早瀬さくらは謎をとかない


「あぶない、さくらっ!」
耳に張り付くようなクラクションとともに、私の視界は真っ暗になった。

***

はっと目を覚ます。
ベッドから勢いよく起き上がり、顔を伏せる。

何年前の夢みてんの、私。

私・早瀬さくらは、新人教師だ。
もともとはテニス選手を目指していた25歳。

大会前日の部活帰り、私は信号をまがってきたトラックにはねられて骨折した。

おかげで引退試合は欠席になり、私のバカみたいな夢は幕を閉じた。


「準備しないと…、最近部長がうるさいんだよな…。」

文句を言いなが洗面所で顔を洗う。
今日も何事もなく一日が終わればいいのに。

そう思いながら、冷凍してあったごはんをレンジに入れる。

所詮教師と生徒なんて、一年間だけの付き合いだ。
どれだけ思い入れがあったって、どうせいつか忘れる。

5時56分。
私はテニス部の顧問をしているため、朝練も付き合わなければならない。

「あーあ、めんどくさ…。」


どれだけ文句を言っても、何も変わらないとわかっている

本当に、教師ってブラックだ。
朝から晩まで働いて、挙句の果てに部活も見なくてはならない。
土日だって、生徒の部活の顧問として学校に行く。

ただでさえ疲れているのに、生徒同士を見守ったり、校則を破っている生徒に気を使う。


温め終わった冷凍ごはんを、キッチンでたったまま食べる。
昨日の飲みかけの缶コーヒーを一口飲んで、朝ご飯は終了。

これが毎朝のルーティーンだ。


「いってきます。」


***

学校の校門に入り、職員室へ向かう。
スーツを着て職員会議をうけてから、ジャージに着替えて部活を始める。


「先生、おはようございます。」

今日初めての会話は、大体彼だ。

「あ、大我。おはよう。」


彼は部活の三年。エース兼部長の、佐藤大我だ。

「今日は暑いですね、6月なのに。」
「そうだね、梅雨っていつくるんだろ。」

確かに今日は蒸し暑い。
そんな他愛もない会話は、私の楽しみだ。




「ほら、早瀬先生が来たよ、並んで一年生!」

大我が声をあげる。
本当に頼もしいエースだ。

大我の目線が一年生から私に向く。
私は部員全員から目線が集まったことを確認して静かに口を開く。

「えー、今日は、大会3週間前です。この暑さに気を抜かず、正々堂々練習してください。」

「はいっ。」

朝、「めんどくさい」と愚痴をこぼしていた彼女が一変、”早瀬先生”として部活を引っ張らなくてはならない。
その重圧は好きだ。

学生時代を思い出す。
高校生のとき、私は完璧だった。
何をしてもうまくいく。そんなテニスの天才を前に、次期エースとして三年や顧問から期待されていることは知っていた。

