無能の花嫁は余命僅かの鬼狩り当主に溺愛される

日が暮れてきたが千隼様は戻ってこない。掃除を終えた私はそのまま炊事場へ向かう。

(夕餉は一緒に食べれたらいいのだけど……)

私は腕まくりをすると鍋に水を浸し、火打石を取り出した。

「きゃあああ!」

突如、響き渡った下女の悲鳴に私は体が大きくはねた。聞こえてきたのは離れの方からだ。

「誰か助けてーー!!」

すぐに離れに駆けつけた私はひゅっと息を呑んだ。そこには鬼が二体いて、今にも下女に襲いかかろうとしていたからだ。

(どうして鬼が……)

屋敷には千隼様が張った鬼除けの結界が張り巡らされており、不在であってもその効力は消えることはない。

(まさか千隼様になにかあったの?)

不安はよぎるが今は考えている余裕はない。私は薪を抱えたまま、尻もちをついて身動きの取れない下女に駆け寄る。
目の前の鬼は一本鬼と二本鬼。これなら鬼の弱点である角を叩けば、私でも倒せるかもしれない。
咄嗟にそう考えた私は下女を立ち上がらせると、薪を一本手にした。

「ここは私がどうにかするから、早く逃げて」
「は、はい……」

私は薪を両手で構える。母が生前、身を守れるようにと剣術の基本を教えてくれたことがあったのだ。

(長らく稽古してないから、できるかわからないけどやるしかない!)

鬼たちは涎を垂らしながら四足歩行で、ジリジリと近づいてくる。そして先頭の一本鬼がこちらに向かってきたのを見て、私は薪を勢いよく振り下ろした。

「ぎゃぁああっ」

振り下ろした薪はは見事、鬼の角に見事命中し鬼は黒い砂となって崩れ去る。もう一体も冷静にタイミングを見計らって、二つの角に打撃を与えれば黒い砂と化した。

「はぁ……っ、やった……」

鬼を倒した喜びよりも束の間、遅れてやってきた恐怖から腰を抜かした私は座り込んだ。

「へぇ、意外と図太いのね。”無能モノ“の癖に」

聞き覚えのある声色に振り返れば、香炉を抱えた彩芽様と目があった。

「彩芽様、どうしてここに……」

千隼様は街での一件を機に、すぐに光小路家へ神堂家の出入り及び今後一切の関わりを断絶する旨を記載した書状を送っていたことを私は知っていた。

「どうしてここに来たかって? あんたに死んでもらうために決まってんじゃない」

彩芽様は香炉に息を吹きかけると、ニヤッと笑う。
香炉からは甘い花のような香りと血のような匂いが混ざっていて、吐き気がしてくる。

「これは鬼が寄ってくる邪香(じゃこう)よ。さっきあたしの血を混ぜて効果を強めたから、次はもっと邪悪な鬼が寄ってくるはずよ」
「な、んてことを……」
「アンタが悪いのよ!“無能モノ”の癖に桜天女の生まれ変わりで天授の力を持ってる? ふざけないでよ! 千隼様はあたしのモノなんだから!」

憎悪と殺意を秘めた目をした彩芽様に声が出ない。彩芽様が目の前にたち、香炉で邪香の匂いを私に振りかけると、すぐに目の端に何かが降り立つ気配がした。

「グルルルッ……!」
(また鬼が……、それも今度は角が……)
「あはは、四本鬼だわ~、次は薪なんかじゃ歯が立たないわね」

彩芽様は愉しげに声をあげて笑うと、薪を草履で蹴とばし私を見下ろす。そして四本鬼に向かって大声をあげた。

「この女がお前の獲物よ。さっさと食い殺しなさい!」
「グル……この女旨いか?」
「さぁね。“無能モノ”だから味は保障できないけど」
「グルルルル、オレうまい女好物。まずいの嫌だ」

四本鬼は紫色の逆毛を揺らしながら、吟味するように私の目の前を行ったり来たりしている。

「何してんのよ! さっさと食えって言ってんの! “癒しの光姫”と呼ばれるあたしの言うことが聞けないの!」

四本鬼の耳がピクリと動く。

「癒しのお姫様のがうまそう」

そうぼそりと呟くと、鬼は勢いよく彩芽様の首に嚙みついた。

「ぎゃあっ!!」
「彩芽様!」
「痛いっ、離して!! このクソ鬼!!」

彩芽様は食らいつく四本鬼の髪を掴んで引き離すと、爪で鬼の目を潰し、血まみれになりながら屋敷内に駆け込んだ。
あっという間の出来事に理解が追い付かない。目を潰された鬼は、のたうちまわりながら鼻をひくつかせている。

「グルル、人間の匂い。そこか……」

鬼が私をめがけて牙をむく。私は手を交差させると防御の構えを取った。

「きゅう!!」

突然、マルが茂みから飛び出してくると、鬼に向かって威嚇をする。

「だめっ!! マル!!」

私がマルに手を伸ばしたと同時に、突然眩い光に包まれた。目を凝らせば、白銀の光の中に巨大化したマルの姿が見える。
マルは目にも止まらぬ速さで四本鬼を鋭い爪で真っ二つにし、つい先ほどまで私に襲いかかろうとしていた鬼は地面の上に黒い砂と化した。

