だいぶ猫生活に慣れてきた頃、ミレイユは庭師の老人と親しくなった。
きっかけは、昼の休憩時間だった。
老人が東屋で一人、昼のパンを食べていたのだ。
そこへミレイユが近づいていったのは、もちろん食べ物の匂いに引き寄せられたからで、他意はない。
ないのだが、いま思えば、あのとき少しだけ人恋しかったのかもしれない。
「おや、猫か。めずらしい」
老人はミレイユを見て、柔らかく笑った。
驚きはしても、追い払おうとはしない。
そのことに、ミレイユの耳がぴくりと動く。
「迷い込んできたのか?おまえさん、毛並みがいいな。どこかの貴族の猫かね」
「ニャー(まあ……貴族の猫というのは、ある意味正しいです)」
老人は警戒する様子もなく、パンを小さく千切って差し出した。
手つきがゆっくりしている。捕まえようとする手ではなく、ただ差し出すだけの手だ。
ミレイユはおずおずと近づき、匂いを確かめてから、ぱくりと食べた。
「食べるか。可愛いな」
その声音があまりにも自然で、ミレイユは少し拍子抜けした。
王宮の人間は猫を嫌うものだと思っていたからだ。
次の瞬間、老人の手がそっと頭に触れた。
撫でられた。
猫になってから撫でられるのは、これが初めてだった。
指先は節くれていて、土と草の匂いがした。
けれど手つきはびっくりするほどやさしい。
(むず……)
なんとも言えない気持ちになる。
猫として扱われることへの違和感と、純粋に撫でられる心地よさが、胸の中で変に混ざった。
どう反応すればいいのかわからず体をこわばらせた、その次の瞬間。
尻尾が勝手にピンと立った。
「ミャァ(ちょっと!なんで今!)」
「おお、喜んでる。可愛いな」
老人が目を細め、さらに撫でる。
すると、今度はお尻が上がってくる。
止めようと思っても止まらない。
「ウニャ(これが猫の本能というやつ……!?)」
あまりのことにミレイユ自身がいちばん驚いていた。
逃げたいわけではない。嫌でもない。
むしろ安心しているのだと、猫の体が勝手に認めてしまっている。
「長い間、王宮で庭師をやってるが、猫を見たのは久しぶりだよ」
老人がぽつりとつぶやく。
「昔は庭にも猫が来てたもんだ。猫が来ると花が喜ぶ、なんて俺は思っていたんだが。今の宮廷じゃ嫌われもんだからな、猫は」
「ニャァ……(そうみたいね……)」
ミレイユは小さく尻尾を揺らした。
嫌というほど思い知っている。
「でも俺は好きだよ。猫ってのは、気ままで自由で、それでいて、ちゃんと見てる。気に入った人間には近くにいてくれる。そういう生き物が嫌いな人間の気が知れん」
その言い方が、なんだか嬉しかった。
気ままでも、勝手でも、ただ不吉なものとしてではなく、一つの生き物として見てくれている気がしたからだ。
ミレイユは老人の膝に前足をかけ、じっと顔を見上げた。
ただ、もう少し近くでその顔を見たかった。
言葉は通じない。
でも、気持ちは通じるような気がした。
老人が目を細めた。
「ニャァ(……あなた、いい人ね)」
「おまえさんも同じことを思ってるのかね。賢い猫だ」
庭師は毎日、昼休憩になると東屋でパンを食べ、ミレイユを撫でてくれた。
パンの欠片を分けてくれる日もあれば、ただ隣に座って空を見上げる日もある。
それだけなのに、不思議とその時間はほっとした。
ある日、庭師がそんなことを言った。
「白猫は縁起がいいもんだ。昔はそう言ったんだがな。数代前の王様の飼い猫が死んで、その翌月に王様が崩御なさった。それで宮廷じゃ猫が不吉ってことになってしまって。馬鹿げた話だよ。猫は関係ない。王様はただのご高齢だったんだから」
(そういうことだったのね)
ミレイユは庭師の話を聞きながら、ゆっくりとまばたきをした。
猫のゆっくりしたまばたきは、信頼のしるしらしい。どこかで読んだことがある。
人間の姿では伝えられないぶん、今はこうして返すしかない。
「おまえさんは賢そうな目をしてるな。ちゃんとわかってる顔をする」
「ニャア(わかってるとも。全部わかってる。ただ話せないだけなんです)」
