早瀬さくらは謎をとかない

「あぶない、さくらっ!」
耳に張り付くようなクラクションとともに、私の視界は真っ暗になった。

***

はっと目を覚ます。
ベッドから勢いよく起き上がり、顔を伏せる。

何年前の夢みてんの、私。

私・早瀬さくらは、新人教師だ。
もともとはテニス選手を目指していた25歳。

大会前日の部活帰り、私は赤信号を無視してきたトラックにはねられて骨折した。

おかげで引退試合は欠席になり、私のバカみたいな夢は幕を閉じた。


「準備しないと…、最近部長がうるさいんだよな…。」

文句を言いなが洗面所で顔を洗う。
今日も何事もなく一日が終わればいいのに。

そう思いながら、冷凍してあったごはんをレンジに入れる。

所詮教師と生徒なんて、一年間だけの付き合いだ。
どれだけ思い入れがあったって、どうせいつか忘れる。

5時56分。
私はテニス部の顧問をしているため、朝練も付き合わなければならない。

「あーあ、めんどくさ…。」


どれだけ文句を言っても、何も変わらないとわかっている

本当に、教師ってブラックだ。
朝から晩まで働いて、挙句の果てに部活も見なくてはならない。
土日だって、生徒の部活の顧問として学校に行く。

ただでさえ疲れているのに、生徒同士を見守ったり、校則を破っている生徒に気を使う。


温め終わった冷凍ごはんを、キッチンでたったまま食べる。
昨日の飲みかけの缶コーヒーを一口飲んで、朝ご飯は終了。

これが毎朝のルーティーンだ。


「いってきます。」


***

学校の校門に入り、職員室へ向かう。
スーツを着て職員会議をうけてから、ジャージに着替えて部活を始める。


「先生、おはようございます。」

今日初めての会話は、大体彼だ。

「あ、大我。おはよう。」


彼は部活の三年。エース兼部長の、佐藤大我だ。

「今日は暑いですね、6月なのに。」
「そうだね、梅雨っていつくるんだろ。」

確かに今日は蒸し暑い。
そんな他愛もない会話は、私の楽しみだ。




「ほら、早瀬先生が来たよ、並んで一年生!」

大我が声をあげる。
本当に頼もしいエースだ。

大我の目線が一年生から私に向く。
私は部員全員から目線が集まったことを確認して静かに口を開く。

「えー、今日は、大会1週間前です。この暑さに気を抜かず、正々堂々練習してください。」

「はいっ。」

朝、「めんどくさい」と愚痴をこぼしていた彼女が一変、”早瀬先生”として部活を引っ張らなくてはならない。
その重圧は好きだ。

学生時代を思い出す。
高校生のとき、私は完璧だった。
何をしてもうまくいく。そんなテニスの天才を前に、次期エースとして三年や顧問から期待されていることは知っていた。