「真白。もう大丈夫きゅ」
「マル……あなた一体……それにその姿……」
「やっと我は本来の自分に戻れたきゅ」
「それが……本来のマルの姿なの?」

マルは大きな尻尾で嬉しそうに振りながら、えっへんと胸を張った。

「我は四大神獣(よんだいしんじゅう)が一人、黒狐(こっこ)ナユタノマルだ」
「マ、マルが神獣?!」
「まだ全部の力を取り戻したわけじゃないきゅから、この姿も短時間しか無理きゅけどね」

そう言うとマルは、ぐるんとでんぐり返りをする。不思議なことに着地する時にはいつものマルのサイズに戻っていた。

「すごい……」
「そうきゅか? でも真白の天授の力にはかなわないきゅよ」
「え? 私の天授の力?」
「真白がその天授の力をもつ手で我を看病し、食事を作ってくれたおかげきゅ」

にわかには信じがたいが、そうならどれほど良いだろう。

「本当に私が天授の力をもつなら、千隼様の呪いを解くことができるの?」
「もちろんきゅ。真白はすごい力をもってるきゅ」

マルが私の膝にぴょこんと乗ると、甘えたように頬をぺろりと舐めた。

「ふふ、マルくすぐったいわ」

その時、背後にゾッとする気配を感じた私は勢いよく振り返った。

「グルル、無能モノ……殺す」

柱の陰から髪を振り乱し、涎を垂らしてこちらに近づいてくるのは鬼と化した彩芽様だった。

(鬼に噛まれたせいで鬼化してる……っ)

鬼の牙には毒があり、噛まれてすぐに浄化すれば問題はないが時間が経つと全身に毒が回り鬼と化すのだ。
鬼化した者は人間の血肉を求めて、死ぬまで彷徨うしかない。彩芽様の額からは四本の角が生えており、瞳の色も鬼の証である黄色に変化していた。

「鬼の毒で鬼化してるきゅ! ここは我に任せて真白は逃げるきゅ!」
「そんなことできないわ……っ」

マルはの事情は分からないが、先ほどまだ全ての力を取り戻したわけではないため、強大化することも短時間しか無理だと言っていた。さっき巨大化したばかりのマルには戦う力は残ってないのではないか、そう思った。
私は急いで先ほど蹴り飛ばされた、薪を拾いに駆けだす。

「ダメだ、真白! 動くなきゅ!」
「グルッ、許さない!!!」

彩芽様は着物の帯が解けるのも構わず、地面を蹴って飛びあがると、私の首元に向かって牙をむいた。

(──噛まれる)
「真白!!」

聞き覚えのある声が聞こえ、私の身体は大きな腕に包まれた。同時に目の前が灼熱の炎に覆われ、彩芽様は断末魔の叫びをあげると、その場にぐったりと横たわった。

「真白、怪我はないか?」
「千隼様……どうしてここに」
「鬼狩りを終えて戻る途中で、屋敷から逃げてきた下女から聞いたんだ」

千隼様は私の頬に触れ気遣うように顔を寄せた。

「怖かったな。もう大丈夫だ」
「千隼様っ」

私は千隼様の胸に顔を埋めた。鼓動に心地よさを感じていれば、大きくて温かい手がいたわるように髪触れる。

「……おい、我を忘れてないか?」
「ん? なんだこの狐」

千隼様は私から体を離すと、マルをみて切れ長の目を大きくした。

「我は狐ではないぞ。四大神獣が一人、黒狐のナユタマルとは我のこときゅ」
「ナユタマルの名前は知っているが、もっと大きいはずだが?」
「そうきゅ。我は大きくなれる。今はできないがそのうち見せてやるきゅ」
「ふう。狐は嘘が上手だと聞く、気を付けろ真白」

真顔で心配する千隼様に、私はおかしくなってクスクスと笑う。

「大丈夫です。マルは優しくてとっても強い、私の大事な友達です」
「そうか、ならとりあえず屋敷の出入りは許そう」
「なんだその言い方はきゅ! 無礼者きゅ!」
「話し方もすこし気になるな……」
「我を侮辱するなど、いつか後悔するきゅっ」

怪訝な目でマルを見つめる千隼様と、鼻息荒く抗議するマルに私は声を上げて笑った。

「ぐっ、う……アンタいなければ。あたしが愛されて……」

聞こえてきた唸り声にすぐに千隼様が刀を抜く。

「浄化師だったことが仇になり、死ぬのにまだ時間がかかりそうだな」

彩芽様は地面に這いつくばったまま私を睨みつけていて、千隼様は彼女の変わり果てた姿に哀れみの目を向けている。

「グルッ、千隼様を奪った無能……モノっ」
「真白後ろを向いていろ……首を落とす」
「千隼様お待ちください」

私は膝をつくと両手で彼女の身体に触れる。

「真白っ、何をして……」
「そいつから手を離すきゅ!」
「大丈夫です。彩芽様に動く力はのこっておりません。だから私に天授の力があるなら楽に逝けるよう、癒して差し上げたいのです」
「なぜだ? 彩芽はお前にひどい言葉ばかり浴びせたばかりか邪香を使って鬼に殺させようとしたんだぞ」
「わかっています……でも千隼様をお慕いするお気持ちは本物だったと思うのです」

誰からも必要とされず生きてきた私と、多くの人から必要とされながらも愛している人からは必要とされなかった彩芽様。誰からも必要とされないことよりも、たった一人の愛する人から必要とされないことの方が、辛く悲しいことなのかもしれない。
私は両手に祈りを込める。もう誰かを憎んだりしないように。願わくば来世は幸せな未来が待っているようにと。
消えゆく彩芽様のお顔はとても安らかで、最後に微かに動いた唇は“ありがとう”、そう言った気がした。