カインとの契約結婚生活は、三週目を迎えていた。
リリアーナの体脂肪率は、カインが設定した辺境基準に順調に近づきつつあり、彼女の身体は高性能な魔導技術と高カロリーなスイーツによって、完全に管理されていた。
研究も同様に順調だった。
古代結界の解析は最終段階へ突入し、二人の知的連携はもはや、他者が立ち入れない密度に達している。
それでも――カインは、リリアーナが研究に没頭し身体的活動を疎かにすることだけは許さなかった。
彼の管理業務は、生活のあらゆる領域に浸透していた。
「リリアーナ。貴女は過去二時間、脳波の集中状態を維持している。このままでは午後の議論に際して集中力の低下を招く。ただちに脳の活動を切り替えろ」
研究室の隣にあるソファで資料を読みながら、カインはローブのデータを確認している。
その声は、もはやアラームのように正確で、容赦がない。
「カイン様。もう少しで、この古代魔導式のパターン認識が完了するのですが」
「非効率だ。パターン認識を連続で行うと脳が飽和し、最終的に誤った結論を導き出す。十分な休息を挟むことが、最速の解法だ」
反論の余地はない。
彼の論理は、常に正しい。
そして何より――彼は研究から強制的に解放するための業務を、既に用意している。
「貴女の身体が辺境の寒さに完全に適応しているか確認する必要がある。庭園を散歩しろ。これは体温調節機能のモニタリング業務だ」
リリアーナは諦めたように息をつき、厚手のローブを羽織って館の庭園へ出た。
霜降りの館の庭園は、王都とは別世界だった。
華やかな花々の代わりに植えられているのは、厳寒に耐える薬草や魔物避けの特殊植物。
冬には生命力を落とし、大地の魔力に縋って辛うじて生き延びている。
雪の残る小道を歩くと、足元の石畳は温かい。
滑らぬよう魔力加工が施され、歩くリリアーナの体温を奪わないように調整されている。
(庭園の石畳にまで管理……)
溜息が出そうになる。
だが、その息が白くならないほどには、確かに彼女の身体は温かい。
歩いているうちに、館の裏手にある手入れのされていない一角が目に入った。
そこには、王都でよく見かける香り高いハーブの鉢植えが、寂しげに置かれている。
おそらくカインの趣味ではない。
王都から来た使用人が持ち込んだのだろう。
だが、その鉢は――枯れかけていた。
葉は萎れ、枝は細く、土は乾ききっている。
リリアーナの胸に、ふと、前世の記憶が刺さった。
(……ラベンダー。リラックス効果が高い。王都じゃ寝室に置くのが流行ってたけど、この寒さじゃ耐えられないわね)
枯れかけた鉢植えが、かつての自分に重なる。
王都の社交界で、義務と形式に縛られ、生命力さえ枯れかけていた自分。
そして今、カインによって辺境へ連れてこられ、奇妙な形で生き直している自分。
リリアーナは誰に見せるでもなく、鉢に近づいた。
前世、職場の片隅で観葉植物に水をやっていた――あの、無心の行為。
あれと同じように、何気なく、自然に。
彼女は手のひらに魔力を集め、清浄な水を呼び出す。
「かわいそうに。こんなに乾いてしまって……せっかくここまで来たのだから、もう少し生きていなきゃ」
そして、枯れた土へそっと注ぎ込んだ。
――その瞬間。
空気が変わった。
水を吸い込んだハーブが、通常ではあり得ない速度で生命の躍動を始める。
枯れていた枝に鮮やかな緑が噴き出し、細い茎が太く、強靭な幹へと変貌した。
鉢の土が割れ、根が地中深くへ伸びていく。
「……っ!」
リリアーナは驚愕して後ずさった。
植物は彼女の背丈を超え、なお成長を止めない。
それは単なる成長ではない。
植物全体から、強烈な魔力光が噴き上がった。
淡い翡翠色の光が裏庭を覆い、雪と霜が溶け、地面から生命力に満ちた濃い香りが立ち昇る。
光に触れた空気が、温度ではなく活力を帯びていく。
そして、その木はハーブの姿を捨てた。
枝先には金色の果実のようなものが実り、幹の表面には複雑で美しい古代の紋様が刻まれていく。
「精霊樹……!?」
ゲーム知識が即座に叫んだ。
数千年に一度しか発現しない、文献に記された生命の源泉。
周囲の魔力を浄化し、無限の回復を生み出す存在。
さらに精霊樹の周囲に、無数の光の粒子が舞い始める。
この辺境では本来見えないはずの、高位の精霊たち。
彼らは歌っていた。祝福のような、祈りのような旋律。
リリアーナの思考が追いつかない。
(私は、ただ水をやっただけ。魔力を少し込めただけ……)