しかし、部員全体のミスが目立ち、なかなか高成績を残せない学校。

それでも先生は私を信じて、3年生のキャプテンを任した。

高校生の時の顧問は、親しみやすく、時に厳しく。
それでも、一番生徒思いな人だった。


テニス選手としての夢が破れた今、目指すものはかつてお世話になった顧問だった。
誰よりも部活を見ていて、時に厳しく指導する。

部員全員を支えられるようなそんな顧問になりたい。

私はそうして晴れてテニス部の顧問となった。




「早瀬先生、テーピングできますか?」

ある一人の部員が、練習を中断して私に声をかけた。

「どうしたの?もしかして突き指?」
「さっき、大我と練習してたらボールが指に当たっちゃって…。」

大我が心配そうに駆け寄る。

「真鍋ごめんな、俺のせいで…。」

真鍋というのは、大我とのテニスのペアだ。

眉を八の字にして謝る大我を見て、私は胸が苦しくなった。

「大我が謝ることじゃないよ。さ、練習に戻って。」

私はできるだけ落ち着いた声色で言った。

「はい、次はしっかりと自分の思ったところにサーブできるようにします、本当にごめんな。」
「大我、俺は全然大丈夫だって。」

急いで冷却スプレーを当て、テーピングで指を固定した。


「はい、できたよ。」
「ありがとうございます!」

常に部員全員のコンディションを気に掛ける。それが顧問の役目だ。

練習を再開した大我が、「一年もっと声出せ!」と叫んでいる。


本当に、周りをよく見ていて、他の部員を気にかけながら部活に励んでいてすごいな。
私も見習わなくてはいけないと、より一層見守った。


***

朝練修了のチャイムがきこえると同時に、大我は「テニス部集合ー!」と声をかけた。


部員が私の元に集まって来る。私を見ている。


「はい、とても全体的によいプレーができています。これなら絶対優勝できー…」

いや、言ってはいけない。
また、”あのとき”みたいになってしまう。

このチームメイトなら本気で優勝できると思ってて。
私はキャプテンで。もっともっと練習しなきゃ、うまくならなきゃって。

このチームを支えるのは私なんだって。
私なら優勝目指せると本気で思って。
私は最強だと本気で…。

思って、たんだけどなぁ。


大我に。部員に。
プレッシャーをかけすぎてはいけない。

私の様に、派手に落ちてしまう。
引退試合に出られなかった私の気持ちを、絶対に。

繰り返してはならない。
教えてはならない。


「いや、とても良い…、練習でした。明日も頑張って。」

「はいっ。」

その声と同時に、部員はもくもくと片付けを始める。
今日の一コマ目なんだっけー?と、他愛もない会話を楽しんでいる様子だった。

これでいい。これがいいんだ。
私たちはテニス部という以前に学生なんだ。

ただでさえ勉強や進路のことでいっぱいいっぱいな人だっている。
そこに、私が部活の優勝という派手な目標を立てたら、心の中でため込んでいたストレスが出てしまう。


…これで、いいんだ。





部活が終わり、片付けをしている途中だった。

「早瀬先生」

振り向くとこちらをみて笑いかけている大我がいた。

「俺、もっと頑張りますから。」
「え?」
「早瀬先生に、見せますから。優勝。」

っー…!

体に激烈な電気が走ったように、私の体は固まった。

「だから、信じてください。」


…なんで、この人は。
私の悩んでいることなんて、すぐに吹き飛ばしてしまう。



本当に、いい部長。

「う、うん。」

半ば涙目になって私も笑う。

「私だって、大我たちのこと、信じてるからね。」


信じすぎない。それが私の過去を払いのける一つの方法だと思っていた。
でも、でも。

大我は、そんな私をいつだって救ってくれる。
部活でいつだって、明るく笑いかけてくれる。

心配だって吹き飛ぶくらいに。

「一緒に優勝めざそ!」

明るくそう伝えると、大我は目を細めて笑った。


「はい!信じててください!」

そう笑って、校舎に入って行った。



部長を。大我を。部員を。部活を。
あの頃の私を。

本気でもう一度、信じてみる。












ーそのはずだった。
何かが間違っていた、それに気づかなかった。

…いや、気付こうとしなかった。


やはり、本気で信じすぎてはいけない。

いずれ、大きな悪となって自分にかえってくる。



人間はだれも信じられない。
信じてはけない。

本気の愛なんて存在しない。


知りすぎてはいけない。
知らない方がいいこともある。

分かっていた。分かっていたはずなのに。

あの大きな叫び声と、やけにはっきり残っている傷跡は嘘をつかない。
引退試合に出れなかった私の傷跡は、一生たっても消えない。






それに気づくにはもう少しの時間が必要。
私が間違っているなんて。
私がいけないなんて。


そんなこと知る由もなかった…。


***

「おはようございまーす」

ジャージからスーツに着替えて、1年A組の教室に入る。


部活で疲れている私の精神はまたまた削られた。


「あの、すわってくれない?」
半ばキレ気味に言うと、ぼちぼちと生徒が座り始める。

部活での体力的な疲れとは、また別の疲れだ。


「それでは、出席確認をー…。」

「せ、セーフ!?!?」

陶器のような白い肌に、茶色く染められた艶々な髪。毛先まで行き届いたケアに、ぱっちりとした瞳。
足はすらっとしていて細く、指先までが美しかった。

「おい美月ー、また遅刻!?」
「おい~!!」

私のクラスの中心人物、佐藤美月だ。

「せんせぇー!さすがにセーフですよね!??」
「…アウトだ。」


チャイムはとっくに鳴りやんでいる。
冷たい目で佐藤を見つめ、半ば強引に座らせる。

「ったく、美月は…。」

「まあまあ、いいじゃないですかー!」

イライラが最高潮に達すると、私は笑顔が消えた。

「早瀬せんせ…、こっわー!」

美月は私を嘲笑うように言った

「佐藤美月、黙って。」
「はぁーい」




ホームルームがおわると、美月は立ち上がってクラス中の人としゃべりまわる。
美月はクラスの中心人物だ。

うわさによると、大学生の彼氏がいるとか、実家が大豪邸とか、よくわからない噂が飛び回っている。
それについて本人は何も口出しせず、言わせておけば。というテンションでかるくあしらっている。

