追い出された白猫姫は、王太子にお猫様として溺愛される

その日の夕方、ミレイユはピンクのリボンをつけたまま、ソファの上で丸くなっていた。
猫というのは、どうしてこんなに眠いのだろう。
元に戻る方法を調べないといけないのに、気づけば一日の半分以上を寝て過ごしてしまう。
暖かい場所にいると、なおさら抗えない。

扉をノックする音がして、見知らぬ女性が入ってきた。
ミレイユは顔を上げる。四十代ほどの、品のある女性だった。
落ち着いた紫色のドレスをまとい、白い髪を上品にまとめている。
歩き方ひとつとっても無駄がなく、部屋の空気が少しだけ改まった気がした。

侍女ではない。
服装もその佇まいには、侍女たちとは違う重みがある。

(誰だろう)」
「母上」
「ミャッ!?(……王妃様!?)」

ミレイユは飛び起きた。
いや、猫なので飛び起きるといっても、ぴょこんと座り直したくらいなのだが、気分としては完全に飛び上がっている。
王妃陛下。王太子の母親。この国の王妃。

(どうしよう、逃げた方がいい?でも逃げたら失礼?そもそも礼の仕方がわからない。カーテシーもできない。立って頭を下げるべき?でも猫の頭はどこ判定なの?前足?)

混乱しているうちに、王妃が部屋へ入ってきた。

「聞きましたよ、アドリアン。白猫を保護したというのは本当のこと?」
「はい」
「見せてちょうだい」

殿下がミレイユへ視線を向ける。
逃げなくてもいい、と言われた気がして、ミレイユはソファの上から王妃を見上げた。

王妃が近づいてきた。
その顔を見ると、先ほどの品のある印象はそのままに、目にはあたたかい光がある。

「まあ……本当に白い子ね。真っ白」

王妃がしゃがんだ。
殿下と同じように、ちゃんとミレイユと目の高さを合わせる。

「ピンクのリボンをつけているの?可愛いわね。誰が?」
「私です」

殿下が答えると、王妃が少し驚いた顔になり、それからふっと微笑んだ。

「あなたが自分でリボンを選んで、猫に結んであげたの」
「はあ……まあ」
「ふふ」
(あ、この親子、仲がいいんだ)

王妃が楽しそうに笑う。殿下がなんとも言えない顔をした。
殿下が『謹厳な御方』としてしか知られていないのは、公の場でそれ以外を見せないからなのだろう。
王妃の前では、ほんの少しだけ表情が違う。

「名付けたと聞きましたよ」
「はい。ミィと」
「不吉の逆、吉兆のような響きでいいわね」

王妃がミレイユを見た。

「いい名前だわ」

ミレイユはゆっくりとまばたきをした。
王妃の目が、やわらかく細くなる。

「……賢そうな目をしているのね」
「はい、賢いんです。言葉がわかっているように見えます」
「猫はそういうものよ」

王妃がそう言いながら、そっと手を差し出した。

(どうぞ)

ミレイユはその手の匂いを確かめるように、鼻先を近づけた。
香水はごく薄く、やわらかい花の匂いがする。
嫌な感じはしない。むしろ、落ち着く香りだった。

王妃が、ほう、と小さく息をつく。
それからやさしい手つきで、ミレイユの頭を撫でた。
指先は慣れていて、耳のつけ根を避けるあたりが絶妙だ。
嫌がらせない撫で方を知っている人の手だった。

「可愛い子ね……」
(王妃様も……猫が好きなのかな)

その声は、公式の場で発する王妃の声とはまるで違っていた。
肩の力が抜けた、素の声だ。

「母上も」
「え?」
「猫がお好きなのでしょう」

殿下がそう言った。
王妃が少し照れたように笑う。
年相応のやわらかい表情で、その一瞬だけ、王妃ではなくただの猫好きの女性に見えた。

「バレてしまったかしら。実は昔から好きなのよ。でも……ね」
「不吉と言われているから」
「そう。だから嬉しいのよ、この子が来てくれて。宮廷でも、こういう声があってもいいと思っていたの。猫は優雅で賢くて、人をよく見ている。不吉なわけがないわ」

王妃が改めてミレイユを見る。
ミレイユもまた、王妃を見た。

(素敵な方だ)
「しばらく、ここにいてちょうだい、ミィ」

王妃が言った。
命令ではなく、お願いのような、ひどく穏やかな言い方だった。

ミレイユは静かに、ゆっくりとまばたきをする。
猫なりの返事のつもりで。
その仕草を見た王妃の口元が、どこか祈るように、またふっと綻んだ。

「ミャァ(もちろんです。どこへも行きません——少なくとも今は)」