だからといって急に親しくなるような人ではない。
むしろ相手を見極めてから、ゆっくり距離を縮める人だ。
そしてその『見極め』の精度は、おそらくかなり高い。

(殿下は……何か感じているのかもしれない)

偽物だとまでは気づいていなくても、何か引っかかるものを覚えているのかもしれない。
そう思うと少しだけ救われる。でも同時に、早く証拠を見つけなければという焦りも強くなった。

(早く、証拠が見つかれば)」

自分が嫌われてしまっているかもしれないのは、少し不安だけれど。
ミレイユは窓の外を見ながら、そっと息をついた。

会食が終わり、殿下が寝所に戻ってきたのは夜の十時頃だった。

「ミィ」

その声が聞こえた途端、ミレイユは窓辺から飛び降り、殿下のそばへ歩み寄った。

「ただいま」
「ニャア(おかえりなさい)」

殿下がミレイユを抱き上げる。
いつもの抱き方。胸元へ収まると、それだけで少し安心した。
自分でもずいぶんこの体勢に慣れてしまったと思う。

「今夜の会食は……少し疲れた」

珍しく、そんなことを口にした。
殿下が疲れたと、しかも言葉にして漏らすのは本当に珍しい。

「ニャア(気がついていたけれど……何かあった?)」
「大したことではない」

そう言いながら、殿下はソファに座り、ミレイユを膝に乗せたまましばらく黙っていた。
ミレイユは殿下の顔を見上げる。
その顔は、何かを考えているような、決めかねているような、そんな曖昧な陰を帯びていた。

(話したいことがある?)
「……ミィ、お前に聞いてもわからないかもしれないが」

殿下がぽつりとつぶやく。

「ミャー(聞きます。全部聞きます)」
「婚約者というのは、どういうものなのだろうな」
(え?)

思わず耳がぴんと立った。

「会うたびに、何か……引っかかる感じがする。うまく言えないのだが、何かが違う気がして。それが何なのかわからない」
(引っかかる……殿下も気づいているんだ)

やっぱり、と思った。
でも言えない。猫には言えない。
本当は今すぐ、そうよ、その違和感は正しいの、あれは私じゃないの、と伝えたいのに。

ミレイユは殿下の膝の上から前足を伸ばし、殿下の手にそっと触れた。
殿下が視線を落とす。

「……何だ」
「ニャア(そうよ。引っかかっていいのよ。あれは偽物なの。殿下の感覚は正しい)」
「励ましているのか、お前は」
「ニャア(そういうことにしておいてください)」

殿下が、ほんの少し笑った。
その小さな笑みを見ただけで、胸の奥がじんとした。

その夜、殿下が眠ったあと、ミレイユはいつものように枕元へ近づいた。
黒い髪が、やわらかく広がっている。

「ぺろ、ぺろぺろ(今夜は……お疲れ様でした、という気持ちで。少しだけ念入りに……)」
「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ(大丈夫。殿下は正しく感じている)」

舐めながら、ミレイユは思う。
こうしていると、不思議と気持ちが落ち着く。
殿下を安心させたいのか、自分が安心したいのか、もうよくわからない。
ただ今夜だけは、少しでもこの人の疲れが軽くなればいいと、心からそう思った。

ミレイユはやがて観念して、ベッドの端へ戻った。
小さく丸まり、尻尾を鼻先へ巻きつける。
暖炉の火が揺れている。橙色の光が、寝所の中を静かに染めていた。

殿下は正しく違和感を覚えている。

ミレイユは目を閉じた。
今夜は少しだけ、希望を抱いたまま眠れそうだった。