「美月ー、最近インスタの投稿ないねー?どうかしたー?」

美月がクラスの人から声をかけられる。

「え、そうかな?」
「そうだよー!投稿止まって1ヶ月だよー!フォロワー心配してんじゃない?」
「あー、最近めんどくなっちゃって?」
「なにそれー笑」

今の女子高生は、みんなsnsで活動している人ばっかりだ。

流行りの曲を踊るTikTok、友達の状況を知るビーリアル、想いを伝えるx、承認欲求を満たすInstagram…


将来なんの役にも立たないのに、何をそんな熱中しているのだろう…

「写真撮ろー!」
「え!加工かわいい!」
「でしょー!」


そこで私はハッとして、教室にスマホ持ち込むことを禁止されていることを思い出した。

「ちょっと、スマホを教室でつかったら没収ってはなしだったでしょ!」
「ぎゃ、早瀬先生にみられてたw」


ぎゃーぎゃー言いながらも、美月たちはスマホを預ける。

「放課後とりにきて。」
「はぁーい」


朝は忙しい。

部活をしてから、こうして担任としてはたらかなくてはならない。


でも、こうしてぎゃーぎゃー騒いでいる様子をみると、平和なんだなあと改めて思い知らされる。

六月。三年生にとって、最後の夏が始まる。
もちろん、部活の引退だって近づいてきているし、ましてや受験のことなどで頭がいっぱいだろう。


私は職員室から持ってきた「高校一年生・国語」と書かれたテキストを取り出し、パラパラとページをめくった。
私だって、頑張らなきゃ。


しばらくテキストを読んでいると、一コマ目スタートのチャイムが鳴った。



「はい、すわってー。」


さて、国語教師としてどうやって授業を進めようか。

まずは、チャイムが鳴っても騒いでいる生徒を鎮めるにはどうしたらいいだろう。
あぁ、大人になったって悩むことはたくさんあるんだ。



生徒が静まり返ったのを確認してから、授業が始まった。

国語の授業は、なんと言っても「知りたい」という思いがなくては始まらない。
他の科目と違って高度な技術はいらない。テストでは今まで積み上げてきたものを発揮するだけだ。


このうるさい生徒たちも、二年後には部活の引退、受験、そして卒業。
そこから就職する人もいれば、大学へ通う人もいる。

私みたいなテニスバカは、さっさと高校卒業して就職するべきなのだが、
大学を卒業しないといい就職先に勤められないという話や、実体験などを聞くうちに恐怖心が芽生え、大学へ入学するというケースだった。