その少しが、常識を破壊した。
リリアーナの体脂肪率は、カインが設定した辺境基準に順調に近づきつつあり、彼女の身体は高性能な魔導技術と高カロリーなスイーツによって、完全に管理されていた。
研究も同様に順調だった。
古代結界の解析は最終段階へ突入し、二人の知的連携はもはや、他者が立ち入れない密度に達している。
それでも――カインは、リリアーナが研究に没頭し身体的活動を疎かにすることだけは許さなかった。
彼の管理業務は、生活のあらゆる領域に浸透していた。
「リリアーナ。貴女は過去二時間、脳波の集中状態を維持している。このままでは午後の議論に際して集中力の低下を招く。ただちに脳の活動を切り替えろ」
研究室の隣にあるソファで資料を読みながら、カインはローブのデータを確認している。
その声は、もはやアラームのように正確で、容赦がない。
「カイン様。もう少しで、この古代魔導式のパターン認識が完了するのですが」
「非効率だ。パターン認識を連続で行うと脳が飽和し、最終的に誤った結論を導き出す。十分な休息を挟むことが、最速の解法だ」
反論の余地はない。
彼の論理は、常に正しい。
そして何より――彼は研究から強制的に解放するための業務を、既に用意している。
「貴女の身体が辺境の寒さに完全に適応しているか確認する必要がある。庭園を散歩しろ。これは体温調節機能のモニタリング業務だ」
リリアーナは諦めたように息をつき、厚手のローブを羽織って館の庭園へ出た。
霜降りの館の庭園は、王都とは別世界だった。
華やかな花々の代わりに植えられているのは、厳寒に耐える薬草や魔物避けの特殊植物。
冬には生命力を落とし、大地の魔力に縋って辛うじて生き延びている。
雪の残る小道を歩くと、足元の石畳は温かい。
滑らぬよう魔力加工が施され、歩くリリアーナの体温を奪わないように調整されている。
(庭園の石畳にまで管理……)
溜息が出そうになる。
だが、その息が白くならないほどには、確かに彼女の身体は温かい。
歩いているうちに、館の裏手にある手入れのされていない一角が目に入った。
そこには、王都でよく見かける香り高いハーブの鉢植えが、寂しげに置かれている。
おそらくカインの趣味ではない。
王都から来た使用人が持ち込んだのだろう。
だが、その鉢は――枯れかけていた。
葉は萎れ、枝は細く、土は乾ききっている。
リリアーナの胸に、ふと、前世の記憶が刺さった。
(……ラベンダー。リラックス効果が高い。王都じゃ寝室に置くのが流行ってたけど、この寒さじゃ耐えられないわね)
枯れかけた鉢植えが、かつての自分に重なる。
王都の社交界で、義務と形式に縛られ、生命力さえ枯れかけていた自分。
そして今、カインによって辺境へ連れてこられ、奇妙な形で生き直している自分。
リリアーナは誰に見せるでもなく、鉢に近づいた。
前世、職場の片隅で観葉植物に水をやっていた――あの、無心の行為。
あれと同じように、何気なく、自然に。
彼女は手のひらに魔力を集め、清浄な水を呼び出す。
「かわいそうに。こんなに乾いてしまって……せっかくここまで来たのだから、もう少し生きていなきゃ」
そして、枯れた土へそっと注ぎ込んだ。
――その瞬間。
空気が変わった。
水を吸い込んだハーブが、通常ではあり得ない速度で生命の躍動を始める。
枯れていた枝に鮮やかな緑が噴き出し、細い茎が太く、強靭な幹へと変貌した。
鉢の土が割れ、根が地中深くへ伸びていく。
「……っ!」
リリアーナは驚愕して後ずさった。
植物は彼女の背丈を超え、なお成長を止めない。
それは単なる成長ではない。
植物全体から、強烈な魔力光が噴き上がった。
淡い翡翠色の光が裏庭を覆い、雪と霜が溶け、地面から生命力に満ちた濃い香りが立ち昇る。
光に触れた空気が、温度ではなく活力を帯びていく。
そして、その木はハーブの姿を捨てた。
枝先には金色の果実のようなものが実り、幹の表面には複雑で美しい古代の紋様が刻まれていく。
「精霊樹……!?」
ゲーム知識が即座に叫んだ。
数千年に一度しか発現しない、文献に記された生命の源泉。
周囲の魔力を浄化し、無限の回復を生み出す存在。
さらに精霊樹の周囲に、無数の光の粒子が舞い始める。
この辺境では本来見えないはずの、高位の精霊たち。
彼らは歌っていた。祝福のような、祈りのような旋律。
リリアーナの思考が追いつかない。
(私は、ただ水をやっただけ。魔力を少し込めただけ……)
その少しが、常識を破壊した。