しかし、部員全体のミスが目立ち、なかなか高成績を残せない学校。

それでも先生は私を信じて、3年生のキャプテンを任した。

高校生の時の顧問は、親しみやすく、時に厳しく。
それでも、一番生徒思いな人だった。


テニス選手としての夢が破れた今、目指すものはかつてお世話になった顧問だった。
誰よりも部活を見ていて、時に厳しく指導する。

部員全員を支えられるようなそんな顧問になりたい。

私はそうして晴れてテニス部の顧問となった。




「早瀬先生、テーピングできますか?」

ある一人の部員が、練習を中断して私に声をかけた。

「どうしたの?もしかして突き指?」
「さっき、大我と練習してたらボールが指に当たっちゃって…。」

大我が心配そうに駆け寄る。

「ごめんな、俺のせいで…。」

眉を八の字にして謝る大我を見て、私は胸が苦しくなった。

「大我が謝ることじゃないよ。さ、練習に戻って。」

私はできるだけ落ち着いた声色で言った。

「はい、次はしっかりと自分の思ったところにサーブできるようにします、本当にごめんな。」
「大我、俺は全然大丈夫だって。」

急いで冷却スプレーを当て、テーピングで指を固定した。


「はい、できたよ。」
「ありがとうございます!」

常に部員全員のコンディションを気に掛ける。それが顧問の役目だ。

練習を再開した大我が、「一年もっと声出せ!」と叫んでいる。


本当に、周りをよく見ていて、他の部員を気にかけながら部活に励んでいてすごいな。
私も見習わなくてはいけないと、より一層見守った。


***

朝練修了のチャイムがきこえると同時に、大我は「テニス部集合ー!」と声をかけた。


部員が私の元に集まって来る。私を見ている。


「はい、とても全体的によいプレーができています。特に大我、大我に任していー…」

いや、言ってはいけない。
また、”あのとき”みたいになってしまう。

このチームメイトなら本気で優勝できると思ってて。
私はキャプテンで。もっともっと練習しなきゃ、うまくならなきゃって。

このチームを支えるのは私なんだって。
私なら優勝目指せると本気で思って。
私は最強だと本気で…。

思って、たんだけどなぁ。


大我に。部員に。
プレッシャーをかけすぎてはいけない。

私の様に、派手に落ちてしまう。
引退試合に出られなかった私の気持ちを、絶対に。

繰り返してはならない。
教えてはならない。


「いや、とても良い…、練習でした。明日も頑張って。」

「はいっ。」

その声と同時に、部員はもくもくと片付けを始める。
今日の一コマ目なんだっけー?と、他愛もない会話を楽しんでいる様子だった。

これでいい。これがいいんだ。
私たちはテニス部という以前に学生なんだ。

ただでさえ勉強や進路のことでいっぱいいっぱいな人だっている。
そこに、私が部活の優勝という派手な目標を立てたら、心の中でため込んでいたストレスが出てしまう。


…これで、いいんだ。





部活が終わり、片付けをしている途中だった。

「早瀬先生」

振り向くとこちらをみて笑いかけている大我がいた。

「俺、もっと頑張りますから。」
「え?」
「早瀬先生に、見せますから。優勝。」

っー…!