そのときに、国語は受験の際にとても得点源になった。
逆に、数学や理科などの理系は、大学を受験するときにとても邪魔をした。




昔のことを思い出しながら、黒板に文字を書いて説明する。
改めて高校教師になって、高校のときの記憶がよみがえる。

高校生。
大人とも子供ともいえる曖昧な時期に、私たちは悩み、苦しみあがき続ける。

でもそのあがき続けた先にある景色は、彼らはまだ何も知らないだろう。


私は知っている。




一生懸命勉学に励み、部活動に励み、その期待はいつしかプレッシャーにまでなる。
でも、その思い重圧は、今となって私の誇りとなる。


悩み続けた先には、必ずいい未来があるのだから。


…と、高校三年生までそう思っていた。



しかし、25歳になった私という人間。早瀬さくらは、そんな風に上手に作りこまれた人間じゃないことを最近知った。
ミスだってするし、間違えて怒られたりだってする。

時にはプレッシャーが自分をくるしめ、何も動けなくなるときだってある。



夢を打ち壊されたあの瞬間、全てを悟ったんだ。
努力は報われないこともある、助からないこともある。
…ということ。

それを伝えたくて、私は教師になった。

今でもテニス選手になりたかったな、と思う日々が続く。
逆に思わなかった日なんて、そうそうないんだ。



だから、全てのこと。今、を。
大切に思って生きていかなくてはいけない。



ぶつぶつと昔の後悔を心の中で吐き出していた自分に気が付くと、恥ずかしくなった。

「せんせーどうした?」

クラスの一人が声をあげる。
はっとした。
私は教師。早瀬さくら。

大丈夫。生徒にこんな目には合わせない。

「ごめん、それで、この問題わかる人。」

絶対に、夢をかなえさせるんだ。


***

授業終了のチャイムが鳴り響く。


「今回はここまで。次回は宿題提出なので、覚えておくように。」


授業終了の号令とともに、張り付いていた空気は一気に溶けだし、ザワザワと騒ぎ始める。



「あれ、美月は?」
クラスの一人が声をあげた。

確かに、教室の中に美月の姿はない。

しかし、トイレに行っているんだろうと思い、目をそらした。


読み通り、美月が教室に帰って来ると、「トイレ行ってた!」と、スマホを片手に教室にかえってくる。

「もー、心配したんだよー?」
「ごめん、前髪が崩れちゃったから気になって…!」

美月が柔らかく謝罪を入れ、和やかな雰囲気が流れ始める。


でも、私は異変を見逃さなかった。
彼女は誰かから監視でもされているのか怯えている様子だった

授業終わってから数分。美月に何かあったー?


何でかわからない、でも。
背筋がすぅ、と凍り始める。

私は彼女をよく見ていなかった。
だって。


いつもより青い唇。
朝、完璧に仕上げられたうるうるの唇からこの青さへと変化するのは何かあったに違いない。

どこか泳いでいる目。
明らかにおかしい。周りを気にしているかのような様子だった。

震えている手。
必死に抑えている手は、よくみるとガクガクと震えていた。


おかしい。美月が。おかしい。


かすかな異変に気付いたとき、私の心臓がドクンとなったのが聞こえた気がした

なんだ、何があったんだ…?