きっかけは、昼の休憩時間だった。
老人が東屋で一人、昼のパンを食べていたのだ。
そこへミレイユが近づいていったのは、もちろん食べ物の匂いに引き寄せられたからで、他意はない。
ないのだが、いま思えば、あのとき少しだけ人恋しかったのかもしれない。
「おや、猫か。めずらしい」
老人はミレイユを見て、柔らかく笑った。
驚きはしても、追い払おうとはしない。
そのことに、ミレイユの耳がぴくりと動く。
「迷い込んできたのか?おまえさん、毛並みがいいな。どこかの貴族の猫かね」
「ニャー(まあ……貴族の猫というのは、ある意味正しいです)」
老人は警戒する様子もなく、パンを小さく千切って差し出した。
手つきがゆっくりしている。捕まえようとする手ではなく、ただ差し出すだけの手だ。
ミレイユはおずおずと近づき、匂いを確かめてから、ぱくりと食べた。
「食べるか。可愛いな」
その声音があまりにも自然で、ミレイユは少し拍子抜けした。
王宮の人間は猫を嫌うものだと思っていたからだ。
次の瞬間、老人の手がそっと頭に触れた。
撫でられた。
猫になってから撫でられるのは、これが初めてだった。
指先は節くれていて、土と草の匂いがした。
けれど手つきはびっくりするほどやさしい。
(むず……)
なんとも言えない気持ちになる。
猫として扱われることへの違和感と、純粋に撫でられる心地よさが、胸の中で変に混ざった。
どう反応すればいいのかわからず体をこわばらせた、その次の瞬間。
尻尾が勝手にピンと立った。
「ミャァ(ちょっと!なんで今!)」
「おお、喜んでる。可愛いな」
老人が目を細め、さらに撫でる。
すると、今度はお尻が上がってくる。
止めようと思っても止まらない。
「ウニャ(これが猫の本能というやつ……!?)」
あまりのことにミレイユ自身がいちばん驚いていた。
逃げたいわけではない。嫌でもない。
むしろ安心しているのだと、猫の体が勝手に認めてしまっている。
「長い間、王宮で庭師をやってるが、猫を見たのは久しぶりだよ」
老人がぽつりとつぶやく。
「昔は庭にも猫が来てたもんだ。猫が来ると花が喜ぶ、なんて俺は思っていたんだが。今の宮廷じゃ嫌われもんだからな、猫は」
「ニャァ……(そうみたいね……)」
ミレイユは小さく尻尾を揺らした。
嫌というほど思い知っている。
「でも俺は好きだよ。猫ってのは、気ままで自由で、それでいて、ちゃんと見てる。気に入った人間には近くにいてくれる。そういう生き物が嫌いな人間の気が知れん」
その言い方が、なんだか嬉しかった。
気ままでも、勝手でも、ただ不吉なものとしてではなく、一つの生き物として見てくれている気がしたからだ。
ミレイユは老人の膝に前足をかけ、じっと顔を見上げた。
ただ、もう少し近くでその顔を見たかった。
言葉は通じない。
でも、気持ちは通じるような気がした。
老人が目を細めた。
「ニャァ(……あなた、いい人ね)」
「おまえさんも同じことを思ってるのかね。賢い猫だ」
庭師は毎日、昼休憩になると東屋でパンを食べ、ミレイユを撫でてくれた。
パンの欠片を分けてくれる日もあれば、ただ隣に座って空を見上げる日もある。
それだけなのに、不思議とその時間はほっとした。
ある日、庭師がそんなことを言った。
「白猫は縁起がいいもんだ。昔はそう言ったんだがな。数代前の王様の飼い猫が死んで、その翌月に王様が崩御なさった。それで宮廷じゃ猫が不吉ってことになってしまって。馬鹿げた話だよ。猫は関係ない。王様はただのご高齢だったんだから」
(そういうことだったのね)
ミレイユは庭師の話を聞きながら、ゆっくりとまばたきをした。
猫のゆっくりしたまばたきは、信頼のしるしらしい。どこかで読んだことがある。
人間の姿では伝えられないぶん、今はこうして返すしかない。
「おまえさんは賢そうな目をしてるな。ちゃんとわかってる顔をする」
「ニャア(わかってるとも。全部わかってる。ただ話せないだけなんです)」