体に激烈な電気が走ったように、私の体は固まった。

「だから、信じてください。」


…なんで、この人は。
私の悩んでいることなんて、すぐに吹き飛ばしてしまう。



本当に、いい部長。

「う、うん。」

半ば涙目になって私も笑う。

「私だって、大我たちのこと、信じてるからね。」


信じすぎない。それが私の過去を払いのける一つの方法だと思っていた。
でも、でも。

大我は、そんな私をいつだって救ってくれる。
部活でいつだって、明るく笑いかけてくれる。

心配だって吹き飛ぶくらいに。

「一緒に優勝めざそ!」

明るくそう伝えると、大我は目を細めて笑った。


「はい!信じててください!」

そう笑って、校舎に入って行った。



部長を。大我を。部員を。部活を。
あの頃の私を。

本気でもう一度、信じてみる。












ーそのはずだった。
何かが間違っていた、それに気づかなかった。

…いや、気付こうとしなかった。


やはり、本気で信じすぎてはいけない。

いずれ、大きな悪となって自分にかえってくる。



人間はだれも信じられない。
信じてはけない。

本気の愛なんて存在しない。


知りすぎてはいけない。
知らない方がいいこともある。

分かっていた。分かっていたはずなのに。

あの大きな叫び声と、やけにはっきり残っている傷跡は嘘をつかない。
引退試合に出れなかった私の傷跡は、一生たっても消えない。






それに気づくにはもう少しの時間が必要。
私が間違っているなんて。
私がいけないなんて。


そんなこと知る由もなかった…。


***

「おはようございまーす」

ジャージからスーツに着替えて、1年A組の教室に入る。


部活で疲れている私の精神はまたまた削られた。


「あの、すわってくれない?」
半ばキレ気味に言うと、ぼちぼちと生徒が座り始める。

部活での体力的な疲れとは、また別の疲れだ。


「それでは、出席確認をー…。」

「せ、セーフ!?!?」

陶器のような白い肌に、茶色く染められた艶々な髪。毛先まで行き届いたケアに、ぱっちりとした瞳。
足はすらっとしていて細く、指先までが美しかった。

「おい佐藤ー、遅刻するんじゃねぇ!」
「おい~!!」

私のクラスの中心人物、佐藤美月だ。

「せんせぇー!さすがにセーフですよね!??」
「…アウトだ。」


チャイムはとっくに鳴りやんでいる。
冷たい目で佐藤を見つめ、半ば強引に座らせる。

「ったく、佐藤は…。」

「せんせw日本に佐藤は何人いるとおもってるんですかw全国の佐藤に謝ってくださいw」

イライラが最高潮に達すると、私は笑顔が消えた。

「早瀬せんせ…、こっわw]


確かに、私のクラスに佐藤は3人いる。
テニス部にも佐藤は2人いる。

そんなこと知ってるし、わざわざ言う必要なんてないはずだ。

「佐藤美月、黙って。」
「はぁーい」




ホームルームがおわると、佐藤…、美月は立ち上がってクラス中の人としゃべりまわる。
美月はクラスの中心人物だ。

うわさによると、大学生の彼氏がいるとか、実家が大豪邸とか、よくわからない噂が飛び回っている。
それについて本人は何も口出しせず、言わせておけば、というテンションでかるくあしらっている。

「美月ー、ビーリアルとろー!!」

美月がクラスの人から声をかけられる。

「ビーリアル?」
「ぎゃはは!美月、ビーリアル知らないの!?」

「あんまわかんないよ、でも写真でしょ??うつるー!」

カシャ、とシャッター音が聞こえるとともに、女子が加工を付け始める。

驚いた。
人気者の美月が、ビーリアルを知らないなんて。
ざっくり言えば、写真を撮るアプリなんだけど、名前くらいなら私も知っている。


「え!加工かわいい!」
「でしょー!」


そこで私はハッとして、教室にスマホ持ち込むことを禁止されていることを思い出した。

「ちょっと、スマホを教室でつかったら没収ってはなしだったでしょ!」
「ぎゃ、早瀬先生にみられてたw」


ぎゃーぎゃー言いながらも、美月の友達はスマホを預ける。

「放課後とりにきて。」
「はぁーい」


朝は忙しい。

部活をしてから、こうして担任としてはたらかなくてはならない。


でも、こうしてぎゃーぎゃー騒いでいる様子をみると、平和なんだなあと改めて思い知らされる。

六月。三年生にとって、最後の夏が始まる。
もちろん、部活の引退だって近づいてきているし、ましてや受験のことなどで頭がいっぱいだろう。


私は職員室から持ってきた「高校一年生・国語」と書かれたテキストを取り出し、パラパラとページをめくった。
私だって、頑張らなきゃ。


しばらくテキストを読んでいると、一コマ目スタートのチャイムが鳴った。



「はい、すわってー。」


さて、国語教師としてどうやって授業を進めようか。

まずは、チャイムが鳴っても騒いでいる生徒を鎮めるにはどうしたらいいだろう。
あぁ、大人になったって悩むことはたくさんあるんだ。



生徒が静まり返ったのを確認してから、授業が始まった。

国語の授業は、いかに生徒のテストの点数を伸ばせるかの得点源になってほしいので、丁寧に教え込む。
教え込むというより、昨日youtubeでみた国語教師youtuberの教え方を真似しているだけなのだが。


このうるさい生徒たちも、二年後には部活の引退、受験、そして卒業。
そこから就職する人もいれば、大学へ通う人もいる。

私みたいなテニスバカは、さっさと高校卒業して就職するべきなのだが、
大学を卒業しないといい就職先に勤められないという話や、実体験などを聞くうちに恐怖心が芽生え、大学へ入学するというケースだった。