「美月、最近フッとどっか行くよね」

「え、え、…そうかな?」

「そうだよー!トイレだったら一緒に行こうよ」

「うん、わかった」




この子は。なにか、ある。
でも、それが何、と確信するまでにはまだわからなかった。


「誰かからのイジメ?でも、美月に限ってそんなことないよね…。」

思ったことが口に出ていたようだ
慌てて口を押さえる


「早瀬先生?」

ハッとして視線を美月の方に動かすと、美月の姿が。
幸い、内容は聞こえていなかったようだ。

「ご、ごめん、」
「先生、ぼーっとしちゃって。どうしたのかなって。」

美月は心配そうに眉を八の字にする。

「全然。なにもないよ。」
「それならよかったー!」

彼女はまた明るく笑い、友達の所へ戻っていた。

「私の…気にしすぎなのかな…。」


私の弱々しい声は、生徒たちの声でかきけされた。

もうこれ以上、なるべく嫌な考え事はしないようにした。


***

「テニス部集合!!!」

茜色に輝く夕日を見ながら、私は声をあげる。

夕方、16時すぎからテニス部の練習は始まる。



「今日は朝も練習がありましたが、引き続き頑張っていきましょう。」
「先生、大我がいません!」

その声を聞いて周りをみわたす。
本当だ、大我がいない。

「なにか事情を聞いてる人いる?」
私の問いかけに応じる人はいなかった。

どうしたのだろうか。

いつも部活開始10分前にきて、テニスコートをつくってくれている大我。


「どうしたんだろう…。」
「いつも一番最初にきているのに…」

部員も口々に声を上げる。


私は黙って校舎を見渡した。
何か、あったのかもしれない。

連絡なしに部活をさぼるなんて、大我には考えられない。

「他の部員は全員いるよね。私、大我をさがしてくる!」
「俺もいきます。」

びっくりした。

「え、真鍋?」



でも、すぐに理由が分かった。

「あ、朝の突き指…まだ治ってないんだね。」
「はい、それに俺は、大我とじゃないと練習できないんで。」

テニス部では、ダブルスとシングルスがある。
その両方にでる大我と、ダブルスでペアを組んでいる真鍋。

ペアがいないと、練習できない

「わかった。ちなみに連絡ってできる?」

「教室にいけばスマホあります」

そこで私は真鍋と二人で教室に向かった。


校舎の中は、吹奏楽部の演奏が響いている。
いつも校庭で練習していたから気づかなかったけれど、人がいない夕方の校舎の中は結構くらい。

「先生って、テニスめちゃくちゃうまいですよね」

真鍋が口を開く。

「え、ほんと?そう思ってくれてるなら嬉しい」

「昔やってたんでしたっけ」

高校時代の苦い思い出、私の夢が破れたその日。

「うん、うん。やってた…んだけどね」

この一言で真鍋もなにか察したのか、これ以上聞かなくなった。


「…真鍋は?テニス、楽しい?」

「はい、でも、俺が楽しい理由はきっと、大我がいるからなんですよ。」

「どうして?」

階段の窓から隙間風が吹きぬく。
真鍋の綺麗な髪がふっと風に揺れる。

「あいつに絶対勝ってやろうって思えるんです。でも、全然かなわないんですけど。」

確かに、大我の実力は全国でもトップレベルだろう。

「俺のテニスのやりがいは、大我がいてからこそなんです。」

「そう、なんだ。」

私はなんだかうれしくなった。

「競える人がいると、頑張れるよね。」

私だってそうだった。
もっと高みを目指して。
人一倍努力して。

「あの頃は、楽しかったなぁ…」
「先生?」

真鍋が何か言おうとした時だった。

「きゃああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

悲鳴!?

