追い出された白猫姫は、王太子にお猫様として溺愛される

ミレイユ・ド・ブランシュフォールは、どちらかといえば地味な公爵令嬢だった。
いや、地味というのは少し違うかもしれない。

薄いプラチナブロンドの髪に、澄んだ碧い瞳。
肌は磁器のように白く、背筋はすっと伸び、所作もまた、幼い頃から叩き込まれた淑女教育の賜物として申し分ない。
黙って座っていれば、たいそう上品で美しい令嬢に見える。実際、美しかった。

ただ、本人に華やかさを求める気持ちが、根本的に欠けていた。

「お嬢様、今日も鏡台の前に三分しかいらっしゃいませんでしたわ」

侍女頭が、半ば諦めを含んだ声で言う。
六十近い老婦人で、ミレイユが物心ついた頃からブランシュフォール家に仕えている人だ。
皺の刻まれたその顔には、長年ミレイユの『地味への傾倒』と戦い続けてきた者だけが持つ、深い疲労がにじんでいた。

「三分あれば十分よ。髪を梳かして、ピンを留めて、それで終わりでしょう」
「終わりではございません!」

ぴしゃりと言い切られ、ミレイユはぱちりと瞬いた。

「明日は王太子殿下との御婚約式ですのよ!」
「そうだったわね」

読んでいた本から顔を上げ、侍女頭を見る。
そうだった。明日は婚約式だ。
ヴェルモン王国の王太子、アドリアン・ド・ヴェルモン殿下との婚約式。

改めて口の中で転がしてみても、いまひとつ現実味がない。

ミレイユは本を閉じ、窓の外へ視線を向けた。
夕暮れの空は、橙と紫を静かに溶かし合わせたような色をしている。
綺麗だな、とまずそちらに気を取られてしまうあたり、やはり自分は少しずれているのかもしれなかった。

「……緊張、したほうがいいのかしら」
「したほうがいいのかしら、ではなく、なさってくださいませ!」

侍女頭が珍しく声を荒げる。
ミレイユはちょっと眉を上げた。
どうやら本気で切羽詰まっているらしい。

「お嬢様。王太子殿下はこの国で最も高貴なお方です。いずれ国を統べられる御方です。そのお相手となられるのですよ。もう少し、ほんのもう少しでいいのです。緊張してください。どうかお願いです」
「うーん……」

そこまで真剣に頼まれると、こちらが悪いことをしている気分になる。

ミレイユは首を傾げた。
緊張しろと言われても、緊張の仕方がよくわからない。
これは生来の気質で、父であるブランシュフォール公爵も「この娘は大物なのか、それとも天然なのか」と長年判断を保留にしていたほどだった。

実際のところ、ミレイユ自身は、知らない人に会うことへの不安があまり大きくない。
王太子とはいえ、会ってみれば話くらいはできるだろうし、婚約式は式次第に従って動けばいい。
そう思っていた。思えてしまっていた。

もちろん、まったく何も感じていないわけではない。
ただその緊張は、「うまく立ち居振る舞えるだろうか」という種類のものではなく、「王太子殿下はどんな方なのだろう」という、ほとんど好奇心に近いものだった。

会ったことがない。
知っているのは名前と、たいへん優秀で、謹厳で、隙のない御方だという評判だけ。
絵姿も、令嬢たちの間では秘蔵されているらしいけれど、ミレイユはそういう情報網からきれいに外れているので、顔すらわからなかった。

(きっと、近寄りがたい感じの人なんだろうな)」

『謹厳』という言葉から連想するのは、冷たい色の瞳と、何もかも見透かしてきそうな眼差しだ。
堅苦しい挨拶を求められて、少しでも所作が乱れれば眉を顰める。
そういう人。たぶん。

(苦手なタイプだったらどうしよう)」

そこでようやく、胸の奥が少しだけざわついた。

「お嬢様?どうかなさいましたか?」
「ちょっと緊張してきたかもしれない」
「それは重畳です!」

ぱっと侍女頭の顔が明るくなる。
そんなに喜ばれるほどのことなのか、とミレイユは少しおかしくなって、かすかに笑った。

念のため言っておくが、ミレイユはこの婚約に不満があったわけではない。
ブランシュフォール公爵家は王家と古くから縁のある家柄で、祖父の代から「いつか王家との縁組を」という話はずっとあった。

ミレイユ自身が婚約相手として名が上がったのは三年前。
それからというもの、淑女教育はさらに厳格になり、宮廷作法の授業も増え、王宮で恥をかかないための準備が少しずつ積み重ねられてきた。

ただ、ミレイユの中では、それらはきっぱり二種類に分かれていた。
勉強として面白いものと、退屈なものだ。

宮廷作法や語学は面白かった。
知らない国の挨拶や、古い礼式の意味を知るのは案外楽しい。
一方で、ダンスの練習は苦手だった。
礼の角度を何度も揃える訓練は、途中から眠気との戦いになる。

たぶん、侍女頭にはずいぶん苦労をかけたと思う。
鏡台の前に座らせるだけでもひと仕事で、飾り紐の色を選ばせれば「どれでも同じでは?」と返されるのだから、気の毒といえば気の毒だった。

だからこそ、明日の婚約式くらいは。
せめて少しくらい、ちゃんとした花嫁らしく振る舞ったほうがいいのだろう。

そうは思う。思うのだけれど。

まさかその三日後、自分が白い猫になって王宮の庭を震えながら歩くことになるとは、このときのミレイユは夢にも思っていなかった。