そのときに、国語は受験の際にとても得点源になった。
逆に、数学や理科などの理系は、大学を受験するときにとても邪魔をした。




昔のことを思い出しながら、黒板に文字を書いて説明する。
改めて高校教師になって、高校のときの記憶がよみがえる。

高校生。
大人とも子供ともいえる曖昧な時期に、私たちは悩み、苦しみあがき続ける。

でもそのあがき続けた先にある景色は、彼らはまだ何も知らないだろう。


私は知っている。




一生懸命勉学に励み、部活動に励み、その期待はいつしかプレッシャーにまでなる。
でも、その思い重圧は、今となって私の誇りとなる。


悩み続けた先には、必ずいい未来があるのだから。


…と、高校三年生までそう思っていた。



しかし、25歳になった私という人間。早瀬さくらは、そんな風に上手に作りこまれた人間じゃないことを最近知った。
ミスだってするし、間違えて部長に怒られたりだってする。

時にはプレッシャーが自分をくるしめ、何も動けなくなるときだってある。



夢を打ち壊されたあの瞬間、全てを悟ったんだ。
努力は報われないこともある、助からないこともある。
…ということ。

それを伝えたくて、私は教師になった。

今でもテニス選手になりたいと思う日々が続く。
逆に思わなかった日なんて、そうそうないんだ。



だから、全てのこと。今、を。
大切に思って生きていかなくてはいけない。



ぶつぶつと昔の後悔を心の中で吐き出していた自分に気が付くと、恥ずかしくなった。

「せんせーどうした?」

クラスの一人が声をあげる。
はっとした。
私は教師。早瀬さくら。

大丈夫。生徒にこんな目には合わせない。

「ごめん、それで、この問題わかる人。」

絶対に、夢をかなえさせるんだ。


***

授業終了のチャイムが鳴り響く。


「今回はここまで。次回は宿題提出なので、覚えておくように。」


授業終了の号令とともに、張り付いていた空気は一気に溶けだし、ザワザワと騒ぎ始める。



「あれ、美月は?」
クラスの一人が声をあげた。

確かに、教室の中に美月の姿はない。

しかし、トイレに行っているんだろうと思い、目をそらした。


読み通り、美月が教室に帰って来ると、「トイレ行ってた!」と、ポーチをもって帰って来る。

「もー、心配したんだよー?」
「ごめん、メイク崩れちゃったから気になって…!」

美月が柔らかく謝罪を入れ、和やかな雰囲気が流れ始める。


でも、私は異変を見逃さなかった。
ポーチの大きさ、明らかにコスメが入る大きさではない。

コスメじゃないにしろ、前髪コームですら入らない大きさだ。


何でかわからない、でも。
背筋がすぅ、と凍り始める。

私は彼女をよく見ていなかった。
だって。


いつもより青い唇。
メイク崩れを気にするのなら、この以上な青さに気づくだろう。

どこか泳いでいる目。
明らかにおかしい。周りを気にしているかのような様子だった。

震えている手。
必死に抑えている手は、よくみるとガクガクと震えていた。


おかしい。美月が。おかしい。


かすかな異変に気付いたとき、私の目は大きく見開いた。

美月が席にすわるときにはっきり見えた。
太ももから上にかけて連なる大きな青い痣。

ここで一つのストーリーができたみたいに私の中でゆっくりと再生される。
美月は、美月は。


朝、いつも遅刻ギリギリに来る。
女子高生で、いつもクラスの中心人物にいるのに、人気アプリをしらない
すっぴん風メイクに隠された、重度なる痣。




何か、事情があるのではないか。


次のものを見た瞬間に、私の予想は確信に変わった。





美月がトイレにもっていったであろうポーチの中身、それは薬だった。
ポーチの中にパンパンに入りこまれた薬。

ポーチをバッグにしまうその瞬間でしか見れなかったけど、それは薬だと確信した。





この子は。なにか、ある。