甲高い女子の声。
何故かその声は、聞き馴染みのある声だった。

「真鍋、何、今の。」
「上の方から聞こえました。きっと屋上です!」

私たちは声のした方へ走った。

「なにがあったの…?」
「わかりません、急ぎましょう!」

吹奏楽部の演奏が聞こえる。
それよりも、さっきの絶叫が耳にこびりついて離れなかった。

あのとき…。
トラックに、ひかれたとき。

そのときと、全く同じひびきだったから。





侵入者?でも、屋上からなんてあり得ない。

「先生?先生!?」

「…え」


「大丈夫ですか?ゆっくり、呼吸してください。」

「え、、、私。」

「過呼吸になってましたよ。落ち着いて、ここは大丈夫だから。」

真鍋の一言で、少し落ち着けるようになった。
そうだ、そうだよ。大丈夫。


今は大我探しに集中しないと。
私の失われた夢を取り戻すために、もう一度
テニスを信じるって、約束したもんね。

「真鍋、行こう!」

何か事件があったら、それに大河が巻き込まれていないか心配だ。
大我を助けるために

「わかりました。走りましょう!」



大我なら、大丈夫。私の夢を叶えてくれる

もし、大我に何かあったら私が守らなきゃ。
テニス部は、私が守らないといけないんだ。




「せ、先生。」

これ以上階段で登れない場所。
その上は屋上になっている

「ここ、立ち入り禁止ですよね」

「そうだよ、屋上は立ち入り禁止だったはず。」

「じゃあ、この状況おかしいですよね。」

「うん、おかしい。こんなこと生徒の人間ができるわけないのに」

「どうして……」

真鍋と私の表情が曇る。

「どうして、立ち入り禁止の場所があいてるんですか…?」







これは、私の25年間生きてきた中で最大級の事件の匂いがした。









「真鍋…これ、だめかも」

「…え、先生?」

「これは、近寄っちゃだめなやつかもしれない。」

教師の勘がそう言ってる。

「え、どうしてですか…?生徒が事件に巻き込まれてたりしたら」


真鍋の表情が険しくなる

「っそれも、大我が…」



「あのね、よく聞いてほしいの。落ち着いて、聞いてね」

私は静かに口を開いた。

「屋上は危険だから、絶対誰も入れないように先生との間で決まってて。」

「え、でも」

「そう、だから、この場所があいているっていうことは」

「間違えたとかではなくて、誰かが何かをしようとして意図的に開けたってことですか」

「そういうこと。しかも、誰にも見られないこと知っていて。」

「じゃあ、さっきの絶叫は」

真鍋と私の目が合った

「ここから、なんだ。」




っていうことは…

「誰かいる可能性があるかもしれない」

「ああ、なおさら助けた方が…」

そう、そうなんだけど…


私は教師、生徒の安全を守る役割がある






真鍋や、他の生徒に何かあったら…


「先生、迷ってる暇はないですよ。」

え、



「誰かが困ってたら、助けないと!」

ああ、なんて綺麗な心をしているんだろう。

大我が、私が、他の生徒が。
何かあったらどうしよう。私のせいで何か起こってしまったら。

そんな考えじゃ、あの時から全然かわれていないじゃないか。


「真鍋」

「先生?」

「何かあっても、大丈夫だから。」

あの頃の私とは、違うんだ。

「はい、行きましょう!」








恐る恐るドアノブをひねる。
もし屋上に入っていることが見つかったら、きっと私はここにいることができなくなるだろう。

でも、それよりも。

誰かが何かを失ってしまわぬ前に。






キィィィ、と古びた金属の音がする。


ドアから差し込む夕日は、私たちを照らした。




一歩、また一歩。

私たちは屋上へと踏み込む。



「…え」
「うわっ!?」


ちょっと待って、これって。
言葉にできない恐怖が重なる

床に赤々とこびりついた血。
夕陽に照らされ跳ね返る赤。



そして、その先には。


仰向けで倒れている生徒の姿があった。



「せ、先生」

真鍋の顔が青ざめる

「これ、事件ですよ。」

「私たちが、階段を登っている間、何があったの…?」


「他の人に伝えた方がいいんでしょうか、これ。」

「いや、黙ってたら、おかしいでしょ。」

すぐに危険を知らせないと。



なんで、なんでなんで。
この学校で、事件?




「待って、先生。これ見てください」

「え?」


血がこびりついた床から、誰かの足跡がある。

「本当だ、しかも、大きい。」

「やっぱり、この学校の先生だったりしませんか?」

「そ、そんな…」

この学校の先生はみんな優しい

こんなことに限って、誰も怪しがりたくない。



「ここから痕跡が途切れてるっていうことは…」


血のついた足跡は、端まで続いている。


「飛び降り…ですかね?」

そ、そんな…

犯人は、逃走するために、この屋上から飛び降りたってこと…?


私は、放置された遺体を見てハッとした。



「先生?」

「待って、え、そんなこと、ないよね。」


よく見覚えのある顔だった。


「美月、佐藤美月」

「え、先生のクラスの…」

じゃあ、さっきの悲鳴は美月のものだったの?

こんな場所で1人で…何されてたの…。




「う、うぅ…あぁ…」

嗚咽が溢れる

「なんで、こんなことに…」

一体、誰が。




私と真鍋は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

どうして美月を守れなかったんだろう。

いつだって、笑ってて元気だった美月は、もういないんだ。



「……」
真鍋も、流石にこの状況では声が出ないらしく、顔を歪めていた。







「真鍋、」

私は涙でぐしゃぐしゃになった顔で言った。

「今日はもう帰ろう。」

「…え、でも」

言いたいことはわかる。
でも、私たちがこの状況をどうにかすることはできない



「後は、警察に相談しよう」

「…そう、ですね」








私たちはまだ知らない。


この事件の原因が、早瀬さくらにあることを…



***

「おはようございます…」

静まり返った教室。
もう、賑やかだったあのときにはもどらない。



ふと美月の机に目をむける


そこには、どんよりとした雰囲気が漂っていた。
そして、花瓶に差し込まれた花の数々

もうここに美月はいない。



もう、ここにはー…

まるで心にぽっかりと穴があいてしまったかのように、世界が闇に包まれている



昨日、私は警察に通報
そして、駆けつけた警察によってこれは事件の可能性もあると発表された。

そしてー…

校長は、いくら緊急事態であっても、立ち入り禁止の屋上に生徒を入れたことを非難していた。

そして、大我は…

事件が起こった次の日、学校に来ることはなかった…







授業がおわり、放課後。

テニス部は、顧問の私のクラスから死者がでたため、しばらく部活中止になった

「先生」

空っぽのテニスコートを眺める私に声をかけられる

「真鍋、?」

振り向くと、うつむいている真鍋が。


「先生…俺…」

真鍋の声が震える

そう、だよね。
昨日、あんなことが起こってしまったら、いくら真鍋でもトラウマだろう

「怖かったよね、怖かったよね……」

いくら真鍋でも、高校生だ。子供だ。
不安に感じたり恐怖を感じたりすることはあるだろう

「あと、大我が…」

「大我…。」

昨日の恐怖、消えた大我、迫る大会

真鍋の肩には背負っているものが多すぎる



「真鍋」

私だって、不安だよ

「大丈夫、大丈夫」

絶対、解決するから

「あとは警察が解決してくれるし、大我だって帰ってくるよ。そしたらまた、大会に向けて一緒に頑張ろうよ」

必ず、約束する

真鍋が背負ってるものを、私にも分けて

「先生…」


真鍋の瞳から溢れる涙

「大丈夫、大丈夫だから…」

だから、

「信じて。」

「…はい。」

ポケットからそっとハンカチを取り出すと、真鍋にわたした。

大我、こんな状態で、何故いなくなってしまったの?



どうしてー…


「すみません」

「え?」

振り向くと、警察の方々。

「佐藤美月さんについて教えてほしいことがあるんです」

「美月について…?」

「第一発見者のあなたがたに当時の状況を教えてほしいんです。答えられる限りでかまいません」

美月の事件が解決できることなら、何だってするんだ。

「はい、わかりました」
















警察の指示に従い、視聴覚室へと向かう。

警察2人と、私と真鍋が向かい合って事情聴取された。


「まず、当時の状況について教えてもらってもいいですか?」

警察の1人が、口を開く。

あの時は、テニス部の練習中だったはずだ


「大会へ向けて、テニス部の練習中でした。私と真鍋は人を探しに校舎にいました」

「時間帯は、練習が始まって10分後くらいだった気がします」

私と真鍋口々に当時の状況を伝える
絶対解決して真相を知りたい


どうして、美月はあんな目に…


「連絡するために、教室にスマホを取りに行く途中だったんです。そしたら、急に悲鳴が聞こえて様子を見に屋上へ…。」

私は真鍋の言葉を聞いて、うつむいてしまった。

もう少し向かうのが早かったら、美月はあんな目になっていなかったかもしれない
もしもっと美月のことを知れていたらー…

いや、
過去のことを卑屈になってはいけないよね。

私は今を生きてる

だから、まってて、美月
必ず、真相を知るよ

だって、美月は私のクラスの生徒だから、
大切な生徒の、一人だから。







しばらく警察に話していると、最終下校時刻になってしまった

「じゃあ、今日はこれくらいで。本日は時間を作っていただきありがとうございました。」


「こちらこそ、ありがとうございました。」

「ありがとうございました」


次々にお礼が飛び交うと、私は警察の方々を門まで見送った


「ごめんね、真鍋。付き合わせちゃって」

「いえいえ、全然」

そう言って、真鍋はしっかりと私の方を向いた


「大我と、連絡が取れないんです。事件の日から…」

え、え…?
どういう事…?
それって、つまり

「大我、何かあったの…?」

「わかりません、ただ、今までほぼ毎日LINEしてたし、俺の連絡は大体即レスだったので、不安になって…」

美月、大我

どうして私の身の回りの人たちはいなくなるの…?

「そ、そっか」

あれ、私、今どんな顔してる?
うまく、喋れてる?

怖い、怖い、怖い

こんなこと、おかしい

「きっと明日には、戻って来る、よ…」

大我のいないテニス部なんて考えられない



真鍋は、少し間を空けたあと、「はい」と短く返事した

消える身近の人たち
深まるのは謎ばかり

事件?事故?


考えることが多すぎて頭が、グチャグチャになりそう


「また明日、学校で。気をつけて帰ってね」

気づいたら、真鍋と解散して、職員室で1人、ぼーっとしていた









少し居残りして仕事を終わらせたあと、家へ戻る

21:16
塾帰りの小学生たちが駅内を走り回っている

あぁ、あんな無邪気に笑うなんて、できないよ






そういえば、最後に私が笑ったのって、いつだろう

ずっと、つらい顔をしている気がする


「あ」

あの日。大会3週間前


"早瀬先生"

"俺、もっと頑張りますから。"
"え?"
"早瀬先生に、見せますから。優勝。"



大我からもらった言葉。
目を細めて笑う大我につられて、思わず笑みがこぼれたんだ


大我…
どうしていなくなったの?

早く戻ってきて、またあの無邪気な笑顔を見せてよ。

そして、テニスについてたくさん話そう

優勝にむけて、出来ることをしよう



そしてまた、みんなで笑おう





大我…



事件のせいで空っぽになってしまったテニス部には、今はもう大我はいない

どうしたの?何をしてるの?


勝手にいなくならないでよ


「優勝見せるって、約束したじゃん…」


思い出すと、涙が出てしまう

不安でしょうがない
今日、警察に事情聴取されたけど、真相がいつ分かるのか。

知りたい。全てを



私が、調べようか




「私が、やるべきだ」


私、早瀬さくらは
この謎を、解かないといけない


必ず暴き出して、救い出す

あの日、大我が私に夢を与えてくれたように







今度は私が、守るんだ。












その日の夜、



夢をみた。
高校生のときの、淡い記憶。




『さくらー!』

誰かが私の名前を呼ぶ。
でも、私はその人の顔にもやがかかっていてよく見えない。